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第4話:辺境伯からの意外な評価
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王都の喧騒から切り離されたヴァレンシュタイン侯爵邸の一室。
セレフィーナは、実験器具を木箱に詰める作業に没頭していた。
緩衝材として古新聞を詰め込みながら、彼女は淡々と現状を分析する。
(王太子殿下からの婚約破棄。それに伴う実家での居心地の悪化。係数はマイナス方向に振り切れていますね)
昨晩の騒動は、一夜にして王都中の噂となっていた。
変人の令嬢が、聖女のような男爵令嬢をいじめ抜いた末に捨てられたというゴシップは、退屈を持て余す貴族たちにとって最高の娯楽なのだろう。
「お嬢様、お客様です」
メイドが怯えた声で告げた。
今の自分に客?
好奇心旺盛な野次馬か、あるいはさらに罵倒しに来た元婚約者の使いか。
セレフィーナは眉をひそめつつ、応接間へと向かった。
扉を開けた瞬間、室内の気圧が下がったような錯覚を覚えた。
ソファに座っていたのは、巨大な影だった。
夜闇を固めたような黒髪に、射抜くような鋭い藍色の瞳。
鍛え抜かれた体躯は、仕立ての良い服の上からでも筋肉の隆起が見て取れる。
その男の名を知らぬ者はいない。
グレイグ・フォン・グラナート辺境伯。
獣が跋扈する北の最果てを治め、その武勇と冷徹さから恐れられる男だ。
(……威圧感によるストレス値が高いですわね)
セレフィーナは冷静に観察した。
彼が立ち上がると、その影が自分をすっぽりと覆い尽くす。
彼はセレフィーナを見下ろし、低い声で言った。
「お前が、セレフィーナ・ヴァレンシュタインか」
「はい、左様でございますが。……どのようなご用でいらしたのですか?」
グレイグはドサリとテーブルの上に書類の束を投げ出した。
それは、セレフィーナが見覚えのある表紙だった。
『高荷重環境下における固体潤滑被膜の寿命予測について』
それは、彼女が以前、学会誌に寄稿した論文だった。
「これを書いたのは、お前か」
「……はい。そうですが何か?」
「読んだ。素晴らしい理論だ」
「はい?」
セレフィーナの思考が一瞬停止した。
グレイグは無骨な指で論文の一節を指し示した。
「特にこの、摩耗粉の排出メカニズムに関する考察だ。従来の経験則に頼らず、数値流体力学を用いて解析している点が合理的だ。俺の領地では、極寒と獣の体液による腐食が激しい。既存の潤滑油ではすぐに機械が焼き付く。……お前のこの理論が必要なんだ」
熱のこもった瞳だった。
彼はセレフィーナの容姿を見ているのではない。
家柄を見ているのでもない。
セレフィーナが積み上げ、誰にも理解されなかった知識と論理だけを、真っ直ぐに見つめている。
胸の奥で、カチリと何かが嵌まる音がした。
「……それで、私に技術顧問になれと?」
「いや。辺境伯領に来てもらう以上、立場が必要だ。技術顧問などという肩書きでは、古狸の家臣たちが納得しない」
グレイグは懐から小さな箱を取り出し、テーブルに置いた。
パカッ、と乾いた音がして蓋が開く。
中に収められていたのは、大粒のダイヤモンドが嵌められた指輪である。
そして、グレイグは、セレフィーナの運命を大きく変える言葉を発するのだった。
セレフィーナは、実験器具を木箱に詰める作業に没頭していた。
緩衝材として古新聞を詰め込みながら、彼女は淡々と現状を分析する。
(王太子殿下からの婚約破棄。それに伴う実家での居心地の悪化。係数はマイナス方向に振り切れていますね)
昨晩の騒動は、一夜にして王都中の噂となっていた。
変人の令嬢が、聖女のような男爵令嬢をいじめ抜いた末に捨てられたというゴシップは、退屈を持て余す貴族たちにとって最高の娯楽なのだろう。
「お嬢様、お客様です」
メイドが怯えた声で告げた。
今の自分に客?
好奇心旺盛な野次馬か、あるいはさらに罵倒しに来た元婚約者の使いか。
セレフィーナは眉をひそめつつ、応接間へと向かった。
扉を開けた瞬間、室内の気圧が下がったような錯覚を覚えた。
ソファに座っていたのは、巨大な影だった。
夜闇を固めたような黒髪に、射抜くような鋭い藍色の瞳。
鍛え抜かれた体躯は、仕立ての良い服の上からでも筋肉の隆起が見て取れる。
その男の名を知らぬ者はいない。
グレイグ・フォン・グラナート辺境伯。
獣が跋扈する北の最果てを治め、その武勇と冷徹さから恐れられる男だ。
(……威圧感によるストレス値が高いですわね)
セレフィーナは冷静に観察した。
彼が立ち上がると、その影が自分をすっぽりと覆い尽くす。
彼はセレフィーナを見下ろし、低い声で言った。
「お前が、セレフィーナ・ヴァレンシュタインか」
「はい、左様でございますが。……どのようなご用でいらしたのですか?」
グレイグはドサリとテーブルの上に書類の束を投げ出した。
それは、セレフィーナが見覚えのある表紙だった。
『高荷重環境下における固体潤滑被膜の寿命予測について』
それは、彼女が以前、学会誌に寄稿した論文だった。
「これを書いたのは、お前か」
「……はい。そうですが何か?」
「読んだ。素晴らしい理論だ」
「はい?」
セレフィーナの思考が一瞬停止した。
グレイグは無骨な指で論文の一節を指し示した。
「特にこの、摩耗粉の排出メカニズムに関する考察だ。従来の経験則に頼らず、数値流体力学を用いて解析している点が合理的だ。俺の領地では、極寒と獣の体液による腐食が激しい。既存の潤滑油ではすぐに機械が焼き付く。……お前のこの理論が必要なんだ」
熱のこもった瞳だった。
彼はセレフィーナの容姿を見ているのではない。
家柄を見ているのでもない。
セレフィーナが積み上げ、誰にも理解されなかった知識と論理だけを、真っ直ぐに見つめている。
胸の奥で、カチリと何かが嵌まる音がした。
「……それで、私に技術顧問になれと?」
「いや。辺境伯領に来てもらう以上、立場が必要だ。技術顧問などという肩書きでは、古狸の家臣たちが納得しない」
グレイグは懐から小さな箱を取り出し、テーブルに置いた。
パカッ、と乾いた音がして蓋が開く。
中に収められていたのは、大粒のダイヤモンドが嵌められた指輪である。
そして、グレイグは、セレフィーナの運命を大きく変える言葉を発するのだった。
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