黒の転生騎士

sierra

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第三章

武術大会のその夜       

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 武術大会が終わったその夜――
 リリアーナは寝室のバルコニーのガラス戸を開けていた。満月が美しい夜だ。今日は夜も暖かく、ガラス戸を開けていると気持ちがいい。

 眠れずに何と無しにガラス戸の傍に立ち、庭を見下ろしていた。警護をしている女性騎士の声が聞こえてくる。
 リリアーナの部屋は3階で、回廊を渡ってすぐの所にある。回廊とバルコニーは同じ中庭に面しており、部屋の入り口辺りの音や声が、バルコニーまで届くのだ。

「カイト、どうしたの? イフリート団長に町に連れて行かれたと思ったのに」
「逃げて来た・・・地獄を見せられそうだったから、替わるよ」
「え? いいからもう休みなさいよ、昨日、今日と出場して疲れたでしょう? 宿舎に帰って寝たら?」
「あそこは見つかる・・・ここが一番安全だ」
「あは! 確かにそうかもね」
「じゃあ、頼むわ。後で他の女性騎士がまた替わるから。」

 女性騎士二人が去っていく音がする。

 ――カイトがいる。

 リリアーナはガウンを寝巻きの上から羽織り、ベルトをしっかり締めると、居間を通り入り口へ向かった。ドアを少し開けて顔を覗かせる。

「リリアーナ様」
 ドアの外に立っていたカイトが優しく微笑んだ。

「どうしたのですか? 眠れないのですか?」
『何でカイトは私が考えている事や感じている事が分かるんだろう?』
 そのまま顔に出ていたようで
「少しお話しいたしましょうか?」と提案された。

『でも、フランチェスカがいないから、部屋に入ってもらう訳にはいかないし、かといって私が廊下に出てお喋りするわけにもいかない・・・』

 そんな事を考えていたら、カイトが中に誰が入っているか分かるように、扉の片側を開け放した。そして作業を始める。カウチを入口まで持ってきて開け放している扉のすぐ傍、部屋の中側においた。そして開け放していた扉を30cmだけ開いている状態にする。

「これで顔を見て話せますし、誰か来てもすぐにドアを閉められます。例え他から見られても多分、分からないでしょう」
「これはいいアイデアね」
 リリアーナはにっこりと笑い、カウチに行儀良く座った。

 話はたわいないものから今日の試合の話しまで、どんな内容でも楽しかった。前から感じていた事だが、二人共価値観が似てるのだ。リリアーナは思い切って、普段感じている疑問を口にした。 
「カイト、カイトはいつもとても努力をしていると思うの。空手、騎士の仕事、他にも普段から勉強もしてるわよね? 寝る時間も惜しむほどに・・・私にはそれが自分のためではなく誰かのために駆り立てられるように、自分を酷使しているように見えるの・・・」

 カイトは溜息をついた。
「リリアーナ様は鋭いですね・・・」
 なぜこの時にリリアーナに話したか分からない。少し酒が入っていたからだろうか?それとも聞いてもらいたかったから・・・。

「`転生‘をご存知ですか?」
「一度死んだ者が死後に生まれ変わる事よね?」
「私はその転生者で、他の世界、異界から転生してきた者です」
 カイトがリリアーナをじっと見た。
「驚かれましたか?もしくは頭がおかしくなったとか思われますか?」

 リリアーナはカイトを見つめ返した。
「ううん、なんか納得がいった・・・カイトは他の人とは違ってるし。でも、カイトはカイトだもの。全然問題ないわ」

 受け止めてくれるであろう事は何となく分かっていたが、少しほっとして先を続ける。

「私はある事故の時に幼児を助け、その代わりに自分の命を失いました。助けた事に後悔はありませんが・・・両親に対して、どうしても申し訳なく思ってしまうのです。駆り立てられるように見えるのは両親に対する贖罪かもしれません。」

 カイトは淡々と語っていく。 

「一人っ子でしたし、父は私を空手の世界大会で優勝させるのが夢でした。母もいつも応援してくれて・・・私はとても愛されていました。もし、私があの時に幼児を助けなかったら・・・もっと両親と一緒にいられたかも、親孝行できたかも、と思ってしまう自分がいます。――私は、やはり幼児を助けて後悔しているのかもしれません、正直分からないのです。自分を偽善者のように感じる事もあり、そしてそんな私が堪らなく嫌なのです」

 リリアーナはカイトを見つめた。

「カイト、私は短い間だけど、ずっと貴方を見てきたわ。だから分かる・・・貴方は幼児を助けて後悔なんてしていないと思う。むしろ、助けなかったら後悔したんじゃないかしら?助ける事を放棄した自分を責め続けたと思うわ。だって貴方は自分が傷つく事より他人が傷つく事に心を痛める人だから」

 カイトの目を見ながら続ける。

 「もし幼児を助けなかったとして、自分を責め続ける貴方を見てご両親はどう思うかしら?もちろん貴方を失ってしまうのが一番悲しい事だと思う。でも、苦しむ貴方を見てるほうが、きっと、ずっと辛かったと思うの」

「カイト・・・?」
「リリアーナ様、外に出られては・・・」

 廊下は磨かれた石でできている。裸足で出てきたリリアーナをカイトは制しようとした。

「だって、涙が・・・」
「えっ・・・?」 
 リリアーナがカイトの目尻に触れた。
「カイトの目から涙が・・・」

 カイトも、やっと自覚した。次から次へと溢れてくる涙を。自分でも驚いて呆然とする。

「カイト、泣いていいのよ。せめて私の前では・・・私もカイトの前だと、自然な私でいられるから。」

 ふと気付くと、リリアーナが自分の絹のガウンの袖口で、せっせとカイトの涙を拭いている。明らかに高級なシルクでできたそれにどんどん染みが広がった。

「リリアーナ様、だめです」
「え、何で? このガウン、下ろし立てだから綺麗よ?」
「いえ、そういう事ではなくて・・・」

 カイトは急に可笑しくなった。
「ほんとに貴方という方は・・・」
 そして、リリアーナを抱きしめた。その暖かさにほっとする。

「カ、カイト・・・?」
 リリアーナは160cmほどしかない。185cmのカイトに抱きしめられると、足が宙に浮いてしまう。

 カイトが少し腕を緩めた。真っ赤になったリリアーナの顔を見つめると、右手でリリアーナの左手を取った。

 左腕だけで抱きしめられ、まだ宙に浮いているリリアーナはどうしていいか分からずに、ただただカイトを見ているだけだ。

 ゆっくりと・・・左手を口元に引き寄せると、リリアーナの瞳を見つめながらその指先に口付けた。月の光がカイトの顔を右から半分だけ照らし、後は影になっている。そしてその目はいつもの妹を見る目ではなかった。 

「カイ・・・」どうしていいか分からず、名前を呼ぼうとしたところで

「・・・しっ」口に人差し指を当てられた。カイトが一瞬後方を見る。

 そのままリリアーナを横に抱き上げると部屋の中のさきほどのカウチまで運んで下ろす。そしてすぐにドアを閉めて出て行ってしまった。

 暫くすると、女性騎士達の声が聞こえてきた。
「カイト、お待たせ」
「少し遅かったかしら?」
「大丈夫。ちょうどいい」

 リリアーナの警護はカイトだと一人、女性騎士だと二人で当たる。申し送りを終わらせると、カイトが去って行く靴音が聞こえた。

 リリアーナはずっとカウチで身動きせずにいた。ふと、人差し指を押し当てられた唇に、口付けられた指先で触れている事に気付く。治まってきた胸の鼓動がまた跳ねるように高くなった。

 カイトに抱きしめられて、見つめられて・・・嫌ではない、むしろ少し嬉しく思う自分の感情に戸惑うリリアーナがいた。
 
 

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