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しおりを挟む第一章 ヤンデレ社長に囲われました!?
「あぁっ! もうっ! 今日のレン様も最高にす・て・き」
うっとりと息を吐きながら、彩は身悶えた。頬はほんのり熱く、瞳は感極まって湧き出た涙で潤んでいる。
表情だけならばまるで恋する乙女といった具合の彼女だが、その手に持っているものはそれに似つかわしくないものだった。
望遠レンズのついた一眼レフカメラである。
彼女は自室の窓から向かいのマンションにそのレンズを向け、何度かシャッターを切った。
高い鼻梁に薄い唇。中性的で端整な顔立ちながら、輪郭はしっかりと男性のそれだ。黒檀のように艶めく髪の毛はさらさらと風になびいて光に溶けていく。
小気味のいいシャッター音を数度鳴らした後、彩は液晶モニターに映った一人の男性に頬を緩ませる。
そう、彼女、一ノ瀬彩はストーカーである。
自分では『彼の熱狂的なファン』と認識しているのだが、やっていることはストーカー行為そのものだ。相手の家に押しかけたり、情報を無理やり得ようとしないだけ、まだましなほうだと思っていただきたい。とはいえライフワークの盗撮も、立派な犯罪行為である。
そんな彼女のストーカー被害にあっているのは、向かいのマンションに住む男性だ。
たまたま住んでいる部屋の階数が一緒なのをいいことに、彩は毎朝彼の様子をつぶさに観察し、隙あらば写真を撮っている。
「マジでレン様! 二・五次元! いや、あの再現率は二・八次元レベル! 素敵すぎる!!」
興奮気味にそう言って、彩はカメラを抱きしめた。
レンというのは、彩が昔から愛読している少女漫画『初恋パレット』の蓬生レンというキャラクターのことである。ヒロインの五十嵐栞をヒーローと取り合い敗れる、いわゆる当て馬的なキャラクターなのだが、彩はヒーローより、ライバルキャラであるレンが昔から好きだった。ヒーローとは真逆で冷たく描かれている彼の、時折見せる柔らかな笑顔や、ヒロインのことを想って自ら身を引く潔さは、幼い頃の彩の胸に切なく鋭い棘を残した。
そのレンに彼がそっくりだったのである。
「はぁ。まったく、栞ちゃんがレン様を選ばないのが信じられないよ。レン様みたいな彼氏のほうが、絶対大切にしてくれるし、幸せになれるに決まっているのに! これだから、恋愛初心者は……」
と言う彩の恋愛経験も豊富ではない。
今まで付き合ったことがある人は一人だけで、大学二年生の時だった。
相手は、元々友人で、はやし立てるような周りの雰囲気に流されて付き合い始めた。しかし、その付き合いは所詮友情の延長にしか過ぎず、別れるまでの一年間で二人は一度キスしただけ。なので、彼女も立派な恋愛初心者である。もちろん身体だって誰にも開いたことがない。
『初恋パレット』は結構な人気を誇る長寿漫画で、連載が終わったのち、実写映画やドラマにもなった作品なのだが、出演したどの俳優よりも彼のほうがレンにぴったりだった。
容姿もさることながら、どこか気品溢れる仕草がレンそのものだ。
「あっ! もしかして今から着替え? いやん」
語尾にハートマークがちらついているような声音で、彩は頬をぽっと熱くした。
もう一度カメラを構え直し、ふたたびレンズを彼の部屋に向ける。すると、向かいの彼はこちらを一瞬だけ見て唇の端を引き上げ、カーテンを勢いよく閉めてしまった。
「あー……惜しいっ! でもまぁ、今日は素敵な横顔が撮れたしいいか」
弾けるような声で発した内容は、どこまでも犯罪めいている。
彩はカメラをしまうと、会社に出勤する準備を始めた。
肩より上で切りそろえた髪の毛に、大きな丸い瞳。一部の友人からは童顔とその髪形から『こけしちゃん』なんて揶揄されている彼女だが、二十六歳のれっきとした大人の女性である。
先ほどまでストーカー活動にいそしんでいたので、悠長に身支度をしている時間はない。彼女は手早く身支度をしながら、カーテンの向こうに消えた彼を思った。
「もしかしてさっき、目が合った? ……いや、まさかね」
カーテンの奥に消える前の彼の視線を思い出し、彩は少しだけ首をひねった。しかし、一方的に熱を上げているだけの彩を、彼が知っているはずがない。
そもそも知っていたら、今頃は警察沙汰になっているだろう。自分のしていることのやばさに関して、彩にもそれぐらいの自覚はあった。
時計を見れば、いつも出勤する時間を五分ほど過ぎている。
「あっ! 早くしないとレン様と同じ電車に乗れない!!」
焦ってそう言いながら、彩は今日も元気に出勤していくのだった。
「あぁあぁぁ!! 今朝の電車最高だったぁ!! 五メートル先にレン様! シトラス系の香りした! 絶対した!!」
「アンタいい加減にしないと、マジで警察に捕まるわよ……」
昼休憩に入ったばかりの会社の給湯室で悶絶する彩にそうツッコむのは、同僚である堂下香帆だ。モデルばりのスタイルで高身長の彼女は、先ほど淹れたばかりのコーヒーを片手に剣呑な声を出す。
「家では窓から覗きして、通勤時間は後をつけて……、相手だってそろそろ気づくんじゃないの?」
「今日は別に後をつけてないもん! たまたま同じ電車に乗っただけだもん!」
彩は頬を膨らませながらそう反論するが、香帆はその反論も頭痛の種だと言わんばかりに頭を抱えた。
「嘘つけ! 相手の出勤時間は把握しているんでしょう?」
「愚問を。私が把握してないと思った?」
恥じることなく、むしろ胸を張ってそう言う彩に香帆は反射的に声を上げる。
「そこで自慢げにする意味が分からないわよ! このストーカー女!!」
「えへへ」
「喜ぶな! この馬鹿!」
「わーい」
「……貶されて喜ぶなんて、アンタって相当Mっ気あるわよね」
呆れたのか、疲れたのか。香帆はがっくりと肩を落とし、一つため息を吐いた。
「アンタって、自分の願望に忠実っていうか、面白い人生を送るのに余念がないっていうか……。ほんっと自由人よねー。正直、羨ましいわ」
「そうかな? 自分ではよく分かんないんだけど、皆こんなもんじゃないの?」
「世界中がアンタみたいな人間ばっかりになったら、人類なんてすぐ滅亡するわ!」
香帆の言葉に彩は「なんで?」と首をかしげる。そんな彼女に香帆は半眼になり、やがて諦めたようにため息を一つ零した。
「というか、相手がどういう奴なのか分からないのに、よくそんなに熱上げられるわね。もしかしたら変な奴かもしれないわよ。人は見かけによらないんだから……」
「変な奴でも、あの見た目だけで百点満点!」
「……冷たい奴かもしれないわよ?」
「それでもいい!! むしろ冷たいぐらいがレン様っぽくていい!! 最高! つれなくされたほうが追いかけようって燃えるし、萌える!!」
香帆の言葉に、なぜかガッツポーズを掲げる彩である。
そんな彼女の言動に香帆は頬を引きつらせる。そうして、人差し指を彩の鼻先に押し付けながら、説教じみた声を出した。
「そんなに好きなら、そのハンカチを返すのを口実に連絡先を聞けばいいじゃない。そしたら連絡も取り放題よ。もしかしたら、これをきっかけに付き合えたりするかもしれないし」
香帆は鼻先に当てていた指先を、彩が大切に握りしめているチェック柄の上質そうなハンカチにスライドさせた。
それはかなり前、後をつけていた彩の目の前で彼が落としたものだった。
彩も拾った当初はちゃんと返そうと思っていた。しかし結局声をかける勇気が出ず、今ではお守りのように毎日持ち歩いてしまっている。そのハンカチからも、ほのかにシトラス系の香りが漂っていた。
「大丈夫! 大丈夫! 付き合いたいだなんてそんな分不相応な望みは持ってないから! 私はただ、遠くからレン様を見守りたいだけだから! レン様は生きていてくれればそれで!」
「アンタねぇ……」
「それにこのハンカチは返せないよ! 私の生活に欠かせないものになってしまったのさ!」
ふふふ、と頬を熱くしながらハンカチを胸に抱く彩に、香帆は「どうなっても知らないからね……」と小さく零した。
そんな馬鹿話をしていると、給湯室にまで大きな声が響いた。
「一ノ瀬ー! どこだー!」
「……アンタ、課長に呼ばれているわよ」
「え? 今、昼休憩中だよね? 私なにか……あっ! そういえば今日は午後から営業先についていく約束で、早めに休憩を切り上げなきゃいけないんだった……」
肩を一瞬びくつかせてから、彩はうなだれながらそう言った。
今日行く営業先は、最近ようやくアポイントを取りつけた、日本を代表する高級ホテルチェーンである。
彩たちが勤めているのは、空調やLED、太陽光発電などの設備を扱う会社。先方には近々建設予定のホテルがあり、そこへの設備提案をしたいという話なのだ。
相手方の社長が直々に話を聞いてくれるらしく、忙しい相手に合わせて昼休憩の時間に会社を出る予定になっていた。
「……それにしても、課長ってアンタのこと気に入っているわよねぇ。営業先に誰かを同行させるとなったら、いつもアンタをご指名じゃない」
彼女たちの上司、堀内廉は三十五歳にして営業課長に抜擢され、いわゆるエリート街道を突っ走っている。
男らしい角ばった輪郭に、大きな体躯。短く切りそろえられた髪形も、いわゆる運動部といった感じである。
性格は気さくで、部下の相談にも嫌な顔一つせずに乗ってくれる、まさに理想の上司だ。
「私ってこんなんだから文句とか、注文とか言いやすいんだと思うよー」
「それだけかしら?」
「それ以上になにがあるのさー」
含みのある言い方をした香帆を意に介さず、彩はのんびりとそう返す。
「こら、一ノ瀬! こんなところにいたのか! いい加減出発しないと遅れるぞ!」
給湯室の扉から顔を覗かせて堀内がそう声を張った。
彩は「はい! 今行きます!」と片手を上げる。
その瞬間、堀内の表情が少しだけ砕けた。
「早く準備しろよ! 俺は会社の前に車をまわしておくからな!」
「ありがとうございます! すぐ行きますね!」
「資料は?」
「ちゃんと準備しています! 任せてください!」
彩が自信満々に自身の胸を叩くと、堀内はふっと噴き出した。
そうして、彩の頭をぽんぽんと、まるで子供にするかのように撫でてくれる。
「一ノ瀬の資料は見やすいからな。期待してるぞ」
そんな言葉を残して、堀内は給湯室を後にする。
彼を追うように彩も、寄りかかっていたシンクの縁から身体を起こした。
「それじゃ、行ってくるね! あぁ、でも、コーヒー淹れたばっかりだった……」
「私がアンタの代わりに飲んどくわよ。ほら、早く行かないと!」
「ありがとう! んじゃ、いってきます!」
元気いっぱいにそう言いながら、彩は駆け足で給湯室から出ていく。
そんな彩のうしろ姿を眺めながら香帆は「鈍感ねぇ」と小さく零した。
それから一時間後、彩は営業先の社長室で、人生最大のピンチを迎えていた。
「社長の桑羽智也です。どうぞよろしくお願いします」
そう言って目の前で完璧スマイルを見せるのは、国内外の数多くのホテルを束ねる社長である。代々続く、由緒ある大企業の六代目。その経営手腕は最も優秀とされた初代に勝ると言われているほどだ。
そういうことに疎い彩でも、彼の名前ぐらいは聞いたことがある。
「堀内です。よろしくお願いします」
にこやかに挨拶をする堀内の隣で、彩は固まったまま動けなくなっていた。顔から血の気が引きつつも、彼から目を逸らすことはできない。
なぜなら桑羽智也と名乗ったその男は、彩のストーカー被害者、『レン様』だったのである。
光に透けるようなサラサラの髪の毛も、高い鼻梁も、切れ長の優しい目元も見慣れたもの。間違えようがない。
ついでに彼からは、彩が拾ったハンカチと同じシトラス系の香りがした。
(レ、レ、レ、レン様はホテル王なの? でもなんで? あのマンション、割と普通のマンションだよね? 私が住んでいるところよりは確かに家賃とか高いし、エントランスも豪華だけど、巨大企業の社長が住むようなマンションじゃないよね?)
まさかの出会いに小さく震える彩を、なにも知らない堀内が小さく小突く。
「こら、お前も挨拶!」
「あっ! えっと、一ノ瀬彩です。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
にっこりと眩しいぐらいの笑みを見せながら桑羽は言う。その笑顔を浴びつつ、彩は必死で自分に言い聞かせた。
(うん。たぶん人違いだ。いつも観察してるリアルレン様に似ているけど、すっごく似ているけど、この人はきっとドッペルゲンガーかなにかなんだ。きっとそう! ……そういうことにしとこう!)
心の平穏のために……
彩は密かに自分の腕をつねり上げ冷静さを取り戻し、自身が用意した資料と自社のパンフレットを桑羽に差し出す。
「こちらがわが社が紹介する商品と提案書です」
そう言った彩の頬には、冷や汗が伝っていた。
数時間後、彩は上機嫌で社長室を後にした。エントランスに向かう廊下を歩いているうちに、達成感が込み上げる。
桑羽へのプレゼンは思ったよりもうまくいった。
最初は緊張していた彩だったが、彼をドッペルゲンガーと思い込むことで徐々に落ち着きを取り戻し、いつものパフォーマンスをなんとか発揮することができた。
それを隣で聞いている堀内も、桑羽も満足そうだったので、結果は上々と見ていいだろう。
「あー、緊張したぁ!!」
「お疲れさん。今日のプレゼンよかったぞ」
緊張の理由をプレゼンのせいだけだと思っている堀内は、にこにこと機嫌よく笑いながら彼女の背中を優しく叩く。
そんな堀内に、彩はへにゃりと疲れを前面に押し出したような笑みを向けた。
「そういえば、昼休憩の時間に出てきたから昼食が後回しになってたな! 今からなにか食いに行くか? 今日は俺がおごってやるぞ!」
「本当ですか? それじゃ、焼き肉で!」
「……お前は少しぐらい遠慮しろ」
「えー、人のお金で食べる焼き肉は格別です!」
「焼き肉はまた今度連れてってやるから、今日は定食屋とかで我慢しとけ! 俺はこの後、顔見せに行かなきゃいけないところがあるんだよ。煙の臭い付けて行くわけにはいかないからな」
呆れたような声だが、それを言う彼の表情はどこまでも優しい。なぜか嬉しそうにも見えるぐらいだ。
その時、堀内の胸ポケットから電子音が鳴り響いた。
「ん? 電話だな。ちょっと先にロビー行っているぞ!」
営業先の廊下で堂々と会社からかかってきた電話を取るわけにもいかない堀内は、彼女を残して走り去る。
そして、堀内の背中が曲がり角の先に消えた直後、しっとりとした低音が彩の耳朶を打った。
「一ノ瀬さん」
まるで一人になるのを見計らったかのようにかけられた声に振り向くと、そこには嫋やかな笑みをたたえた桑羽が立っていた。
「そういえば、君に言い忘れたことがありまして……」
「な、なんでしょうか?」
緊張で声が上ずる。
しかし、本来緊張する必要はないのだ。彼は彩のことを知らないはずだし、そもそも桑羽が本当にあの向かいのマンションの彼なのかさえも定かではない。
そう考えていた彼女の想いは、彼が耳元でささやいた一言で木っ端みじんに粉砕される。
「今日は、いい写真が撮れましたか?」
その言葉に驚いて桑羽を見つめると、彼は昏い目を細めて黒く微笑んでいた。
◆ ◇ ◆
「んで、ストーカーやめたの?」
「うん、もうさすがに怖くって!! いつ警察来るのかな? 私、引っ越したほうがいい? 今までの行動がバレてたとか、申し訳なさすぎるんですけど!!」
衝撃の出来事から一週間、彩は仕事終わりの居酒屋で、テーブルに突っ伏しながら香帆にそう吐き出した。いつから気づかれていたのか、気づかれているのは盗撮だけなのか。分からないことだらけだが、ストーカー行為の一端がバレていたのは間違いない。
「アンタにも申し訳ないって気持ちがあるのね……」
目の前で酎ハイを傾ける香帆は、それ見たことかという顔をしている。
「もう一週間でしょ? お情けで警察には通報しなかったんじゃないの?」
「そうなのかな? だとしたら、ありがたいんだけど……」
「だけど?」
「ここ一週間、レン様不足でつらいー!! あのアンニュイな寝起きの顔とか! コーヒーを飲んでいる時の優雅な仕草とか! シャワーを浴びた後の少し濡れた髪の毛とか!! 見たい! もう一度この目で拝みたい! 撮りためていた写真を見ればレン様パワーをチャージできると思ってたけど無理だった! 苦しい! 死んじゃいそう!! 誰か! 誰か私に癒しをっ!!」
「アンタ、まだそんなこと言ってるの? というか、これに懲りて写真も捨てなさいよ……」
頬を引きつらせて、香帆は呆れたようにそう零した。
あわや警察沙汰というところまできているにもかかわらず、暢気なものである。
彩はいまだに頭を抱えていやいやと横に振り、香帆は料理が零れないように慣れた様子で彼女のそばから皿をどかしていく。
「写真まで捨てたら死んじゃう自信がある! あれほど精巧な三次元レン様を私は他に知らないもの! あの写真はうちの家宝にする予定です!!」
「ワー、キモチワルイ」
「気持ち悪くてもいいもん!!」
テーブルに頭を打ち付けそうな勢いで彩は突っ伏した。
お酒の力も借りて、普段からおかしな人間が余計におかしくなっている。
「そんなに落ち込まないの。常に面白おかしく生きているのがアンタのいいところでしょう?」
香帆は枝豆を口に運びながら、どうでもよさそうに声を出した。
「ってか、世間って狭いのね。たまたまストーカーしていた相手が、営業先の社長とかすごい偶然じゃない? ……で、どうなのよ? 実際にレン様に会った感想は?」
「もう最高にレン様だった! めっちゃかっこよかったし、ハンカチと同じシトラスのいい香りがした!! ……だけど、なんか想像してた感じの雰囲気じゃなかったんだよねー」
『今日は、いい写真が撮れましたか?』
そう言った彼の鈍く妖しい輝きを放つ瞳を思い出し、彩はぶるりと身体を震わせた。
底なし沼のような黒い瞳だけは、彼女の想像していたレン様像とはかけ離れていた。
「雰囲気?」
「いや、気のせいかもしれないんだけどね!」
自分の中の違和感の正体が掴めない彩は、困ったように笑った。
「でもさー、なんでレンさ……じゃなかった桑羽社長は、あんな庶民的なマンションに住んでいるんだろう。普通、社長って大きな一軒家に住んでいて、巨大で怖そうな犬とか飼って、外車に乗ったりするんじゃないの?」
「アンタ、社長ってものに対してすごい偏見を持ってるのね。別に社長って言ったってみんながみんなそういうわけじゃないでしょう? それに、桑羽ホテル&リゾートの会長は身内の教育に厳しいって有名みたいだし」
「そーなの?」
きょとんとした顔で目を瞬かせる彩に、香帆は一つ頷いてみせる。
「まぁ、私もテレビで観ただけなんだけどね。大学費用は自分で工面しろ! 大学を出たら親からの援助は期待するな! 会社には入れてやるが、他の新入社員と同じ扱いだ! 誰よりも実績を上げろ! ……って感じの怖い爺さんだったわよ。なんか去年ぐらいに亡くなって、今は新しい会長さんらしいんだけどね。でも、教育方針は一緒みたいよ? 期待に応えられないと、たとえ子供だろうが後は継がせないって話だし。現に今の社長って長男を差し置いて次男じゃなかった?」
「ほー……」
思わずまぬけな声が出てしまう彩である。
そんな彩に構わず、香帆は言葉を続けた。
「一般的なマンションなのも、電車通勤なのも、そういう教育方針で育ったからなんじゃない?」
「へぇー。レン様って、そんな過酷な環境下で社長になった人だったのかぁ」
熱を上げていた相手が想像以上の大物だったと知り、彩は少し呆けた。
高嶺の花、雲の上の人、別世界の住人、といった感じである。
「はぁ。そんな雲の上の人なら、話しかけられた時にツーショットだけでも頼めばよかったなぁ……。いやもう、あの言葉言われた瞬間は血の気が失せてそれどころじゃなかったんだけど、今考えれば惜しいことしたよねー。あれだけ精巧なレン様、もう二度とお目にかかれないかもしれないのにっ!!」
「アンタさ、さっきから桑羽社長にもう会わない前提で話しているけど、今週末また行かないといけないんじゃなかった? うちに任せてくれるかどうかの返事を聞きに」
その言葉に彩はガバッと顔を上げる。
一気に血の気が引いていき、顔が強張る。
「……そーだった……」
「あ、マジで忘れていたのね」
「あーもー! どうしよう! 行ったらきっと、おまわりさんが待っているんだ! それか弁護士さん!」
焦ったり、熱くなったり、呆けたり、また焦ったり。あの一件以来、彩に安息の時間はない。
「いーじゃない。次、会う時に頼んで撮ってもらったら? ツーショット」
「いや、一人で壁際に立たされて、囚人よろしくマグショット撮られちゃうよぉ!!」
「……日本にその制度はないわよ」
応援ありがとうございます!
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