誘惑コンプレックス

七福 さゆり

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1巻

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   プロローグ ありえない失態


 それはある金曜日のこと――呑んだことのない種類のお酒で深酔いし寝てしまった私は、とんでもない夢を見ていた。
 誰にも見せたことのなかった生まれたままの姿を、男の人の前にさらしているのだ。

「ぁ……っ……んんっ……」

 ゴツゴツした大きな手にじかに胸をみしだかれ、自分のものとは思えないほどのいやらしい声をこぼす。
 指が食い込むたびに、胸が見たことのないような形に変わっていく。

「こんな胸をしていたのか。想像よりもずっと可愛くて、綺麗だ」
「ぁっ……しゃ、社長……」

 その男の人は、なんとうちの会社の社長である君島晃きみじまあきらさん。
 そう、私は社長とホテルでエッチするという、ありえない夢を見ていた。
 胸の感触を楽しんでいた社長は、胸を持ち上げるように根元からつかみ、強調された先端をチロリとめた。

「ひゃぅっ……!」

 それから舌先で乳輪をくるくるなぞられると、先端がプクリとち上がる。いでまた硬くなった先端をめられ、身体が大きく跳ね上がった。

「や……っ……ン」

 社長は見せつけるように舌を動かして、胸の先端をちろちろとめ続ける。
 くすぐったくて、でも気持ちよくて……触れられてもいないお腹の奥が熱くうずいてしまう。
 短く整えられたサラサラの黒髪、凛々りりしい眉、指紋一つついてないピカピカの眼鏡の奥には切れ長の目、シュッと通った高い鼻、形のいい唇――思わずれてしまうほど綺麗な顔立ちだ。そんな彼に胸や足の間にある恥ずかしい場所をめられると、羞恥心しゅうちしんが燃え上がる。

「これは嫌か?」
「い、嫌……じゃないです。でも……んっ……く、くすぐったくて……ぁんっ……」

 ああ、なんて夢見ちゃってるの……!
 こんなの失礼すぎる! 早く目覚めざめなきゃ!
 ……とは思わなかった。それどころか気持ちよすぎて、目覚めざめたくない! なんて思っていた。

「ぁっ……んんっ……しゃ、社長……っ……んっ……あっ……あン……!」

 初めて味わう快感に、とろけてしまいそうだった。

「……っ……い、痛……っ」

 そして身体の中に初めて男性を受け入れる痛み……下半身が引きかれてしまうんじゃないかと思うぐらいの痛みだ。
 ――それは、ひどくリアルな感覚だったのに、私は夢だと疑わなかった。
 だって社長とこんなことになるなんて、夢でしかありえないから……
 けれど翌日目をました私は、青空もビックリするほどに真っ青になっていた。

「嘘……」

 嘘でしょ!? 誰か、嘘って言って!
 なぜなら私が寝ていたのはホテルのベッドで、隣に社長が眠っていたからだ。



   仮面1 仮面が壊れた日


 私は仮面をかぶって生きている。
 今までも、そしてこれからも――この仮面を外すことは永遠にない。
 ないったら、ないっ! ……うん、ないっ!


『あーあ、可愛くなりたいな。杉村すぎむらさんくらい可愛かったら、人生変わるんだろうなぁ~』

 その台詞せりふを私は今まで何度聞いただろう。
 私、杉村莉々花りりかは今から二十六年前に、ごく普通の家庭の一人娘として生まれた。特にひいでた才能や特技もないし、成績や運動神経はよくも悪くもない。いつも平均にいるような普通の人間だ。
 ただ普通じゃなかったのは、容姿である……。自分で言うなって突っ込まれてしまうかもしれないけれど。
 生まれてくる際になぜか遺伝子が張り切ってしまったらしくて、両親やご先祖様からりすぐりのパーツを集め、絶妙に配置した結果――誰もがうらやむような容姿になったのだ。
 目はぱっちり二重だし、まつげエクステをしているとよく間違われるので、まつ毛も多いらしい。鼻は高すぎず、低すぎず、整った形だと両親は言っていた。どうやら母方の祖母似のようだ。唇はふっくらしていて少し厚め。辛いものを食べすぎてれた唇みたいで自分ではあまり好きじゃないけれど、人からは芸能人の誰々さんみたいな唇だね、と言われる。これは父親似の唇だ。父はもっと薄い唇がよかったと、私と同様に自分の唇をいてはいないらしい。
 肌の色は白いほうだ。父方の遺伝で長時間日に当たっても、赤くなって痛くなるだけで少しも黒くならない。肩まで伸びた髪は、よく染めていると誤解される薄茶色。しかも、パーマに間違われるような癖がある。
 身長は百六十センチ、母が太りにくい体質なのが遺伝したようで、私もいくら暴飲暴食をしても太らない、というよりも、太る前に胃を壊すので四十五キロ前後をキープしている。
 ここまで言うと自意識過剰のとんでもないナルシストに聞こえるかもしれないけれど、誰もが知っている有名なところから、聞いたことのないところまで、様々な芸能事務所からスカウトされたことがある……と言えば、証拠になるだろうか。
 今まで出会った人の多くは、私が自分の容姿にさぞ満足していると思っているだろう。いや、実際に言われてきたので思っているはずだ。
 だけど力強く言いたい。誤解です! 謙遜けんそんでもなんでもなくて、本当に誤解なのだ。
 私はむしろ自分の容姿が大嫌いで、できることなら中身と同じく平々凡々に生まれてきたかったと心から思っている。
 なぜならこの容姿のせいで、物心付いた頃から悲惨ひさんな目にしかあったことがないからだ。
 まず初めにある記憶は、母が父方の親戚から嫌味を言われているところだ。
 あまりに整いすぎて、父と顔立ちが似ていない。父の子じゃないのでは? と、父がいないところでしつこく尋ねられ、うんざりしていた。
 パーツの一つ一つを見ていけば父方、母方、両方に似ていることがわかる。だけど、ただ母をいびることでストレス解消がしたかったのか、親戚で集まるたびそんな嫌味を言われていたのを知っている。
 親戚間で波風を立てたくないと思った母は、自分だけ我慢していれば事を荒立てずに済むからと、そのことを父に黙っていた。だけど、実は近くでそれを聞いていた私が不安になって、『私はお父さんの子供じゃないの?』と大泣きしながら父に直接聞いたことでバレてしまったのだ。
 ブチ切れた父は、『俺の娘に決まってるだろうが! 信じられないなら証明でもなんでもしてやる!』と、DNA鑑定までして親戚を黙らせたのだった。
 父と母はその一件を乗り越えたおかげで、元々よかった夫婦仲をさらによくしたようだった。けれど私は、親戚に言われたみにくい言葉が耳にこびりついて、なんとなく自分の顔を鏡で見るのが嫌になり始めた。
 しかもDNA鑑定の費用で家計が圧迫されたせいで、しばらくの間おかずはとても質素なものだった。
 次に記憶しているのは、小学校に上がったばかりの頃だろうか。今思うとゾッとする出来事があった。友達と遊んでいて、ほんの少しだけ一人になるタイミングがあった時、それを見計らったように中年の男性にいきなりかつぎ上げられて、連れ去られそうになったのだ。
 幼すぎてその意味をわかっていなかった私は恐怖を感じるよりも驚いて、『おじさん、誰!?』と、大きな声で騒いだ。運よく近くに大人たちがいたので、気付いてもらえた。
 大人たちが慌てて駆けつけると男性は私を乱暴に下ろし、そのままどこかへ逃走したらしい。警察にも通報したけれど、未だに犯人は捕まっていない。
 そのこともあり、私は両親の付き添いナシでは遊びに行くことを禁止され、小学校の登下校も両親のどちらかの車に乗ってすることになった。
 大人になった今は、働きながら毎日私の登下校の送迎をするなんて大変だっただろうな、本当に有難い……と好意的に考えられるけれど、当時の私はそれが嫌でたまらなかった。みんなは友達同士で帰っているのに、自分だけが両親の車で帰るなんて寂しかったし、お前だけ車で通学なんてずるいと毎日言われて辛かった。
 それから小学三年生の夏、私には初めて好きな人ができた。

『そのペンケース可愛いね』
『ありがとう! お気に入りなんだ』
『どこで買ったの? 妹が好きそうだから、今度の誕生日に同じの買ってあげたいんだけど……』
『えっとね……』

 席替えで隣になった男子、大木おおきくんと自然と仲よくなり、気が付くと好意を持つようになっていた。けれどその男子は、クラスのリーダー的な存在である女子、奈々子ななこちゃんの意中の人だったらしくて、彼と話すたびに文句を言われるようになった。

『ちょっと莉々花ちゃん、大木くんと話さないでよ』

 初めはこの程度だった。

『どうしてそんなこと言うの?』
『とにかく話さないでったら、話さないでっ! 少しぐらい可愛いからっていい気にならないでよねっ! わかった!? 奈々子の言うことは絶対なんだからっ!』

 話さないでと言われても隣の席だし、授業で必要な時もある。それに好きな人とはキッカケを見つけて、たくさん話したいものだ。
 顔のことでいい気になったことなんて一度もない。それにどうして奈々子ちゃんに言われた通りにしなければいけないのだろうという反抗心もあり、私は彼女の文句を気にしないようにして、普通のクラスメイトと同様に大木くんと会話し続けていたのだけど……
 自分の言う通りにしなかったことに腹を立てた奈々子ちゃんは、クラス中の女子たちにあらぬ噂を流し始めた。

『莉々花ちゃんがね、みぃちゃんのことすっごいブスって言ってたよ~』
『えー、なにそれ……』
ひどいよね。ちょっと可愛いからっていい気になってさー……』

 言ってもいない悪口を言ったことにされて、私はあっという間にクラスで孤立してしまった。どんなに弁明しても信じてもらえなくて、親しかった友達や大木くんも嫌われ者の私を避けるようになった。
 しかも奈々子ちゃんとは中学三年生まで同じクラスだったため、中学校でも暗黒の三年間を送るはめに……
 奈々子ちゃんの流す噂は年齢を重ねるたびにグレードアップしていった。最初は『みぃちゃんのこと、すっごいブスだって言ってたよ~』なんて可愛いレベルだったのに、中学校三年生の時には『莉々花ちゃんってすっごい男好きで、彼氏をとっかえひっかえしてるらしいよ~。性病にもかかったことあるんだって!』やら『莉々花ちゃんって、整形してるらしいよ。整形代かせぐために身体売ってるらしいよ~』などといったとんでもなくハイレベルなものに変わっていった。
 私の持ち物を見て『そういう可愛いの持つのは、男受け狙ってるからでしょ? モテるために必死~っ!』などと通りがかりに小さな声で言われる日々。ある時は体育の時間に着替えていると『莉々花ちゃんの下着ってなんかエロくない? 帰りに男と会うからなんでしょ?』と大きな声で言われて、その場にいた女子全員にジロジロ見られたり……
 奈々子ちゃんは目立つグループにいたから、そのグループからはもちろん嫌われ、噂を信じた大人しいグループの女子からも嫌われた……というより、不良扱いされて恐れられていた。
 奈々子ちゃんが流した、くだらない噂を信じた男子数名から陰で『いくら出せばやらせてくれるの?』と尋ねられたこともある。ちなみにその中に、当時私がひそかにあこがれていた先輩もいて、もちろん光の速さで幻滅げんめつした。
 中学生になってからは、もう小さな子供じゃないんだから大丈夫だと両親の送迎を断って一人で登下校していた。だけど、いきなり知らない男性から『可愛いね』と話しかけられて、それ以降つけ回されるようになってしまい、また車での送迎に逆戻りだ。こうして自分の顔がどんどん嫌になって、とうとう大嫌いになった。
 太れば少しは見た目が変わるかも!? と思い立ち、一時期は逆ダイエットに励んだこともある。
 夜中に高カロリーなものを食べれば太る、食べた後にすぐ寝ると太る、などと聞いたことがあるので、目覚めざましをかけて深夜に起きて、お菓子や夕方こっそり買っておいたコンビニ弁当をガツガツ食べてすぐ寝る生活を三日ほど続けたところで胃を壊した。それで一週間も学校を休むはめになったのだった。
 どうしてこうも不運なのだろう。母のお腹の中で、この顔立ちや体質を形成した時、胎児にして一生分の幸運を使い果たしたに違いない。
 一人に与えられた幸運が百あるとして、みんなは長い人生でその幸運を万遍まんべんなく使っていくところを、私はいっぺんに……という仮説まで立ててしまう。いや、もしそうだったとしても、考えたってどうにもならない。
 今後の人生をどう快適に生きていくか、考えなければ……
 小中学校の同級生から離れたくて、私は知っている人が一人もいないであろう遠くの高校への進学を決めた。自分の学力よりも少し上の学校だったから死に物狂いで勉強し、見事合格。
 暗黒の学生時代はもう終わり! 高校生になったら友達を作って、高校ライフを充実させるんだ! ……とはいえ、この顔のせいでまた嫌なことが起きるかもしれない。
 やだなー、怖いなー……っておびえてるだけじゃなくて、予防策を取らなければ!
 中学を卒業してからの春休み期間は、なにかいい方法はないかとそればかり考えていた。でも全然思い浮かばない。少しだけ気分転換しようとテレビを付けると、可愛く笑う美少女が映っていた。彼女の名前は日下部くさかべシュリちゃん。歌手、モデル、役者、様々な分野で活躍していて、歳は私と大して変わらないと記憶している。
 こんなに綺麗で可愛かったら、さぞかし大変な人生を送ってるんだろうなぁ……
 なんとなく興味が湧いて、パソコンでその子の名前を検索した。多少彼女をけなすような意見も出てきたけれど、それ以上に出てくる、出てくる! 絶賛の嵐! しかも男性じゃなくて、女性からの称賛の声が圧倒的に多い。
 こ、これは何事……!?
 衝撃を受けた私は、シュリちゃんについて徹底的に調べることにした。

『可愛いのに、気さくでサバサバしてるよね。気取ったところがなくて親しみやすい。友達になりたい!』
『ちょっとおっさんっぽいよね。間食はいつもスルメ食べてるんだって(笑)。あんな可愛いのに、すっごいギャップ! でもそこがいい!』
『シュリちゃんが私の好きなアイドルと共演していても、全然嫉妬しっとしない! 異性にびる感じがまったくないし、スキャンダルとは無縁そう。可愛いのに彼氏もいらないらしいよ』
『ドラマとかの衣装は可愛い系が多いけど、プライベートの服はシンプルで好感が持てる』

 まとめると女っぽさを感じない、ちょっぴりオヤジな性格で、持ち物や服装や好む食べ物は、可愛いものよりもシンプルで女を感じさせないもの! 異性にびない! 彼氏なんて興味がないという女の子が同性から好感を持たれるようだ。
 もしやこの子を見習えば、私も女子からいてもらえる!? というか、奈々子ちゃんの悪い意味での功績も大きかったけれど、今までの私の態度は彼女の噂を助長するぐらい、女子から反感を買ってしまうものだったのかも……!?
 こ、こ、これだ――……!
 あまりに名案すぎて、頭の天辺てっぺんに雷が落ちてきたみたいな衝撃が走った。
 可愛いものが好きで、服装や身の回りのものをそういう系でそろえているけれど、それは家だけで使うようにしよう。背に腹は代えられない。それから、男子とも関わらないように! 本当は高校生になったらドラマみたいな恋をしたい……なんて思っていたものの、実際ドラマに出てくるようなステキな男性なんていない気がしてきた。
 だって今まで好きになった人は、私がクラスで嫌われ者になったら無視するようになったり、根も葉もない噂を信じて、いくらでやらせてくれるの? なんて聞いてきたし、その他も変質者だったり、ストーカーだったり……
 ……とにかく二兎にとを追う者は一兎いっとをも得ずって言うし! とりあえず恋愛は後回し! 同性の友達を作って高校デビューして、明るく楽しいスクールライフをエンジョイするぞ!
 おっと、前準備もせずに本番を迎えては、キャラがぶれちゃうかもしれない。
 新品のノートを用意して、いつわりの自分の設定を書き込んでいく。
 サバサバしていて、明るくて、元気で、人懐ひとなつっこくて、男の子にびない! それから、それからー……
 興奮しているせいか力が入りすぎて、シャープペンのしんがボッキボキに折れるものだから、途中でボールペンに替えて書き込んだ。もしかしたら受験勉強よりも頑張ったかもしれない!
 次に全財産を使って下着をすべてシンプルなものに買い替えた。これで体育の時に見られてもバッチリだ。中学校の時のものをそのまま使う予定だった文房具も、可愛さとはかけ離れたデザインのものを買った。自分で決めた設定を忘れないで演じれば完璧だ。
 入学式前日は一睡いっすいもできず、当日は興奮状態のままの出席となった。結果から言うと、高校デビューは大成功だった。
 いつわりのキャラを前面に出したところ、入学一か月ほどで少し前までの私が見たら驚いてしまうほどたくさんの友達ができた。評判はシュリちゃんと同じで、気さくでサバサバしていて親しみやすいと上々だ。中にはこの性格でも反感を持つ人がいて、全員と仲よくなれるわけじゃないけれど、それは仕方がない。全員から反感を持たれずに仲よくなるなんて、超人でも無理だろう。
 放課後の教室に残って他愛もない話をする時間、ファストフード店への寄り道、友達のいる体育祭に文化祭――毎日が楽しくて、キラキラ輝いて、一人でいる時とはまるで違って見えた。

『莉々花ってホント面白いよね! 私、莉々花と友達になれて嬉しいっ! ね、今度買い物行った時さ、おソロのストラップ買おうよ!』
『う、うんっ! 買いたいっ!』

 初めて特別親しいと思える友達もできた。いつわりの仮面をかぶった私を好きだと言ってくれる友達……本当の私を見たら、どう感じるだろう。
 いや、見せない。だって嫌われたくないから……

『四組の高見たかみエリって、知ってる? クラスで一番小っちゃくて可愛い子! あの子さぁ、すっごい男好きだよね。男子が話しかける時と女子が話しかける時じゃ、全っ然、態度違うのっ!』
『あー、それうちも思った! てか男子に話しかける時だけ妙に上目遣いじゃない? 声とかも甘ったるくてさぁ』
『やぁんっ! 倉木くらきくんのばかばかぁんっ! エリ、そんなこと思ってないもぉんっ!』
『ぶっ……あはっ! や、やばっ……似すぎなんですけどぉ~!』

 他愛のない話の中には、他の女子の悪口もある。ああ、過去に私もこうやって言われてたんだろうな。
 自分と重なって胸がチクチク痛み、さすがにその会話には参加できなかった。やっぱり男子と話したり、親しくしたりすると、女子から嫌われてしまうようだ。

『莉々花はさぁ、好きな子とかいないの?』
『うん、いないよ』
『じゃあさ、気になる人は?』
『いない、いない』

 はたから見れば女子高生が恋バナをしている微笑ほほえましい光景だろうけれど、私にしたら尋問じんもんにかけられているような気分だ。

『じゃあさ、うちのクラスの中なら誰が好み?』

 万が一答えを間違えれば、あっという間に過去の自分に逆戻りだ。

『好みとかよくわかんないし、あっ! 漫画でなら好みのタイプは言えるよ。ツーピースのルミ! あの胸には夢が詰まってるよねぇ~』
『あっはは! おっさんくさいぞ! しかもそれ女のキャラじゃん! ていうか勿体もったいない。こんなに可愛いのにぃ! あ、そういえばユーコ、最近付き合い悪くなったと思わない? 彼氏ができてからちょっと変わったよね~』
『わかる! 彼氏優先になったよね。気持ちはわかるけど、そういうのはちょっとね~。前まではサバサバしてたのに、なんか最近は女を意識しすぎてるっていうかぁ』

 昨日まで仲がよかった子も、男が絡めばすぐ敵となる。
 こうなったら、徹底的に男子から遠ざからなきゃ……! と、私はさらに男子から距離を置いた。
 自分の作り出した仮面を守るのは大変だったけれど、それ以上に一人ぼっちになるのが怖かった。また事実無根の噂を流されるのが嫌だった。
 だから私は、今までもこれからも仮面をかぶり続けるのだ。
 でも心の奥で、なにかがうずき出すこともある。
 これはきっと気付いてはいけないものだ。それに気付いたら最後、二度と仮面をかぶれなくなるだろう。だから気付かないふりをして心の奥底に押し込め、仮面が外れないようにしっかりと固定する。
 この仮面さえあれば、大丈夫――


   ◆◇◆


 月日は流れ、現在――私、杉村莉々花は仮面をかぶり続けたまま、社会人六年目の春を迎えていた。
 こっちにはこの色を……うーん、こっちのほうがいいかな? でもこの色は印刷に出にくいんだよなぁ……

「杉村、ちょっといいか?」
「あ、はい!」

 デスクでパソコンとにらめっこしながら仕事と格闘していると、社長からお呼びがかかった。

「パルファムの件ですか?」
「ああ、B案のデザインで決定だ」
「B案ですね。わかりましたっ!」

 やった~! 絶対B案がいいって思ってたんだよね!
 高校卒業後、私はデザイン系の専門学校に二年通い、必死の就職活動の結果、卒業後は小さなデザイン事務所――〝君島デザイン事務所〟へ広告デザイナーとして就職することとなった。
 私が入社した六年前は中心部から外れたビルの二階にオフィスを構えていたけれど、今では大きな事務所に成長。八人だったスタッフは三十名にまで増え、都心部にあるビルのワンフロアにオフィスを構えている。
 会社が大きくなるにつれ、私も社会人として成長していった。
 現在は大手アパレルメーカーの株式会社パルファムが新しく立ち上げる予定のブランドのロゴデザインやポスターの制作といった大きな仕事を任されて、忙しくも充実した日々を送っている。
 昔から美術の授業が好きで、他の教科に比べたら割と成績がよかった私。高校卒業後の進路をなんとなくデザイン専門学校への進学に決めた。
 学校ではデザインの基礎を学び、授業の一環として自治体や企業が行っているコンテストに積極的に参加するように言われていた。強制ではないので一度も応募しない人もいたし、私もあまりノリ気ではなかったけれど、せっかく入学したし一度くらいは……と出したコンテストで小さな賞をもらったのだ。小中学校時代は、よく『杉村さんって頭も普通だし、運動もできないし、取りは顔だけだよね』と言われていたので、本当に衝撃だった。
 コンテストの審査員は、私の顔じゃなくて、私の生み出した作品を見てくれる。顔以外の私を見てくれてるんだ……!
 このことがキッカケで私はデザインの世界にどっぷりとのめり込み、現在に至る。気が付いたら『いつかはするぞー!』と思っていた恋愛には目もくれず、彼氏いない歴イコール年齢を更新中なのだけど……特にあせってはいない。
 中学の時にあこがれだった先輩から、いくらでやらせてくれるのと聞かれてからは、誰かに心を奪われることもなかったし……日常的に痴漢ちかんや変質者にあっていると、世の中の男なんてみんなこうなんだ! ドラマみたいな恋なんて都市伝説みたいなものなんだ! 変な男と恋愛するぐらいなら一人でいいや! という気持ちになってしまう。恋愛に対してあこがれはあるものの、よーしっ! 恋愛をしよう! 彼氏見つけるぞーっ! という気にはなれないのが正直なところだ。
 傷付くぐらいなら、もう期待なんてしない。彼氏なんていらない。私はこの仕事があれば、それでいいや。
 周りには恋愛経験ゼロだと知られたら奇異きいな目で見られるので、今まで付き合った男性が二人いる、という設定にしている。もちろん、誰かに聞かれても説明できるように、付き合った期間の年表とキャラ設定を極秘ノートに詳しく記してあるのでバッチリだ。誰かに見られたら恥ずかしさのあまり死んでしまうかもしれない。だからもし不慮ふりょの事故やなんらかの理由で私が死んだ場合、このノートは中身を見ないで燃やして下さい、と表紙に書いて、ベッドの下に隠してある。

「B案を元にC案のカラーを生かしたものも見たいそうだ」
「わかりました。じゃあ、すぐに……」
「明日までにあればいい。昼休憩、しっかりとれよ。スルメや昆布こんぶは昼飯じゃなくて、つまみだからな」

 社長が自分の腕時計をツンとつつく仕草を見て、とっくにお昼の時間を回っていることに気付いた。

「はい、わかりましたっ!」

 彼は君島晃社長、二十六歳まで大手広告代理店で営業職として経験を積み、それから独立して君島デザイン事務所を設立したすごい人だ。
 入社した当時から『独立して社長になっちゃうなんてすごい!』と思っていたけれど、同じ歳になったことでさらに社長のすごさがわかるようになった。二十六歳で会社を立ち上げるなんて、しかもここまで大きい会社にできるなんて本当にすごい!
 けれどすごいのはそれだけじゃなかった。サラサラでツヤツヤな清潔感のある黒髪、凛々りりしい眉、指紋一つついてないピカピカの眼鏡の奥には切れ長の目、シュッと通った高い鼻、形のいい唇――思わずれてしまいそうなほど綺麗な顔立ちなのだ。
 顔立ちだけじゃなくて、スタイルも素晴らしい。三十歳を超えても無駄な脂肪が少しも付いていないことは、スーツ越しでもわかる。顔を見ようとすると首が痛くなるほどの身長は、噂によると百八十センチ近いらしい。
 クールビューティー……というのだろうか。こんなに綺麗な男の人を見るのは初めてだ。歳を重ねていくほど、その美しさがみがかれているような気がする。
 無駄な話はしないし、飲み会の場でも社員との間に一線を引く姿勢を崩さない。プライベートは謎に包まれていて、付き合っている人がいるのか、結婚しているのかも不明らしい。女性社員やビルに入っている別会社の社員が何人か社長に告白し、あえなく玉砕ぎょくさい――その際に恋人や配偶者の有無を質問しても『答える義務はない』と一蹴いっしゅうされたそうだ。
 みんな冷たいって言うけど、私はとても優しい人だと思う。
 口数は多くないものの、残業が続いている社員には差し入れをして気遣ってくれるし、社員がどんどん増えていっても、社員一人一人のことをよく見てくれている。さっきもそうだ。私はいつも作業に夢中になると、昼食を抜いてスルメや昆布をかじってやり過ごそうとすることがあるのを、社長はしっかり見抜いている。
 周りから気を遣われないように『ダイエットしてるので』やら『今日は朝食を食べすぎてしまってお腹がいてないので』などと適当に理由を付けても、社長にはそんな言い訳通用しないみたい。
 それに四年前、初心者でもそんな間違えはしないでしょう! と突っ込みたくなるようなミスを仕出かした時、先輩には散々怒られたけれど、社長は決して責めてこなかった。
 そんな社長の態度に最初は、あきれられてるのかな、失望してるから怒ることさえしてくれないのかも、怒るって体力がいるもんね、と悲しい気持ちになっていた。

『社長、どうして杉村さんをしからないんですか?』

 泣きそうになるのをなんとかこらえるためにトイレにいると、喫煙所から当時いた女性の先輩と社長の話す声が聞こえてきた。トイレの前に喫煙所があるので、どちらで話す声も筒抜けなのだ。

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