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1巻
1-7
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首を傾げながら精霊の繭に両手を添える。
【フィル、いいのか? 命に関わるかもしれぬぞ?】
低い声で言うと、コクヨウが近づいてきて俺の顔を覗く。
命か……。まったく躊躇しないと言ったら嘘になるが……でも。
「元はといえば、ご先祖様がやっちゃったことだもん。悪気がなかったとしてもね。僕が力を与えることで助かるなら、この子を助けたい」
そう言うと、コクヨウはクックッと体を震わせて笑った。
【やはりお前は面白い。わかった。ならば我の力も貸そう】
コクヨウは俺の肩に自分の足をそっと乗せる。触れられた部分がポカポカして、顔が紅潮してくる。コクヨウが足を外しても、その熱は俺の体の隅々まで巡った。
目を閉じる。両手に意識を集中させながら、体に流れるこの熱を繭へと流すイメージ。肩から腕、手のひらから指先……触れた部分を起点に、繭が少しずつ温かくなっていく。
少女はふわりと俺の横に立つと、繭の中に姿を消した。
繭の熱が鼓動みたいにジンジンしている。それに呼応するように内から発光してきた。
表面には薄く亀裂が入り、それはどんどん広がっていく。まるで孵化する前の卵みたいだ。
「わぁ……すごいな」
思わず声が漏れる。
「フィル!?」
突然背後から名前を呼ばれて、反射的にビクッとした。振り返ると、ステラ姉さんとアルフォンス兄さんが立っている。
幽霊を見に行った俺を心配して、来てくれたのか。一人では幽霊が怖いから、ステラ姉さんがアルフォンス兄さんも連れてきた、といったところかもしれない。
「フィル、いったい何をやって……」
ステラ姉さんにしては珍しいくらいに動揺した声を出す。その声を聞いて、自分の今の状況を顧みた。
塔の記念とされている白い石は発光し、全体的にヒビ割れ、俺はそれに触れて何やら念を送っている……。
なーっ! やばいとこ見つかったっ! 明らかに俺、怪しいっ!!
「あ、あの、これには事情が……。説明すると長くなるんですが、悪いことをしているわけではなくて」
焦って言い訳をするも、繭から手を離すことはできなかった。そんなことをして繭に影響が出てはいけない。
動けないままワタワタしていると、アルフォンス兄さん達がゆっくり部屋に入ってくる。
「わかった。とりあえず、長くてもいいから説明してくれるかい?」
俺を落ち着かせようとして、ゆっくり優しく話しかけてくる。
頷きたい。頷きたいけど……。
俺は困ってしまい、繭とアルフォンス兄さんらを交互に見た。
繭のヒビ割れはもう大きなものになり、発光もどんどん強くなっている。
これ、割れるのか? どうなるんだ? 割れたら精霊が出てくるのか?
先が読めないだけにどうしたものかと迷ってしまう。
そんな俺の逡巡などお構いなしに、繭の変化は進行した。
繭と俺を取り囲むように、風の輪ができる。それはだんだん激しくなり、ゴーゴーという音が耳に響く。まるで小さな竜巻の中にいるみたいだ。
コクヨウとアルフォンス兄さん達は、一歩引いて様子を窺っている。
パァァァンッ! とガラスの割れるような音が辺りに響いた。繭が弾けたのだ。
手が自由になり、咄嗟に腕で顔を覆う。
風がだんだん弱くなると、コクヨウが傍にやってきた。俺はおそるおそる腕を下ろす。
目の前には女の子が立っていた。だが、さっきの十歳くらいの少女ではない。十七か十八歳くらいだろうか。ライトグリーンの髪と瞳は変わらないが、背が伸びて胸は豊か、顔つきもずいぶん大人びている。
さきほど着ていたシンプルなワンピースは、ローマの女神像のような服になっていた。シフォンのような柔らかな布は、ヒラヒラと優雅に揺れている。
「ステラ!」
後ろでアルフォンス兄さんが驚きの声を上げる。振り返るとステラ姉さんが顔を真っ青にして、アルフォンス兄さんに支えられていた。
今度は全然透けてないから、幽霊に見えないんだけどな。
「ステラ姉さま、この人は幽霊じゃないですよ」
「え?」
俺が言うが早いか、ステラ姉さんが顔を上げた。
「さきほどは説明できませんでしたが、この石は精霊の繭だったんです。この城の結界石によって弱っていたので、僕が羽化を手伝っていました」
「精霊? 確かに昔は精霊がいたと聞いたことはあるが、今は小さな妖精ばかりだと……」
信じられないと言うように、アルフォンス兄さんが精霊を見る。ステラ姉さんも同様だ。
「なぜ、これが繭だと?」
「不思議なんですけど、精霊と会話ができたんです。事情を聞いたら自分は幽霊じゃないし、これは精霊の繭だって」
肩をすくめて、さきほどまで繭が載せられていた台座に視線をやる。白い石の結晶の破片が、辺りに散らばっていた。
「精霊の言葉がわかるのですか?」
ステラ姉さんは小さく息を呑む。
「はい。それで助けることにしたんです。僕の力を分け与えて。ね?」
俺が精霊に聞くと、にっこり微笑む。
【はい、助けてくれてありがとうございます。ご主人様】
そう言ってスカートの裾をつまむと、お姫様のようにお辞儀をした。とても優雅に。
「……んん?」
今……精霊、何て言った?
俺に向かって、「ご主人様」とか言わなかったか?
助けたから? いやいや、それにしたって、ご主人様はおかしいだろう。
頭の中でハテナが浮かぶ。
そりゃあ、前世の頃はこんなアイドルみたいな可愛い女の子が、俺の名前を呼んで微笑んでくれる妄想はしたことあるよ。だって、男の子だものっ!! だが、ご主人様はさすがにないっ。本当です! 誓って。
いや……まさか俺、深層心理でこんな願望あるとか?
ひとつの可能性に思い至り、思わずゴクリと息を呑む。
「どうしたんだい? フィル」
アルフォンス兄さんが近寄ってきて、俺の頭を優しく撫でる。
純真無垢だと信じる弟がこんなこと考えているとは、露ほども思うまい。
「アルフォンス兄さま、えっと、あの……」
困った表情でアルフォンス兄さんを見上げた。
しかし、その俺の顔がアルフォンス兄さんの琴線に触れてしまったらしい。
はわはわと口元を震わせて、抱きしめようと両手をこちらに向ける。
ぎゃー、変態くさいっ。アルフォンス兄さんは尊敬しているけど、時々ドン引くぞっ!
俺は危機感を覚えて、アルフォンス兄さんから一歩身を引く。
「兄様、時と場合をお考えください」
ステラ姉さんの低い声に、アルフォンス兄さんはハッとして咳払いをひとつする。改めて整えられた美少年の顔に、さきほどまでの変態の片鱗はない。
「精霊が何か言っているのかい?」
「精霊が……」
俺が呟くと、アルフォンス兄さんは膝立ちになって視線を合わせる。そして続きを促した。
「うん。精霊が?」
「僕を、ご主人様って……」
言いにくいのでモゴモゴしてしまう。
「ん? んん?」
さきほどの俺同様、アルフォンス兄さんの頭上にもハテナが浮かぶ。
「どういうことかしら?」
ステラ姉さんが精霊と俺を見比べる。それを見て精霊が体を屈め、俺を覗き込んだ。
【お二人が理解できるよう、人の言葉で話しましょうか?】
「そんなことできるの?」
【人の力を受けて羽化した精霊ですから】
精霊は俺に微笑むと、アルフォンス兄さん達に向かって会釈をした。
「ご主人様のご家族様、はじめまして」
わー、気のせいじゃなかった。やっぱりご主人様って言ってるよ。深層心理でも妄想でもなかったよ。
俺の聞こえ方に何も変わりはないのだが、精霊の言ったとおり、今度はアルフォンス兄さん達にも声が聞こえたようだ。二人は息を呑む。
「すごい……精霊の言っていることがわかるなんて」
アルフォンス兄さんは感動したように呟く。だが、すぐ気持ちを切り替えたのか、うーんと唸った。
「ご主人様って言ったね」
「おかしいですよね……」
ハハハと俺の口から乾いた笑いがこぼれる。
コクヨウは俺のことを呼び捨てにしたり、「お前」とか言ったりしてるからな。ご主人様呼ばわりに違和感がある。
王子って呼ばれるのだって、ぶっちゃけまだ馴れていないくらいだ。精神はまだ庶民なんだよな。
ステラ姉さんは唇に指先を当て少し考えてから、口を開いた。
「なぜ、フィルをご主人様と呼ぶのです?」
「ご主人様と契約したからです」
彼女はキョトンとしながら首を傾げる。何でそんなこと聞くのか、と不思議そうだ。
美少女のそうした姿はものすごく可愛いが、俺はそれどころではなかった。
「契約ぅぅ!?」
ビックリしすぎて声がひっくり返る。
どっ、どういうことだ。契約って召喚獣と交わすアレか? だって契約って、獣に名前を与えることで成立するんだろ? 俺、そんなことやった記憶ないんだけど。
頭を抱えながら記憶を呼び起こしていると、コクヨウは欠伸をかみ殺しながら言った。
【獣と精霊では契約の仕方が違うからな】
「えっ!」
コクヨウをバッと振り返る。
【だから聞いたのだ。『いいのか』と】
いや、そういう意味だと思わないじゃん。
俺はパニクる気持ちを落ち着かせながら、精霊を見上げて聞いた。
「精霊の契約の仕方って?」
「精霊は成熟するために繭になります。百年の眠りにつき、自然の力を取り入れて成熟するのです。そして羽化するのですが、その際に自然の力ではなく人の力を取り入れて羽化すると、その者との契約が成立するんですわ」
受付嬢のごとくスラスラと説明し、最後ににっこり微笑む。
俺は膝から崩れ落ちた。アルフォンス兄さんが何か言ってるが、立てません。精神的ショックで。
まんま正統な契約しちゃってんじゃん。
「それが契約方法なんですね。フィルは助けるためとはいえ、契約してしまったと。ですが、精霊と契約できるなんて知りませんでしたわ」
ステラ姉さんは感心と興味が混ざったような声色で言う。精霊はくすりと笑った。
「知らないのも仕方ありません。精霊自体珍しいですし、繭になったら百年も眠りについているので人の寿命とタイミングが合いませんから。羽化に必要な力も膨大です。人にとってはかなりの消耗ですので、力尽きて人間のほうが死んでしまう可能性もあります」
精霊の言葉は、未だショックから立ち直れていない俺を、さらに愕然とさせる。
……本当に死ぬとこだった。
コクヨウが言っていたが、俺、本当に命懸けだったのか。
ただご先祖様の行いを正そうとしただけなのに。人助け……いや精霊助けのつもりが、まさかの契約。
「これが契約だって、言ってなかったよね?」
涙目で精霊を見上げる。俺は土下座の体勢になっているが、そんなこと気にしていられない。
すると意外な答えが返ってきた。
「言いましたよ?」
「ええっ!?」
嘘だ。聞いた覚えなんかない。
「『あなたの僕として契約を、あなたの力を繭に』って」
あの、よく聞こえなかった時かっ! いや、でも、言葉足らないよっ! 詐欺だ。俺はまた詐欺に遭った。
肝心なことを言わないで、「もう時間がありません」って焦らせて契約させる詐欺と一緒だ。
「念のため聞くんだけど……クーリングオフというか、契約の取り消しは?」
おそるおそる聞いてみた。すると精霊は途端にその大きな瞳に、みるみる涙を浮かべる。
「できませんわ!」
ポロポロとこぼれる涙を見て、俺は慌てふためいた。
「ご、ごめんね! 泣かないで!」
何だこの状況。まるで喫茶店で別れ話してる恋人同士である。何でこうなった?
「ひどいですわ。精霊の契約は主の影響を多大に受けるもの。もうこの身は、ご主人様に作られたと言っても過言ではありません。あなた色に染めておいて、今さらお捨てになるなんてっ!」
わぁっ! と泣いて顔を覆う精霊に、今度は本当に土下座した。まあ、さっきからほぼ体勢変わってないけど。
「すみませんでしたっ! 二度と言いませんっ!」
人聞き悪いからもうやめてくださいっ!
俺が約束すると精霊も気が済んだのか、スンスンと鼻を鳴らして涙を拭う。俺はホッと息をついた。
あーそうか。さっき彼女の言った「人の力を受けて羽化した精霊だから」という意味をようやく理解した。
繭の時はどちらかというと無口キャラだったのに、今は喜怒哀楽がはっきりしている。
かすかに体が発光していたり、ふよふよと浮かんだりしていなければ、人間だと勘違いしてしまいそうだ。
俺が核となって彼女を羽化させたから、人に近くなったし、人と話せるようになったわけね。
「では、改めまして、ご主人様。私に名前を付けてくださいませ」
精霊は俺を立たせると、自分の服の裾を持って前に立つ。名前を付けてくれるのを待っているようだ。
あぁ……えー、名前か。髪や瞳がライトグリーンだしな……。
「ヒスイ」
翡翠は石だし、ちょうどいいだろう。コクヨウも黒曜石から取ったし。
名前を聞いて、彼女の顔がパッとほころぶ。
「ありがとうございます。私ヒスイ、永遠にご主人様のお傍に」
スカートの裾を広げ、深くお辞儀をする。その姿は物語の挿絵のように美しかった。
5
【ご主人様。つまり、私の力が必要ということなんですね?】
ふよふよと空中に浮かびながら、ヒスイは首を傾げる。
「必要かどうかは行ってみないとわかんないけど……。それより、まずご主人様ってのやめようよ。フィルでいいから。あと普段移動する時は、できれば空を飛ばないようにしてもらえると……」
俺が目をそらしながら注意すると、ヒスイは不満げな声を出した。
【えー、何でです? このほうが便利ですのに】
目に毒なんだよ。スカートからチラチラ見える生足が。
こちとら幼児なんだぞ。視界が低いんだ。目の前に常に生足って、どんな拷問だよ。
「ヒスイ、お願いだから」
俺がそう頼み込むと、ヒスイはふふふと笑って廊下に降りた。
【フィルは変わっていますね。契約した精霊にお願いだなんて。普通は命令して終わりですわ】
生足が見えなくなって少しホッとしながら、ヒスイを見上げる。
「命令し慣れてないんだよなぁ」
【ところで今日はどこに行くのだ? ついに結界石を破壊しに行くのか?】
コクヨウが俺の腕の中、振り返ってニヤリと笑う。すると、ヒスイも握りこぶしを作って頷いた。
【それは最高ですわ! あの忌々しい結界石っ! 破壊し尽くしても、し足りない!】
【そうか、気が合う。ならばやろう。うーむ、爪を研いでおくのだったな】
やる気満々な二人に、ため息をつく。
「今日は行きません。それに結界石見つけたとしても、破壊はしないからね?」
そもそも、城の探索にコクヨウを連れ出すための結界石探しだったんだけどなぁ。
それが今や、やる気にさせすぎて発見した途端、破壊しそう。
やはり平和すぎるせいだろうか。腕試しができなくて、コクヨウのストレスが溜まっているようだ。今日なんかプリンとシャーベット交互に食べていたからなぁ。虫歯やストレス太りにならなきゃいいが。
【何でです? あの石のせいで、私消えそうになったんですよ!】
ヒスイは口をぷぅっと膨らませ、拗ねた目をして訴える。
確かにヒスイの気持ちはわかるんだけど、城の礎になっている結界石は壊しちゃまずい気がする。ただでさえ精霊の繭だった白い石を破壊しちゃってんだから。父さんに取り成してくれたアルフォンス兄さんとステラ姉さんに感謝しなくちゃ。
「破壊なんかして大事にしたくないの。今日は西館の温室に行くよ」
【温室ですか? さぞ緑が溢れているんでしょうね】
【温室か。つまらん】
顔を明るくしたヒスイとは対照的に、コクヨウは興味なさげにため息をつく。
「そう言わないでよ。皆のご褒美のためなんだから」
俺はコクヨウを撫でつつ、苦笑した。
それは数時間前の出来事である。
朝食が終わると、父さんから政務室に呼ばれた。
広々とした部屋には大きな窓が付いており、その前には重厚感たっぷりの机と椅子があった。部屋の一部には応接ソファのセットがあるし、まるで社長室みたいだ。
「薬草の栽培の研究……ですか?」
俺はふかふかしたソファに腰かけながら、目をぱちくりさせる。
向かい側に座る父さんは、優しく微笑んで頷いた。
「そうだ。フィルにそれを頼みたい」
初めて政務室に呼ばれたから何かと思ったら、薬草栽培の研究? 思ってもみなかった内容だ。
「ダグラス」
父さんが合図すると、王の傍に立っていた宰相のダグラス・サーマスが俺に書類を渡してくれた。
「これが資料になります」
「ありがとう」
お礼を言って、ざっと資料に目を通す。
内容は、隣のドラーギ国から輸入されている薬草についてだった。ここ数年、年を追うごとに価格が高騰している。抗生物質がないこの世界では、薬草で作る薬は大変貴重だ。
ドラーギ国は「この頃、薬草が採れなくなった」と言ってきているみたいだが……怪しいな。
俺は顎に手を当て、うーんと唸った。
異常気象があったわけでもないのに、急に採れなくなったというのはおかしい。
ドラーギ国は数年前に国王が代替わりしたが、その時期から高騰し始めているな。やはり人為的ってことか。
病気が流行し出した時期に一番高騰しているのも、そういうことだろう。
必要なものだから、足元を見ているんだ。通年で採れる薬草だし、ストックはあるはずなのに。
心の中で舌打ちする。
一見ただの貿易のようだが、ドラーギ国はとんでもないことをしている。
流行病が蔓延した国では、薬がなければ国民は命の危険にさらされる。薬が高騰していても買わざるを得ない。
うちの国は小さいながらも資源に恵まれて財政的にも豊かなのでどうにかなっているが、貧しい国は手に入れられなくて大変なことだろう。
いや……数年で五倍近い値段になっていることを考えれば、うちの国もそろそろ対策を考えなければマズイかもしれない。
唇を噛みながら、最後のページを読む。「へぇ」と思わず声が出た。
そこには対策が書かれていた。
どうやらうちの国の一部で、ドラーギ国より優れた効能をもつ薬草が見つかったらしい。だがその薬草があるのは山の中流にある川辺で、採取には危険が伴うのだとか。
資料を読み終えてダグラス宰相に返すと、俺は父さんとダグラス宰相を交互に見て言った。
「事情はわかりました。つまりはこの薬草の栽培を成功させれば、ドラーギ国の薬草の高騰を抑制できるってことですね」
父さんが微笑む一方で、ダグラス宰相はごくりと息を呑んでから頷いた。
「そのとおり。薬は必要なものです。ドラーギ国はこちらに薬草がないと思って高騰させているのでしょうから。我が国が買わなくなれば、値段も抑えざるを得ないと思います」
「うちの国にだけ、価格をつり上げているわけじゃないでしょうから、近隣の国のことを思えばいい考えだと思います。成功してできた薬を安価で提供すれば、外交にもプラスになりますし」
俺の言葉を聞いて、ダグラス宰相が赤べこのように首を振る。
「ええ、ええ、そのとおりです」
「しかし、何で僕なんですか? 研究員もいるでしょうし、兄さまや姉さまだって。僕が選ばれる理由がわからないんですが」
俺は腕を組んで首を傾げる。
前世だって薬草に詳しくなかったし、こっちの薬草のことなんて、もっとわからない。精神は幼児じゃなくても、この辺りは役に立てるかわからなかった。
すると、父さんはいたずらっぽい目をして口を開いた。
「先日、精霊を使役しただろう。精霊は自然を司っている。薬草の栽培は我が国初の試み。研究が行き詰まっていてな。どんな力にもすがりたいところなのだ」
なるほど。精霊がいるからか。確かにそれは一理あるかもしれない。
でも……それはつまり、薬草栽培の担当になるってことだろ? すでに新作グルメ&スイーツ名産担当になってしまっているしなぁ。
ヒスイのこともあってもはやトラブルメイカーな俺は、これ以上目立ちたくないんだけど……。
俺はうーんと唸ったまま固まる。
責任ある役は嫌だ。この世界でのんびり過ごすつもりが、今のところやれているのは部屋でプリン食べるくらいだもんなぁ。乗り気になんてなれるはずがない。
けど薬草確保が重要なのはよくわかる。父さんが、精霊と契約した俺に白羽の矢を立てたのも。
「あ、そうだ。なら薬草担当になる代わりに、お願いがあるのですが」
「お願い?」
父さんは眉をピクリとさせた。
表情が変わってドキリとする。俺は父さんの機嫌を窺いながら、おそるおそる言った。
「あの~、外出許可をいただけませんか?」
「外出許可を?」
意外なことだったようで、眉根を戻す。
怖い表情が消えたと思った俺は、手を合わせてお願いする。
「お忍びでお出かけしてみたいんですっ!! 街や森に行って遊べたらいいなって。コクヨウが退屈そうにしていますし、ヒスイも自然を満喫したいと言っています」
「ふむ……」
顎に手をやり父さんは考える。それから少し間を置いて微笑んだ。
「いいだろう。研究の成果次第で、外出許可を出すことにする」
俺はパァッと笑顔になった。
◇ ◇ ◇
【フィル、いいのか? 命に関わるかもしれぬぞ?】
低い声で言うと、コクヨウが近づいてきて俺の顔を覗く。
命か……。まったく躊躇しないと言ったら嘘になるが……でも。
「元はといえば、ご先祖様がやっちゃったことだもん。悪気がなかったとしてもね。僕が力を与えることで助かるなら、この子を助けたい」
そう言うと、コクヨウはクックッと体を震わせて笑った。
【やはりお前は面白い。わかった。ならば我の力も貸そう】
コクヨウは俺の肩に自分の足をそっと乗せる。触れられた部分がポカポカして、顔が紅潮してくる。コクヨウが足を外しても、その熱は俺の体の隅々まで巡った。
目を閉じる。両手に意識を集中させながら、体に流れるこの熱を繭へと流すイメージ。肩から腕、手のひらから指先……触れた部分を起点に、繭が少しずつ温かくなっていく。
少女はふわりと俺の横に立つと、繭の中に姿を消した。
繭の熱が鼓動みたいにジンジンしている。それに呼応するように内から発光してきた。
表面には薄く亀裂が入り、それはどんどん広がっていく。まるで孵化する前の卵みたいだ。
「わぁ……すごいな」
思わず声が漏れる。
「フィル!?」
突然背後から名前を呼ばれて、反射的にビクッとした。振り返ると、ステラ姉さんとアルフォンス兄さんが立っている。
幽霊を見に行った俺を心配して、来てくれたのか。一人では幽霊が怖いから、ステラ姉さんがアルフォンス兄さんも連れてきた、といったところかもしれない。
「フィル、いったい何をやって……」
ステラ姉さんにしては珍しいくらいに動揺した声を出す。その声を聞いて、自分の今の状況を顧みた。
塔の記念とされている白い石は発光し、全体的にヒビ割れ、俺はそれに触れて何やら念を送っている……。
なーっ! やばいとこ見つかったっ! 明らかに俺、怪しいっ!!
「あ、あの、これには事情が……。説明すると長くなるんですが、悪いことをしているわけではなくて」
焦って言い訳をするも、繭から手を離すことはできなかった。そんなことをして繭に影響が出てはいけない。
動けないままワタワタしていると、アルフォンス兄さん達がゆっくり部屋に入ってくる。
「わかった。とりあえず、長くてもいいから説明してくれるかい?」
俺を落ち着かせようとして、ゆっくり優しく話しかけてくる。
頷きたい。頷きたいけど……。
俺は困ってしまい、繭とアルフォンス兄さんらを交互に見た。
繭のヒビ割れはもう大きなものになり、発光もどんどん強くなっている。
これ、割れるのか? どうなるんだ? 割れたら精霊が出てくるのか?
先が読めないだけにどうしたものかと迷ってしまう。
そんな俺の逡巡などお構いなしに、繭の変化は進行した。
繭と俺を取り囲むように、風の輪ができる。それはだんだん激しくなり、ゴーゴーという音が耳に響く。まるで小さな竜巻の中にいるみたいだ。
コクヨウとアルフォンス兄さん達は、一歩引いて様子を窺っている。
パァァァンッ! とガラスの割れるような音が辺りに響いた。繭が弾けたのだ。
手が自由になり、咄嗟に腕で顔を覆う。
風がだんだん弱くなると、コクヨウが傍にやってきた。俺はおそるおそる腕を下ろす。
目の前には女の子が立っていた。だが、さっきの十歳くらいの少女ではない。十七か十八歳くらいだろうか。ライトグリーンの髪と瞳は変わらないが、背が伸びて胸は豊か、顔つきもずいぶん大人びている。
さきほど着ていたシンプルなワンピースは、ローマの女神像のような服になっていた。シフォンのような柔らかな布は、ヒラヒラと優雅に揺れている。
「ステラ!」
後ろでアルフォンス兄さんが驚きの声を上げる。振り返るとステラ姉さんが顔を真っ青にして、アルフォンス兄さんに支えられていた。
今度は全然透けてないから、幽霊に見えないんだけどな。
「ステラ姉さま、この人は幽霊じゃないですよ」
「え?」
俺が言うが早いか、ステラ姉さんが顔を上げた。
「さきほどは説明できませんでしたが、この石は精霊の繭だったんです。この城の結界石によって弱っていたので、僕が羽化を手伝っていました」
「精霊? 確かに昔は精霊がいたと聞いたことはあるが、今は小さな妖精ばかりだと……」
信じられないと言うように、アルフォンス兄さんが精霊を見る。ステラ姉さんも同様だ。
「なぜ、これが繭だと?」
「不思議なんですけど、精霊と会話ができたんです。事情を聞いたら自分は幽霊じゃないし、これは精霊の繭だって」
肩をすくめて、さきほどまで繭が載せられていた台座に視線をやる。白い石の結晶の破片が、辺りに散らばっていた。
「精霊の言葉がわかるのですか?」
ステラ姉さんは小さく息を呑む。
「はい。それで助けることにしたんです。僕の力を分け与えて。ね?」
俺が精霊に聞くと、にっこり微笑む。
【はい、助けてくれてありがとうございます。ご主人様】
そう言ってスカートの裾をつまむと、お姫様のようにお辞儀をした。とても優雅に。
「……んん?」
今……精霊、何て言った?
俺に向かって、「ご主人様」とか言わなかったか?
助けたから? いやいや、それにしたって、ご主人様はおかしいだろう。
頭の中でハテナが浮かぶ。
そりゃあ、前世の頃はこんなアイドルみたいな可愛い女の子が、俺の名前を呼んで微笑んでくれる妄想はしたことあるよ。だって、男の子だものっ!! だが、ご主人様はさすがにないっ。本当です! 誓って。
いや……まさか俺、深層心理でこんな願望あるとか?
ひとつの可能性に思い至り、思わずゴクリと息を呑む。
「どうしたんだい? フィル」
アルフォンス兄さんが近寄ってきて、俺の頭を優しく撫でる。
純真無垢だと信じる弟がこんなこと考えているとは、露ほども思うまい。
「アルフォンス兄さま、えっと、あの……」
困った表情でアルフォンス兄さんを見上げた。
しかし、その俺の顔がアルフォンス兄さんの琴線に触れてしまったらしい。
はわはわと口元を震わせて、抱きしめようと両手をこちらに向ける。
ぎゃー、変態くさいっ。アルフォンス兄さんは尊敬しているけど、時々ドン引くぞっ!
俺は危機感を覚えて、アルフォンス兄さんから一歩身を引く。
「兄様、時と場合をお考えください」
ステラ姉さんの低い声に、アルフォンス兄さんはハッとして咳払いをひとつする。改めて整えられた美少年の顔に、さきほどまでの変態の片鱗はない。
「精霊が何か言っているのかい?」
「精霊が……」
俺が呟くと、アルフォンス兄さんは膝立ちになって視線を合わせる。そして続きを促した。
「うん。精霊が?」
「僕を、ご主人様って……」
言いにくいのでモゴモゴしてしまう。
「ん? んん?」
さきほどの俺同様、アルフォンス兄さんの頭上にもハテナが浮かぶ。
「どういうことかしら?」
ステラ姉さんが精霊と俺を見比べる。それを見て精霊が体を屈め、俺を覗き込んだ。
【お二人が理解できるよう、人の言葉で話しましょうか?】
「そんなことできるの?」
【人の力を受けて羽化した精霊ですから】
精霊は俺に微笑むと、アルフォンス兄さん達に向かって会釈をした。
「ご主人様のご家族様、はじめまして」
わー、気のせいじゃなかった。やっぱりご主人様って言ってるよ。深層心理でも妄想でもなかったよ。
俺の聞こえ方に何も変わりはないのだが、精霊の言ったとおり、今度はアルフォンス兄さん達にも声が聞こえたようだ。二人は息を呑む。
「すごい……精霊の言っていることがわかるなんて」
アルフォンス兄さんは感動したように呟く。だが、すぐ気持ちを切り替えたのか、うーんと唸った。
「ご主人様って言ったね」
「おかしいですよね……」
ハハハと俺の口から乾いた笑いがこぼれる。
コクヨウは俺のことを呼び捨てにしたり、「お前」とか言ったりしてるからな。ご主人様呼ばわりに違和感がある。
王子って呼ばれるのだって、ぶっちゃけまだ馴れていないくらいだ。精神はまだ庶民なんだよな。
ステラ姉さんは唇に指先を当て少し考えてから、口を開いた。
「なぜ、フィルをご主人様と呼ぶのです?」
「ご主人様と契約したからです」
彼女はキョトンとしながら首を傾げる。何でそんなこと聞くのか、と不思議そうだ。
美少女のそうした姿はものすごく可愛いが、俺はそれどころではなかった。
「契約ぅぅ!?」
ビックリしすぎて声がひっくり返る。
どっ、どういうことだ。契約って召喚獣と交わすアレか? だって契約って、獣に名前を与えることで成立するんだろ? 俺、そんなことやった記憶ないんだけど。
頭を抱えながら記憶を呼び起こしていると、コクヨウは欠伸をかみ殺しながら言った。
【獣と精霊では契約の仕方が違うからな】
「えっ!」
コクヨウをバッと振り返る。
【だから聞いたのだ。『いいのか』と】
いや、そういう意味だと思わないじゃん。
俺はパニクる気持ちを落ち着かせながら、精霊を見上げて聞いた。
「精霊の契約の仕方って?」
「精霊は成熟するために繭になります。百年の眠りにつき、自然の力を取り入れて成熟するのです。そして羽化するのですが、その際に自然の力ではなく人の力を取り入れて羽化すると、その者との契約が成立するんですわ」
受付嬢のごとくスラスラと説明し、最後ににっこり微笑む。
俺は膝から崩れ落ちた。アルフォンス兄さんが何か言ってるが、立てません。精神的ショックで。
まんま正統な契約しちゃってんじゃん。
「それが契約方法なんですね。フィルは助けるためとはいえ、契約してしまったと。ですが、精霊と契約できるなんて知りませんでしたわ」
ステラ姉さんは感心と興味が混ざったような声色で言う。精霊はくすりと笑った。
「知らないのも仕方ありません。精霊自体珍しいですし、繭になったら百年も眠りについているので人の寿命とタイミングが合いませんから。羽化に必要な力も膨大です。人にとってはかなりの消耗ですので、力尽きて人間のほうが死んでしまう可能性もあります」
精霊の言葉は、未だショックから立ち直れていない俺を、さらに愕然とさせる。
……本当に死ぬとこだった。
コクヨウが言っていたが、俺、本当に命懸けだったのか。
ただご先祖様の行いを正そうとしただけなのに。人助け……いや精霊助けのつもりが、まさかの契約。
「これが契約だって、言ってなかったよね?」
涙目で精霊を見上げる。俺は土下座の体勢になっているが、そんなこと気にしていられない。
すると意外な答えが返ってきた。
「言いましたよ?」
「ええっ!?」
嘘だ。聞いた覚えなんかない。
「『あなたの僕として契約を、あなたの力を繭に』って」
あの、よく聞こえなかった時かっ! いや、でも、言葉足らないよっ! 詐欺だ。俺はまた詐欺に遭った。
肝心なことを言わないで、「もう時間がありません」って焦らせて契約させる詐欺と一緒だ。
「念のため聞くんだけど……クーリングオフというか、契約の取り消しは?」
おそるおそる聞いてみた。すると精霊は途端にその大きな瞳に、みるみる涙を浮かべる。
「できませんわ!」
ポロポロとこぼれる涙を見て、俺は慌てふためいた。
「ご、ごめんね! 泣かないで!」
何だこの状況。まるで喫茶店で別れ話してる恋人同士である。何でこうなった?
「ひどいですわ。精霊の契約は主の影響を多大に受けるもの。もうこの身は、ご主人様に作られたと言っても過言ではありません。あなた色に染めておいて、今さらお捨てになるなんてっ!」
わぁっ! と泣いて顔を覆う精霊に、今度は本当に土下座した。まあ、さっきからほぼ体勢変わってないけど。
「すみませんでしたっ! 二度と言いませんっ!」
人聞き悪いからもうやめてくださいっ!
俺が約束すると精霊も気が済んだのか、スンスンと鼻を鳴らして涙を拭う。俺はホッと息をついた。
あーそうか。さっき彼女の言った「人の力を受けて羽化した精霊だから」という意味をようやく理解した。
繭の時はどちらかというと無口キャラだったのに、今は喜怒哀楽がはっきりしている。
かすかに体が発光していたり、ふよふよと浮かんだりしていなければ、人間だと勘違いしてしまいそうだ。
俺が核となって彼女を羽化させたから、人に近くなったし、人と話せるようになったわけね。
「では、改めまして、ご主人様。私に名前を付けてくださいませ」
精霊は俺を立たせると、自分の服の裾を持って前に立つ。名前を付けてくれるのを待っているようだ。
あぁ……えー、名前か。髪や瞳がライトグリーンだしな……。
「ヒスイ」
翡翠は石だし、ちょうどいいだろう。コクヨウも黒曜石から取ったし。
名前を聞いて、彼女の顔がパッとほころぶ。
「ありがとうございます。私ヒスイ、永遠にご主人様のお傍に」
スカートの裾を広げ、深くお辞儀をする。その姿は物語の挿絵のように美しかった。
5
【ご主人様。つまり、私の力が必要ということなんですね?】
ふよふよと空中に浮かびながら、ヒスイは首を傾げる。
「必要かどうかは行ってみないとわかんないけど……。それより、まずご主人様ってのやめようよ。フィルでいいから。あと普段移動する時は、できれば空を飛ばないようにしてもらえると……」
俺が目をそらしながら注意すると、ヒスイは不満げな声を出した。
【えー、何でです? このほうが便利ですのに】
目に毒なんだよ。スカートからチラチラ見える生足が。
こちとら幼児なんだぞ。視界が低いんだ。目の前に常に生足って、どんな拷問だよ。
「ヒスイ、お願いだから」
俺がそう頼み込むと、ヒスイはふふふと笑って廊下に降りた。
【フィルは変わっていますね。契約した精霊にお願いだなんて。普通は命令して終わりですわ】
生足が見えなくなって少しホッとしながら、ヒスイを見上げる。
「命令し慣れてないんだよなぁ」
【ところで今日はどこに行くのだ? ついに結界石を破壊しに行くのか?】
コクヨウが俺の腕の中、振り返ってニヤリと笑う。すると、ヒスイも握りこぶしを作って頷いた。
【それは最高ですわ! あの忌々しい結界石っ! 破壊し尽くしても、し足りない!】
【そうか、気が合う。ならばやろう。うーむ、爪を研いでおくのだったな】
やる気満々な二人に、ため息をつく。
「今日は行きません。それに結界石見つけたとしても、破壊はしないからね?」
そもそも、城の探索にコクヨウを連れ出すための結界石探しだったんだけどなぁ。
それが今や、やる気にさせすぎて発見した途端、破壊しそう。
やはり平和すぎるせいだろうか。腕試しができなくて、コクヨウのストレスが溜まっているようだ。今日なんかプリンとシャーベット交互に食べていたからなぁ。虫歯やストレス太りにならなきゃいいが。
【何でです? あの石のせいで、私消えそうになったんですよ!】
ヒスイは口をぷぅっと膨らませ、拗ねた目をして訴える。
確かにヒスイの気持ちはわかるんだけど、城の礎になっている結界石は壊しちゃまずい気がする。ただでさえ精霊の繭だった白い石を破壊しちゃってんだから。父さんに取り成してくれたアルフォンス兄さんとステラ姉さんに感謝しなくちゃ。
「破壊なんかして大事にしたくないの。今日は西館の温室に行くよ」
【温室ですか? さぞ緑が溢れているんでしょうね】
【温室か。つまらん】
顔を明るくしたヒスイとは対照的に、コクヨウは興味なさげにため息をつく。
「そう言わないでよ。皆のご褒美のためなんだから」
俺はコクヨウを撫でつつ、苦笑した。
それは数時間前の出来事である。
朝食が終わると、父さんから政務室に呼ばれた。
広々とした部屋には大きな窓が付いており、その前には重厚感たっぷりの机と椅子があった。部屋の一部には応接ソファのセットがあるし、まるで社長室みたいだ。
「薬草の栽培の研究……ですか?」
俺はふかふかしたソファに腰かけながら、目をぱちくりさせる。
向かい側に座る父さんは、優しく微笑んで頷いた。
「そうだ。フィルにそれを頼みたい」
初めて政務室に呼ばれたから何かと思ったら、薬草栽培の研究? 思ってもみなかった内容だ。
「ダグラス」
父さんが合図すると、王の傍に立っていた宰相のダグラス・サーマスが俺に書類を渡してくれた。
「これが資料になります」
「ありがとう」
お礼を言って、ざっと資料に目を通す。
内容は、隣のドラーギ国から輸入されている薬草についてだった。ここ数年、年を追うごとに価格が高騰している。抗生物質がないこの世界では、薬草で作る薬は大変貴重だ。
ドラーギ国は「この頃、薬草が採れなくなった」と言ってきているみたいだが……怪しいな。
俺は顎に手を当て、うーんと唸った。
異常気象があったわけでもないのに、急に採れなくなったというのはおかしい。
ドラーギ国は数年前に国王が代替わりしたが、その時期から高騰し始めているな。やはり人為的ってことか。
病気が流行し出した時期に一番高騰しているのも、そういうことだろう。
必要なものだから、足元を見ているんだ。通年で採れる薬草だし、ストックはあるはずなのに。
心の中で舌打ちする。
一見ただの貿易のようだが、ドラーギ国はとんでもないことをしている。
流行病が蔓延した国では、薬がなければ国民は命の危険にさらされる。薬が高騰していても買わざるを得ない。
うちの国は小さいながらも資源に恵まれて財政的にも豊かなのでどうにかなっているが、貧しい国は手に入れられなくて大変なことだろう。
いや……数年で五倍近い値段になっていることを考えれば、うちの国もそろそろ対策を考えなければマズイかもしれない。
唇を噛みながら、最後のページを読む。「へぇ」と思わず声が出た。
そこには対策が書かれていた。
どうやらうちの国の一部で、ドラーギ国より優れた効能をもつ薬草が見つかったらしい。だがその薬草があるのは山の中流にある川辺で、採取には危険が伴うのだとか。
資料を読み終えてダグラス宰相に返すと、俺は父さんとダグラス宰相を交互に見て言った。
「事情はわかりました。つまりはこの薬草の栽培を成功させれば、ドラーギ国の薬草の高騰を抑制できるってことですね」
父さんが微笑む一方で、ダグラス宰相はごくりと息を呑んでから頷いた。
「そのとおり。薬は必要なものです。ドラーギ国はこちらに薬草がないと思って高騰させているのでしょうから。我が国が買わなくなれば、値段も抑えざるを得ないと思います」
「うちの国にだけ、価格をつり上げているわけじゃないでしょうから、近隣の国のことを思えばいい考えだと思います。成功してできた薬を安価で提供すれば、外交にもプラスになりますし」
俺の言葉を聞いて、ダグラス宰相が赤べこのように首を振る。
「ええ、ええ、そのとおりです」
「しかし、何で僕なんですか? 研究員もいるでしょうし、兄さまや姉さまだって。僕が選ばれる理由がわからないんですが」
俺は腕を組んで首を傾げる。
前世だって薬草に詳しくなかったし、こっちの薬草のことなんて、もっとわからない。精神は幼児じゃなくても、この辺りは役に立てるかわからなかった。
すると、父さんはいたずらっぽい目をして口を開いた。
「先日、精霊を使役しただろう。精霊は自然を司っている。薬草の栽培は我が国初の試み。研究が行き詰まっていてな。どんな力にもすがりたいところなのだ」
なるほど。精霊がいるからか。確かにそれは一理あるかもしれない。
でも……それはつまり、薬草栽培の担当になるってことだろ? すでに新作グルメ&スイーツ名産担当になってしまっているしなぁ。
ヒスイのこともあってもはやトラブルメイカーな俺は、これ以上目立ちたくないんだけど……。
俺はうーんと唸ったまま固まる。
責任ある役は嫌だ。この世界でのんびり過ごすつもりが、今のところやれているのは部屋でプリン食べるくらいだもんなぁ。乗り気になんてなれるはずがない。
けど薬草確保が重要なのはよくわかる。父さんが、精霊と契約した俺に白羽の矢を立てたのも。
「あ、そうだ。なら薬草担当になる代わりに、お願いがあるのですが」
「お願い?」
父さんは眉をピクリとさせた。
表情が変わってドキリとする。俺は父さんの機嫌を窺いながら、おそるおそる言った。
「あの~、外出許可をいただけませんか?」
「外出許可を?」
意外なことだったようで、眉根を戻す。
怖い表情が消えたと思った俺は、手を合わせてお願いする。
「お忍びでお出かけしてみたいんですっ!! 街や森に行って遊べたらいいなって。コクヨウが退屈そうにしていますし、ヒスイも自然を満喫したいと言っています」
「ふむ……」
顎に手をやり父さんは考える。それから少し間を置いて微笑んだ。
「いいだろう。研究の成果次第で、外出許可を出すことにする」
俺はパァッと笑顔になった。
◇ ◇ ◇
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