月が導く異世界道中

あずみ 圭

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7巻

7-1

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     ◇◆◇◆◇


 サロンから戻ってきたローレル連邦のじゅうちん彩律さいりつひん室へ向かった。学園の臨時講師であり、クズノハ商会の代表でもある、ライドウことすみまことと対面する時に連れていた護衛は、部屋の外で待機するよう命じている。
 柔らかな黒いじゅうたんが敷かれた広い室内。各国から学園を訪れた来賓らいひんがグループに分かれて歓談かんだんしたり、バルコニーからホールでの催しを観覧したりしている。
 彩律が自身の席に戻ると何人ものヒューマンが話をしようと集まってきた。今回、ロッツガルドを訪れているローレル連邦の来賓で最も地位の高い彩律にとって、それは避けられないものであった。
 手慣れた様子で彼らと話しているとき、彩律はバルコニーのほうから視線を感じ、とっに自身も視線を向ける。
 彩律の目がスッと細まる。その先にいた人物が意外な存在だったからだ。

(――グリトニア帝国第二皇女、リリ=フロント=グリトニア。帝国に現れた勇者をバックアップする人物。勇者の登場以後、権力闘争から身を引いて彼にくしている。ただ、以前の彼女――戦争にも政争にも積極的で、女神様への信仰はお世辞せじにもあついとは言えない。自己に絶対的な自信を持ち、女帝の座を目指していた頃の彼女を知っている身としては……合点のいかない転身ね。身辺の警戒はむしろ勇者が現れる以前より厳しくなっていて、近況を探るのさえ一苦労。病的な警戒具合と言えるわ。かの地の勇者に無理な干渉はしていないし、する予定も現在はないし……向こうから興味を向けられるような関係は特に築いてもいないはず……)

 一通り挨拶あいさつを済ませた彩律は、バルコニー近くにいるリリに歩み寄る。リリはもう彩律に視線を向けておらず、ホールの様子を眺めていた。

(――来たわね、ローレル。巫女みこともの力が効かなかったからしばらく放置するつもりでいたのに、余計な仕事を増やしてくれるわ。まさかクズノハ商会と接触するなんて……)

 リリも彩律の接近に気づいていた。しかし、あえて彼女には意識を向けず、ホールに戻っていた真の様子を観察していたのだった。

(それにしても、ともえとかいうあの女からの警告、とても冗談とは思えなかった。智樹もあいつにしゅうしんしているし、クズノハ商会を放置するわけにはいかない。今、私の視線の先にいるあのみにくい男が代表者らしいけど、巴が言っていた主と同一人物の可能性がある。本当なら私も向こうで智樹達と行動している時期なのに、こんな近場で商売をされたら嫌でも気になるというものよ。大人しくツィーゲにいれば良いのに。その上、秘密主義のローレルとも関わりがあるっていうの? もう、本当に邪魔な連中。邪魔、邪魔邪魔邪魔邪魔!)

 リリにとってクズノハ商会、そしてその代表である真との接触はこの学園都市を訪れた目的の一つだ。リミア王都近くのせいで出会った異装の女剣士、巴。彼女は、グリトニア帝国の勇者にしてリリにとって最高の駒である智樹の心に日を追って強く影響を及ぼすようになっていた。彼にしてみれば、初めて邪険じゃけんにあしらわれ、更にはどんな武具でも使えるはずの彼が扱えない剣を持つ女。
 リリは巴の忠告を重く受け止め、クズノハへの調査は最低限に抑えていかなる妨害もしていない。智樹の巴へのそうを上手くなだめ、コントロールして行動に出ないようにしていたのも彼女だ。巴の存在は今のリリにとって悩みの種で、辺境にいるはずの彼女が学園都市にまで出張でばっているのはどうしても気になった。

「リリ様。ホールの様子をご覧になられてどうです? 目にまるような方でもおられました?」

 極めて友好的に、穏やかにリリへ問いかける彩律。

「これはカハラ様」

 そう言ってリリも皇女然とした上品な所作で彩律と向き合う。

「様などと。呼び捨てで構いませぬのに……。前線にて魔族と戦ってくださっている帝国の姫君なのですから」
「私はもう継承権を捨てた身……それもこのような時期に祭りに来るような道楽者に過ぎません」

 互いに笑顔ではあるものの、瞳の奥は全く笑っていない。バルコニーにいた他のひんきゃく達は異様な気配を察知し、蜘蛛くもの子を散らすようにその場を去っていく。

「勇者殿を支えておられるだけで十分献身なさってますわ。私、いいえ我々ローレルは貴女の――」
「本題に入りましょう、カハラ様。……ローレル連邦の重鎮である貴女がわざわざ階下に降りてお会いになった男性に、私、興味がありますの」

 リリが力強い口調で彩律の世辞をさえぎる。顔の下半分をせんで隠した彼女の目は、先ほどとは打って変わって穏やかに笑っていた。だが、彩律の発言に不快感を覚えているのは明白である。
 リリの言葉を受けて彩律はホールへ視線を向ける。その瞳は、迷う事なく真を捉えていた。

「あの男性……ああ、あれは私の個人的な用事です。部下からこの街で良く効く薬と変わった果物を扱う店について聞かされまして。非常に特徴のある店主だから一目で分かると冗談交じりに教えてもらったのですが、先ほど見て驚きました。本当に一目で、しかも遠目にもわかるのですから。つい、立場もわきまえずお話を聞きに行ってしまいました。彼には悪い事をしたかもしれません」
「ふふふ、確かに。ここからでもすぐわかりますわね。……彼、ライドウ殿」

 リリの視線が真を捉える。その様子に、今度は彩律が興味を示す。

「……リリ様も、あのお方にご用事がおありなのですか?」
「ええ。――あくまで〝噂〟ですけれど、あのじんのお店の従業員はほとんどがじんだとか、お店とは別に学園で臨時講師もなさっているとか。色々と話題に尽きない方のようです。非常に興味をそそられましたので、私も是非お話が出来たらと思っていますの」
「……彼は臨時講師もしているのですか。それに亜人とも親しく……」

 リリの返答に、彩律は困惑した様子を見せる。
 亜人との関係や、臨時講師の肩書きに初耳といった表情を浮かべた彩律を見て、リリは考える。

(――あまりライドウに詳しくない? さっきまでの発言はハッタリだったのかしら? クズノハ商会はツィーゲとロッツガルド以外に今のところ根を張った形跡はない。この女の立場を考えると、ローレルに商会が入り込んでいれば私が言った程度の話は把握しているはず。となると、ローレルとクズノハ商会の接点はさほど濃くない?)

「それはそうと、さきほどカハラ様がおっしゃっていたお薬……噂の通り良く効くのなら、お土産みやげにでもしようかしら」

 ローレルとクズノハ商会はまだ深く結びついていない、そう考えたリリは話題を変えた。

「あら、それは良いお考え。よろしければ私に、リリ様の分もご用意させて頂けませんか?」
「そんな、そこまでして頂くのは――」
「リリ様のように公務はありませんから。それに、行列に皇女様が並ばれるお姿なんて見たくありませんわ」

 彩律がリリの言葉を遮る。彼女の行動の意図をリリは分析した。

(――私がライドウと接触するのは嫌、か。ここは譲歩しましょう。彼女にはまだ聞きたい事もある)

「……わかりました。ご厚意に甘えさせて頂きます」
「任せて下さい、数日の内に必ずお届けしますので」
「お待ちしていますわ。……お話は変わるのですけど、もう一つ甘えさせてくださる? どうしてもカハラ様にお聞きしたい事がありまして。実は今、帝国で幾つかの新しい技術の開発が進んでおります。ここだけのお話なんですが、これが勇者様のご提案によるもので私としては是非実現したいのです。ただ、お恥ずかしい話なのですが、だいぶ難航しております。そこで識者としても名高い彩律様のお知恵をと……」
「……勇者様がご提案になった技術、ですか。それは私としても興味深いですわ。ただ、技術開発のお話となりますと機密に関わる事も多く……立場上、他国の方にお答え出来ない話も多いですが、それでもよろしければ」

(何を聞く気? ローレルに相当数の諜報員を入り込ませているくせに)

勿論もちろんですわ。貴国では独自性の強い技術を発展させていらっしゃいますものね。実は我が国でも貴国のように、最近火薬への関心が高まっております。つきましては、是非ローレルでの火薬の取り扱いや利用法についてお聞かせ願えないかと」
「火薬、でございますか。貴国があのような物に関心を持たれているとは初耳です。そういうお話でしたら私の知る限りでお教えしますわ」

(火薬。意外ね。危険な利用法もあるにはあるけれど、あれは魔術には遠く及ばないのよね。無駄に危険ばかり付きまとう印象だけど、どうして……。当たりさわりのない事だけ教えておくとしましょうか。もうこの方の耳には入っているような、ね。国内の担当者に警戒を深めるよう言いつけておく必要があるかもしれないわ)

「はい。よしなに」

(グリトニアの火薬への関心、知れば当然警戒するわよね。警戒は時に情報の位置を露見させる。ウチの諜報員を舐めない事ね。智樹の眼にヤラレて死力を尽くすウチの達を……)

 互いに既知きちの情報である火薬の利用法や価値についてのこうしゃくを聞きながら、リリと彩律のにこやかなかしあいは続いた。


     ◇◆◇◆◇


「レンブラント、ここにおったか!」

 礼服に身を包んだ大柄な男が、体格相応の太い声を上げてレンブラント夫妻に近づいてきた。遠慮は全く窺えない。

「これはこれは将軍ではありませんか。お見えになると知っていればこちらからご挨拶に伺いましたものを……。はて、ロッツガルドに来られるのはリュジニ家の方だと記憶しておりましたが?」
「うむ、俺は来る予定などなかったんだが、ステラとりでの作戦にじゅうぐんする事になってな。砦への通り道で丁度ここが学園祭の時期だったから行軍の息抜きも含めて少し寄り道だ。で、お前を見かけたのだ。……今日はあの執事はおらんのか?」
「はい、妻のリサを連れて来てしまいましたので、彼に店を任せております」

 そう言って自身の横に立つリサを指し示すレンブラント。紹介された彼女は、笑みをたたえたまま頭を下げた。
 リサの挨拶に片手を挙げて応え、将軍が口を開く。

「頼れる執事がいないとなると、護衛はなしか。ツィーゲの首領ドンがそんな事ではいかんな」
「いえいえ、代わりに役立つ者を連れております。……以前ご報告したクズノハ商会の新米商人、彼にともをさせているのですよ」

 将軍が自身に接触してきた意図を確認するために、それとなく真の名を告げる。

「ふっ。まさにその件でお前に小言を、と思っていたのだが……。その口振りだと上手く飼い慣らしておるみたいだな。何でも我がアイオンの領地であるツィーゲで商会の旗揚げをしておきながら、本店を学園都市の店舗だという事にして『アイオンとは無関係だ』と、そんなめた態度を取る生意気な奴だと聞いていたからな」

 レンブラントがクズノハ商会のづなを握っているか否か。それを抜き打ちで確認しにきたのだろうと考えたレンブラントの推察は正しかったようだ。
 自身と真の力関係を誤認させるため、あえて真を手下につけているかのように伝える。その思惑おもわくの成功は、将軍からの返答でわかった。

所詮しょせんは若造でございますよ。未熟故、世間に対して自己を大きく見せたがるのです。クズノハ商会はツィーゲで今も我が商会の店舗に間借まがりしており、私の監視下にございますのでご安心下さい。……そうだ! 将軍はお酒がお好きでしたな。あちらに美味うまい酒を出す女がおりました。さ、少しだけ私にお付き合い下さいませ。ささ」
「お、おっと。レンブラント、そうかすな。済まぬなリサ夫人。少々ご主人を借りるぞ」
「ええ。……この次は是非、私と一曲お付き合い下さいませね。お待ちしておりますわ」

 夫に腕を引かれて人混みの中に消えていく将軍を、笑みを浮かべたまま見送るリサ。
 二人の姿が完全に視界から消えたあと、彼女の口から小さく息がれた。周囲には悟られない、小さなため息。

(――上手く飼い慣らす、ですか。どちらがそうされているのかもわからぬ馬鹿なお方。その舐め回すような嫌らしい視線が娘に向かぬよう、遠ざけられた事にさえじんも気づかないのでしょうね)

 リサは何一つ夫と言葉を交わさずとも、彼の行動の意図を理解していた。将軍はアイオンの実力者でありながらその実態はしゅうで手に入れた権力にあぐらをかくおろか者。その上、そこら中で女に目を付けては妻にしている。

(……息子が求婚したシフを見て、自分も求婚して妻にしようとするんだもの。あれにはあきれたわ。父と息子で女を取り合うなんて、何て気持ちの悪い)

 室内に流れる楽曲に合わせて踊る人々を眺めながら、リサは過去の記憶を思い返す。


 ――思えばまわしきじゅびょうおかされる前、シフとユーノには結構な数の縁談えんだんが持ちかけられたわね。ツィーゲを仕切る大商人の娘だし、親の私が言うのも何だけれど、二人とも可愛いもの。学園に入学してからその数は更に増えた。……先ほど現れたあの不快な男、アイオンの実力者である将軍の息子からの求婚もその一つだった。あの記憶は、今すぐにでも消し去りたいけど――。


「あれ、ママだけ? パパは?」

 リサの回想は、レンブラント達と入れ替わるかたちでやって来た娘の呼びかけによって遮られた。

「……ユーノ。人前では話し方に気をつけなさい。お母様、お父様でしょ。直らないようなら、家でも徹底させますよ?」
「う! 気をつけます、お母様」
「よろしい」
「お母様、今の方、確かアイオンの――」
「そうよ、シフ。貴女にで求婚した方よ。ステラ砦への行軍途中に立ち寄られたそうなの。お父様が遠ざけてくれたから今は大丈夫だけど、見つからないよう気をつけなさいね」
「……はい。ところで、ライドウ先生は?」
「一度ローレルの……多分、国の偉い方だと思うけど、その方に連れて行かれていたわ。……あら」

 言葉を区切り、ホールの壁際へ視線を向けるリサ。目当ての人物を視界に認め、続ける。

「もうお戻りになられているわ。でも、あまりこういう場所はお得意ではないみたい。二人とも、せっかく気合を入れて着飾ったのに残念ね」

 そう言ってリサはクスリと笑う。母の視線の先にいる人物を確認し、その発言の意味を理解したシフとユーノも笑顔を見せた。
 シフは肩から足元までを包む、しんの気品溢れるドレス。
 妹のユーノは肩を露出したパステルカラーの柔らかい青が印象的な、色香漂うカクテルドレス。

「うーん、確かに」

 ユーノが苦笑交じりに答える。普段活発な彼女も、こうしてドレスを纏うとその雰囲気が一変する。姉のシフも鮮やかなドレスで十分な変身を遂げているものの、やはり普段とのギャップが大きい分、姉妹を見る人の視線も妹の方に多く注がれていた。


「ふふふ。まあ、貴女達の姿は見ておられるでしょうから、後で感想をお聞きしなさい。……それよりもシフ、それにユーノも」
「何ですか?」
「何?」

 リサは先ほどまでとは打って変わって厳しい表情になり、続けた。

「貴女達、学園で結構派手に遊んでいたみたいね? レンブラントの評判、あまり良くないわよ?」
「!? し、調べたのですか?」
「勿論。成績だけでは生活の様子まではわかりませんからね。復学してからは大人しくしているみたいだけど、前は相当だったとか」
「ううっ」
「……むー」

 二人が背を丸めて小さくなる。

「……ライドウ様にご報告しようかしら?」
『やめて!』

 シフとユーノの声が重なる。そうな表情まで一緒だ。

「その悪評、卒業までにくつがえしなさい。よろしいこと? 悪評を覆す。これは相当大変ですよ、人は評価するよりもおとしめる方が好きなのですから。これから死ぬ気で頑張りなさい。わかったら早く戻る!」
『は、はい!!』

 母の言葉に背を押されたように、シフとユーノはホールの中心へ戻っていく。
 二人には同じ想いがある。一つは真に過去の振る舞いを知られたくないという事。そしてもう一つは、それを知った真がしょうを叩き直そうと凄い事をするかもしれないという恐怖。
 二人の脳裏に、彼に見捨てられるだとか軽蔑けいべつされるといった考えは浮かばなかった。何かされるかもと恐れるのは彼への奇妙な信頼の裏返しでもある。厳しい講義で感覚が麻痺まひしてしまっているのも無関係ではないが。
 リサは再び壁際へ視線を送る。華やかなこの場が居心地悪そうに、ホールの隅で小さくなっている真の姿があった。
 何か考えているようで、何も考えてないような。掴みどころのない恩人の姿を見て、夫人は思わず口元をほころばせた。




   2


「今日はありがとう。おかげで娘の晴れ姿を堪能たんのうできたよ」

 笑顔で真に礼を述べるレンブラント。
 帰り道。まだよいの口。祭りの夜は始まったばかりの時間と言える。
 真は、少し早目に帰路についたレンブラント夫妻を護衛していた。

[こちらこそ沢山の方と知り合えました。ありがとうございます]
「娘達はどうでした? ライドウ様の目を楽しませる事が出来ましたかしら?」

 夫人が娘についての評価を真に尋ねた。

[とてもお綺麗でした。普段私が講義で接している彼女達とは全く違って……楽しむというよりも驚いてしまいましたね]
「ははは! 驚く程の美しさとは、ライドウ殿は実にわかっている!」

 親バカを自認するだけあって、言葉を自身に都合の良いように受け取り、えつるレンブラント。

「あなた……。あの子達も真剣にドレスを選んでおりましたから。母親としても安心しましたわ」

 夫の言葉に呆れつつ、娘達の努力を真に伝えるリサ。

[勿体ないお言葉です、夫人]
「……ライドウ殿。君には会わせなかったが、実はあの場にアイオン王国の将軍がいてな」

 謙遜けんそんしている真にレンブラントが語りかける。その表情からは笑みが消えていた。

[アイオンの将軍様が]
「ああ、ステラ砦への行軍途中に立ち寄ったらしい。君の事を聞いてきたので、上手く飼い慣らしていると伝えておいたよ。ツィーゲでも商売をしている以上、このままずっとアイオンが黙っているはずがないからね。しかし……君はかなり人気者らしい。ローレル連邦も興味を持っているみたいじゃないか」
[ホールでのやり取り、見ておいででしたか。どうやら商会で扱っている薬の評判を聞いたらしく、ローレルにも商会を出店しないかと持ちかけられました。今はこことツィーゲの二つで手一杯ですとお断りしましたが]

 真の話を聞き、レンブラントは深く頷き口を開く。

「もう新しい店舗の話が出るだけでも大したものだよ。だが、こういうときは足元にも気をつけなさい、意外な場所に落とし穴があったりするからね」
[お気遣い、ありがとうございます]

 二人の会話にリサが割って入る。

「あなた、ライドウ様には巴様やみお様、それにしき様というお方もついておられますから」
「おっと。つい、いらぬ事を言った。口うるさくしてすまない」
[いえ。お気持ち、本当に嬉しいです]
「……これも良い機会だ。ただ君への感謝の気持ちからだけではなく、言わせてもらうよ。私は今後、たとえ君が誰を敵に回しても、君の側につく。恩人としても商人としてもね。それが私の結論だ。だから、困った事があれば遠慮なく言ってくれて良い。力になろう」

 レンブラントが言葉を告げ終えた直後、真がレンブラント夫妻の前に出て、立ち止まった。
 突然の行動に驚く夫妻。しかし、すぐにその意図に気づき、歩みを止める。
 異変の元凶は、真が見つめる視線の先にあった。
 学生服を纏った数人の生徒。彼らが発している敵意は、明確に真へ向けられていた。

「おい、ライドウ」

 生徒の一人が真へ呼びかける。

[私の名は確かにライドウだが、学生から呼び捨てにされる覚えはない。何か用か?]
「当然だ。俺を忘れたとは言わせないぞ。お前に殺されかけた俺を」

 真が首をかしげる。全く見覚えのない学生だったからだ。
 殺されかけた、と言うのなら講義の参加者かと彼は考えた。だが、これまでに教えた学生を思い返しても、今、自身の前に立ちふさがっている男の記憶はない。

[済まない。私は君を知らないのだが]
「っ!? ふざけるな!」
[ふざけてなどいない。本当に全く覚えがないのだ。が、何かしたというなら謝ろう。申し訳なかった。見ての通り、今は客人と一緒だ。文句は明日にでも改めて聞こう。それでは]

「お前はっ! 本当に俺を覚えていないってのかよ!」

 学生はなおも食い下がる。

[講義に来た生徒か? 君はいなかったと思うんだが]
「講義になんぞ行く訳ねえだろうが!! ……くく、なあライドウ。お前の講義、今七人しか残ってないんだろ? それに誰も受講願いを出してこねえはずだ。まあ、俺が圧力をかけてるから当たり前だけどなあ!」

 学生の言動に、真は困惑した。
 目の前の学生の発言に、まるで覚えがなかったからだ。
 真は今が初対面ではないかと思ってさえいる。
 講義への圧力にも心当たりがない。大量に来ている受講願いを受理していないだけ。
 今いる七人の生徒がある程度力をつけ、彼らが先輩として指導の補佐が出来るようになれば生徒を追加しても良いとは考えているものの、真自身に当面新しく学生を増やす気がないのだ。不人気なのではなく、有意義な講義を行う適切な人数を勘案かんあんしたうえでの七人なのである。
 真は少年の意味不明な主張に戸惑いつつも、レンブラント夫妻へ被害が及ばないように彼らを説得する事にした。

[話は明日聞いてやると言っている。一つ教えておくが、今私の後ろにおられる方は学園が招いた賓客だ。学生が手を上げたとなればどんな問題になるか。わかるな?]

 真が学生達に釘を刺す。それが効いたのか、彼の合図で脇を通り抜ける夫妻に手を出す様子はなかった。
 レンブラント夫妻に続くようにして、真も脇を抜けていく。
 そんな彼に、学生はなおもせいを浴びせる。

「……俺はお前を許さねえ! 俺に手を出した事を絶対後悔させてやるからな! 明日組み合わせが決まる闘技大会で、まずはお前の講義を受けている連中を潰してやる。どんな手を使ってもだ!そうすれば、お前が無能だと、あっという間に学園中に広まるんだ!」
[そうか、好きにしろ]

 後ろでわめく学生に、真は背を向けたままフキダシで応じる。罵声は続いていたが、それ以上真が彼の言葉に反応する事はなかった。

「ら、ライドウ殿。今の学生、娘に危害を加えるとか口にした気がするのだが?」

 学生達から少し離れたところで、レンブラントが口を開く。

[ご安心下さい、万に一つも、危惧きぐなさっているような事態にはなりませんよ]
「君がそう言うのであれば、心配はいらないのだが……」
[私にお任せ下さい。大切な教え子に害が及ぶ事はさせませんので]

 真は不安に駆られたレンブラントをなだめながら、夫妻が泊まる宿への道を急ぐのであった。
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