騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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騎士の帰還

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 エミールが手渡したタオルで汗を拭き、アマーリエの差し出した飲み物で喉を潤したユリウスが観客席に加わり、騎士たちの手合わせを観戦しながらぽつりと呟いた。

「クラウス兄上は、いつ戻られるんでしょうね」

 ユリウスもさびしいのだろうか。幼い丸みのある横顔に、エミールは慰めの言葉をかけようとした。
 しかしそれよりも早くアマーリエが、あら、と扇を揺らした。

「クラウスなら昨日、」
「おおっと」

 突如としてアマーリエの背後からぬっと伸びてきた手が、彼女の唇を塞いだ。

「俺の婚約者どのは口がすべっていかんな」

 明るい笑い声とともに割り込んできたのは、マリウスだった。奔放に跳ねる金髪を後ろに流した男は、今日も豪快な獅子のような出で立ちだ。

「マリウス兄上!」
「おお、ユーリ。見ていたぞ。さすがこの俺の弟だ。おまえが勇敢な騎士の一員になる日も近いな」

 ユリウスの頭に手を置いてぐしゃぐしゃとかき乱しながら、マリウスが末弟を褒める。ユリウスが得意げに胸を張って、
「僕はクラウス兄上みたいな騎士になります!」
 と声高に宣言した。
 その雄姿を眩しげに見つめたマリウスが、ふらりとエミールの方へ視線を流してきた。

「どうした。なにか言いたげだな、エミール」
「……いえ」

 一度首を振って言葉を飲み込みかけたエミールだったが、息を吸い込んでまなじりに力を込め、マリウスへと尋ねた。

「マリウス殿下は、クラウス様の動向をご存知なのですか?」
 
 アマーリエの言いかけた言葉。
 クラウスなら、昨日。
 続くセリフはなんだったのか。
 そしてそれを遮ったマリウスは、その先をきっと知っている。
 エミールの予測通り、男は唇の端を笑みの形に持ち上げて、頷いた。

「ご存知といえばご存知だな」
「クラウス様から連絡が入っているのでしょうか」

 自分には音沙汰がないのに、不仲のはずの兄になぜ、クラウスが。
 不審が表情に出たのだろう。マリウスが面白そうに榛色の目を撓めた。

「なにが言いたい」
「……いえ……。その、オレには手紙のひとつも来ないので」

 エミールの返事を聞いたマリウスが、ワハハと笑い声を上げた。

「おのれの任務内容をオメガに知らせる馬鹿がどこに居る」

 マリウスの言葉に、頬を殴られた気分になった。
 どういう意味だ。オメガには話す価値もないということか。

「そう怒るな。他意はない」

 他意はない? エミールは立ち上がり、こちらをなだめようと手を広げる王太子殿下を睨みつけた。

「オレには悪意だらけに聞こえます」
「ははっ! クラウスのオメガも中々に気が強い」
「まぁ! その『も』は誰にかかっていますの?」

 マリウスのてのひらに口を塞がれたままだったアマーリエが、くぐもった声を上げた。笑い上戸なのかマリウスがおかしげに肩を揺すりながら、
「誰だろうなぁ」
 とおどけてみせる。
 それから彼は、険のある目つきのエミールへと片眉を上げ、すこし潜めた声で告げてきた。

「クラウスから連絡があったわけではない。やつの小隊に、俺の手の者を紛れ込ませているだけだ」

 マリウスの手の者。その意味を咀嚼し、エミールは体の横でこぶしを握った。

「監視しているということですか?」
「まぁ、そうだな」

 マリウスがあっさりと認めた。

「クラウスはなにをしでかすかわからんからな」

 彼はいったい、弟のなにを警戒しているというのか。
 エミールは息を飲んで、ますます強い視線で男を睨んだ。

「実の弟君なのに!」
「実の弟だからだ。俺はあれの性格をよく知ってる」

 エミールの怒りを軽く笑い飛ばしたマリウスは、ユリウスの頭をもうひと撫でし、アマーリエになにごとかを囁くときびすを返して城内へと戻っていった。

 ふと気づくと、周囲の貴族たちがこちらを注視していた。
 王太子殿下になんて無礼な振る舞い。これだから平民は。礼儀知らずのオメガ……。
 エミールに対する中傷が、彼らの間で密やかに交わされる。

 今回は言われて当然だ、とエミールは内省した。こんな場所でマリウスに突っかかってしまった。貴族たちに恰好の陰口のネタを与えてしまったのだ。
 口さがないひそひそ話はエミールにとっては日常茶飯事だが、いまはユリウスが傍に居る。まだ子どもの王子にみっともないところを見られてしまった、とエミールは居心地の悪い思いを味わった。

「お座りなさいな」

 不意にアマーリエがエミールを促した。

「あなたがそこで立ってたら、後ろの者が観戦しにくいでしょう」

 閉じた扇をトントンとてのひらに打ち付けながら椅子に座るように言われ、エミールは渋々腰を下ろした。ユリウスが自身の椅子をエミールの方へとそっと寄せてきた。緑の瞳がどこか気遣わしげにこちらを映してくるのに、エミールは微笑を返した。

「申し訳ありません。取り乱しました」

 エミールの謝罪を、ユリウスが「いいえ」と退けた。

「いいえ。エミール殿はクラウス兄上を案じてくださっただけです。謝ることじゃない」

 大人びた口調でそう言ったユリウスは、長い睫毛を瞬かせると、遠巻きに陰口に興じる貴族たちへ冷えた視線を流した。大人顔負けの迫力だ。
 そんなユリウスをアマーリエが両手を組んでうっとりと見つめ、感嘆の息を漏らす。

「ああ、その顔もすてきだわ……」
「アマル」
「なぁに。私はユーリを見るのに忙しいの」
「クラウス様はご無事なんですか?」
「…………」

 アマーリエが真顔になった。
 ふっくらとした唇を尖らせ、そばかすの浮いた鼻筋にしわを寄せて、こちらをじろりと見てくる。

「もう! 蒸し返さないでちょうだい! マリウスに叱られてしまうわ」
「元はと言えばきみが口を滑らせたんだろ」
「未遂ですわよ」
「クラウス様が昨日どうしたって?」
「わたくしはもうなにも言いませんわ。でもそうね、ひとつだけ」

 もったいぶるように扇の飾り紐を指に絡めたアマーリエが、小声で口早に囁いた。

「クラウスは近々帰還しますわ。そうなるともう、引き返せない。わたくしも、あなたも」
「え……?」

 意味がわからなかった。
 エミールは怪訝に眉を寄せ、更なる説明を求めようとしたが、アマーリエはひらりと手を振って席を立った。

「マリウスに呼ばれましたので、これで失礼しますわ」

 ドレスを揺らして軽く膝を折ったアマーリエが、エミールや周りの人間に会釈をし、楚々と歩き去ってゆく。
 その後姿を見ながら、ユリウスがことんと首を傾げた。

「どういう意味でしょう?」
「さぁ……」

 第三王子の問いに答えられるはずもなく、エミールもユリウスと同じ仕草をする。
 いまの言葉は、いったいなんだったのか。

「でも、良かったですね」
「え?」
「クラウス兄上が近々戻って来られるみたいで」

 ユリウスがこちらを見上げ、天使の笑みを浮かべた。
 その可愛い微笑にきゅんきゅんなりながら、エミールは素直に頷いた。  
   

      
 

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