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3巻
3-2
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まずリカー子爵は婿養子である。ということは、次期子爵としての正統性は後妻との間の子よりもアナンにある。
またリカー子爵は自身の子を売っただけでなく、子供を売買していた男と深い繋がりがあった。他にも叩けば埃の出ることをしていたようで、父であるリカー子爵はすぐに捕まり、一生牢の中。
調査するうちに、後妻がアナンとカナンの母を殺した疑惑も持ち上がったらしいが、リカー子爵が捕まると、後妻は子供と一緒に逃げたという。
一連の不祥事でリカー子爵家の名に多少傷は残ったものの、無事にアナンが子爵を引き継ぐこととなった。
領地や屋敷などは取り上げとなり、リカー子爵の資産は起きた事件の賠償金支払いのためほとんど残らないらしいが、借金はなさそうで、そこだけは幸運だっただろう。
アナンに残ったのはリカー子爵という貴族身分の爵位、そしてカナンだけ。でも二人は、二人が一緒にいることができるなら、それで良いと言っている。
だから、私は二人が私の家に住めるようパパや兄たちにお願いをした。
また人間を拾うのか、そんな顔を兄たちはしていたけれど、出世払いなんだよ、二人で働いて帰してもらうんだよと力説しておいた。そう言わなくても了承してくれた気はしたけれど。
そう、アナンとカナンは無償で食事を貰えるわけではない。それは二人にも説明をしている。しばらく私の家に住んでいい。けれど将来どうしたいのかは自分たちで考えてほしい。
二人は名ばかりとはいえ貴族である。だから勉強をして学校へ行って、新しく事業を始めることもできるし、アナンがもし剣術に興味があるなら騎士にだってなれる。まだ若いのだから、できることはたくさんあるのだ。それを自分の力で見つけて、頑張って、そして将来稼げるようになったら、ここで暮らした分のお金を返してくれたらいい。
二人はそれに納得している。しっかり働いて、いつか必ず返すと。それにアナンはすでに何をやるのか見つけているみたいだ。もう少ししっかりと考えてから話すと言っていた。
それから二人の傷が治る件だが、これは天恵らしい。しかも驚くことに、ネロが同じ天恵だった。
ネロはなぜか歳を取らないのだが、それも関係あるのかと聞くと、それはまた違った理由だという。
とにかく傷が治る天恵は、今までにも何人かいたらしく、天恵というものの存在自体知らなかったアナンとカナンは、理由が分かって少し安心していた。
一つ気になる点といえば、アナンの妹カナンの私を見る目が、何か含んでいる気がする。
どこか崇拝しているような、神格化しているような。うん、気のせいにしておこう。
そんな感じで、私の家は賑やかになった。
ああ、それと、カロディー家のレンブロンだけれど、泣きながらユフィーナに抱きついていた。
うん、レンブロンよ、君はほとんど寝ていたでしょう。どこに泣くほどの要素があったんだ。まさかキレキレだったシオンが怖かったなどと言うまいな。
元長女と元次女がせっかくいなくなったのに、カロディー家の将来がなぜか不安になった。
第二章 末っ子妹と多様な兄たちの日常
エメルやカイルも夏休みでダルディエ領へ帰ってきて、いつものように賑やかな夏を過ごしていたある日の午前中。
私は庭の、生垣でできている迷路に足を踏み入れていた。この迷路は迷子になるので一人では入らないのだが、入口付近ならまだ迷わないため例外だ。それに、一人というと語弊はある。実は私のことを隠れて見ている人たちがいるからだ。
「駄目です、アルト様。私、まだ仕事が残っていて」
「君はひどいな。目の前に俺がいるのに、仕事の方が気になるなんて」
アルトは右手で女性使用人の腰を引き、左手は使用人の手を取り指先にキスをしている。使用人はトロトロにとろけた瞳をアルトに向けている。まったく嫌がっていない。
私は今、アルトが女の子を口説いているところを、顔だけ半分生垣から出して見ていた。完全に盗み見である。でも問題はない。
本来であればこういう覗きはどうかと思うが、兄なのでまったく罪悪感がない上に、小説やドラマでも見ているようで面白い。
あともう少しで二人がキスしようかというところで、私が手で支えていた枝が折れる音がした。
「あ」
音に反応した使用人とアルトがこちらを見る。
アルトは私を見てもまったく慌てもしないが、私に気づいた使用人は、顔を真っ赤にした後で器用に青くなった。
「お、お、お嬢様! わ、私! もう仕事に戻ります!」
「あ、そっちは迷路の奥……」
慌てすぎて迷路の奥へ行こうとする使用人に声をかけると、使用人は脱兎のごとく戻ってきて迷路の入り口へ引き返した。私の後ろを通ったあと、小さな悲鳴が聞こえたので、私の後ろに隠れていた人たちにも会ったのだろう。
(あー、可哀想に)
少し不憫に思っていると、私の頭上に影が差した。見上げると、アルトがやってくれたな、という表情で私を抱え上げた。やはりこれは私のせいなのだろうか。
「隠れていないで、出てきたら?」
私の後ろに声をかけるとニヤけた顔のバルトと、しれっとした顔のシオンが出てきた。
「せっかく楽しんでいたのに。ミリィを使って邪魔するなんてひどいだろ」
「だって俺もやられたんだもん。アルトばかり楽しんじゃ、ずるいだろ」
まったく悪びれもせずバルトは言う。
「バルトはミリィが邪魔したんじゃないもん。ナナを追いかけていたら、温室でバルトがキスしていただけだもん。あんなところで遊んでいたバルトが悪いの。温室はママもよく行くのに」
「あー、なるほどね。で? シオンがいるのは何で」
「俺はさっきバルトに、面白いものが見られるから来いって誘われただけだ」
アルトがバルトを見る。互いに笑って済ませているが、アルトの覚えてろよ、という声が聞こえる気がする。
「二人共、遊ぶのはいいけれど、ミリィの侍女は駄目だからね?」
「んー?」
「ごまかさないで。ミリィの侍女に優しくするのはいいけれど、手は出しちゃ駄目」
私の侍女は、結婚適齢期前の花嫁修業目的で入っている娘が多い。
だから数年に一度は侍女が入れ替わるのだが、身許がはっきりしていることはもちろん、下級貴族か平民でも上流階級の良家の子女ばかりである。
良いところのお嬢さんであるため、男性に免疫が少なく、双子なんかに迫られたらあっという間に転がり落ちるだろう。自由恋愛は結構だが、だいたいは婚約している子も多いため大問題になりかねない。
ダルディエ公爵家だったら安心、と思って娘を侍女にしたのに、その兄に恋をして肝心の婚約者を放りだしてしまえば目も当てられない。
だから私の侍女だけは、兄の毒牙から守らなければ。
双子は普段からかなりモテるようで、恋愛小説が好きな私が、双子にそういう話を聞きたいと言えば、恥ずかしがりもせずに教えてくれる。それを聞く限り、双子は恋愛についても自由奔放のようだった。
「ミリィの侍女、みんな可愛いのに」
「それでも駄目なの!」
「えー? じゃあ他ならいいの? 他の使用人は?」
「さっきの子とか? 無理やりでないのなら、いいと思うわ。お互い合意の上でしょう」
双子のことだ、私の侍女についてはああ言ったが、基本的には本気になりそうな子には手を出さないだろう。あくまでも遊びととらえることのできる子を選んでいる節がある。
双子もその相手も、お互いが遊びと割り切っていて、その場限りの恋愛を楽しんでいるだけならば、私がどうこう言う権利はない。
「そういうところ、うちのミリィは大人だなぁ」
そう言いながらも、頬にキスをしてくるアルトは、私を子供扱いしていると思う。
「俺は口出す気はないけれど、ディアルドやジュードに露見しないようにしろよ。特に、ミリィを巻き込んでいると知られたら、ただの説教じゃすまないぞ」
シオンの言葉に、双子は面倒そうに「ああ、うん」と答えた。上の兄二人の説教を想像したのだろう。
そんな双子の遊び事情を垣間見つつ、夏休みはあっという間に過ぎていった。
秋になり、テイラー学園に通うシオン、双子、エメル、カイルの兄たちが帝都へ戻った。
そんな中、私はアナンとカナンの兄妹から二人のやりたいことを聞いて驚いた。
アナンは将来的に私の護衛騎士をしたいという。そのために体を鍛えたいとのことだった。
カナンは私の侍女になりたいという。だから今から侍女になるための技術を学びたいという。
どうして二人共、私に関わる仕事をしたいのだろうか。もし私が先日の事件で助けたからと思っているのなら、そこまで恩義を感じる必要はないのに。実際に二人を助けたのは兄たちなのだから。
けれど、アナンはあの時助けられたことで、力を付ければ誰かを助けられることに魅力を感じたというのだ。それにどうやら影のネロにも興味があるらしい。
妹のカナンは次兄のエナンが殺されたことで、もう一人の兄アナンまでいなくなるのが怖かった。しかしアナンを助けた私のことをとにかく感謝しているから、「一生かけて私を捧げます!」と異様な視線で言われた。
私の謂れのない不安をどうしてくれよう。私が助けたのではないと言っているのに、カナンにはまったく通じないらしい。
しかし、二人の希望はできるだけ協力してあげたい。
相談しようと思ってディアルドの執務室を訪ねるとパパもいたので、二人にまとめて相談した。私は応接セットのディアルドの隣に座る。
「アナンはミリィの護衛騎士になりたくて、カナンはミリィの侍女になりたいって言っているの。だから、うちでそういう技術を身に付けられる方法があればなって、相談に来たの」
「護衛騎士と侍女か。……そういうことなら、方法はいくつかある。うちで学べることも多いと思うから、二人とは俺が具体的に話してみるよ」
「ありがとう、ディアルド! うちで護衛騎士や侍女の技術を身に付けられたら、他の場所でも仕事は見つけられるよね?」
「それはそうだね。でも、二人は他の場所ではなくて、ミリィの傍で働くことを希望してるんだったよね?」
「うん、そうなんだけど、将来的にはミリィの傍以外でも働ける幅があるほうがいいでしょう? でも、どうしてミリィに関係する仕事がいいのかな? 二人を助けたのはお兄様たちなのだから、お兄様たちに恩義を感じるなら分かるんだけど」
首を傾げていると、ディアルドは隣に座る私を膝に乗せた。
「直接的に二人を助けたのはそうかもしれないけれど、たった二人の兄妹が離れずに暮らせるのはミリィが働きかけたからだよ。二人の傷が治る天恵も怖がらずに接してくれたミリィに、救われたのもあるのかもしれないね」
「……そうなのかな?」
「二人には二人の考えと思いがあるから正確には分からないけどね。ただ、二人がミリィの傍で働きたいと言っていて、ミリィは協力したいということなら、とりあえずミリィの傍で働くことを前提に技術を身に付ける方向でいいと思うよ」
「うん」
そこで決定した事項は、アナンはまずダルディエ公爵家直属の護衛騎士に預けることとなった。ダルディエ邸の敷地内に護衛用の訓練場があり、そこの護衛長に鍛えてもらうのである。また、その訓練の合間にネロから影の技術も学ぶこととなった。
それからカナンは家政婦長から色々と教えてもらうことになった。侍女になる前に、使用人の仕事を一通り教える必要があると聞いているので、大変なのだと思う。うちの家政婦長、何気に怖いしね。私は怒られたことはないけれど、小さいときの双子なんか、いたずらしてよく睨まれていた。怒られたって、双子はまったく気にも留めていなかったけれど。
それから、もう一つ。アナンとカナンは、私の家庭教師のおじいちゃんから勉強も教えてもらうことになった。アナンはこれには嫌な顔をしていたけれど、パパとディアルドの話では、いずれ私がテイラー学園に行く時に、一緒に入学することを想定しているようだった。
アナンとカナン、実は私と年齢が一緒だったらしい。
学園へ通う時に、気心知れる人が近くにいてくれるなら私も助かる。
そんなこんなで色々と決まったので、アナンもカナンも毎日忙しそうにしている。けれど表情は明るい。私も二人の成長が楽しみである。
◆ ◆ ◆
雪のちらつくダルディエ領の冬、私は騎士団で馬に乗る練習をしていた。
練習は順調で、誰かと一緒に乗らなくても一人で乗れるようにはなった。ただし、馬を人が引いてくれればであるが。一人で乗り込んだ馬を、ついてきてくれた騎士に引いてもらう。
本当は人に引いてもらわずとも一人で馬を進めたいのだが、馬は私が一人だとなぜか前に進まず、私を振り返ってじーっと見てくるのである。
「前を向いて進んで!」と言ってみても、じーっと私から視線を外さない。私がそんなに気になるのだろうか。これもたぶん動物遣いの天恵のせいだと思う。
その点、一角なんかは私を見ないで動いてくれるけれど、私が一角に一人で乗るのは兄たちが嫌がるので、まだほとんど挑戦していない。
一度だけ、シオンに見守られながら、私が孵した一角の子供たちの背に乗ったことがある。大人の一角よりはまだ小さいし乗りやすいだろうと思ったのだが、子供たちは私が乗ると、みんな大興奮で変な動きをするので、すぐに気持ち悪くなってしまって乗るのを止めてしまった。
まあこの調子なら、もう少し頑張れば一人で颯爽と馬に乗れる日もやってくるだろう。練習あるのみだ。
最近は体力をつけるための走る時間も少し長くなった。私自身、体力がついてきている感覚がある。少し走ったくらいでは疲れなくなったので、体幹を鍛えるだけでなく、筋トレもメニューに入れた。やりすぎるとやはり熱が出たりするので、もちろん注意が必要だが。
そうこうしているうちに春が近づき、社交シーズンのために帝都へ移動した。
少年の恰好をし、金髪のカツラを装着して、テイラー学園へ向かう。見学の申込みをしていると、呼び出された双子がやってきた。
「ルカ。いらっしゃい。次は剣術だから、すぐに場所移動なんだ」
少年の恰好の時はルカ呼びだと心得ている兄たちは、何も言わずともこう呼んでくれる。バルトが私を抱えると、双子は大股で歩き出す。
見学者には普通、誰か学園の職員が案内役として付くものだが、私の場合、いつも兄たちの誰かが付くのが分かっているので、職員は手を振るだけだった。
剣術の訓練場は、見事に男子ばかりであった。双子の学年は女子もいるので、見学席に令嬢が座っている。講義を入れていない者は、自由に見学ができるらしい。
私も見学席で見学していると、その横で令嬢たちが男子の訓練をすごく熱心に見ていた。
その視線の先はどう見ても双子である。一応貴族令嬢たちなので、お上品な表情は保っているものの、熱い視線は色を含んでいるし、扇子の下は絶対ニヤけているだろう。見えないけれど、そんな気がする。
北部騎士団で鍛えている双子の剣筋は洗練されている。テイラー学園へ通う学生の中には、将来騎士を目指している人もいるので、幼いころから訓練をしている人も少なくないのだが、その中でも際立っているのが双子である。
ダルディエ公爵家の兄たちの中で、一番戦闘技術に長けているのは間違いなくシオンであろうが、双子も昔から意外と血気盛んで、戦闘力が高いのである。
途中から対戦形式に移行したらしい。広い訓練場で三ヶ所に分かれ、それぞれの輪の中で一対一の練習試合のようなことを始めた。集中すればいいのに、双子は誰かが対戦している間、見学している令嬢に向かって手を振っているものだから、それを睨んでいる男子がいる。
なんだろう、見学している令嬢の中に、その男子の思い人でもいるのだろうか。双子を睨んだところで、二人はそういったものを意に介さないので無駄なのだが。
結局、その男子は運が良いのか悪いのかバルトと対戦し、負けていた。もっと頑張れと言うしかない。
剣術の時間の後は昼食のため、双子と食堂へ向かった。
何が食べたいか聞かれたが、私はそんなにお腹が空いていないので、パンとサラダとデザートをお願いした。
双子に左右を挟まれて食事をしていると、令嬢がどんどんと同じテーブルに集まってくる。
どこでも女の子に囲まれるのだなと思いながら、アルトの食べている鶏肉の香草焼きが意外と美味しそうで見ていると、アルトがあーんと差し出してくれた。
うん、ここの食堂は種類は多くないが、味付けはいい。
デザートも美味しくいただいたところで、食堂を出ようとすると、エメル、カイルとソロソに会った。
「ミ、……ルカ。今日は見学だったの?」
カイルが一瞬間違えたが、名前を軌道修正。よしよし。
「そうだよ。アルトとバルトの講義に交じろうと思って」
「そうなんだ。こっちに来ればいいのに」
カイルの言葉にエメルも頷く。双子を見ると、アルトが繋いでいた手を離した。
「いいよ、行っておいで」
「うん」
双子に手を振り、カイルとエメルの手を握った。
「講義の先生に許可を貰ってくれる?」
「もちろん」
エメルとカイルは二年生であるため、教室にいるのは男子のみである。共学となるのは四年生からなのだ。二人と一緒に講義を受けるのは初めてだったので、楽しみだ。
次の講義は数学だった。これなら私も得意だ。しかも受けてみるとただ単純な数学ではなく、自分が経営者になった場合を想定した上で、数名のグループを作って売上や効率を話し合ったりするものだった。面白い講義だった。
その後も一緒にいくつかの講義を受け、帰りはエメルとカイルと一緒にダルディエ邸へ戻ってきた。寮住まいの他の兄たちと違い、二人は通い組なのである。週末の休みに皇太子宮を訪ねることを約束し、カイルは帰っていった。
そして週末。約束通り皇太子宮に向かう前に街へ寄った。最近のお気に入りのお茶菓子を持って行こうと思ったのだ。神髪で出かけると目立つため、この日は少年服に金髪のカツラを装着していた。胡桃とチョコを使ったお菓子を入手し、馬車で皇太子宮へ向かった。
皇宮でいくつかの関門を抜け、いつも静かな皇太子宮の前で馬車は停まる。護衛と馬車には違う場所で待機してもらうようにお願いし、お菓子の袋を持って上機嫌で皇太子宮に入った。
ところが、いつも顔パスで通れる階段の前で騎士に止められてしまった。
「ここから上へは通れません」
「でも、いつも私は通っていいんだよ」
「以前がどうだったのかはともかく、本日は通れないんですよ」
騎士はがんとして譲らない。そういえば、あまり見かけない顔だ。
「本日はって、どういうこと? 約束してるんだよ」
「そのような話は聞いていない」
背の高い騎士に上から見られると、ものすごく怖い。
「で、でも、いつもは簡単に通してくれるのに」
「簡単に通すなと、そう言われている」
「……私を通すなと言われたの?」
そんなはずはない。いつでも来ていいとカイルは言っていたのだ。今回は約束もしている。
「そうです。あなたみたいに約束もなく、ここを勝手に通っていく人が多いもので」
そう言って、はじめから私が嘘をついている、とでも言わんばかりの目つきで上から下までを値踏みされ、鼻で笑われた。
もしかしたら、男装しているから気づいてもらえないのかもしれない。私が男装で皇太子宮へは来ることがあるが、それを知らない人なのかも。名前を告げれば、通れるはず。
「私はミリ――」
「約束のない人は通せないと言っている。しつこく食い下がっても無駄だから、早く去れ。こちらも暇ではない」
「……約束しているもん」
そのはずだ。朝からエメルも、今日来るんだよね、と聞いてきたから知っているはず。だから、カイルも認識しているのは間違いない。
でも、カイルは通って良いと言っているけれど、もしかしたら、警備上の問題があるとかで、私が簡単にここを通ることに騎士の間で反対している人がいるのかもしれない。
そうだとしたら、私の行動がカイルの迷惑になっているのかも。
じわじわじわと目頭が熱くなり、涙が盛り上がる。こんなことで泣きたくないのに、転生して子供っぽくなっているのか、感情が抑えられない。
こんなところで泣けば、この騎士に冷笑されるだけだ。そんなの悔しい。見られたくないのに。
気持ちに反し、涙が溢れそうになるのだった。
◆ ◆ ◆
エメルは書類の束を執務机に置いた。これからカイルが処理する必要のあるもので、年々数が増え、複雑になっている。だというのに目の前にいる人物はいつも涼しい顔で軽く処理するのだ。
平日は学園に行く必要があるため、どうしてもできる公務の量が減る。そのしわ寄せが週末にやってくるのだが、カイルはそれを軽々こなしている。今日の分も今置いた書類で最後だ。本当の休みに入れるのはもうすぐ。そう思いながら時計を確認する。
「遅いですね」
「何がだ」
「ミリィですよ。お茶の時間に来ると言っていたのですが」
本来であれば、今頃美味しそうにお菓子を食べるミリィが見られているはずなのに。
「もうそんな時間か」
この年齢ですでに少し仕事中毒気味のカイルは、時間の感覚に人とズレがある。集中しだすと食事さえ抜く傾向があるため、それらを補佐するのもエメルら側近の役目である。
「俺、お茶の用意をしてくるよ」
ソロソがいそいそと立ち上がった。彼にとってはミリィがやってくる時間が休憩の時間なので、待っていました! と言いたげな声音である。
「私は下を見てきます。カイル様は続きをしていてください」
「ああ」
部屋を出ると、廊下で皇太子宮担当の近衛騎士に会った。
「警備の交代ですか」
「はい」
「あれから不審な者は?」
「今のところは問題はないですね」
ここ皇太子宮のある区域は、出入りする時に何重もの門を通る必要がある。
少なくとも、誰とも分からない人間は入ってこられないのだが、先日、皇太子宮と同じ区域の宮殿に用事があった者が道に迷ったと、勝手に皇太子宮に入ってきたのである。もちろん警備の騎士に止められて何事もなく済んだのだが、こういったことがまたあると困るので、最近は警備を強化していた。
近衛騎士と一緒に玄関ホールへ続く階段を下りていると、階下にミリィがいた。階下の騎士と話をしている。
「ミリィ?」
「――エメル」
ギョッとした。騎士の前で茫然とする妹は、胸に袋を抱え大粒の涙を流しているのである。
慌てて階段を駆け下り、片膝をついた。
「どうしたのですか? 何で泣いているのですか?」
またリカー子爵は自身の子を売っただけでなく、子供を売買していた男と深い繋がりがあった。他にも叩けば埃の出ることをしていたようで、父であるリカー子爵はすぐに捕まり、一生牢の中。
調査するうちに、後妻がアナンとカナンの母を殺した疑惑も持ち上がったらしいが、リカー子爵が捕まると、後妻は子供と一緒に逃げたという。
一連の不祥事でリカー子爵家の名に多少傷は残ったものの、無事にアナンが子爵を引き継ぐこととなった。
領地や屋敷などは取り上げとなり、リカー子爵の資産は起きた事件の賠償金支払いのためほとんど残らないらしいが、借金はなさそうで、そこだけは幸運だっただろう。
アナンに残ったのはリカー子爵という貴族身分の爵位、そしてカナンだけ。でも二人は、二人が一緒にいることができるなら、それで良いと言っている。
だから、私は二人が私の家に住めるようパパや兄たちにお願いをした。
また人間を拾うのか、そんな顔を兄たちはしていたけれど、出世払いなんだよ、二人で働いて帰してもらうんだよと力説しておいた。そう言わなくても了承してくれた気はしたけれど。
そう、アナンとカナンは無償で食事を貰えるわけではない。それは二人にも説明をしている。しばらく私の家に住んでいい。けれど将来どうしたいのかは自分たちで考えてほしい。
二人は名ばかりとはいえ貴族である。だから勉強をして学校へ行って、新しく事業を始めることもできるし、アナンがもし剣術に興味があるなら騎士にだってなれる。まだ若いのだから、できることはたくさんあるのだ。それを自分の力で見つけて、頑張って、そして将来稼げるようになったら、ここで暮らした分のお金を返してくれたらいい。
二人はそれに納得している。しっかり働いて、いつか必ず返すと。それにアナンはすでに何をやるのか見つけているみたいだ。もう少ししっかりと考えてから話すと言っていた。
それから二人の傷が治る件だが、これは天恵らしい。しかも驚くことに、ネロが同じ天恵だった。
ネロはなぜか歳を取らないのだが、それも関係あるのかと聞くと、それはまた違った理由だという。
とにかく傷が治る天恵は、今までにも何人かいたらしく、天恵というものの存在自体知らなかったアナンとカナンは、理由が分かって少し安心していた。
一つ気になる点といえば、アナンの妹カナンの私を見る目が、何か含んでいる気がする。
どこか崇拝しているような、神格化しているような。うん、気のせいにしておこう。
そんな感じで、私の家は賑やかになった。
ああ、それと、カロディー家のレンブロンだけれど、泣きながらユフィーナに抱きついていた。
うん、レンブロンよ、君はほとんど寝ていたでしょう。どこに泣くほどの要素があったんだ。まさかキレキレだったシオンが怖かったなどと言うまいな。
元長女と元次女がせっかくいなくなったのに、カロディー家の将来がなぜか不安になった。
第二章 末っ子妹と多様な兄たちの日常
エメルやカイルも夏休みでダルディエ領へ帰ってきて、いつものように賑やかな夏を過ごしていたある日の午前中。
私は庭の、生垣でできている迷路に足を踏み入れていた。この迷路は迷子になるので一人では入らないのだが、入口付近ならまだ迷わないため例外だ。それに、一人というと語弊はある。実は私のことを隠れて見ている人たちがいるからだ。
「駄目です、アルト様。私、まだ仕事が残っていて」
「君はひどいな。目の前に俺がいるのに、仕事の方が気になるなんて」
アルトは右手で女性使用人の腰を引き、左手は使用人の手を取り指先にキスをしている。使用人はトロトロにとろけた瞳をアルトに向けている。まったく嫌がっていない。
私は今、アルトが女の子を口説いているところを、顔だけ半分生垣から出して見ていた。完全に盗み見である。でも問題はない。
本来であればこういう覗きはどうかと思うが、兄なのでまったく罪悪感がない上に、小説やドラマでも見ているようで面白い。
あともう少しで二人がキスしようかというところで、私が手で支えていた枝が折れる音がした。
「あ」
音に反応した使用人とアルトがこちらを見る。
アルトは私を見てもまったく慌てもしないが、私に気づいた使用人は、顔を真っ赤にした後で器用に青くなった。
「お、お、お嬢様! わ、私! もう仕事に戻ります!」
「あ、そっちは迷路の奥……」
慌てすぎて迷路の奥へ行こうとする使用人に声をかけると、使用人は脱兎のごとく戻ってきて迷路の入り口へ引き返した。私の後ろを通ったあと、小さな悲鳴が聞こえたので、私の後ろに隠れていた人たちにも会ったのだろう。
(あー、可哀想に)
少し不憫に思っていると、私の頭上に影が差した。見上げると、アルトがやってくれたな、という表情で私を抱え上げた。やはりこれは私のせいなのだろうか。
「隠れていないで、出てきたら?」
私の後ろに声をかけるとニヤけた顔のバルトと、しれっとした顔のシオンが出てきた。
「せっかく楽しんでいたのに。ミリィを使って邪魔するなんてひどいだろ」
「だって俺もやられたんだもん。アルトばかり楽しんじゃ、ずるいだろ」
まったく悪びれもせずバルトは言う。
「バルトはミリィが邪魔したんじゃないもん。ナナを追いかけていたら、温室でバルトがキスしていただけだもん。あんなところで遊んでいたバルトが悪いの。温室はママもよく行くのに」
「あー、なるほどね。で? シオンがいるのは何で」
「俺はさっきバルトに、面白いものが見られるから来いって誘われただけだ」
アルトがバルトを見る。互いに笑って済ませているが、アルトの覚えてろよ、という声が聞こえる気がする。
「二人共、遊ぶのはいいけれど、ミリィの侍女は駄目だからね?」
「んー?」
「ごまかさないで。ミリィの侍女に優しくするのはいいけれど、手は出しちゃ駄目」
私の侍女は、結婚適齢期前の花嫁修業目的で入っている娘が多い。
だから数年に一度は侍女が入れ替わるのだが、身許がはっきりしていることはもちろん、下級貴族か平民でも上流階級の良家の子女ばかりである。
良いところのお嬢さんであるため、男性に免疫が少なく、双子なんかに迫られたらあっという間に転がり落ちるだろう。自由恋愛は結構だが、だいたいは婚約している子も多いため大問題になりかねない。
ダルディエ公爵家だったら安心、と思って娘を侍女にしたのに、その兄に恋をして肝心の婚約者を放りだしてしまえば目も当てられない。
だから私の侍女だけは、兄の毒牙から守らなければ。
双子は普段からかなりモテるようで、恋愛小説が好きな私が、双子にそういう話を聞きたいと言えば、恥ずかしがりもせずに教えてくれる。それを聞く限り、双子は恋愛についても自由奔放のようだった。
「ミリィの侍女、みんな可愛いのに」
「それでも駄目なの!」
「えー? じゃあ他ならいいの? 他の使用人は?」
「さっきの子とか? 無理やりでないのなら、いいと思うわ。お互い合意の上でしょう」
双子のことだ、私の侍女についてはああ言ったが、基本的には本気になりそうな子には手を出さないだろう。あくまでも遊びととらえることのできる子を選んでいる節がある。
双子もその相手も、お互いが遊びと割り切っていて、その場限りの恋愛を楽しんでいるだけならば、私がどうこう言う権利はない。
「そういうところ、うちのミリィは大人だなぁ」
そう言いながらも、頬にキスをしてくるアルトは、私を子供扱いしていると思う。
「俺は口出す気はないけれど、ディアルドやジュードに露見しないようにしろよ。特に、ミリィを巻き込んでいると知られたら、ただの説教じゃすまないぞ」
シオンの言葉に、双子は面倒そうに「ああ、うん」と答えた。上の兄二人の説教を想像したのだろう。
そんな双子の遊び事情を垣間見つつ、夏休みはあっという間に過ぎていった。
秋になり、テイラー学園に通うシオン、双子、エメル、カイルの兄たちが帝都へ戻った。
そんな中、私はアナンとカナンの兄妹から二人のやりたいことを聞いて驚いた。
アナンは将来的に私の護衛騎士をしたいという。そのために体を鍛えたいとのことだった。
カナンは私の侍女になりたいという。だから今から侍女になるための技術を学びたいという。
どうして二人共、私に関わる仕事をしたいのだろうか。もし私が先日の事件で助けたからと思っているのなら、そこまで恩義を感じる必要はないのに。実際に二人を助けたのは兄たちなのだから。
けれど、アナンはあの時助けられたことで、力を付ければ誰かを助けられることに魅力を感じたというのだ。それにどうやら影のネロにも興味があるらしい。
妹のカナンは次兄のエナンが殺されたことで、もう一人の兄アナンまでいなくなるのが怖かった。しかしアナンを助けた私のことをとにかく感謝しているから、「一生かけて私を捧げます!」と異様な視線で言われた。
私の謂れのない不安をどうしてくれよう。私が助けたのではないと言っているのに、カナンにはまったく通じないらしい。
しかし、二人の希望はできるだけ協力してあげたい。
相談しようと思ってディアルドの執務室を訪ねるとパパもいたので、二人にまとめて相談した。私は応接セットのディアルドの隣に座る。
「アナンはミリィの護衛騎士になりたくて、カナンはミリィの侍女になりたいって言っているの。だから、うちでそういう技術を身に付けられる方法があればなって、相談に来たの」
「護衛騎士と侍女か。……そういうことなら、方法はいくつかある。うちで学べることも多いと思うから、二人とは俺が具体的に話してみるよ」
「ありがとう、ディアルド! うちで護衛騎士や侍女の技術を身に付けられたら、他の場所でも仕事は見つけられるよね?」
「それはそうだね。でも、二人は他の場所ではなくて、ミリィの傍で働くことを希望してるんだったよね?」
「うん、そうなんだけど、将来的にはミリィの傍以外でも働ける幅があるほうがいいでしょう? でも、どうしてミリィに関係する仕事がいいのかな? 二人を助けたのはお兄様たちなのだから、お兄様たちに恩義を感じるなら分かるんだけど」
首を傾げていると、ディアルドは隣に座る私を膝に乗せた。
「直接的に二人を助けたのはそうかもしれないけれど、たった二人の兄妹が離れずに暮らせるのはミリィが働きかけたからだよ。二人の傷が治る天恵も怖がらずに接してくれたミリィに、救われたのもあるのかもしれないね」
「……そうなのかな?」
「二人には二人の考えと思いがあるから正確には分からないけどね。ただ、二人がミリィの傍で働きたいと言っていて、ミリィは協力したいということなら、とりあえずミリィの傍で働くことを前提に技術を身に付ける方向でいいと思うよ」
「うん」
そこで決定した事項は、アナンはまずダルディエ公爵家直属の護衛騎士に預けることとなった。ダルディエ邸の敷地内に護衛用の訓練場があり、そこの護衛長に鍛えてもらうのである。また、その訓練の合間にネロから影の技術も学ぶこととなった。
それからカナンは家政婦長から色々と教えてもらうことになった。侍女になる前に、使用人の仕事を一通り教える必要があると聞いているので、大変なのだと思う。うちの家政婦長、何気に怖いしね。私は怒られたことはないけれど、小さいときの双子なんか、いたずらしてよく睨まれていた。怒られたって、双子はまったく気にも留めていなかったけれど。
それから、もう一つ。アナンとカナンは、私の家庭教師のおじいちゃんから勉強も教えてもらうことになった。アナンはこれには嫌な顔をしていたけれど、パパとディアルドの話では、いずれ私がテイラー学園に行く時に、一緒に入学することを想定しているようだった。
アナンとカナン、実は私と年齢が一緒だったらしい。
学園へ通う時に、気心知れる人が近くにいてくれるなら私も助かる。
そんなこんなで色々と決まったので、アナンもカナンも毎日忙しそうにしている。けれど表情は明るい。私も二人の成長が楽しみである。
◆ ◆ ◆
雪のちらつくダルディエ領の冬、私は騎士団で馬に乗る練習をしていた。
練習は順調で、誰かと一緒に乗らなくても一人で乗れるようにはなった。ただし、馬を人が引いてくれればであるが。一人で乗り込んだ馬を、ついてきてくれた騎士に引いてもらう。
本当は人に引いてもらわずとも一人で馬を進めたいのだが、馬は私が一人だとなぜか前に進まず、私を振り返ってじーっと見てくるのである。
「前を向いて進んで!」と言ってみても、じーっと私から視線を外さない。私がそんなに気になるのだろうか。これもたぶん動物遣いの天恵のせいだと思う。
その点、一角なんかは私を見ないで動いてくれるけれど、私が一角に一人で乗るのは兄たちが嫌がるので、まだほとんど挑戦していない。
一度だけ、シオンに見守られながら、私が孵した一角の子供たちの背に乗ったことがある。大人の一角よりはまだ小さいし乗りやすいだろうと思ったのだが、子供たちは私が乗ると、みんな大興奮で変な動きをするので、すぐに気持ち悪くなってしまって乗るのを止めてしまった。
まあこの調子なら、もう少し頑張れば一人で颯爽と馬に乗れる日もやってくるだろう。練習あるのみだ。
最近は体力をつけるための走る時間も少し長くなった。私自身、体力がついてきている感覚がある。少し走ったくらいでは疲れなくなったので、体幹を鍛えるだけでなく、筋トレもメニューに入れた。やりすぎるとやはり熱が出たりするので、もちろん注意が必要だが。
そうこうしているうちに春が近づき、社交シーズンのために帝都へ移動した。
少年の恰好をし、金髪のカツラを装着して、テイラー学園へ向かう。見学の申込みをしていると、呼び出された双子がやってきた。
「ルカ。いらっしゃい。次は剣術だから、すぐに場所移動なんだ」
少年の恰好の時はルカ呼びだと心得ている兄たちは、何も言わずともこう呼んでくれる。バルトが私を抱えると、双子は大股で歩き出す。
見学者には普通、誰か学園の職員が案内役として付くものだが、私の場合、いつも兄たちの誰かが付くのが分かっているので、職員は手を振るだけだった。
剣術の訓練場は、見事に男子ばかりであった。双子の学年は女子もいるので、見学席に令嬢が座っている。講義を入れていない者は、自由に見学ができるらしい。
私も見学席で見学していると、その横で令嬢たちが男子の訓練をすごく熱心に見ていた。
その視線の先はどう見ても双子である。一応貴族令嬢たちなので、お上品な表情は保っているものの、熱い視線は色を含んでいるし、扇子の下は絶対ニヤけているだろう。見えないけれど、そんな気がする。
北部騎士団で鍛えている双子の剣筋は洗練されている。テイラー学園へ通う学生の中には、将来騎士を目指している人もいるので、幼いころから訓練をしている人も少なくないのだが、その中でも際立っているのが双子である。
ダルディエ公爵家の兄たちの中で、一番戦闘技術に長けているのは間違いなくシオンであろうが、双子も昔から意外と血気盛んで、戦闘力が高いのである。
途中から対戦形式に移行したらしい。広い訓練場で三ヶ所に分かれ、それぞれの輪の中で一対一の練習試合のようなことを始めた。集中すればいいのに、双子は誰かが対戦している間、見学している令嬢に向かって手を振っているものだから、それを睨んでいる男子がいる。
なんだろう、見学している令嬢の中に、その男子の思い人でもいるのだろうか。双子を睨んだところで、二人はそういったものを意に介さないので無駄なのだが。
結局、その男子は運が良いのか悪いのかバルトと対戦し、負けていた。もっと頑張れと言うしかない。
剣術の時間の後は昼食のため、双子と食堂へ向かった。
何が食べたいか聞かれたが、私はそんなにお腹が空いていないので、パンとサラダとデザートをお願いした。
双子に左右を挟まれて食事をしていると、令嬢がどんどんと同じテーブルに集まってくる。
どこでも女の子に囲まれるのだなと思いながら、アルトの食べている鶏肉の香草焼きが意外と美味しそうで見ていると、アルトがあーんと差し出してくれた。
うん、ここの食堂は種類は多くないが、味付けはいい。
デザートも美味しくいただいたところで、食堂を出ようとすると、エメル、カイルとソロソに会った。
「ミ、……ルカ。今日は見学だったの?」
カイルが一瞬間違えたが、名前を軌道修正。よしよし。
「そうだよ。アルトとバルトの講義に交じろうと思って」
「そうなんだ。こっちに来ればいいのに」
カイルの言葉にエメルも頷く。双子を見ると、アルトが繋いでいた手を離した。
「いいよ、行っておいで」
「うん」
双子に手を振り、カイルとエメルの手を握った。
「講義の先生に許可を貰ってくれる?」
「もちろん」
エメルとカイルは二年生であるため、教室にいるのは男子のみである。共学となるのは四年生からなのだ。二人と一緒に講義を受けるのは初めてだったので、楽しみだ。
次の講義は数学だった。これなら私も得意だ。しかも受けてみるとただ単純な数学ではなく、自分が経営者になった場合を想定した上で、数名のグループを作って売上や効率を話し合ったりするものだった。面白い講義だった。
その後も一緒にいくつかの講義を受け、帰りはエメルとカイルと一緒にダルディエ邸へ戻ってきた。寮住まいの他の兄たちと違い、二人は通い組なのである。週末の休みに皇太子宮を訪ねることを約束し、カイルは帰っていった。
そして週末。約束通り皇太子宮に向かう前に街へ寄った。最近のお気に入りのお茶菓子を持って行こうと思ったのだ。神髪で出かけると目立つため、この日は少年服に金髪のカツラを装着していた。胡桃とチョコを使ったお菓子を入手し、馬車で皇太子宮へ向かった。
皇宮でいくつかの関門を抜け、いつも静かな皇太子宮の前で馬車は停まる。護衛と馬車には違う場所で待機してもらうようにお願いし、お菓子の袋を持って上機嫌で皇太子宮に入った。
ところが、いつも顔パスで通れる階段の前で騎士に止められてしまった。
「ここから上へは通れません」
「でも、いつも私は通っていいんだよ」
「以前がどうだったのかはともかく、本日は通れないんですよ」
騎士はがんとして譲らない。そういえば、あまり見かけない顔だ。
「本日はって、どういうこと? 約束してるんだよ」
「そのような話は聞いていない」
背の高い騎士に上から見られると、ものすごく怖い。
「で、でも、いつもは簡単に通してくれるのに」
「簡単に通すなと、そう言われている」
「……私を通すなと言われたの?」
そんなはずはない。いつでも来ていいとカイルは言っていたのだ。今回は約束もしている。
「そうです。あなたみたいに約束もなく、ここを勝手に通っていく人が多いもので」
そう言って、はじめから私が嘘をついている、とでも言わんばかりの目つきで上から下までを値踏みされ、鼻で笑われた。
もしかしたら、男装しているから気づいてもらえないのかもしれない。私が男装で皇太子宮へは来ることがあるが、それを知らない人なのかも。名前を告げれば、通れるはず。
「私はミリ――」
「約束のない人は通せないと言っている。しつこく食い下がっても無駄だから、早く去れ。こちらも暇ではない」
「……約束しているもん」
そのはずだ。朝からエメルも、今日来るんだよね、と聞いてきたから知っているはず。だから、カイルも認識しているのは間違いない。
でも、カイルは通って良いと言っているけれど、もしかしたら、警備上の問題があるとかで、私が簡単にここを通ることに騎士の間で反対している人がいるのかもしれない。
そうだとしたら、私の行動がカイルの迷惑になっているのかも。
じわじわじわと目頭が熱くなり、涙が盛り上がる。こんなことで泣きたくないのに、転生して子供っぽくなっているのか、感情が抑えられない。
こんなところで泣けば、この騎士に冷笑されるだけだ。そんなの悔しい。見られたくないのに。
気持ちに反し、涙が溢れそうになるのだった。
◆ ◆ ◆
エメルは書類の束を執務机に置いた。これからカイルが処理する必要のあるもので、年々数が増え、複雑になっている。だというのに目の前にいる人物はいつも涼しい顔で軽く処理するのだ。
平日は学園に行く必要があるため、どうしてもできる公務の量が減る。そのしわ寄せが週末にやってくるのだが、カイルはそれを軽々こなしている。今日の分も今置いた書類で最後だ。本当の休みに入れるのはもうすぐ。そう思いながら時計を確認する。
「遅いですね」
「何がだ」
「ミリィですよ。お茶の時間に来ると言っていたのですが」
本来であれば、今頃美味しそうにお菓子を食べるミリィが見られているはずなのに。
「もうそんな時間か」
この年齢ですでに少し仕事中毒気味のカイルは、時間の感覚に人とズレがある。集中しだすと食事さえ抜く傾向があるため、それらを補佐するのもエメルら側近の役目である。
「俺、お茶の用意をしてくるよ」
ソロソがいそいそと立ち上がった。彼にとってはミリィがやってくる時間が休憩の時間なので、待っていました! と言いたげな声音である。
「私は下を見てきます。カイル様は続きをしていてください」
「ああ」
部屋を出ると、廊下で皇太子宮担当の近衛騎士に会った。
「警備の交代ですか」
「はい」
「あれから不審な者は?」
「今のところは問題はないですね」
ここ皇太子宮のある区域は、出入りする時に何重もの門を通る必要がある。
少なくとも、誰とも分からない人間は入ってこられないのだが、先日、皇太子宮と同じ区域の宮殿に用事があった者が道に迷ったと、勝手に皇太子宮に入ってきたのである。もちろん警備の騎士に止められて何事もなく済んだのだが、こういったことがまたあると困るので、最近は警備を強化していた。
近衛騎士と一緒に玄関ホールへ続く階段を下りていると、階下にミリィがいた。階下の騎士と話をしている。
「ミリィ?」
「――エメル」
ギョッとした。騎士の前で茫然とする妹は、胸に袋を抱え大粒の涙を流しているのである。
慌てて階段を駆け下り、片膝をついた。
「どうしたのですか? 何で泣いているのですか?」
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