殿下、婚約破棄は承りましたので、戻ってと懇願されても知りませんよ?~白い結婚の契約内容に溺愛は含まれていなかったと思うのですが~

水上

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第5話:白い結婚

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「俺と結婚しろ。……ただし、白い結婚だ」

「白い、結婚?」

「俺が求めているのは、お前の頭脳だ。領地の機械化と防衛設備の強化、その指揮を執ってほしい。だから、夫婦という形をとるが、寝室は別だ。お前の貞操は守るし、期限付きだ。報酬も弾む。……どうだ?」

 あまりに実利的なプロポーズだった。
 だが、セレフィーナにとっては、愛を囁かれるよりも遥かに誠実な響きを持っていた。

 彼女は指輪を手に取り、まじまじと観察した。

「……さすがです」 

「何がだ?」

「このダイヤモンド。カットの美しさは二の次として、純度と結晶構造が完璧です。モース硬度10、熱伝導率も最高クラス」

 セレフィーナは瞳を輝かせてグレイグを見上げた。

「万が一、旅先でガラスを切断したり、精密機器の研磨剤が必要になったりした時、この硬さは役立ちますね。緊急時の工具として、これほど優秀なものはありません」

 グレイグの表情が、一瞬だけポカンと緩んだ。

 普通の令嬢なら「綺麗」とか「嬉しい」と言う場面だろう。
 しかし、彼はすぐに鼻を鳴らし、呆れたように、けれどどこか楽しげに口角を上げた。

「……なるほど、その発想はなかった。だが、俺の見込み通りだ」

 彼は不器用だが、決して嘘をつかない。
 セレフィーナの脳裏に、元婚約者ルーカスの顔が浮かんだ。

『君を愛している』

『君が一番だ』

 中身のない甘い言葉。
 それは粘度が低すぎる粗悪な潤滑油のように、一瞬だけ滑りを良くするが、すぐに蒸発して何も残らない。

 対して、この男はどうだ。

 言葉は少ないが、提示されたのはダイヤモンドという確固たる物質と、セレフィーナの能力が必要だという具体的かつ論理的な評価。

(……比較すること自体が、彼に対して失礼ですわね)

 セレフィーナは、指輪を自分の左手の薬指に通した。

 サイズは驚くほどぴったりだった。
 血流を阻害しない、絶妙なフィット感。

「謹んでお受けいたします、閣下。……いいえ、旦那様」

「ああ。これからよろしく頼む、セレフィーナ」

「はい。私の持てる全ての知識を用いて、貴方様の領地の摩擦係数を極限まで低下させてみせます」

「……色気のない誓いだが、頼もしい限りだ」

 グレイグが立ち上がり、手を差し出す。
 その手は大きく、温かかった。

 セレフィーナはその手を取った。
 接触面から伝わる体温と、未知の係数。

 こうしてセレフィーナは、焼き付いた過去を置き去りに、辺境の地へと旅立つことになった。

 そこには、彼女の想像を超える毎日と、まだ知らない愛という名の潤滑油が待っていることを、彼女はまだ計算できていなかった。
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