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二人の王子
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狼にまもられて下山を果たした第二王子の噂は、城内を電撃のような速さで駆け抜けた。
気づけばクラウスには、軍神フォルスの再来やら人狼の二つ名がついていた。
最初に目撃されたのがクラウスただひとりであったため、そこにマリウスも存在したという事実は巧妙に伏せられた形であった。
この一件がなければ、革命派がここまで台頭することはなかっただろう、というのがクラウスの考えだ。
「私のこの体験は、まさに革命派にとっては神の恩恵とも言える。強き大国よ再び。それが革命派の理念だ。軍神フォルスと同じ経験を得た私は、彼らにとって格好の旗印となり得た」
以降ドナースマルクら革命派は着実に同志を増やしていったという。
クラウスが狼にまもられたことこそが、天の采配だと声高に謳って。
噂には尾ひれがつく。
クラウスの与り知らぬところで、いつの間にかクラウスは英雄に仕立て上げられていたのだった。
「だから嫌なのだ」
とクラウスが眉間にしわを刻んだまま独白のように言った。
「私は、私以上のものにはなれぬ。それを英雄だライカンスロープだともてはやされても困る。それに……ライカンスロープを名乗るべき者は、他に居る」
「……?」
エミールは首を傾げて言葉の続きを待ったが、クラウスからはそれ以上の説明はなかった。
彼はグラスの中のアルコールを一息に煽ると、まぶたを閉じてエミールの肩にもたれかかってきた。疲れているのだ。朝から晩まで働き詰めなのだから当然だ。
すぐに軽い寝息が聞こえてきた。
騎士団で鍛え上げられてきたクラウスは、寝つきが早い。寝れるときに寝る、というのが身に沁みついているのだという。
束の間の休息を妨げるわけにもいかず、エミールはスヴェンにひざ掛けを持ってきてもらい、クラウスへと被せた。
寝ていてさえ凛々しさが損なわれない横顔を見つめながら、エミールは吐息する。
軍神フォルスかぁ、と声に出さずにつぶやいて、膝の上のクラウスの手にてのひらを重ねた。
クラウスと正式なつがいとなり、婚姻の儀も終えて、出会ってからの月日を数えてみればもう四年以上が経過していた。
クラウスの役割、クラウスの立場、クラウスの信念。エミールをまもるため必要以上の情報を与えてくれない、自分のこととなると途端に口数が少なくなる男の内心を、エミールはすこしだけ察知できるようになっていた。
すべてを言われずとも、理解できる。これがつがいになるということなのだろうか。
エミールは、おのれの身の危うさについてもわかってきた。
クラウスがなにを警戒しているのか、なぜエミールの身を案じているのか。
革命派にとっても穏健派にとっても、エミールという駒は他愛なく捨てることのできる、実に軽い存在だ。それはエミールが平民であるからに他ならない。エミールを排除したところで、クラウス以外に影響はないのだ。
これが貴族であったならこうはいかない。たとえばアマーリエは父は大貴族、母は他国の姫君であり、アマーリエの身になにかがあると、ことは外交問題にまで発展する。だから誰も迂闊に手が出せない。
そういう後ろ盾を持たないエミールを、クラウスが行きすぎな程心配するのも、ある意味当然のことだった。
だが、エミールにも革命派や穏健派の思惑や動きがおぼろげながらも見えてきた。どの貴族がどちらに所属しているのか。そういう表だっては見えない部分も、スヴェンの情報網のおかげで掴むことができている。
アマーリエとは昨年のオシュトロークでのクラウスの活躍以降、個人的な関わりは持っていない。会えば世間話程度の会話は交わすけれど、それだけだ。
たぶん彼女も、いまはエミールと交遊すべきでないと思っている。
目立たず、出すぎず。
いまの自分の役割は、それだけだ。
利用価値のない凡庸な平民のオメガだと周囲に認識させていれば、その分エミールの利用価値も下がる。
エミールが安全圏にいること。それがクラウスの自由につながるのだから、余計な火の粉はかぶらないようおのれを律しなければならなかった。
「オレはあなたの役に立ってるんでしょうかねぇ……ねぇ、オレの騎士」
クラウスの手の甲をそっと撫でながら、エミールはささやきの音で問いかけた。
スヴェンはグラスを片付け、寝室の準備をしてくれている。
エミールの肩の上で、クラウスが頬ずりをするように顔を動かした。大きな手に、手を握られた。
「おまえの存在が、どれほど俺の力になっていることか……エル、おまえに私のこころを見せてやりたいぐらいだ」
低く滑らかな声が、エミールの鼓膜に響いた。
「……起きてたんですか」
「寝てしまいそうだ」
まぶたは閉じたままで、クラウスが薄く笑った。
「寝てくださいよ。あなた、働きすぎです」
「一緒に寝よう」
「オレと一緒だと、休まらないでしょう」
「なにを言う。おまえが居ない方が眠れない」
「こういうときだけ、口が上手いですよね」
エミールは半眼になり、クラウスのひたいを指先で小突いた。
「私はいつでもおまえに夢中だ」
「でも、今日はダメですよ」
「なぜだ。ファルケンのせいか」
「もう! なんでルーが関係あるんだよ! バカ王子」
エミールの罵倒に、クラウスが物問いたげに片目を開いた。目の下には薄い隈が浮いていた。エミールはそこを親指の腹で軽くさすって、答えた。
「あなたとくっついて寝て、うっかりヒートを起こしたら困るでしょう」
エミールの発情期が、周期的にそろそろだった。多忙なクラウスを気遣って今回は薬で抑えようかとも思ったが、大なり小なり副作用があるため、抑制剤の使用にクラウスは否定的だった。
それでなくともお試し期間の三年間、エミールは抑制剤を口にしていたので、これ以上おまえの体に負担になることはしてほしくない、というのがクラウスの言い分だった。
クラウスがエミールの首筋に鼻先を寄せ、くんと匂いを嗅いだ。
「そうか。もうそろそろか」
「忙しいようなら今回は」
「抑制剤は飲むなよ」
「……でもラス、休暇は」
「とる。このときのために日頃真面目に働いているんだ」
二か月に一度、約七日間の発情期。クラウスはその期間、エミールに付きっきりになってくれる。
このときも迷いなく休みをとると言ってくれたつがいに、エミールは苦笑いを浮かべた。
その数日後、エミールは発情期に入った。
クラウスは有言実行とばかりに休暇をとり、四六時中エミールと一緒に居てくれた。
気づけばクラウスには、軍神フォルスの再来やら人狼の二つ名がついていた。
最初に目撃されたのがクラウスただひとりであったため、そこにマリウスも存在したという事実は巧妙に伏せられた形であった。
この一件がなければ、革命派がここまで台頭することはなかっただろう、というのがクラウスの考えだ。
「私のこの体験は、まさに革命派にとっては神の恩恵とも言える。強き大国よ再び。それが革命派の理念だ。軍神フォルスと同じ経験を得た私は、彼らにとって格好の旗印となり得た」
以降ドナースマルクら革命派は着実に同志を増やしていったという。
クラウスが狼にまもられたことこそが、天の采配だと声高に謳って。
噂には尾ひれがつく。
クラウスの与り知らぬところで、いつの間にかクラウスは英雄に仕立て上げられていたのだった。
「だから嫌なのだ」
とクラウスが眉間にしわを刻んだまま独白のように言った。
「私は、私以上のものにはなれぬ。それを英雄だライカンスロープだともてはやされても困る。それに……ライカンスロープを名乗るべき者は、他に居る」
「……?」
エミールは首を傾げて言葉の続きを待ったが、クラウスからはそれ以上の説明はなかった。
彼はグラスの中のアルコールを一息に煽ると、まぶたを閉じてエミールの肩にもたれかかってきた。疲れているのだ。朝から晩まで働き詰めなのだから当然だ。
すぐに軽い寝息が聞こえてきた。
騎士団で鍛え上げられてきたクラウスは、寝つきが早い。寝れるときに寝る、というのが身に沁みついているのだという。
束の間の休息を妨げるわけにもいかず、エミールはスヴェンにひざ掛けを持ってきてもらい、クラウスへと被せた。
寝ていてさえ凛々しさが損なわれない横顔を見つめながら、エミールは吐息する。
軍神フォルスかぁ、と声に出さずにつぶやいて、膝の上のクラウスの手にてのひらを重ねた。
クラウスと正式なつがいとなり、婚姻の儀も終えて、出会ってからの月日を数えてみればもう四年以上が経過していた。
クラウスの役割、クラウスの立場、クラウスの信念。エミールをまもるため必要以上の情報を与えてくれない、自分のこととなると途端に口数が少なくなる男の内心を、エミールはすこしだけ察知できるようになっていた。
すべてを言われずとも、理解できる。これがつがいになるということなのだろうか。
エミールは、おのれの身の危うさについてもわかってきた。
クラウスがなにを警戒しているのか、なぜエミールの身を案じているのか。
革命派にとっても穏健派にとっても、エミールという駒は他愛なく捨てることのできる、実に軽い存在だ。それはエミールが平民であるからに他ならない。エミールを排除したところで、クラウス以外に影響はないのだ。
これが貴族であったならこうはいかない。たとえばアマーリエは父は大貴族、母は他国の姫君であり、アマーリエの身になにかがあると、ことは外交問題にまで発展する。だから誰も迂闊に手が出せない。
そういう後ろ盾を持たないエミールを、クラウスが行きすぎな程心配するのも、ある意味当然のことだった。
だが、エミールにも革命派や穏健派の思惑や動きがおぼろげながらも見えてきた。どの貴族がどちらに所属しているのか。そういう表だっては見えない部分も、スヴェンの情報網のおかげで掴むことができている。
アマーリエとは昨年のオシュトロークでのクラウスの活躍以降、個人的な関わりは持っていない。会えば世間話程度の会話は交わすけれど、それだけだ。
たぶん彼女も、いまはエミールと交遊すべきでないと思っている。
目立たず、出すぎず。
いまの自分の役割は、それだけだ。
利用価値のない凡庸な平民のオメガだと周囲に認識させていれば、その分エミールの利用価値も下がる。
エミールが安全圏にいること。それがクラウスの自由につながるのだから、余計な火の粉はかぶらないようおのれを律しなければならなかった。
「オレはあなたの役に立ってるんでしょうかねぇ……ねぇ、オレの騎士」
クラウスの手の甲をそっと撫でながら、エミールはささやきの音で問いかけた。
スヴェンはグラスを片付け、寝室の準備をしてくれている。
エミールの肩の上で、クラウスが頬ずりをするように顔を動かした。大きな手に、手を握られた。
「おまえの存在が、どれほど俺の力になっていることか……エル、おまえに私のこころを見せてやりたいぐらいだ」
低く滑らかな声が、エミールの鼓膜に響いた。
「……起きてたんですか」
「寝てしまいそうだ」
まぶたは閉じたままで、クラウスが薄く笑った。
「寝てくださいよ。あなた、働きすぎです」
「一緒に寝よう」
「オレと一緒だと、休まらないでしょう」
「なにを言う。おまえが居ない方が眠れない」
「こういうときだけ、口が上手いですよね」
エミールは半眼になり、クラウスのひたいを指先で小突いた。
「私はいつでもおまえに夢中だ」
「でも、今日はダメですよ」
「なぜだ。ファルケンのせいか」
「もう! なんでルーが関係あるんだよ! バカ王子」
エミールの罵倒に、クラウスが物問いたげに片目を開いた。目の下には薄い隈が浮いていた。エミールはそこを親指の腹で軽くさすって、答えた。
「あなたとくっついて寝て、うっかりヒートを起こしたら困るでしょう」
エミールの発情期が、周期的にそろそろだった。多忙なクラウスを気遣って今回は薬で抑えようかとも思ったが、大なり小なり副作用があるため、抑制剤の使用にクラウスは否定的だった。
それでなくともお試し期間の三年間、エミールは抑制剤を口にしていたので、これ以上おまえの体に負担になることはしてほしくない、というのがクラウスの言い分だった。
クラウスがエミールの首筋に鼻先を寄せ、くんと匂いを嗅いだ。
「そうか。もうそろそろか」
「忙しいようなら今回は」
「抑制剤は飲むなよ」
「……でもラス、休暇は」
「とる。このときのために日頃真面目に働いているんだ」
二か月に一度、約七日間の発情期。クラウスはその期間、エミールに付きっきりになってくれる。
このときも迷いなく休みをとると言ってくれたつがいに、エミールは苦笑いを浮かべた。
その数日後、エミールは発情期に入った。
クラウスは有言実行とばかりに休暇をとり、四六時中エミールと一緒に居てくれた。
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