泡にはならない/泡にはさせない

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第8話 「オレのバカ……っ!」

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「後30分……」
 日曜日の朝、バンドメンバーに見立てて貰った勝負服を纏った夏樹は、緊張半分、期待半分で水族館の前にいた。緊張の余り、待ち合わせ時間より大分早く来てしまった感が否めないが、千歳を待たせることはしたくなかった。夏樹だって、腐っても『アルファ』。オメガの前では格好つけたいのだ。

「お待たせしました。待たせてしまいましたか?」
 待ち合わせ10分前。千歳が姿を現した。当然、夏樹が見慣れた競技ジャージや競泳水着とは異なり、私服姿だ。モノトーンを基本に寒色をワンポイントで加えた服装は、どこか爽やかで、千歳の雰囲気にもよく似合う。
「ううん!オレも今来たとこ!じゃあ、行こっか!」
 夏樹は内心の動揺を悟られぬ様に取り繕い、千歳と連れ添って水族館の入り口へと歩き始めた。

 2人共、入場券は昨日の内にスマホで準備してあるので、そのまま入るだけでいい。だが、まだ開館前ということもあり、入場口には長蛇の列が出来ていた。場所が場所なだけに、家族連れやカップルが多い様に感じられるのは気のせいではないだろう。
「(えーと、まずはイルカショー見て……次にペンギンの餌やり見て……館内を回って、昼食食べて……午後からはアシカショー見て……いや、それも大事だけど、今日はせめて手ぐらい!)」
 列に並んでいる間、夏樹は昨日、夜遅くまで掛けて作り上げたタイムスケジュールを頭の中で復唱していた。鷹見水族館は広い上に、イベントも多い。その中から、千歳が喜んでくれそうな物をピックアップした渾身のタイムスケジュールだった。緊張した頭で、どの程度実践出来るかは不明であるが……。
「あの、夏樹?夏樹!」
「えっ?何?」
 集中していた夏樹だったが、千歳の呼び掛けに我に返った。
「列……進まないと」
 夏樹が顔を上げると、すでに前列の人がいない。いつの間にか自分達が先頭になっていた…と、言うより夏樹達の立っていた部分から後ろが進んでいない状態になっていたのだ。そっと周囲を見回すと、後ろから迷惑そうな視線が突き刺さって来る。
「ほら、行きますよ。すみませんでしたー」
 千歳は、夏樹を促して、入場ゲートへと歩き出した。
「ご、ごめん。ちょっと、考え事してて……」
「いいですよ。でも、気を付けてくださいね?」
「はい」
 どうやら、夏樹は初っ端からやらかしてしまった様だ。考え過ぎて、他の観客から睨まれるなんて恥ずかし過ぎる。
「(つ、次で挽回しないと……!)」
 夏樹は、内心で決意を固める。

 水族館の中に入ると、まずはトンネル状の水槽がお出迎えだ。”このトンネルを潜り、海の世界へとご案内”と言うのが、この水族館の演出らしい。確かに奥に行くにつれて、薄暗さの増す照明と相まって、水中に潜って行く様な錯覚を受ける。
「まずは、イルカショーですかね?」
 入り口でパンフレットを貰って来た千歳が、イベントスケジュールを確認しながら言った。
「うん!2階の大プールなんだってさ!」
 夏樹は今度こそを意気込み、千歳を先導して大プールへと行こうとする。しかし、
「夏樹、そっちは南館です。イルカショーは北館の2階です。ほら、看板」
「え?」
 夏樹が、千歳の指差す方を見ると、そこには矢印と共に、”この先、南館。イルカショーはこちらへ”と書かれた看板が掛かっていた。
「ほら、行きましょう。早くしないと、いい席が盗られます」
「うん」
 夏樹は千歳に先導され、大プール行きのエスカレーターに乗り込んだ。

 そして、その後も夏樹の失敗は続く。
 イルカショー後のペンギンの餌やりでは、屈強な男同士のカップルに押された夏樹が転倒し掛け、千歳に助けられると言うハプニングが起こった。それも、”転び掛けた夏樹の手を、千歳が掴んで引き戻す”と言うシチュエーションである。
「大丈夫ですか?」
「う、うん、大丈夫(どうせならオレから繋ぎたかったのにー!)」
 今回最大の目標である”手を繋ぐ”が、早くも達成出来たことは喜ばしいことだったが、そのきっかけが”夏樹の失敗”であり、更に手を掴んでくれたのは”千歳の側”からだったのは、複雑でしかない。

 続いて、館内を見て回ることにした2人だったが、某展示スペースで夢中になり過ぎた夏樹が、立ち入り禁止スペースに足を踏み入れかけると言うトラブルが起きた。
「お客様、すみませんがこの線から先には出ないで頂けると……」
「あっ、すみません!」
「すみませんでした」
 夏樹は、千歳に腕を引かれ、謝罪もそこそこに展示スペースを後にした。

 更に、タッチプールでの体験中、誤って転倒した夏樹が、両腕をプールに漬け、両袖をびしょ濡れにしてしまった。
「ほら、使ってください」
 周囲の子供達がクスクスと笑う中、袖を絞る夏樹に、千歳がタオルを差し出した。
「ありがと……(オレのバカ……っ!)」
 袖の水気をふき取りながら、夏樹は情けなくなった。リードするどころか、空回ってばかりで、挙句の果てには千歳にフォローされっぱなし。まだ午前中だと言うのに、夏樹のライフはすでに限りなく”ゼロ”だ。
「こんなにゆっくり見て回るのは久しぶりですね」
 千歳が楽しそうなのが、唯一の救いであった。

 しかし、特大の爆弾は昼食時にやって来た。
 昼過ぎ、2人は、館内のレストランで腹ごしらえと洒落込んでいた。全面熱帯魚が泳ぐ水槽で囲まれたレストランは、たくさんの海鮮がリーズナブルに食べられるとあって、水族館おすすめのスポットの1つだ。
「いいんですか?出して貰って……」
「いいって、いいって!ずっとフォローされてばっかだったし……このくらい、奢らせて!」
 昼食代は、夏樹が出した。ライフが限りなく”ゼロ”な夏樹なりの『アルファ』の意地である。ちなみに夏樹が”海鮮チャーハン”で、千歳が”煮魚定食”だった。
「(午後からは失敗しない様にしないと!)」
 午前中の失敗から学び、夏樹は”スマートなリード”をやめることにした。冷静に考えれば、アルファだらけのアスリート社会で戦っているオメガに、恋愛経験のないアルファが”アルファらしさ”を前面に押し出してリードする等、土台無理な話だったのだ。ここはいっそ開き直って、”リードする”のではなく、逆に”リードされる”くらいの気持ちで行くのが吉かもしれない。
「あのさ、ちと……」
「あれ?もしかして、ヤザキ選手?」
 そう考えて口を開いた夏樹だったが、横から入り込んで来た子供の声に遮られてしまった。
「わー、やっぱり!ヤザキ選手だ!」
 声の方を見ると、そこには小学校低学年くらいの男の子がキラキラした目で千歳を見ていた。その小さな首には、子供には似つかわしくないゴツいネックガード。オメガの様だ。
「(あっ、そう言えば、千歳って有名人……)」
「お母さん!お母さん、見てよ!」
 幸い、周囲が騒がしいこともあり、他に気づいている人はいない様だが、男の子は自分の家族を呼び寄せている。
「ヤザキ選手だよ!テレビで見たのと同じ!」
「こらこら、大きな声出すんじゃないの!うちの子がすみません!」
 母親と思しき女の人(匂いからしてオメガ)は、男の子を窘めながら、平謝りだ。
「いいんですよ。子供のしたことですし」
 咄嗟に”テレビ出演しているアスリート”の顔を作った千歳は、にこやかに母親の謝罪を受け入れた。
「本当にすみません……海斗、スポーツ選手のプライベート邪魔しちゃダメでしょ?」
「えー、せっかく会えたのにー」
「えー、じゃありません。こんなところで騒がれたら大変でしょ?」
「ははは、幸い気づかれなかったみたいなので大丈夫です。海斗君?は、オレのこと知ってるんですか?」
「うん!」
 千歳が関心を示してくれたのが嬉しいのだろう。男の子――海斗は笑顔で話し始めた。
「ぼくもオメガなんだ!でも、ヤザキ選手みたいになりたくて、今年から水泳始めたの!」
「そうなんですか。そう言って貰えると嬉しいですね」
 千歳の登場後、水泳の、とりわけオメガの競技者人口が増えたと言う。この子もその1人の様だ。これまでは『オメガ』と診断されると、小さくなって生活する人が多かったことを考えると、本当に変わった物だと言えよう。
「このネックガードもヤザキ選手のマネー」
 ゴツいと思ったら、千歳の物を模倣していたらしい。千歳がしている物は、飾りのない無地の黒で、首全体を覆うしっかりした物だ。噂ではオメガ用品の開発メーカーが、水着メーカーと共同開発した代物で、”首の可動を妨げない”、”水の抵抗を肌と同レベルまで減らせる”と言う優れ物らしい。機能性重視で、武骨な造りにも関わらず、”矢崎選手のトレードマーク”として広く認知されたことで、一躍人気のデザインになったんだとか。
「ねぇ、握手してよ!ぼくが速く泳げるように願い込めて!」
「わかりました。はい」
 千歳は海斗と握手を交わしている。
「(子供っていいよなー……)」
 千歳と同じオメガの、しかも性分化前の子供を相手にこんなこと思うのは見苦しいにも程があるが、”手を繋ぐ”だけでも一苦労な夏樹にとっては、羨ましい以外の何物でもない。
「ほら、もう行くわよ。デートの邪魔しちゃいけません」
 千歳と海斗の握手が終わった頃合いを見計らい、母親が海斗を促した。母親は匂いから、夏樹のバース性に気づいたのだろう。確かに、”家族ではないアルファとオメガが2人っきりで一緒にいる”状況と言えば、大体思い浮かべるのは”それ”なのだから、母親の反応は妥当だ。実態は兎も角……。
「(えへへー、デートだって?オレ達、デートしてるように見えんの?オレ達、恋人に見えてるんだー、あはは!)」
 母親の言葉に、夏樹は内心浮かれる。しかし、
「ヤザキ選手、この人”ツガイ”なの?」
「いや、”友達”です」
「ぐはぁ!」
 確かに”友達”ではある。だが、こうも堂々宣言されてしまうと、傷つく。
「うわー、ザンコク!お兄ちゃん、ゼントタナン!」
「うっせ!」
 子供からの同情……ぶっちゃけ、本日1番のダメージであった。

「さよならー」
 夏樹の心にクリティカルヒットを与えてくれた海斗は、母親に手を引かれ、去って行った。
「ああ言うの見ると嬉しいですね」
 ダメージを回復させようと必死な夏樹を他所に、千歳は彼等に手を振りながら微笑んだ。
「嬉しいの?」
「はい。ああ言う子見ると、”そっかー、俺が憧れですかー。俺に続いてくれるんですかー”って思えるんです」
 千歳は、水を一口飲んで、話を続けた。
「俺、昔はこの『バース性』が嫌いだったんですよ」
「えっ!?そうなの?」
 夏樹は驚いた。確かに『バース性』を隠している『オメガ』は多いが、この堂々とした千歳に限って、そんなことがあるとは思ってもいなかったのだ。
「だって、そうでしょう?『オメガ』ってだけで、制約が多いんです。特に俺の場合、『アルファ』だらけの場所に『オメガ』が1人ですよ?『アルファ』なら、避けられたことも多くて……」
「あ……っ」
 千歳の言葉に、夏樹も察した。法律がどれだけ平等を説いても、人の意識は中々変わらない物だ。未だ社会の中枢はアルファで占められているし、アルファの中には特権意識全開で、依然”オメガを従属物”と見做している者も多いらしい。千歳は言うなれば、そんな社会的偏見や不平等が蔓延る最前線で戦って来たのだ。
「けど、ああ言うのを見ると、”オメガでよかった”と思えるんです。俺がアルファだったら、きっと”こう”はならなかったでしょうしね」
 千歳が『アルファ』だったとしても、”天才”とは騒がれただろうが、同時にそこで終わりだっただろう。『オメガ』だったから、ここまで話題になり、歴史の1ページとしてその名が刻まれたのだ。千歳は『オメガ』だったから、”世界初”と言う称号を得たのだ。これだけは『アルファ』には逆立ちしたって為し得ない偉業だ。
「偉い学者さんとか、マスコミとか、色んな人が言ってますよ。”矢崎千歳が時代を動かした”って」 
 夏樹が、スマホの記事で見た物だ。
「そう思ったら、この『バース性』にも誇りが持てるって物じゃないですか」
「(すっげー、カッコいい!)」
 夏樹は、思わず惚れ直した。強くて、誇り高い。『オメガ』と言えば、”守ってあげたい”と言うイメージだが、千歳は全く違う……もちろん、ものすごく”いい意味”で。思わず、夏樹の方が付いて行きたくなってしまう程だ。

 その後、中断していた昼食を取り終えた2人は、館内巡りを再開した。午後からは方針転換したのが功を為したのか、夏樹は失敗らしい失敗をすることもなく過ごすことが出来た。しかし、どんなに楽しい時間にも終わりと言う物は来る。

「もう全部回ってしまいましたね」
「そうだなー」
 夕方、水族館の出口付近に、2人の姿があった。時間が経つのは早く、もう帰る時間だ。
「(もう、終わりかー)」
「こちら、来館記念にどうぞ!」
 名残惜しさを感じながら、出口ゲートを潜ろうとした夏樹に、係員が小さな箱を手渡して来た。隣りを見ると、千歳にも同じ物が手渡されている。

「へぇ、こんなの貰えるんですね。知りませんでした」
 外に出ると、千歳は早速箱を開けた。中から出て来たのは、”青いイルカのストラップ”だ。
「オッ、オレも!」
 夏樹も、続いて箱を開けた。夏樹の箱の中身は”緑のイルカのストラップ”だった。
「色違いですね」
「そうだな!(色違い……色違い……色違いってことは、お揃い!)」
 図らずも叶った”千歳とのお揃い”。この事実だけで、夏樹は今日の失態が、全て吹き飛ぶ程の喜びを感じていた。

「今日は楽しかったです。また、遊びに行きましょう」
 そう言って電車から降りて行く千歳の顔には、微笑みが浮かんでいた。
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