《関東の縄文》の動機
《関東の縄文》を書こうと思った理由関東という土地は、江戸幕府の登場によって歴史の表舞台に出てきたように語られがちです。
しかし実際には、関東は石器時代から縄文文化が非常に長く続いた地域であり、日本列島でも特に“縄文の時間”が濃く積み重なった土地でした。
ところが、古代史の中で関東はしばしば“空白地帯”として扱われます。
ヤマト政権は東山道を通じて東国を管理しようとしましたが、関東はそのルートから外れ、政治的にも文化的にも“見えない存在”にされてきたと感じています。
私の考えでは、関東は「弥生化が遅れた地域」ではありません。
むしろ、ヤマト政権の直接支配を避け2世紀頃には独自の弥生化を進め中央政権と必要な関係だけを結び自前の豪族的な王権を形成していたという、主体的で強い地域だったと考えています。
さらに、東山道による“政治的排除”は、逆に関東の武力文化を発達させ、のちの武蔵武士団、そして鎌倉政権の基礎を作ったのではないか。
こうした視点で関東を見ると、
「関東は歴史の周縁ではなく、むしろ独自の中心だった」
という姿が浮かび上がります。《関東の縄文》は、その“見えなくされた関東の本当の姿”を物語として描きたい
という思いから生まれました。
しかし実際には、関東は石器時代から縄文文化が非常に長く続いた地域であり、日本列島でも特に“縄文の時間”が濃く積み重なった土地でした。
ところが、古代史の中で関東はしばしば“空白地帯”として扱われます。
ヤマト政権は東山道を通じて東国を管理しようとしましたが、関東はそのルートから外れ、政治的にも文化的にも“見えない存在”にされてきたと感じています。
私の考えでは、関東は「弥生化が遅れた地域」ではありません。
むしろ、ヤマト政権の直接支配を避け2世紀頃には独自の弥生化を進め中央政権と必要な関係だけを結び自前の豪族的な王権を形成していたという、主体的で強い地域だったと考えています。
さらに、東山道による“政治的排除”は、逆に関東の武力文化を発達させ、のちの武蔵武士団、そして鎌倉政権の基礎を作ったのではないか。
こうした視点で関東を見ると、
「関東は歴史の周縁ではなく、むしろ独自の中心だった」
という姿が浮かび上がります。《関東の縄文》は、その“見えなくされた関東の本当の姿”を物語として描きたい
という思いから生まれました。
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登録日 2026.06.19 11:41
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