ラヂオ

雲黒斎草菜

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11)クラス委員長 浅間絵里

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「おまえっ!!!!」
 これが叫ばずにいられるか!

「な………」
「なぜここに? でしょ。あのね……私は四つも前の停留所から乗って来てるの。アナタたちを見たから乗り込んだのではありませんから」
「そ……そんなことは言ってない」
 完全にオレの考えは読まれていた。

「それより、浅間も一緒に降りたほうがいい」
「なぜ?」
 冷凍光線にも似た冷たい視線がオレの眉間を射ており、それは痛みを感じるほどに強く感じた。

「ひとこといい?」と意味ありげに浅間は念を押し、
「空気を乱しているのはアナタです。なぜここにいるの?」
 まるで命じるように、
「降りるのなら、アナタだけがそうしなさい」

「どういう意味だよ」
 心の底に拭い去れない思考がある。この乗客の中で未来を知る者はオレだけだ、という考えだ。
「ここでは、アナタは例外なの」
 こいつはそれを察しており、ズンと突いて来たかと思う発言だった。

 湧き出る思考を押さえつつ、冷静にかつ静かに尋ねる。
「なぜオレだけが異質だと言えるんだ?」

 しかし浅間が放った次の返答で、オレの脳細胞が瞬時に沸騰した。

「アナタの性格からすると静観できず、PN253480が死亡するという歴史を覆そうとするからです」

「なっ!」
 コイツ、まさか……………。
 続いて決定的な言葉を吐いた。

「どうやってこのイベントコードを知り得たのか知らないけど………時間規則を守りなさい!」

 ───── っ!

「オマエ…………。クローラーか!」

「よして! あんなのと一緒にしないでくださる?」

「ねぇ、剣豪くん委員長と何の話しをしてんの?」
「マコト降りるぞ!」

 オレだけが例外……………。

 つまりPN253480はオレではなく、この中にいて、なぜだか解らないが、このバスも路線を大きく外れてECの示す場所へ移動する運命なんだ。なら───言うまでも無い。間もなくこのバスで確実に何かが起きる。

 冷や汗のシャワーだった。全身から力が抜けて腰が砕けそうになった。
 やっべぇぜ。まさかと思ったが、コイツもあっちの関係者だったとは。

 いつからだ?

 そういえば、浅間とは高三からの知り合いで、まだひと月あまりだ。なのになぜこんなにもコイツのことを知っているのだろう?

 どこかで会った?

 考え込む時間は無い。オレは運転手の脇へ駆け寄り、あり得ない行動に出る。

「す、すみません、運転手さん。乗ったばかりで悪いんですけど、すぐに止まることってできますか?」

 運転手は一瞬、体を硬直させ、怪訝な雰囲気をたたえてオレへと首を捻った。
「何を言うんだ、キミ! 理由も無く止めることはできない。他のお客さんにご迷惑が掛かるだろ」
 すぐに怒りの表情に変えて、そのままフロントガラスを睨んだ。

 当然のことだ。でも何とかしてブレーキを踏ませないと。

「あ、あの。理由があるんです。じ、実はこの子の父親が危篤だという連絡を受けて、オレ、このバスに飛び込んだんです」
 運転手の顔から怒りが消えた。
「ご病気なの?」
「はい。危篤で………」

 ところが、オレの肩越しに浅間が言い放つ。
「あら、七海神社の神主さんが御病気だとは聞いて無いわ」

 このヤロウ、あくまでもジャマをする気だ。
「す、すみませんパニクってました。コイツの祖父です。おじいさんなんです」

 切迫した様子はマジなので真に迫っている。
 ブレーキに足が乗せられ、スピードが落ちた。ちょうど交差点の信号が青の点滅に移った。

「停留所外でお客さんを降ろすと規定違反になるんだ。でも事情が事情なので……」

 停車した………。
 信号が黄色になり、やがて赤に変わる。本来ならこの交差点を通過していたはずだ。これで信号一つ分このバスは時間が遅れた。後は連鎖的にすべてがズレて行く……といいのだが。

 運転席横の乗降口がぱっかりと開き、
「信号が変わる前に素早く下りてよ」
「すみません。感謝します」
 無理やりマコト立たせ、出口へ引っ張ろうとした、その時だった。

「勝手なことしてんじゃねえ!!」

 やせ気味で身長のある男性が背中に回したザックを片手で持ち、奥の座席から怒鳴り込んで来た。
 
「てめえ! 乗客に迷惑かけてんじゃねえ!!」
 呆気に取られるオレの前で、再び男が喚いた。

 オレは冷静に語る。
「だから、信号待ちで停車しているあいだに………」
 オレの言葉は途中で掻き消され、意外な展開に、
「運転手! ドアを閉めて黙って俺の言うとおりにしろ!」
 長髪の男の手には、ギラリと光るナイフが握り締められていた。

「きゃぁぁーー」
 状況を把握した運転席近くの乗客から悲鳴が上がり、後部座席からは事情を窺うどよめきが起きた。

 浅間はそんな惨劇を眺めているにも関わらず、男をギラリとした目で一瞥するだけで、意味ありげに吐息を落として座席に腰を据えた。
 その様子はどう見ても恐怖ではない、安堵を表現していた。

「交通事故じゃなかったんだ!」
 PNなる人物と運転手の死亡と聞いたから、てっきり事故だと思い込んでいた。でも実際はバスジャックだったんだ。

 こうなることを事前に知って、浅間はいくつもの前の停留所から乗り込んで監視していた。そこへ本来いるべきではない人物、そうオレが飛び込んできた。だからオレを異物扱いにしたのだ。

 だがひとまず時間は流れ出した。その安堵なのだ、今の吐息は。


 冷汗がコメカミを伝った。
 オレと浅間はこのECに関係ない人物。つまり、PN253480はマコトで間違いない。

 目の前が暗くなるのを覚えた。俺の不安は頂点に達し、背筋がブルブル震えた。
 浅間はマコトを見守っていたのではない。クローラーに殺害されるのを確認するためにいつも近くにいたのだ。


 そして事態は浅間の思惑通りに流れ出し。
「今からこのバスを乗っ取る! 静かにしろ。騒ぐと前から順番にぶっ殺す!」

 男は銀白色の登山ナイフをちらつかせ、運転手の顔色からは赤味が消えて乗降口のドアが静かに閉められた。

「そのまま交差点を左に曲がれ」
「それだと路線から外れる」
 咎めるように言い返す運転手の右手が、緊急通報ボタンを押したのをオレは確認した。しかし男の目には止まっていない。

「かまわない。とにかく俺が言う方向へ行け!」

 バスの行き先電光表示板には緊急事態を告げる『SOS』の文字が流れる仕組みがある。最近多くなったこの手の問題に対処すべく取りつけられおり、それを運転手が起動させたのだ。時間さえ稼げば、バスの外でその文字を見た人が必ず警察に通報してくれる。

 そいつはオレに向き直ると凄んだ。
「このバスで会社に突っ込む!」
 焦点が定まっていない眼玉が宙を彷徨っていた。剣道の試合で激しくぶつかった時に脳震盪を起こして倒れ込んだ人の目だ。

「面接でこの俺さまを落としたクソ会社め。恨みを晴らしてやる」
 怒号みたいな声を車内へ投げ捨てた。
 オレの恐怖は別のところを彷徨っていて、こんな頭の切れた野郎など視界にも入っていなかったし、震えてまともに握られていない登山ナイフは、オレの脅威にもならなかった。逆に強い怒りを抱いた。

「それなら別の会社を受ければいいじゃないか」
「どこも俺を雇ってくれるところが無いんだ。親からは早く職に就けってうるせえし。そこがラストチャンスだったんだよー! 運転手! 早く左折しろ!」
 青白い男の顔が引きつっていた。

 運転手は決意を抱(いだ)いた素振りで帽子を深めにかぶり直すと、上半身を使って大きなハンドルを回転させ左折を開始。
 中央寄りから無理やり左に曲がろうとするバスを訝しげに見る他の車両と、緊急事態の表示を見て、急いで携帯を取り出す歩行者。車内だけでなく窓外にも緊迫した空気が流れ出したのがよく見て取れた。

 ところが眼が死んだままのバスジャック野郎には、その光景が全く映っていないようで、
「こいつらを見ろ! どいつも幸せそうな雁首を揃えやがって…………」
 卑屈に染まる目で車内を見渡し、自分の不満をぶちまけると上向きにしたナイフの刃をワザとらしく揺らした。

「そんなのはタダの僻(ひが)みだろ。オマエの受けた会社ってどこよ?」
「け、剣豪くん」
 マコトが恐怖に駆られてしがみ付いて来たが、オレは完璧に冷静だった。何度もこんな修羅場を乗り越えてきた……。

 いやそんなはずはない。こんな修羅場?
 殺し合うような修羅場を乗り越えてきた?
 バカな。
 そんな気がした……だけだ。

 そう、気がしたのに決まっている。オレはただの剣道部員だ。剣道以外何も経験は無い。試合では色々な修羅場を見て来たが……。それとはまったく状況が異なる。

 そう言えば、香坂ひとみと一戦を交えた時も、驚きはしたが、慌てふためくと言うことは無かった。

 よく解らない自信が湧き出てきて、さらに冷静になってきた。
 遠くでパトカーのサイレンが聞こえるが、その姿は見せない。犯人を興奮させないための処置だと思われる。

 寄りかかっていたマコトの震えがしっかりと伝わってきた。安心させるために座席に腰掛けさせて、にたりと笑って見せる。
 オレに任せろ……。
 微妙な角度でうなずき、肩から力が抜けたのを確認してから、ゆっくり振り返ると深呼吸をして男と対峙した。

「オマエさ………いくつよ?」
 見た目はオレより少し上みたいだけど………犯罪者に敬語なんていらねえよな。

「関係ねえ! ガキは引っ込んどけ! それとも、お前からぶっ殺してやろうか」

 憎々しい口調で喚く男の握ったナイフの先が、まだ微妙にぶれてた。
 それをごまかすために両手で持っているのだが、ヤツの右手に力が入り過ぎだ。
 オレたちは、いかに竹刀の先がぶれないように持つかを最初に稽古するんだ。揺れなくなるまで相当に時間がかかる。

 コイツ、たいしたことない………。
 瞬時に悟った。ちょろいぜ。

 ギュッと相手を睨みながら、はっきりと言ってやる。
「見たところオレとそんなに変わらないじゃないか……就職先が無いってか? それって選り好みしてんだろ、てめえの能力も考えずにな」

 男の唇が激しくゆがみ、
「く……クソガキに何が分かる。こんな世の中な、生きてたってなんにも面白くねえ。何もかも嫌になっちまったんだ」
「オマエ……。苦しくなるとすぐに目を逸らして逃げて来たんだろ。そりゃ挫折も知らないよな」

「うるせぇ! もうどうだっていいんだ」

 すでに辺りの道路は一斉通行止めになったのだろう。サイレンを消して並走を始めたパトカーが十数台、バスの行く手をゆっくりと塞ぐ準備に入っていた。

「オマエのほうガキじゃないか……………」

「何だとっ!」
 初めて濁った目の焦点をオレに合わせた。

「親に食わせてもらってるうちはな、ガキって言うんだ。テメエで汗水して稼(かせ)ぐようになってから文句言いやがれ!」
 オレを宿った途端オヤジを無くして、母さんはオレを育てるために一人でどれだけ苦労して来たと思ってんだ。

 ハラワタの奥から煮え湯が噴き出しそうな感覚を覚え始めた。
「弱いやつを狙って、えらそぶってんじゃねえ。オレが代わってやるから、この人たちを解放しろ!」

「うっせぇ! 全員道連れだ、がふっ!」
 オレのゲンコツが男の右頬にめり込んだ。

 男は目が覚めたように瞠目し、オレを凝視した。
 まさかこのタイミングで殴られるとは思っていなかったのだろう。明らかにこの男は、あり得ない行動に出た相手に対してパニクっている。こいうときは考える猶予を与えてはだめだ。オレは間髪入れずに言い放つ。

「どうだ痛かったろ。それはなテメエの心身がちゃんと生きてる証拠なんだ」

「な、なにを……。俺に説教垂れるんじゃねえ。死にやがれ!」
 男は数秒遅れて激高した。銀白の刃が大きく振り被る。オレに向かって。

 える──。
 不可思議な現象を視た。オレの目には何もかもが素通しで視えた。それは男の一歩先の動きだった。大気を切り裂く刃先がどの軌跡を通って突き進んでくるのかが、しっかりと視える。その先はオレの右肩辺りが落下地点だと悟った。

 それなら──。
 右足を後ろに下げて肩を引く。ヤツの動きがスローモーションのようで、ゆったりとナイフがオレのコメカミ付近の宙を通過して行った。

 ぶるっと景色が震え、元の光景に戻った。
 オレは大きく息を吸い猛り立つ。
「それがガキだっていうんだ……。ナイフは振り回すもんじゃねえ。振り回すのは刀だ。ナイフは突くもんだ」
 自分の振り下ろした刃先が宙を切っただけで終わったことが信じられないらしく、野郎は握り締めたナイフの切っ先へ視線を縫い付けて震えている。

「それとな。目をつむってどうする。そんなことだと一発で『面』を取られるぜ」
 震えだした相手が次の体勢に入る前に、ヤツの肘を外から強く蹴り上げてやった。
 腕が反対に曲がろうとするので、力を加減しないと骨が折れる。だがオレの怒りは手加減をしなかった。

「ぐわぁぁ! 腕がぁぁぁぁぁ」
 ゴトンと音を出してナイフが落ちた。マコトが飛びつき拾い上げ、後部座席の床下へと投げ込んだ。
「どうだ。今度はもっと痛かったろ。いいか、それを忘れるな!」

「うぐぁぁぁ」
 男は自分の肘を抱え込んでうずくまった。

 丸まった背中に強く言い落とす。
「苦労に背を向けるな。人間なら堂々とそれに立ち向かえ! そしたら乗り越えた時に必ず何かが心に残る。それが自信だ。それが次の苦労に立ち向かえるパワーになるんだ。同じ一つの人生無駄に終わらせるな!」

 焦点が定まった男の目がオレへ向けられていた。

「そしてこんなこと二度とするんじゃねえぞ!」

 パチパチパチ
 誰かが拍手を始めた。
 すかさず言う。
「履き違えるなよ。この拍手はな、オマエへのエールだ。もう一度考え改めるんだ」

 いつの間にかバスは停車しており、タイミングよく運転手が先頭の自動ドアを開(ひら)けた。
 なだれ込んで来た重装備の警官が飛びつこうとするので、
「お巡りさん。コイツいま猛烈に反省しています。乱暴な扱いをしてやらないでください」
 頭を下げるオレに警察官はうなずき、防弾盾をずらりと並べると男を囲んで外へと誘導。拍手に送られながら連行されて行った。

 警察官の一人が「こんなの前代未聞だよ」とつぶやいたのが聞こえてきたが、ぜんぜん嬉しくもなかった。

 オレにはもっと大きな問題を背負わされたことを悟ったからだ。マコトの運命は確実に呪われているということを。
 未来で何をやらかすのか知らないが、これほどまで執拗に時間の流れを歪めてくるからには、何か相当な理由がある。

「立派なことでもしたと思ってるの?」
 浅間が刃物みたいな言葉を投げ掛けてきた。

「別にそんな気はないよ。つい熱くなっちまったのさ」
「あのまま手を出さないという未来もあったのに。あの男とPN253480の未来をあなたは変えてしまったのよ」
 乗客を救ったというのに、重苦しいオレの気分を委員長の言葉が拍車をかけた。

「オマエは何者なんだ?」
「私はガーディアンと呼ばれる時間局の者よ。それからね、この事は他言無用。世間に公表するなら今度はあなたを標的にするからね。よく憶えておくのよ」

「誰かに言ったところで、誰も信じねえよ」
 後ろ出口へと立ち去る浅間に、そう吐き捨てるしかオレにはできなかった。




               ☆  ☆  ☆




 夕方近くになって、警察の事情聴取を終えたオレはようやく部活に合流できた。
 マコトは疲れたとひとこと漏らして、自分部屋に帰り、オレは部員の待つ境内へ向かう。

 ニュース速報で知った部員がいたらしく、皆からは拍手喝さいで迎えられるものの、相変わらず軽いのは一年坊主たち。
「主将! ご活躍おめでとうございます」
「すげぇっすね。これで北山高校の剣道部は鼻高々だ」

「英雄……」と中村君はひと言で済まし、
「無茶しないでください。主将……」
 綾羽は妖しげにオレに擦り寄ってくるので半歩下がりつつ、
「成り行きでそうなっただけだ。オマエらだって現場にいたら同じことをしたはずだ」

「オレならムリっす。相手はナイフ持ってたっていうじゃないすか」とは広川。
「修行の差よ。あんたらも主将みたいになりたかったら、オカズ増やしなさい。適当にサボっていたでしょ」
 戒める黒瀬に広川は苦虫を潰したみたいな顔で首を振る。

「オレはこのままでいいっす」

「あんたはモテたいから剣道部に入ったんだろ?」
 ボーイッシュな黒瀬は相手が男であろうとグイグイ行き、隣で山本は大げさに囃し立てる。
「そうだぜ、こいつが言ったんだ。これからは剣士がモテるって。何のアニメの影響か知らねえけど。でもさ……」
 山本はぴょんとオレの横に飛びつき、
「でもさ、連休終わって学校始まったら、オレらモテるぜ。これも主将のおかげだ」

「くだらんこと言ってないで、練習せんか!」
「「へ──い」」
 最後はオレの一喝で大概は収まる。




 陽が傾き、神社の杜に黒い影が落ちる頃。オレの気分も暗く沈んでいた。
 カリンたちは今日の出来事をあらかじめ知っていた。だからこの日に会おうと言ってきた。
 何もかも必然だったのだ………結局俺はいったい何をしてんだろ?

「お疲れっす、主将」
 部員たちはそれぞれの帰路に付き、何か言いたげに居残っていた綾羽が、黒瀬に引き摺られて帰っていく後ろ姿を石段の上から実の無い笑みで送り、ふっと肩の力を抜いた。そのまま回れ右をして奥の祠へと歩を進める。

 木々の隙間から射し込んだオレンジ色の光彩がゆらゆらと風に揺れ、爽やかな緑の香りが鼻孔くすぐる。
 その中を歩くこと数分、最も奥にある祠の前に立ち、大声を上げる。

「オレだ! 来たぜ」

 ほどなくして、明るい声がこだました。
「けんご、今日はお手柄だったじゃない」
 祠の影からカリンが顔を出し、
「バカモノ。お手柄ではない。時間規則を破ってしまっただけじゃ」
 遅れて幼げな容姿のクセに、ジイさん口調のミコトもトコトコと出てきて、近くにあった花崗岩の固まりに「やれやれ」とつぶやいて腰を掛けた。

 愛らしい動きを目で追いながら、
「ニュース見たのか……?」
「ニュースなんぞ見とらんワ。まだ解らぬのか。わしらは未来のことを知ることができる。お主は自ら時間規則を破り、茨(イバラ)の道を選んだのじゃぞ」
 まさか五才の女の子からこんな厳しい言葉をもらうとは思ってもみなかった。ビシバシと言い放つセリフは胸に突き刺さるのだが、オレの前には短いツインテをぴょこんと生やしたワンピース姿の幼児しかいない。

「茨の道って何だよ?」
「歴史を覆した罪を背負って生きるのじゃ」
「はぁ? なに言ってんだ。そうしなきゃマコトはバスの運ちゃんと一緒にあの軟弱野郎に殺されちまうんだぞ」

「そういう時間の流れだったのよ」とカリン。
「それより。お主。どうやってその情報を得た?」
 オヌシって………違和感が半端無い。

 ここまで来たら、コイツらを信じるしかない。覚悟を決めて、これまでのいきさつを全部話した。
 岩から飛び降りたミコトは、小さな腕を組み、祠の前で輪を描いていたが、おもむろにオレへと向き直り、

「まさか、マコトがJTLIAのデータを解析するとはのぉ……」
「JTLIAって何だよ?」
「Japan Time Leap Intelligence Agency. 日本タイムリーパー情報局じゃ」
 ご、五才のくせに発音が良すぎるぜ。兄妹(きょうだい)そろってまったく………。

「あらゆる時代のリーパーへ主な出来事を知らせるのよ。時間規則を守らせるためにね」
 室町生まれのクセしやがって、エラそうに。
「何よ。あたしはお大師様と未来にも移動したことがあるんだからね。あんたよりは賢いわ」
「どうだかな。じゃあ、どうやってあのラジオ局は時間を越えた放送ができるんだ?」

「そ……それは………あれよ。ねえ? お大師様………なんで?」

「ほれみろ」
 いがみ合うオレとカリンをミコトが引き剥がし、
「お主、ブラックホールを知っとるじゃろ?」
「知らん………」
「二十一世紀の青年が知らんことはないじゃろ。わしでも知っとるのに」
 わしって、オマエは五才だ。

「力(ちから)って言ったら分かるか?」
「剣道やってんだぜ、それぐらいは分かる」
「ならば。ガラスのコップをその岩の真上から落としたら………どうなる?」

「幼稚園児に言われるとハラタツな……。割れるに決まってんだろ」

「ふむ。バカではないな」

「こ、このヤロウ! あ、こら、カリン笑うな!」
 鼻息も荒くオレはミコトのボディを借りるジジイに息巻いてやる。
「当たり前だ。地球の重力でコップは落ちて割れる。下の石のほうが硬いからな」

「そうじゃ。重力よりも下の石の電磁気力のほうが強いから割れぬのじゃ」

「あ? はぁ…………?」
 まさかここで幼女から物理学の講義を受けるとは。

「お主、数学は得意か?」
「ぜんぜん」
 何でミコトの前で恥を晒さなきゃならんのだ?

「重力を1とすると、電磁気力は10の40乗、弱い力でも10の30乗。強い力になると10の45乗の差がある」
「はぁ。そうですか」
 カリンもソワソワと落ち着きがなく、オレと目を合わせようとしないのは、同じ気分なんだ。さっさとここから逃げ出したい。

「そんな弱い重力でも巨大になるとブラックホールのようなとてつもない現象が起きるんじゃが。ここで少し話をもどそう」

 戻さなくっていいっすよ。

「今は何世紀じゃったかな?」
 巣へ帰ろうと、木々のあいだを飛び回る小鳥たちに視線を巡らせていたカリンへ尋ねる。

「え? 二十一世紀です。お大師様」
 それも忘れたのか。もうろくジジイめ。

「なら、喋っても時間規則に反しないな」
 自答めいた口調でうなずくと、
「二十一世紀なら、それらの四つの力を伝える粒子、ゲージ粒子と言うんじゃが、それが発見されておる」
 と言っておいてから、
「あ、そうじゃ。この時代ではまだ重力のゲージ粒子は見つかっとらんかった。今のは忘れろ、剣豪」

「最初から何も耳に入ってねえよ!」

「喝ぁぁ────つ!」
 聴かんか、とばかり大声を上げるが、ミコトの声なので甲高いだけ。

 義空は情報Cの先生みたいな口調に変えて、
「お主が訊いてきたから応えておるんじゃろ。ちゃんと身を入れて聴かんか!」

 まさか、ミコトに怒られるとはな………。

「はいはい、聴いてますよ、ご住職さん」

 神社の子が、なんでよりにもよって坊主なんだ!
 と、こっちは叫びたいぜ。

「…………これより十五年後、ブラックホールを突き抜ける粒子が発見される。それが時間のゲージ粒子、テートリオンじゃ。これを利用すると自由な時間域へデータを送れるんじゃ」
 義空は花崗岩の上にぴょんと飛び乗り、オレの鼻先に向かって握っていた小枝の先をぐるぐる回した。

「おい、トンボじゃねえぞ」
 今度は先っぽでオレの額をペシペシ叩き、
「その粒子が走る時に空間を乱し、あらゆるスペクトラムに拡散した電磁波を放出する。それをマコトは復調させた。ホンに賢い子じゃな」

「スペク……? んのヤロ。坊主がカタカナ使うな!」
「黙らっしゃい! それにしてもマコトの頭脳は想像を超えとる」

「オマエの兄貴だもんな」
「ちがう。わしゃ義空じゃ」
「うっせぇ!」

 早く帰って寝たくなったのは、難解な話しと、オレの真ん前でカリンが大きなアクビを落としたからだ。

「巫女が眠そうにするな!」
「あふぁ? だってつまらないんだもん」
 言っちまったよ………正直なヤツ。

「カリンちゃーん。ミコトおなかすいたぁ」

 え?

「おーい。ジイさん。もう話しは終わりなの?」
「ま……まだじゃ。だが母体が腹を空かせておって………カリンちぁーん。お、な、か。へったぁ…………せ……精神融合がうまくできん」

「すげぇ。ジイさんとミコトが交互に入れ代わってんぜ……」
 あの子の空腹は次元フィールドを越えるんだ。

「こ、こりゃマズいぞ、花梨! 笑っとる場合ではない。何とかするんじゃ!」
「どうしよ。あ、じゃ、じゃあ、台所へ行ってバナナでも持って来ます。もう少し我慢してね、ミコトちゃん」

「カリンちゃーん。お、な、か…………早く頼むぞ。こ、こらミコト。暴れるのではない!」

 おいおい。何なんだコイツら……………。
  
  
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