その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

文字の大きさ
8 / 19

しおりを挟む
 淡く輝き内側にらせんを光らせる装置を、姫は興味深そうに眺めていた。

 「わたくしも、父に同行して食事の席へ出た折、登録をしたことがありますわ。けれど、発動しているところを見るのは初めてです」

 ユリウスは軽く目を細めた。

 「それは光栄です。姫様もご結婚されましたから、これから外交の場などで使う機会も増えることでしょう」

 「そう……そうね。そういった役目も、必要ですものね」

 紅茶を口に運んだ姫の指が、かすかに震えた。

 つまりそれは、夫婦で出席する機会もあるだろうという含み。
 けれど――心の奥で、彼女は別の言葉を飲み込んだ。

 けれど、ユリウス。
 あなたも知っている通り、わたくしとあの方は三年後には終わる関係。

 ……どれほどの機会があるのかしら。
 

***


 「今日は特別なお茶を、とっておきのブレンドです」

 「ありがとう、とっても美味しいわ」

 ユリウスが示したティーセットから、薔薇と果実の香りが立ちのぼる。
 白磁のカップが光を受けて柔らかにきらめいた。

 一つ、二つ……当たり障りのない話題をやり過ごした後だった。

 薔薇の香りが漂う庭園の東屋。白布が風に揺れ、昼下がりの陽光をやわらかく散らしている。
 ミレナシアは優雅にカップを傾けながら、けれどその笑みの奥にどこか翳りを残していた。

 ユリウス・ド・ベルフォールは、そんな彼女を見て困ったように微笑む。
 咳ばらいを一つすると、姫の注意がユリウスへと移った。それを確認して、彼はひっそりと声のトーンを落とす。
 この簡易結界の内側にあっても、とびっきりの秘密を明かすように。

 「ところで姫様、僕はひとつ――魔法を使えるんです」

 「まあ、魔法ですって?」

 ミレナシアがおかしそうに微笑んだ。お芝居にのってあげましょうね、という戯れの響き。
 その反応にユリウスは満足げに目を細めた。

 「ご覧になります?」

 「ぜひ」

 ユリウスは軽やかに立ち上がると、姫の近くへ歩み寄った。

 「それでは、ちょっと失礼して」

 紅茶の香りがふわりと揺れる。彼はミレナシアのティーカップを手に取り、花びらの形をした小さな砂糖をひとひら落とした。
 つづいてミルクを少し注ぎ、ティースプーンを差し入れる。

 器に当てぬよう、スプーンはゆらゆらと前後に揺らす。
 ゆっくり、穏やかに――。

 きれいなミルクティーが出来上がった。
 ユリウスは、姫の手元へとカップを戻す。

 ──目の前で、奇術が行われているかのよう。
 ミレナシアはくすくすと小さな笑い声を漏らしている。

 「これは、魔法のミルクティーです」

 ユリウスは芝居がかった口調でそう言うと、かしこまった態度で胸に手を当て、お辞儀をした。

 「なんと、飲んだ人は嘘がつけなくなってしまう」

 「嘘が……?」

 その瞬間、ミレナシアの心臓がどくんと鳴った。
 ただの冗談だと分かっているのに、その言葉が胸の奥をくすぐる。

 ユリウスは何も言わず、自らの席に戻った。
 これは、彼からのおまじない──いたずらっぽくウインクをしたユリウスが、ミレナシアの葛藤を慰めてくれる。

 「ですから、本当のことを言ってもいいんですよ。大丈夫、この結界の中で話したことは、僕たちにしか聞こえない」

 「ユーリ……」

 思わず幼い折のあだ名が口をついて出た。彼は特に何も言わず、優雅に片眉のみを上げてみせる。

 東屋の中は静まり返っていた。
 風の音も、鳥の囀りも遠く感じる。

 「どうぞ、ミレナシア」

 促されるまま、ミレナシアはゆっくりとカップを取った。
 温かな香りが、胸の奥に染みわたっていく。
 その味は、どこか懐かしく――そして、少しだけ切なかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

婚約者に値踏みされ続けた文官、堪忍袋の緒が切れたのでお別れしました。私は、私を尊重してくれる人を大切にします!

ささい
恋愛
王城で文官として働くリディア・フィアモントは、冷たい婚約者に評価されず疲弊していた。三度目の「婚約解消してもいい」の言葉に、ついに決断する。自由を得た彼女は、日々の書類仕事に誇りを取り戻し、誰かに頼られることの喜びを実感する。王城の仕事を支えつつ、自分らしい生活と自立を歩み始める物語。 ざまあは後悔する系( ^^) _旦~~ 小説家になろうにも投稿しております。

愛してしまって、ごめんなさい

oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」 初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。 けれど私は赦されない人間です。 最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。 ※全9話。 毎朝7時に更新致します。

顔も知らない旦那様に間違えて手紙を送ったら、溺愛が返ってきました

ラム猫
恋愛
 セシリアは、政略結婚でアシュレイ・ハンベルク侯爵に嫁いで三年になる。しかし夫であるアシュレイは稀代の軍略家として戦争で前線に立ち続けており、二人は一度も顔を合わせたことがなかった。セシリアは孤独な日々を送り、周囲からは「忘れられた花嫁」として扱われていた。  ある日、セシリアは親友宛てに夫への不満と愚痴を書き連ねた手紙を、誤ってアシュレイ侯爵本人宛てで送ってしまう。とんでもない過ちを犯したと震えるセシリアの元へ、数週間後、夫から返信が届いた。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。 ※全部で四話になります。

最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。

佐藤 美奈
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。 幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。 一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。 ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

双子の姉に聴覚を奪われました。

浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』 双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。 さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。 三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。

【完結】もう一度あなたと結婚するくらいなら、初恋の騎士様を選びます。

恋愛
「価値のない君を愛してあげられるのは僕だけだよ?」 気弱な伯爵令嬢カトレアは両親や親友に勧められるまま幼なじみと結婚する。しかし彼は束縛や暴言で彼女をコントロールするモラハラ男だった。 ある日カトレアは夫の愛人である親友に毒殺されてしまう。裏切られた彼女が目を覚ますと、そこは婚約を結ぶきっかけとなった8年前に逆行していた。 このままではまた地獄の生活が始まってしまう……! 焦ったカトレアの前に現れたのは、当時少しだけ恋心を抱いていたコワモテの騎士だった。 もし人生やり直しが出来るなら、諦めた初恋の騎士様を選んでもいいの……よね? 逆行したヒロインが初恋の騎士と人生リスタートするお話。 ざまぁ必須、基本ヒロイン愛されています。 ※誤字脱字にご注意ください。 ※作者は更新頻度にムラがあります。どうぞ寛大なお心でお楽しみ下さい。 ※ご都合主義のファンタジー要素あり。

処理中です...