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「マーガレット・フォン・アデレード公爵令嬢! 貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」
王立学園の卒業記念パーティー。
その華やかな会場のど真ん中で、第一王子ジェラルドの声が響き渡った。
音楽が止まる。
踊っていた生徒たちが動きを止め、グラスを傾けていた貴族たちが一斉にこちらを振り返る。
静まり返ったホールの中、ジェラルド王子は勝ち誇ったような顔で、私の鼻先に指を突きつけていた。
その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、ミミの姿がある。
私は、左手に持っていた扇をゆっくりと閉じた。
そして、懐から愛用の銀の懐中時計を取り出し、チラリと針を確認する。
午後八時四十五分。
予定より十五分押しだ。
「……殿下」
「なんだ、今さら言い訳をするつもりか! もう遅いぞ!」
「いえ、言い訳などございません。ただ確認したいのですが」
私は時計の蓋をパチンと閉め、冷静に問いかけた。
「その断罪劇、あと何分かかりますか? 私、九時には屋敷に戻って領地の決算書を確認したいのですが」
「は……?」
ジェラルド王子が、間の抜けた声を漏らす。
隣でミミが「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
周囲の貴族たちがザワザワと囁き合うのが聞こえる。
『さすが鉄の女』『この状況で時間を気にするのか』という声だ。
失礼な。私はただ、無駄が嫌いなだけである。
「き、貴様……! この期に及んで、まだそのような可愛げのない態度を! だから貴様は冷血女と呼ばれるのだ!」
王子が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「冷血結構。効率的ですわ。それで、婚約破棄の理由は真実の愛(笑)ということでよろしいですか?」
「(笑)をつけるな! そうだ、僕はミミという真実の愛を見つけたのだ! 彼女の優しさ、純粋さ、そして何より、僕を癒やしてくれるこの笑顔! 常に業務連絡しかしてこない貴様とは大違いだ!」
ジェラルド王子はミミの肩を抱き寄せ、うっとりとした表情で語り始めた。
「ああ、ミミ。君と出会って僕は初めて知ったんだ。愛とは、こんなにも温かいものだったのだと……。マーガレットのような、血の通っていない女には一生理解できないだろうがな!」
「ええ、理解不能ですね。非効率的ですから」
私は即答した。
愛だの恋だので国が富むならいくらでも愛でてやるが、残念ながら税収は愛では増えない。
王子がミミに現を抜かしている間、誰が公務の遅れを取り戻し、誰が外交文書の下書きをし、誰が王子の派手な無駄遣いの尻拭いをしていたと思っているのか。
「貴様……! その減らず口を封じてやる! ここに証拠はあるんだぞ! 貴様がミミに対して行ってきた、数々の陰湿な嫌がらせの証拠がな!」
王子がバッと手を挙げると、側近の一人が羊皮紙の束を持って進み出てきた。
なるほど、準備がいいことだ。
その熱意を少しでも政務に向けてくれれば、私の残業時間は半分で済んだのに。
「読み上げろ!」
「はっ! ……えー、マーガレット嬢は、ミミ嬢に対して以下の暴挙を働きました」
側近が読み上げ始める。
「一つ。先月の茶会にて、ミミ嬢のドレスにわざと紅茶をこぼした」
会場から「まあ、なんて酷い」という声が上がる。
私はため息をついた。
「異議あり。あれはミミ様が私の足元で勝手に転び、私の持っていたカップに自分から当たりに来たのです。物理法則に従えば、液体は高いところから低いところへ流れます。私のドレスが無事だったのは、私が瞬時に回避行動をとったからです。回避行動をとれなかったミミ様の運動神経の問題では?」
「へ理屈を言うな! 貴様が謝らなかったのが問題なのだ!」
「謝罪? 私がですか? 貴重な茶葉を無駄にしたことに対してなら、茶葉に謝りますけれど」
「き、貴様ぁ……!」
王子がプルプルと震えている。
側近が慌てて次を読み上げる。
「ひ、一つ! ミミ嬢が提出した課題の書類を、マーガレット嬢がビリビリに破き捨てた!」
「事実です」
私はあっさりと認めた。
会場がどよめく。
王子が「見たか!」と叫ぶ。
「認めたな! やはり貴様は嫉妬に狂って……」
「訂正してください。嫉妬ではありません。添削です」
私は冷ややかな視線で王子を見据えた。
「ミミ様が提出された書類は、王国の歴史に関するレポートでしたわね。ですが、そこには『初代国王様はとってもイケメンで~』などという、史実とは無関係なポエムが延々と書き連ねられていました。あのようなものを提出すれば、我が国の教育水準が疑われます。資源ゴミとして処理する前に、誤った情報が拡散しないよう裁断したのは、王子の婚約者としての慈悲です」
「そ、それは……ミミの感性が豊かな証拠だ!」
「感性で国史は語れません。テストなら零点です」
「うぐっ……」
王子が言葉に詰まる。
ミミが涙目で王子を見上げた。
「ジェラルド様ぁ……私、一生懸命書いたのに……」
「よ、よしよし。ミミは悪くないぞ。悪いのは、その純粋な心を理解しようとしない、この鉄の女だ!」
頭が痛い。
この男は、将来この国を背負うつもりがあるのだろうか。
いや、ないのだろう。だからこそ、こうして衆人環視の中で婚約破棄などという愚行に及んでいるのだ。
「まだあるぞ! 先日の視察の際、貴様はミミを馬車に乗せず、雨の中を歩かせようとしたそうだな!」
「定員オーバーです」
私は即答した。
「王家の馬車は四人乗り。殿下、私、護衛騎士、そして記録係。これで満席です。そこにミミ様が『私も行きたい~』と無理やり乗り込もうとされました。安全規定上、定員を超過した走行は認められません。よって、お引き取り願っただけです」
「詰めて乗ればよかっただろう! 少し窮屈になるくらい、なんだ!」
「安全管理はリスク管理の基本です。万が一事故が起きた際、責任を取るのは誰ですか? 殿下ですか? それとも御者ですか? 一時の感情でルールを曲げれば、組織は崩壊します。次期国王たる者が、そのようなことも分からないのですか?」
「っ……! うるさい、うるさい、うるさーい!」
ジェラルド王子は子供のように地団駄を踏んだ。
十八歳児の癇癪に、私は呆れ果てる。
「もういい! 理屈など聞きたくない! 僕は貴様のような、可愛げのかけらもない女とは結婚などできん! これは決定事項だ!」
「……つまり、私の言い分など聞く耳持たない、と?」
「そうだ! 貴様は悪役令嬢だ! 僕とミミの愛を引き裂こうとする悪だ! この国に貴様のような王妃は不要だ!」
王子が高らかに宣言する。
会場中が、固唾を飲んで私の反応を待っていた。
泣き崩れるか。
怒り狂うか。
あるいは、縋り付くか。
私は――。
「承知いたしました」
深々と頭を下げた。
その瞬間、私の顔は床に向けられていたが、唇の端は吊り上がっていたと思う。
(やった……!)
心の中で、盛大なファンファーレが鳴り響いた。
歓喜の歌が聞こえる。
自由だ。
解放だ。
もう明日から、このバカ王子のスケジュール管理をしなくていい。
読みたくもないポエムのような手紙の添削をしなくていい。
予算を湯水のように使う彼を止めるために、胃を痛めなくていいのだ。
「……は?」
顔を上げると、王子がぽかんとしていた。
予想外の反応だったのだろう。
「しょ、承知した、だと……? 泣いて謝らないのか? 婚約破棄を取り消してくれと、僕の足に縋り付かないのか?」
「殿下の決定ですので。王命に等しいお言葉、慎んでお受けいたします」
私は満面の笑みを浮かべた。
そう、これ以上ないほどの、ビジネスライクな営業スマイルで。
「あ、ありがとうございます……?」
王子が困惑している。
調子が狂ったようだ。
だが、私はここで攻撃の手を緩めるつもりはない。
鉄は熱いうちに打て。
契約解除は迅速に。
「では、婚約破棄の合意形成はなされたということでよろしいですね? つきましては、今後の手続きについて確認させていただきたく」
私は懐から手帳を取り出した。
常に携帯している、業務用のネタ帳だ。
「まず、慰謝料についてですが」
「い、慰謝料……?」
「当然ですわ。殿下側からの一方的な破棄。しかも、私には不貞の事実もなければ、法に触れるような過失もございません。先ほどの『嫌がらせ』とやらは、全て正当な業務、あるいは不可抗力として論破させていただきました。つまり、これは殿下の『有責』による婚約破棄となります」
私は手帳にサラサラと数字を書き込んでいく。
「王家と公爵家の契約不履行。これに伴う我が家の名誉毀損。そして何より、私がこれまで殿下の教育係として費やしてきた十年間の労働対価。これらを総合的に勘案しますと……」
私はパチパチと空で計算を弾き出した。
「国家予算の約二パーセント。これくらいの請求額が妥当かと」
「に、二パーセント!? バカな、そんな大金!」
「お安いものでしょう? 真実の愛を手に入れるためなのですから。それとも、ミミ様との愛にはそれだけの価値もないと?」
「うっ……」
王子がミミを見る。
ミミが潤んだ瞳で見つめ返す。
王子は引くに引けなくなった。
「わ、わかった……払う。払えばいいんだろう!」
「言質、いただきました。書面は後日、弁護士を通じて送付いたします。支払いは一括でお願いしますね。分割は事務手数料がかかりますので」
私は手帳を閉じ、再び懐中時計を見た。
午後九時ジャスト。
素晴らしい。
完璧なタイムマネジメントだ。
「では、商談も成立したことですし、私はこれにて失礼させていただきます」
私は優雅にカーテシー(お辞儀)をした。
かつてないほど軽やかな、美しいカーテシーだったと自負している。
「ま、待て! 本当に行くのか? 本当に……僕と別れていいのか?」
背後から、王子の情けない声が聞こえる。
まだ何か未練がましいことを言っているようだ。
私は振り返り、にっこりと微笑んだ。
「ええ、殿下。どうぞお幸せに。ミミ様とお二人で、思う存分『真実の愛』とやらを育んでくださいませ。――私は、残業のない世界へ旅立ちますので」
ざわめく会場を背に、私はホールを後にした。
靴音がカツカツと心地よく響く。
廊下に出た瞬間、私は両手を突き上げた。
「よっしゃあぁぁぁぁぁ!!」
公爵令嬢らしからぬガッツポーズ。
だが、誰も見ていないから問題ない。
私は自由だ。
これからは、自分のために時間を使える。
領地経営に専念できる。
数字と効率の世界に没頭できるのだ。
「まずは屋敷に帰って、祝い酒ね。最高級のワインを開けましょう」
足取り軽く、私は馬車へと向かった。
これが、悪役令嬢マーガレットの、最高にハイな第二の人生の幕開けだった。
王立学園の卒業記念パーティー。
その華やかな会場のど真ん中で、第一王子ジェラルドの声が響き渡った。
音楽が止まる。
踊っていた生徒たちが動きを止め、グラスを傾けていた貴族たちが一斉にこちらを振り返る。
静まり返ったホールの中、ジェラルド王子は勝ち誇ったような顔で、私の鼻先に指を突きつけていた。
その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、ミミの姿がある。
私は、左手に持っていた扇をゆっくりと閉じた。
そして、懐から愛用の銀の懐中時計を取り出し、チラリと針を確認する。
午後八時四十五分。
予定より十五分押しだ。
「……殿下」
「なんだ、今さら言い訳をするつもりか! もう遅いぞ!」
「いえ、言い訳などございません。ただ確認したいのですが」
私は時計の蓋をパチンと閉め、冷静に問いかけた。
「その断罪劇、あと何分かかりますか? 私、九時には屋敷に戻って領地の決算書を確認したいのですが」
「は……?」
ジェラルド王子が、間の抜けた声を漏らす。
隣でミミが「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
周囲の貴族たちがザワザワと囁き合うのが聞こえる。
『さすが鉄の女』『この状況で時間を気にするのか』という声だ。
失礼な。私はただ、無駄が嫌いなだけである。
「き、貴様……! この期に及んで、まだそのような可愛げのない態度を! だから貴様は冷血女と呼ばれるのだ!」
王子が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「冷血結構。効率的ですわ。それで、婚約破棄の理由は真実の愛(笑)ということでよろしいですか?」
「(笑)をつけるな! そうだ、僕はミミという真実の愛を見つけたのだ! 彼女の優しさ、純粋さ、そして何より、僕を癒やしてくれるこの笑顔! 常に業務連絡しかしてこない貴様とは大違いだ!」
ジェラルド王子はミミの肩を抱き寄せ、うっとりとした表情で語り始めた。
「ああ、ミミ。君と出会って僕は初めて知ったんだ。愛とは、こんなにも温かいものだったのだと……。マーガレットのような、血の通っていない女には一生理解できないだろうがな!」
「ええ、理解不能ですね。非効率的ですから」
私は即答した。
愛だの恋だので国が富むならいくらでも愛でてやるが、残念ながら税収は愛では増えない。
王子がミミに現を抜かしている間、誰が公務の遅れを取り戻し、誰が外交文書の下書きをし、誰が王子の派手な無駄遣いの尻拭いをしていたと思っているのか。
「貴様……! その減らず口を封じてやる! ここに証拠はあるんだぞ! 貴様がミミに対して行ってきた、数々の陰湿な嫌がらせの証拠がな!」
王子がバッと手を挙げると、側近の一人が羊皮紙の束を持って進み出てきた。
なるほど、準備がいいことだ。
その熱意を少しでも政務に向けてくれれば、私の残業時間は半分で済んだのに。
「読み上げろ!」
「はっ! ……えー、マーガレット嬢は、ミミ嬢に対して以下の暴挙を働きました」
側近が読み上げ始める。
「一つ。先月の茶会にて、ミミ嬢のドレスにわざと紅茶をこぼした」
会場から「まあ、なんて酷い」という声が上がる。
私はため息をついた。
「異議あり。あれはミミ様が私の足元で勝手に転び、私の持っていたカップに自分から当たりに来たのです。物理法則に従えば、液体は高いところから低いところへ流れます。私のドレスが無事だったのは、私が瞬時に回避行動をとったからです。回避行動をとれなかったミミ様の運動神経の問題では?」
「へ理屈を言うな! 貴様が謝らなかったのが問題なのだ!」
「謝罪? 私がですか? 貴重な茶葉を無駄にしたことに対してなら、茶葉に謝りますけれど」
「き、貴様ぁ……!」
王子がプルプルと震えている。
側近が慌てて次を読み上げる。
「ひ、一つ! ミミ嬢が提出した課題の書類を、マーガレット嬢がビリビリに破き捨てた!」
「事実です」
私はあっさりと認めた。
会場がどよめく。
王子が「見たか!」と叫ぶ。
「認めたな! やはり貴様は嫉妬に狂って……」
「訂正してください。嫉妬ではありません。添削です」
私は冷ややかな視線で王子を見据えた。
「ミミ様が提出された書類は、王国の歴史に関するレポートでしたわね。ですが、そこには『初代国王様はとってもイケメンで~』などという、史実とは無関係なポエムが延々と書き連ねられていました。あのようなものを提出すれば、我が国の教育水準が疑われます。資源ゴミとして処理する前に、誤った情報が拡散しないよう裁断したのは、王子の婚約者としての慈悲です」
「そ、それは……ミミの感性が豊かな証拠だ!」
「感性で国史は語れません。テストなら零点です」
「うぐっ……」
王子が言葉に詰まる。
ミミが涙目で王子を見上げた。
「ジェラルド様ぁ……私、一生懸命書いたのに……」
「よ、よしよし。ミミは悪くないぞ。悪いのは、その純粋な心を理解しようとしない、この鉄の女だ!」
頭が痛い。
この男は、将来この国を背負うつもりがあるのだろうか。
いや、ないのだろう。だからこそ、こうして衆人環視の中で婚約破棄などという愚行に及んでいるのだ。
「まだあるぞ! 先日の視察の際、貴様はミミを馬車に乗せず、雨の中を歩かせようとしたそうだな!」
「定員オーバーです」
私は即答した。
「王家の馬車は四人乗り。殿下、私、護衛騎士、そして記録係。これで満席です。そこにミミ様が『私も行きたい~』と無理やり乗り込もうとされました。安全規定上、定員を超過した走行は認められません。よって、お引き取り願っただけです」
「詰めて乗ればよかっただろう! 少し窮屈になるくらい、なんだ!」
「安全管理はリスク管理の基本です。万が一事故が起きた際、責任を取るのは誰ですか? 殿下ですか? それとも御者ですか? 一時の感情でルールを曲げれば、組織は崩壊します。次期国王たる者が、そのようなことも分からないのですか?」
「っ……! うるさい、うるさい、うるさーい!」
ジェラルド王子は子供のように地団駄を踏んだ。
十八歳児の癇癪に、私は呆れ果てる。
「もういい! 理屈など聞きたくない! 僕は貴様のような、可愛げのかけらもない女とは結婚などできん! これは決定事項だ!」
「……つまり、私の言い分など聞く耳持たない、と?」
「そうだ! 貴様は悪役令嬢だ! 僕とミミの愛を引き裂こうとする悪だ! この国に貴様のような王妃は不要だ!」
王子が高らかに宣言する。
会場中が、固唾を飲んで私の反応を待っていた。
泣き崩れるか。
怒り狂うか。
あるいは、縋り付くか。
私は――。
「承知いたしました」
深々と頭を下げた。
その瞬間、私の顔は床に向けられていたが、唇の端は吊り上がっていたと思う。
(やった……!)
心の中で、盛大なファンファーレが鳴り響いた。
歓喜の歌が聞こえる。
自由だ。
解放だ。
もう明日から、このバカ王子のスケジュール管理をしなくていい。
読みたくもないポエムのような手紙の添削をしなくていい。
予算を湯水のように使う彼を止めるために、胃を痛めなくていいのだ。
「……は?」
顔を上げると、王子がぽかんとしていた。
予想外の反応だったのだろう。
「しょ、承知した、だと……? 泣いて謝らないのか? 婚約破棄を取り消してくれと、僕の足に縋り付かないのか?」
「殿下の決定ですので。王命に等しいお言葉、慎んでお受けいたします」
私は満面の笑みを浮かべた。
そう、これ以上ないほどの、ビジネスライクな営業スマイルで。
「あ、ありがとうございます……?」
王子が困惑している。
調子が狂ったようだ。
だが、私はここで攻撃の手を緩めるつもりはない。
鉄は熱いうちに打て。
契約解除は迅速に。
「では、婚約破棄の合意形成はなされたということでよろしいですね? つきましては、今後の手続きについて確認させていただきたく」
私は懐から手帳を取り出した。
常に携帯している、業務用のネタ帳だ。
「まず、慰謝料についてですが」
「い、慰謝料……?」
「当然ですわ。殿下側からの一方的な破棄。しかも、私には不貞の事実もなければ、法に触れるような過失もございません。先ほどの『嫌がらせ』とやらは、全て正当な業務、あるいは不可抗力として論破させていただきました。つまり、これは殿下の『有責』による婚約破棄となります」
私は手帳にサラサラと数字を書き込んでいく。
「王家と公爵家の契約不履行。これに伴う我が家の名誉毀損。そして何より、私がこれまで殿下の教育係として費やしてきた十年間の労働対価。これらを総合的に勘案しますと……」
私はパチパチと空で計算を弾き出した。
「国家予算の約二パーセント。これくらいの請求額が妥当かと」
「に、二パーセント!? バカな、そんな大金!」
「お安いものでしょう? 真実の愛を手に入れるためなのですから。それとも、ミミ様との愛にはそれだけの価値もないと?」
「うっ……」
王子がミミを見る。
ミミが潤んだ瞳で見つめ返す。
王子は引くに引けなくなった。
「わ、わかった……払う。払えばいいんだろう!」
「言質、いただきました。書面は後日、弁護士を通じて送付いたします。支払いは一括でお願いしますね。分割は事務手数料がかかりますので」
私は手帳を閉じ、再び懐中時計を見た。
午後九時ジャスト。
素晴らしい。
完璧なタイムマネジメントだ。
「では、商談も成立したことですし、私はこれにて失礼させていただきます」
私は優雅にカーテシー(お辞儀)をした。
かつてないほど軽やかな、美しいカーテシーだったと自負している。
「ま、待て! 本当に行くのか? 本当に……僕と別れていいのか?」
背後から、王子の情けない声が聞こえる。
まだ何か未練がましいことを言っているようだ。
私は振り返り、にっこりと微笑んだ。
「ええ、殿下。どうぞお幸せに。ミミ様とお二人で、思う存分『真実の愛』とやらを育んでくださいませ。――私は、残業のない世界へ旅立ちますので」
ざわめく会場を背に、私はホールを後にした。
靴音がカツカツと心地よく響く。
廊下に出た瞬間、私は両手を突き上げた。
「よっしゃあぁぁぁぁぁ!!」
公爵令嬢らしからぬガッツポーズ。
だが、誰も見ていないから問題ない。
私は自由だ。
これからは、自分のために時間を使える。
領地経営に専念できる。
数字と効率の世界に没頭できるのだ。
「まずは屋敷に帰って、祝い酒ね。最高級のワインを開けましょう」
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