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第二章 「神に愛されなかった者」

#36 小さなその手と始まりの記憶

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 鋭利な金属が、空気をさく。
 一直線に矢が迫ってくる。

「……まあ、大丈夫だよな」

 避けようと思えば避けられたかもしれないその軌道を、俺は右手を出して防いだ。
 ちくりと、爪楊枝でつつかれたような感触を手が受け取る。

「――ん」

 矢はバリっという小気味のよい音を立て、壊れる。
 ボロボロと、矢だったものが破片となって地面に落ちていく。

「アキラ~大丈夫か?」
「ああ」

 手を握ったり開いたりさせるが、特に問題はない。
 俺の防御力からいっても、1ダメージあるかないかくらいかだろう。

 俺へのダメージなら全く問題はない――むしろ問題なのはあの矢の軌道だ。

「しかし変なこともあるもんやな。風でも吹いたんか?」
「いや、あれは」

 風といったような単純な原因ではない。
 物理や科学では説明できない"何か"が働いたように、俺には見えた。

 言うなれば、魔法や呪いの類。
 そしてそれはこの状況から察するに。

「ナナの……」

 と言いかけたところで、言葉は止まる。
 俺の視界に映ったナナ。その様子がおかしかった。

 顔面蒼白でブルブルと震え、目を潤ませるナナ。
 そして、その瞳から一滴、雫が落ちた。

 それが呼び水なったらしく、ダムの決壊のようにボロボロと涙が溢れていく。
 嗚咽交じりの音が零れ、びしゃびしゃに濡れていく顔をナナは両手で覆った。

「アキラを傷つけたと思ったんやろ」

 おーよしよし大丈夫やで、とミヤは声をかけながらナナをさする。
 その様子を見ながら、俺は何とも言えない思いが湧いた。

 もしかしたら前にもこのようなことがあったのかもしれない。
 ナナの境遇を俺は知らないが、辛い道を歩んできたのは確かだろう。

 ミヤがなだめても、中々泣き止まないナナ。
 そんなナナに、俺はこう言葉をかけた。

「いい攻撃だったな。ドンピシャだ」

むっとした表情をミヤが浮かべるのが見えたが、俺は言葉を続ける。

「だけど、俺は何ともない」

 そういって俺は右手を広げて見せた。
 ナナは潤んだ瞳に、俺の右手が映る。

 恐る恐るという表情で、ナナは顔を近づけた。
 そして、何かを確かめるようにナナは手に触れた。

 小さくて、冷たい手だった。

「だからナナは心配しなくてもいい。俺は強いから」

 俺にとってはこんな攻撃は大したことはない。
 もっとも、俺はナナからもっと強い痛みを貰ってるが。

 ぺたぺたとナナは俺の手を、触り続ける。
 俺の言葉の確証を求めるように、何度も、何度も触り続ける。

 時折、俺の顔を覗きながら、ナナのその行動は何回も続いた。
 それを繰り返すにつれ、ナナの嗚咽が、徐々におさまっていく。

「よしよし」

 手持無沙汰の左手で、金色の頭をさする。
 始めは震えていたその身体から、いつしか震えは消えた。

「……ほーん」

 何やら納得いかなそうな人物が一人いるようだが、とりあえず一件落着といったところだろう。
 とは言え、ここで終わらせるのは後味が悪い。

 そう思った俺は、駄目元でナナへとこう言葉をかけた。

「ナナ、もう一回撃てるか?」

 嫌ならやめさせよう。そんな思いも俺にはあったが。
 その俺の言葉にナナは小さく、強く頷いてくれた。


 * * *


 矢が、明後日の方向へ飛んでいく。
 そしてまた、それは俺へと戻ってくる。

 乾いた音の後、それは俺の足元へと落ちていく。
 幾重にも重なったそれは、小さな破片の山を築いた。

「……うん」

 これは後から分かったことだが、変な方向に飛ぶのは単にナナの腕前らしい。
 その証拠にナナが何度も矢を放つ度に、飛ぶ方向はほんのわずかだが目標に近づいていた。

 もっとも、元々があれなので未だにスライムに当たる気配はないが。

「まあでも」

 ピュンと。
 十数回目になるだろうその矢は、やはり目標とは離れた方向を進む。

「本当の問題はこっちだよな」

 練習すれば何とかなりそうな"行き"はまだいい。
 問題は"帰り"だ。

 矢がまた、ぐるりと捻じ曲がった。
 それは一定の距離で急に旋回すると、ブーメランのように戻ってくる。

 そしてまた、それは俺の元へと届く。
 右手がバキッと木を割れると、小さな破片の山が少し大きくなった。

「う~ん」

 この物理的にあり得ない事象はやはり、ナナの"例の力"のようだった。
 不幸よんでくると言われるその力が、矢に働いているらしい。

 だが、一つ。
 釈然としないことがあった。

「……なんで俺にくるんだ」 

 その矢はもれなく、俺へと向かってきた。
 今のところ、一切合切の例外なく100パーセント。

 ミヤやトラッキーはおろか、ナナさえ無視し、俺だ。

「何故だ……」

 俺が何かしたのだろうか。
 心当たりはないが、ナナを助けたからとかそういう理由だろうか。

「う~ん」

 結局のところよく分からないが、他の奴が標的になるよりはまだましとも思える。
 事実、俺には何の害もないのだから。


 視界に映る、一線の軌道。
 数十発目であろう、その矢が飛んでいく。

 その弓の終始を見届けた後、もう一度弓を引こうとしたナナを俺は制した。

「今はこれぐらいにしよう」

 明らかに疲れていたナナへ、そう声をかける。
 成果という成果出ていないが、小さなその体でよく頑張ったと思う。

 ナナはそれを理解したらしく、少し納得がいかなそうな表情を浮かべるが、矢をしまった。
 すると間髪を入れず、俺の右手を引き寄せた。

 覗き込むように、そして何度も、俺の右手を両手で触るナナ。

「……」

 冷たく小さかった手は、ほんのりと熱を帯び、少しばかり固さを孕んでいた。
 その練習の余韻を感じさせる手でナナは一通り確認すると、満足したらしく俺の手を放す。 

 俺の手に小さな手の感触が残る中、トラッキーの上からその声があがった。

「アキラ~なんか見えるで~」

 ミヤが示した指の先にある、深い緑をした景色。
 どうやらナナの練習目標スライムを追いかけているうちに、目的地近くにきたらしい。

 アグステの森と呼ばれる、その森。
 その緑深い場所が、鮮明に見えてくる。

 このアグステの森でオレンジベリーという実を30個ほど採集すれば、とりあえず今日の目的は達成だ。
 オレンジベリーは美味しいのだろうかというどうでもいいことを思考しながら、その森の方向へと歩を進めると。

「ん?」

 その木に、その色に、その光景に、何か既視感を覚える。
 近づくにつれ、強くなるその草と土の匂い。脳をくすぐった。

「アキラ……この森って」

 俺たちが感じてたのは既視感ではなく――記憶だった。
 俺とミヤが、見覚えのあるその森。

「ああ」

 ほんの数日前の、だけれども埃被っていた記憶が、すっと蘇る。

「俺らがこの世界で"最初にきた場所"だな」
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