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95話 シルエット家領地へ -16-
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《今、こっちに来るよう、俺の奇石で呼び出してやる。――と、その前に、ローズ・デヴォン……、おっ、運がいいなぁ。すぐ近くの資料室に居る。――フェルマ・ヴォカ……、こちらノスク。ヴィクター聞こえるか? ネージュを介して、お前の可愛い教え子のセレスタン君より連絡だ。なんか、困ってるみたいだぞ。……そうそう、時計塔の下の第三資料閲覧室に俺は居る。至急、来られたし……フィネ》
「ありがとう、ノクス」
《まあ、気にすんな。これっぽっちも気にすんな》
ノクスは、調子づいたように続けた。
《ヴィクターは休みといっても、休みじゃないしな。つーか、あの人、基本いつでも捕まる。独り身だ。長年、彼女の一人もいない。大体、俺がヴィクターの伝書使になってからこのかた、恋人らしい影を見たことがない。――これって凄くないか、アルチュール君?》
「いや……、なんで俺?」
《ほら、君は『銀の君』を射止めた男だろ? うちの主に爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ》
くすくすと笑うネージュの声が聞こえた。
《夜に呼び出しても出る。早朝でも出る。休日? 普通に出る。予定表が白いんだよ……。真っ白だ……地平線まで新雪が降り積もった雪原かよっ!?!? 足跡ゼロ。デートイベント未発生! 過去の記憶を遡っても、彼女が居ない。振られたことしかない。人はいい。無駄にいい。子供と老人と動物にだけ、やたら好かれる。顔はまあ、そこそこだと思う。体格もいい。魔法は一流。仕事も出来る》
そこで、ノクスは一度言葉を切った。
《――なのにだ! 身なりが常に“作業着の延長”なんだよなぁ。香水? 知らない。洒落た服? 動きにくいから却下。清潔ではある。だが色気がない。生活感が前に出すぎる。結果、妙齢の女性にはまったく刺さらない。ムサい。実にムサい――致命的にムサい……》
背後で、誰かが深く溜息をついた気配がした。
《……ノクス》
低く、落ち着いた声。
聞き慣れた、デュボア寮監のものだった。
《なあ、今のは、コルベールに伝えるべき必要な情報か?》
《え? いや、ほら、セレス君が気兼ねなく安心していつでも連絡取れるように、ヴィクター、お前の生活状況をだなぁ――》
「あ、デュボア寮監、お休み中、すみません」
俺が割って入ると、即座に返事が来た。
《いや。休みらしい休みはない。予定がないからな。――ということで、とくに休みは暇だからいくらでも話を聞くぞ》
淡々と告げられたその一言が、かえって重かった。
だが、俺はそれ以上、踏み込まなかった。
軽く息を整え、話を本題へと戻す。
ここまでに起きていることを、順を追って簡潔に伝える。
氷室周辺の気温上昇。
ムース・レザールの巣。
エリオス――龍脈の流れの偏移。
そして、氷結状態で眠るノアールの現在の数値。
奇石通信の向こうで、デュボア寮監は一切口を挟まず、ただ黙って聞いていた。
ややあって、低く息を吐く音。
《……なるほどな》
その声色が、わずかに変わる。
《重要なのは、今まで緩やかだった変化が、これからも同じとは限らないという点だ。自然現象は、閾値を越えた瞬間、指数関数的に振る舞う。お前たちも知っているだろう。南方の『赤石帯崩壊』、北嶺の『白環循環反転』。どちらも、前兆は時間をかけて小さく、変化は実に突然だった》
アルチュールが、無言で息を詰めるのが分かった。
《エリオスの偏移が続けば、氷室の恒常性は失われる。そうなれば――ノアールの「眠り」は、安全な選択肢ではなくなる》
一拍置いて。
《結論から言おう。そこにセレスタンが居るのなら、シルエット、使い魔の契約は、高い確率で成立する》
自分の名を呼ばれ、俺は思わず目を見開いた。
《治癒と魂の定着を同時に行う儀式になる。通常なら、時期尚早と止めるだろう。だが今回は条件が違う。セレスタンの魔力量、適性、加護。そして、ノアール自身が“待っている”んだろう?》
「実は」俺は一つ、付け加える。「ルクレールと、ジュールも一緒にシルエット領へ来ています」
《知っている》
即答だった。
《殿下が移動する以上、報告は上がる。むしろ、二人が居るのは好都合だ》
「心強いと思いまして」
《ああ。ただし――》
デュボアの声が、わずかに厳しくなる。
《ヴァロアは、シルエットと同系統。火属性・オリーブの加護。戦闘向きの干渉には長けているが、今回の主軸ではない。ジュールは諜報活動に優秀だ。だが専門が異なる。儀式構造の補助には向くが、制御核にはならん》
そして、淡々と告げられる。
《最適任者は――、今、ネージュの向こうで、チェス盤を挟んでいる翁だな》
「……ですよね」
《問題は、老体だ。翁がそちらに馬車で到着するには一日以上かかる。俺は、転移魔法を比較的他者より上手く扱えるほうだ。数カ所を経由して、同行すれば連れて行くことは可能だが……、着いたら、翁はまた干からびてるだろうな……》
洞窟内の冷気が、静かに流れ続ける。
氷柱の奥で眠るノアールは、変わらず、時間に取り残されたままだ。
《待てば、より万全な布陣になる。だが、龍脈の変動が進めば、氷室の環境が保てなくなる可能性もある。――判断は、お前たちだ》
アルチュールが、ゆっくりと氷柱に手を添える。
その横顔は、もう迷ってはいなかった。
俺は一歩前に出て、静かに言う。
「……アルチュール、翁を待てば、成功率は上がる。でも、その間に環境が変わるリスクもある。今なら、ノアールの状態は安定してる。データも揃ってる」一度、息を吸う。「どちらを選んでも、正解はある。でも……選ぶのは、お前だ」
アルチュールは、しばらく黙ってノアールを見つめていた。
やがて、ゆっくりと、しかし確かな声で言う。
「……今、やろう。俺は、もう待たせたくない」
その言葉に、デュボアが短く頷く気配が伝わる。
《了解した。では、俺と翁で、遠隔指示を出す。セレスタン。術式の主導はお前だ。シルエット。――覚悟はいいな》
「はい。もちろんです」
「ありがとう、ノクス」
《まあ、気にすんな。これっぽっちも気にすんな》
ノクスは、調子づいたように続けた。
《ヴィクターは休みといっても、休みじゃないしな。つーか、あの人、基本いつでも捕まる。独り身だ。長年、彼女の一人もいない。大体、俺がヴィクターの伝書使になってからこのかた、恋人らしい影を見たことがない。――これって凄くないか、アルチュール君?》
「いや……、なんで俺?」
《ほら、君は『銀の君』を射止めた男だろ? うちの主に爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ》
くすくすと笑うネージュの声が聞こえた。
《夜に呼び出しても出る。早朝でも出る。休日? 普通に出る。予定表が白いんだよ……。真っ白だ……地平線まで新雪が降り積もった雪原かよっ!?!? 足跡ゼロ。デートイベント未発生! 過去の記憶を遡っても、彼女が居ない。振られたことしかない。人はいい。無駄にいい。子供と老人と動物にだけ、やたら好かれる。顔はまあ、そこそこだと思う。体格もいい。魔法は一流。仕事も出来る》
そこで、ノクスは一度言葉を切った。
《――なのにだ! 身なりが常に“作業着の延長”なんだよなぁ。香水? 知らない。洒落た服? 動きにくいから却下。清潔ではある。だが色気がない。生活感が前に出すぎる。結果、妙齢の女性にはまったく刺さらない。ムサい。実にムサい――致命的にムサい……》
背後で、誰かが深く溜息をついた気配がした。
《……ノクス》
低く、落ち着いた声。
聞き慣れた、デュボア寮監のものだった。
《なあ、今のは、コルベールに伝えるべき必要な情報か?》
《え? いや、ほら、セレス君が気兼ねなく安心していつでも連絡取れるように、ヴィクター、お前の生活状況をだなぁ――》
「あ、デュボア寮監、お休み中、すみません」
俺が割って入ると、即座に返事が来た。
《いや。休みらしい休みはない。予定がないからな。――ということで、とくに休みは暇だからいくらでも話を聞くぞ》
淡々と告げられたその一言が、かえって重かった。
だが、俺はそれ以上、踏み込まなかった。
軽く息を整え、話を本題へと戻す。
ここまでに起きていることを、順を追って簡潔に伝える。
氷室周辺の気温上昇。
ムース・レザールの巣。
エリオス――龍脈の流れの偏移。
そして、氷結状態で眠るノアールの現在の数値。
奇石通信の向こうで、デュボア寮監は一切口を挟まず、ただ黙って聞いていた。
ややあって、低く息を吐く音。
《……なるほどな》
その声色が、わずかに変わる。
《重要なのは、今まで緩やかだった変化が、これからも同じとは限らないという点だ。自然現象は、閾値を越えた瞬間、指数関数的に振る舞う。お前たちも知っているだろう。南方の『赤石帯崩壊』、北嶺の『白環循環反転』。どちらも、前兆は時間をかけて小さく、変化は実に突然だった》
アルチュールが、無言で息を詰めるのが分かった。
《エリオスの偏移が続けば、氷室の恒常性は失われる。そうなれば――ノアールの「眠り」は、安全な選択肢ではなくなる》
一拍置いて。
《結論から言おう。そこにセレスタンが居るのなら、シルエット、使い魔の契約は、高い確率で成立する》
自分の名を呼ばれ、俺は思わず目を見開いた。
《治癒と魂の定着を同時に行う儀式になる。通常なら、時期尚早と止めるだろう。だが今回は条件が違う。セレスタンの魔力量、適性、加護。そして、ノアール自身が“待っている”んだろう?》
「実は」俺は一つ、付け加える。「ルクレールと、ジュールも一緒にシルエット領へ来ています」
《知っている》
即答だった。
《殿下が移動する以上、報告は上がる。むしろ、二人が居るのは好都合だ》
「心強いと思いまして」
《ああ。ただし――》
デュボアの声が、わずかに厳しくなる。
《ヴァロアは、シルエットと同系統。火属性・オリーブの加護。戦闘向きの干渉には長けているが、今回の主軸ではない。ジュールは諜報活動に優秀だ。だが専門が異なる。儀式構造の補助には向くが、制御核にはならん》
そして、淡々と告げられる。
《最適任者は――、今、ネージュの向こうで、チェス盤を挟んでいる翁だな》
「……ですよね」
《問題は、老体だ。翁がそちらに馬車で到着するには一日以上かかる。俺は、転移魔法を比較的他者より上手く扱えるほうだ。数カ所を経由して、同行すれば連れて行くことは可能だが……、着いたら、翁はまた干からびてるだろうな……》
洞窟内の冷気が、静かに流れ続ける。
氷柱の奥で眠るノアールは、変わらず、時間に取り残されたままだ。
《待てば、より万全な布陣になる。だが、龍脈の変動が進めば、氷室の環境が保てなくなる可能性もある。――判断は、お前たちだ》
アルチュールが、ゆっくりと氷柱に手を添える。
その横顔は、もう迷ってはいなかった。
俺は一歩前に出て、静かに言う。
「……アルチュール、翁を待てば、成功率は上がる。でも、その間に環境が変わるリスクもある。今なら、ノアールの状態は安定してる。データも揃ってる」一度、息を吸う。「どちらを選んでも、正解はある。でも……選ぶのは、お前だ」
アルチュールは、しばらく黙ってノアールを見つめていた。
やがて、ゆっくりと、しかし確かな声で言う。
「……今、やろう。俺は、もう待たせたくない」
その言葉に、デュボアが短く頷く気配が伝わる。
《了解した。では、俺と翁で、遠隔指示を出す。セレスタン。術式の主導はお前だ。シルエット。――覚悟はいいな》
「はい。もちろんです」
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