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その51:珊瑚海は燃えているか? 7

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 あまりにも性急なやり方は各所に問題がでるのではないか。芝浦技師は海軍のやり方に対し一抹の不安を感じていた。まあ、その性急さの問題に対応するため、彼が赤城に乗りこんでいるのであったが。

「電探だって、技術者だって万能じゃない」

 彼は口の中でその言葉を小さくつぶやいた。つぶやいてから、しまったと思った。しかし、海軍の電探手にはその言葉は聞こえなかったようだ。
 彼は「ふー」と大きく息を吐きだした。艦橋最上部に無理やり設置された電探室は熱かった。彼は、流れ出す汗を手拭いで拭いた。

 空母赤城には、試作段階ともいえるレーダー、海軍で言うところの電波探信儀が設置されていた。地上での実用試験ではそれなりの性能を示していた。
 しかし、艦艇に設置しての運用にはまだ未知数なものがあった。戦艦日向に搭載され運用テストを行ってはいたが、それは十分といえるものではなかった。
 海軍から出ている要望、不具合報告についても、完全な対応が出来るだけの、時間的余裕はなかった。

 何もかもが、性急にすぎるのではないか――
 
「今のところ異常はないですよね?」

 彼の思考を断ちきるかのように、電探手から声が上がった。まだ若い水兵だった。

「はい。電探も正常に動いてます。接近してくる航空機もありません」

 再三、司令部からは確認の電話がかかってくる。この状況に、嫌な予感がした。
 艦隊になにかあったのか――
 潜水艦に対する、警戒が出されたが、その後、赤城は何事もなく航行している。

 他の艦はどうなんだろう――
 芝浦技師がそれを知る事は出来なかった。

 電探室からは外の状況は分からない。この機械は100キロ先の航空機を探知することはできるかもしれない。
 しかし、中の人間には、周辺で起きている状況は全く分からない。薄暗く熱気のこもった部屋なのだ。

 ただ、何かただならぬことが起きているのではないかという予感だけはあった。
 彼は、胸に手を当てていた。
 
 味方の機影は何度かとらえている。それは、索敵機だった。
 芝浦技師は、海軍の索敵というものに対し詳しくはなかった。ただ、相当な機体が艦隊から発進していったのは分かっていた。
 おそらく、単機なのだろう。電波の反射強度から推測する。機影はおよそ50キロくらいまで探知することができた。
 電探の動作自体は安定していると言えた。

 航行中に、味方哨戒機を捉えられぬことが何度かあった。そのたびに、真空管を交換し、電力を供給している配線のチェックを行った。
 今は、なんとか動作しているが、気を緩めることはできなかった。生まれたばかりの電探はまだ不安定な機材であることは変わらなかったからだ。

 それにしてもだ――
 今回の件について、芝浦技師が奇妙に思うことが合った。
 この電探設置時に、見学に来た人物についてであった。

 聯合艦隊司令長官の山本大将だった。
 民間企業の技師に過ぎない彼にとっては、まさに雲の上の人物。生きており、今まさに歴史上の人物になろうとしている男だった。

 今の海軍の快進撃は、彼の作戦、指揮によってなされたものであるらしい。新聞、ラジオでは彼を「軍神」と称している。

 その軍神と芝浦技師は言葉を交わした。
 電探について、簡単な会話を交わしただけであったが、妙な違和感を抱いていた。

 超再生方式より鉱石検波器の方が安定するんじゃないか――
 Aスコープで複数目標に対応するには、探知情報をプロットできるような運用ができればいいかね――
 冷却対策はどうすればいいかな。やはり高温状態の運用は厳しいと思うけど――
 
 この様なことを口にしていた。
 はっきり言って、この年齢の軍人が口にする言葉とは思えなかった。海軍航空の研究開発部門の責任者であったということが、報道されていたので、技術に対し完全な素人ということはないだろう。しかし、電探についての経歴上の接点などこの人物には無さそうであった。あれば、自分が知らないわけがない。

 そして、その言葉の中には、ハッとするような言葉もあった。

(専門的なことを相当勉強されているのか)

 そう思い、かなり踏み込んだ用語を使い、話しをしたが、それについてはポカーンとした顔をしていた。
 妙に、知識がアンバランスだった。
 とても素人とは思えない発想や技術用語を口にするかと思えば、電波に関する基礎的な知識については決定的に欠けている部分もあった。
 まるで、出来あがった「まともに動く電探」の入門書を読んで、知識を得たかのような印象を受けた。
 しかし、そのような入門書はこの世には存在しない。
 ただ、奇妙ではあったが、山本大将の言葉の中には、今後の開発の中で十分試してみる価値のある物があった。それは事実だった。不思議なことである。

 この電探も合わせて、無事日本に帰る事。それが出来るならば、彼の言葉を試してみることもできるだろう。
 緊迫する戦場の空気を感じつつ、芝浦技師はそのことを思った。
 また、胸に手が行った。
 懐には、お守りがあった。妻が自分に渡したものだった。いらぬと言った自分に無理やり持たせたものだった。

「どうしたんですか。さっきから胸ばかり触って。具合でも悪いのですか?」

 電探の向きを動かすハンドルを動かしながら、電探手が心配そうな顔で芝浦技師を見つめていた。
 彼は苦笑した。なんだ、自分はそんなにこれを触っていたのか――

「芝浦さん! これ! これは! 見てください!」

 唐突な叫び声が電探室に響いた。
 彼は直径10センチ程度のAスコープを覗きこんだ。
 
 Aスコープには明らかに反射派を受信していた。不具合というのはあり得なかった。技術者としての確信だった。
 この機材が確認できるであろう限界距離ギリギリだった。
 緑の細い筋がトゲの様に突き立っている。

「方位艦首より135度、距離100キロ。これは、飛行機です――編隊ですね」

 彼は断定した。妙に確信があった。
 電探手は電話を取った。そしてその事実を司令部に伝える。
 
 敵? 敵が来るのか――
 芝浦技師は、ほの暗い光を発するAスコープを見つめていた。
 その手を胸に当てながら。

        ◇◇◇◇◇◇

 九七式艦上攻撃機。
 日本海軍の艦上機としては、最高の対艦打撃能力を持った機体だった。
 九一式航空魚雷を搭載し、350キロ以上の高速で雷撃を行う機体。
 航空魚雷の性能とも合わせ、世界でも最高水準にある攻撃機であった。
 
 しかし、今この機体には、魚雷は搭載されていなかった。
 この機体の役割は、今までの海軍には無かったものである。

 防空戦闘指揮――

 艦隊上空に展開する戦闘機を誘導するための機体だった。

「本当に来るんですか?」

 操縦席で鷹取一飛曹が声を上げた。

「来るさ」

 偵察席に座った風切大尉は、短く断定的に答えた。
 その声には確信に満ちたものがあった。
 
 事前の説明で、この九七式艦攻の運用とその根拠となる電探というものについて一応は理解していた。
 赤城からは、その電探の情報が逐次入ってきている。
 進路は問題ないようだった。
 高度は4000メートル。過去の敵機の侵入高度、エンジン性能から割り出された予想侵攻高度だった。

 電探という物は、方位と距離は分かるが、高度が分からないらしい。
 それを補うための自分たちであった。
 九七式艦攻の周囲には、3機の零戦が警護を行っていた。
 たった1機の艦攻に対しては過剰ともいえる援護体勢だった。

 零戦の搭乗員も盛んに首を振って見張っているのが分かった。

「現在、機影なし――」

 風切大尉は隊内無線電話で、その事実を伝える。
 護衛の零戦から了解の返答が聞こえた。雑音交じりではあったが、十分聞き取れる物であった。

(整備と部品、そして使う方の考えた方の問題か)

 風切大尉は口元に苦笑をうかべ、そのようなことを考えた。
 使い物にならないと言われていた無線電話であるが、今は十分に実用出来るレベルで通じていた。
 司令部との交信も可能であった。

 そんなことを考えていると、その司令部から通信が入った。
 敵視認距離に入っているはずだという物であった。
 彼はそのことを、乗員に伝える。そして、零戦にも伝えた。

 雲量は多くない。機体をそのまま直進させ、周囲を見た。
 身を乗り出すようにして、下方も確認する。

 ゴマのような黒点が見えた。

「右20度、下方! 機体傾けろ!」

 彼の命令に、鷹取一飛曹は素早く反応していた。
 九七式艦攻は機体を傾ける。下方視界が開けた。

 いた。
 確実にいた。
 しかし、これは……

 零戦が爆ぜるように前方に加速していた。
 こちらの動きを見て、すでに敵機。いや、敵編隊を確認していたのだろう。

「敵機確認、これより攻撃に入ります」
  
 零戦から淡々とした言葉が届く。

「バカ! 待て! 死ぬ気か!」
 
 それはあまりにも無謀すぎた。いかに、零戦が高性能といってもあり得なかった。

 蒼空にゴマをまいたような黒点はその数を増やしていっていた。
 それは100ではきかない大編隊だった。
 大きな3つの梯団となって飛行してきている。
 真珠湾で目撃した味方大編隊を思い出した。あの編隊も敵からこのように見えたのだろうか。

 とにかく、3機の零戦でどうにかできる話ではない。

「敵機確認! 零戦隊、戦闘行動に入りました。 数200以上! 200機以上の大編隊!」

 風切大尉の叫びは電波となり、秒速30万キロで空間に拡散していった。

        ◇◇◇◇◇◇

「来たのか……」
 
 赤城の戦闘指揮所で南雲長官がつぶやいた。
 まだ、戦闘は始まったばかりであるが、その表情は憔悴しているといっていいものであった。

 航空戦が始まる前に、敵潜水艦の攻撃を受けていた。
 これにより蒼龍が自沈。
 加賀は作戦行動を続けることができなくなり、退避していた。

 6隻の正規空母からなる第一航空艦隊。
 世界最強の機動部隊。
 それが、敵空母と戦う前にその3分の1を失っていた。

「200機―― 敵も全力か」
 
 源田中佐は口元をかくしながら言った。
 事前の情報ではこの海域で作戦行動に入っている空母は4隻。
 アメリカ空母の搭載機数を考えれば、200機という数は、その情報を裏付ける物だった。

 すでに、上空に展開していた零戦は、ほとんどが接敵空域をめざし飛行していた。
 その数は100機を超える。各空母の戦闘機の搭載割合を増やしたことにより可能な機数であった。

 空中指揮機からは誘導電波を出させている。
 零戦に搭載している「一式空三号無線帰投方位測定機」が正常に動けば、確実に敵を捕捉することができるはずだった。

 この戦いは苦しい。
 源田中佐はその事実を冷静に認識していた。
 空母航空戦において、先手をとられることは非常に危険である。その事実は十分以上に理解していた。
 敵の爆弾1発でも、飛行甲板に当たればその時点でその空母は戦力を喪失する。

 だが、負ける気はしなかった。
 このピンチは十分にチャンスに転じることができる物と考えていた。

 もし、ここで敵攻撃隊に大打撃を与えることができれば、敵空母を使用不能するのと同じ意味があった。
 敵200機の内訳も、戦闘機は半分もないであろう。
 
 戦艦の戦いが本気の殴り合いだとすれば、空母の決戦は真剣をもってする立ち合いのようなものだった。
 一撃が入れば、それが致命傷になってしまう。

 今、珊瑚海では日米の鋭い切っ先が敵をめざし、蒼穹を走り抜けていた。
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