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第5話:騎士団長の悩みと、見えなかった優しさ
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領地の水質改善が軌道に乗った頃、私はギルバート様に連れられて騎士団の演習場を訪れていました。
辺境伯領の武力を担う精鋭たち。
しかし、その空気はピリピリと張り詰めており、どこか怯えの色が見えました。
「……おい、団長がこっちを見てるぞ」
「ひぃッ! あの眼光、俺たちの動きに不満があるんだ……!」
「殺される……。もっと気合を入れて剣を振れ!」
兵士たちが恐れおののく視線の先には、一人の巨漢がいました。
騎士団長ガゼン。
歴戦の猛者ですが、常に眉間に深い皺を寄せ、凄まじい形相で部下たちを凝視しています。
その威圧感は、出会った当初のギルバート様を彷彿とさせました。
「……ギルバート様。あの団長殿、もしや」
「ああ。俺と同じだ。腕は超一流だが、極度の近視と乱視でな。敵と味方の区別がつかんから、常に目を凝らしている。おかげで部下からは常に激怒していると勘違いされ、萎縮させてしまっているのが悩みらしい」
やはり。
視界情報の欠落は、コミュニケーション不全の最大の要因です。
私は懐からメジャーを取り出し、スタスタとガゼン団長の元へ歩み寄りました。
「失礼します。顔の幅と、眼球の角膜曲率半径を計測させていただきます」
「あ? なんだ、お嬢ちゃんは……、うおっ!?」
至近距離まで近づいた私に、団長が驚いてのけぞります。
私は構わず、手際よく数値を採取しました。
「成形に半日ほどいただきます。……戦場で眼鏡が割れると危険ですので、特注品を用意しましょう」
翌日。
私は再び演習場を訪れ、完成したアイテムを団長に渡しました。
それは通常の眼鏡ではなく、顔にフィットするバンドで固定されたゴーグル型眼鏡です。
レンズには、実験過程で生まれた強化ガラスを使用し、鉄の破片が飛んできても割れない強度を確保してあります。
「これを……、俺にか?」
「装着してみてください。世界が変わりますよ」
ガゼン団長がおずおずとゴーグルを装着します。
すると――。
「おお……! 見える! 的の真ん中が、部下の顔の汗までくっきり見えるぞ!」
その瞬間、彼の顔から険しい皺が消え去りました。
強面だと思われていた彼の素顔は、意外にも人懐っこい、頼れる兄貴分といった風貌でした。
「おい、お前ら! 昨日の剣筋、腰が入っていて良かったぞ!」
「だ、団長……? 笑ってる……?」
「怒ってたんじゃないんですか!?」
誤解が解け、演習場に安堵の歓声が広がります。
正確な視界を得た団長の指揮能力は劇的に向上し、部下との信頼関係も一瞬で修復されました。
その日の夕食時。
食堂には、いつも以上に豪勢な料理が並んでいました。
しかも、そのメニューは少し変わっています。
鶏の手羽先の煮込み、豚足のスープ、牛すじのシチュー、そして牡蠣のアヒージョ。
「……ギルバート様。これは随分と、コラーゲンと亜鉛に偏ったメニューですね」
私が指摘すると、エプロン姿のギルバート様がスープをよそいながら頷きました。
「ああ。お前の手のためだ」
「手、ですか?」
「見せてみろ」
言われて自分の手を差し出すと、彼は私の指先をそっと取りました。
ガラスの研磨剤や薬品、そして連日の加工作業で、私の指先はガサガサに荒れ、あちこちに小さな切り傷ができていました。
貴族令嬢の手としては、見るに堪えないものでしょう。
「……汚い手ですね。食事中に失礼しました」
私が手を引っ込めようとすると、彼は強く握りしめ、それを許しませんでした。
「違う。美しい職人の手だ。だが、これだけ荒れていては、ミクロ単位の研磨作業に支障が出るだろう」
彼は「見栄えが悪い」とは言いませんでした。「仕事に差し障る」と言ったのです。
それが、私という人間を何よりも理解してくれている言葉だと感じました。
「皮膚の再生にはタンパク質と亜鉛、そしてコラーゲンが必須だ。……食え。指先の感覚が鈍っては、いいレンズは磨けない」
「……はい」
出されたスープは濃厚で、身体の芯から温まる優しい味がしました。
食事の後、彼は私の手に特製の軟膏を塗り込み、丁寧にマッサージまでしてくれました。
その手つきは、恐ろしい氷の辺境伯の異名とは裏腹に、とても繊細で温かいものでした。
私は、軟膏の香りに包まれながら、ふと口を開きました。
「……ギルバート様。貴方の優しさは透明ガラスみたいですね」
「ガラス? どういう意味だ。脆いと言いたいのか」
不満げな彼に、私は首を横に振りました。
「いいえ。そこに在るのに、透明すぎて綺麗すぎて、今まで見えなかったという意味です。……でも、こうして触れてみれば、こんなに温かくて、硬い守りがある」
王都にいた頃、私は言葉や宝石のような分かりやすい装飾ばかりを求められていました。
けれど、本当に必要なのは、風を防ぎ、熱を保ち、視界を守ってくれる透明なガラスのような存在だったのです。
「……お前は時々、詩人のようなことを言うな」
「物理的特性を述べただけです」
ギルバート様は耳まで赤くして、私の手の甲に包帯を巻き始めました。
窓の外では北風が吹き荒れていましたが、この部屋の中は、彼の作ってくれたスープの熱と、透明な優しさで満たされていました。
辺境伯領の武力を担う精鋭たち。
しかし、その空気はピリピリと張り詰めており、どこか怯えの色が見えました。
「……おい、団長がこっちを見てるぞ」
「ひぃッ! あの眼光、俺たちの動きに不満があるんだ……!」
「殺される……。もっと気合を入れて剣を振れ!」
兵士たちが恐れおののく視線の先には、一人の巨漢がいました。
騎士団長ガゼン。
歴戦の猛者ですが、常に眉間に深い皺を寄せ、凄まじい形相で部下たちを凝視しています。
その威圧感は、出会った当初のギルバート様を彷彿とさせました。
「……ギルバート様。あの団長殿、もしや」
「ああ。俺と同じだ。腕は超一流だが、極度の近視と乱視でな。敵と味方の区別がつかんから、常に目を凝らしている。おかげで部下からは常に激怒していると勘違いされ、萎縮させてしまっているのが悩みらしい」
やはり。
視界情報の欠落は、コミュニケーション不全の最大の要因です。
私は懐からメジャーを取り出し、スタスタとガゼン団長の元へ歩み寄りました。
「失礼します。顔の幅と、眼球の角膜曲率半径を計測させていただきます」
「あ? なんだ、お嬢ちゃんは……、うおっ!?」
至近距離まで近づいた私に、団長が驚いてのけぞります。
私は構わず、手際よく数値を採取しました。
「成形に半日ほどいただきます。……戦場で眼鏡が割れると危険ですので、特注品を用意しましょう」
翌日。
私は再び演習場を訪れ、完成したアイテムを団長に渡しました。
それは通常の眼鏡ではなく、顔にフィットするバンドで固定されたゴーグル型眼鏡です。
レンズには、実験過程で生まれた強化ガラスを使用し、鉄の破片が飛んできても割れない強度を確保してあります。
「これを……、俺にか?」
「装着してみてください。世界が変わりますよ」
ガゼン団長がおずおずとゴーグルを装着します。
すると――。
「おお……! 見える! 的の真ん中が、部下の顔の汗までくっきり見えるぞ!」
その瞬間、彼の顔から険しい皺が消え去りました。
強面だと思われていた彼の素顔は、意外にも人懐っこい、頼れる兄貴分といった風貌でした。
「おい、お前ら! 昨日の剣筋、腰が入っていて良かったぞ!」
「だ、団長……? 笑ってる……?」
「怒ってたんじゃないんですか!?」
誤解が解け、演習場に安堵の歓声が広がります。
正確な視界を得た団長の指揮能力は劇的に向上し、部下との信頼関係も一瞬で修復されました。
その日の夕食時。
食堂には、いつも以上に豪勢な料理が並んでいました。
しかも、そのメニューは少し変わっています。
鶏の手羽先の煮込み、豚足のスープ、牛すじのシチュー、そして牡蠣のアヒージョ。
「……ギルバート様。これは随分と、コラーゲンと亜鉛に偏ったメニューですね」
私が指摘すると、エプロン姿のギルバート様がスープをよそいながら頷きました。
「ああ。お前の手のためだ」
「手、ですか?」
「見せてみろ」
言われて自分の手を差し出すと、彼は私の指先をそっと取りました。
ガラスの研磨剤や薬品、そして連日の加工作業で、私の指先はガサガサに荒れ、あちこちに小さな切り傷ができていました。
貴族令嬢の手としては、見るに堪えないものでしょう。
「……汚い手ですね。食事中に失礼しました」
私が手を引っ込めようとすると、彼は強く握りしめ、それを許しませんでした。
「違う。美しい職人の手だ。だが、これだけ荒れていては、ミクロ単位の研磨作業に支障が出るだろう」
彼は「見栄えが悪い」とは言いませんでした。「仕事に差し障る」と言ったのです。
それが、私という人間を何よりも理解してくれている言葉だと感じました。
「皮膚の再生にはタンパク質と亜鉛、そしてコラーゲンが必須だ。……食え。指先の感覚が鈍っては、いいレンズは磨けない」
「……はい」
出されたスープは濃厚で、身体の芯から温まる優しい味がしました。
食事の後、彼は私の手に特製の軟膏を塗り込み、丁寧にマッサージまでしてくれました。
その手つきは、恐ろしい氷の辺境伯の異名とは裏腹に、とても繊細で温かいものでした。
私は、軟膏の香りに包まれながら、ふと口を開きました。
「……ギルバート様。貴方の優しさは透明ガラスみたいですね」
「ガラス? どういう意味だ。脆いと言いたいのか」
不満げな彼に、私は首を横に振りました。
「いいえ。そこに在るのに、透明すぎて綺麗すぎて、今まで見えなかったという意味です。……でも、こうして触れてみれば、こんなに温かくて、硬い守りがある」
王都にいた頃、私は言葉や宝石のような分かりやすい装飾ばかりを求められていました。
けれど、本当に必要なのは、風を防ぎ、熱を保ち、視界を守ってくれる透明なガラスのような存在だったのです。
「……お前は時々、詩人のようなことを言うな」
「物理的特性を述べただけです」
ギルバート様は耳まで赤くして、私の手の甲に包帯を巻き始めました。
窓の外では北風が吹き荒れていましたが、この部屋の中は、彼の作ってくれたスープの熱と、透明な優しさで満たされていました。
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