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小話 王国騎士団の副団長
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夜の王城は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
とはいえ、まったくの静寂というわけでもない。大広間ではまだ、名残を惜しむ客たちがソファへ腰を下ろし、香の焚かれた空気の中で歓談を続けていた。
笑い声やグラスの触れ合う音が、遠くでかすかに響いている。
王女殿下――いまや正式にカインの妻となったミレナシアは、すでに侍女に連れられ、寝支度へと下がっていた。
白銀のドレス姿だった。立ち尽くしたまま見送ったが、彼女を思い出すと胸の奥が温かくもむず痒くなる。
カインはというと、先ほどまで話好きの高位貴族に捕まっていた。
それも「いや実にめでたい」「いやまことにお似合いで」から始まり、「わたしも若いころは――」という余談にまで及ぶ長丁場だった。
貴族の笑顔の裏に、政や縁談の計算が透けて見えることもある。
それでも今日は、誰もが心から祝ってくれているのがわかっていた。
……ありがたいことだ。
そう思いながらも……いつも以上に無礼を働いてはならないという意識が、自らの身体から力を緩めることを許さないでいる。
(……さすがに疲れた)
苦笑を漏らしながら、カインは重い礼服の襟を指で緩める。
広間の奥、バルコニーへ続く扉を開くと、ひやりとした夜気が頬を撫でた。
昼間の熱がすっかり抜けた石造りの壁は冷たく、月の光がそれを銀に照らしている。
大勢の中から抜け出したことで、長い披露宴の間ずっと張り詰めていた背筋の緊張が、ようやく落ち着いたような感覚があった。
息を吐くと、胸の奥の強張りが少しずつほどけていく。
そんな静けさの中で、ふと視線の先にあった影が動いた。
バルコニーにはすでに先客がいた。
白い手袋を外し、片手にワイングラスを持った男――王国騎士団の副団長。
「お疲れさま」
月明かりを背に受けて、軽やかに笑う。
その声に、カインは肩の力を抜いて名を呼んだ。
「……ユリウス」
呼ばれた男は軽く手を振り、石欄干に背を預けながら隣を顎で示した。
示されたままカインは無言で並び、置かれていたボトルからグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
風が吹き抜けるたびに蝋燭の炎が揺れ、ガラスの縁に月光が反射した。
「改めて、乾杯くらいしておこうよ」
「そうだな」
ふたりのグラスが小さく触れ合い、澄んだ音が夜に溶ける。
喉を落ちていく熟成酒の香りは深く、少しの苦みが舌に残った。
ようやく人心地がつく。
広間のざわめきが遠ざかり、ただ風と、グラスの鳴る音だけが耳に届く。
「……ああいう場はどうにも肩が凝る」
「王族の結婚式だもん、多少はね。でも、いい式だった」
軽口を交えたユリウスの声は、夜風よりも柔らかかった。
カインは小さく笑い、杯を傾ける。披露宴の最中浴びるほど呑まされた酒精だが、夜風を受けながら喉に入れると腹の奥が温まる心地がした。
灯火の明滅がその瞳に揺れ、どこか疲れと安堵が混ざった色を映している。
やがてカインが、改まるように口を開いた。
とはいえ、まったくの静寂というわけでもない。大広間ではまだ、名残を惜しむ客たちがソファへ腰を下ろし、香の焚かれた空気の中で歓談を続けていた。
笑い声やグラスの触れ合う音が、遠くでかすかに響いている。
王女殿下――いまや正式にカインの妻となったミレナシアは、すでに侍女に連れられ、寝支度へと下がっていた。
白銀のドレス姿だった。立ち尽くしたまま見送ったが、彼女を思い出すと胸の奥が温かくもむず痒くなる。
カインはというと、先ほどまで話好きの高位貴族に捕まっていた。
それも「いや実にめでたい」「いやまことにお似合いで」から始まり、「わたしも若いころは――」という余談にまで及ぶ長丁場だった。
貴族の笑顔の裏に、政や縁談の計算が透けて見えることもある。
それでも今日は、誰もが心から祝ってくれているのがわかっていた。
……ありがたいことだ。
そう思いながらも……いつも以上に無礼を働いてはならないという意識が、自らの身体から力を緩めることを許さないでいる。
(……さすがに疲れた)
苦笑を漏らしながら、カインは重い礼服の襟を指で緩める。
広間の奥、バルコニーへ続く扉を開くと、ひやりとした夜気が頬を撫でた。
昼間の熱がすっかり抜けた石造りの壁は冷たく、月の光がそれを銀に照らしている。
大勢の中から抜け出したことで、長い披露宴の間ずっと張り詰めていた背筋の緊張が、ようやく落ち着いたような感覚があった。
息を吐くと、胸の奥の強張りが少しずつほどけていく。
そんな静けさの中で、ふと視線の先にあった影が動いた。
バルコニーにはすでに先客がいた。
白い手袋を外し、片手にワイングラスを持った男――王国騎士団の副団長。
「お疲れさま」
月明かりを背に受けて、軽やかに笑う。
その声に、カインは肩の力を抜いて名を呼んだ。
「……ユリウス」
呼ばれた男は軽く手を振り、石欄干に背を預けながら隣を顎で示した。
示されたままカインは無言で並び、置かれていたボトルからグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
風が吹き抜けるたびに蝋燭の炎が揺れ、ガラスの縁に月光が反射した。
「改めて、乾杯くらいしておこうよ」
「そうだな」
ふたりのグラスが小さく触れ合い、澄んだ音が夜に溶ける。
喉を落ちていく熟成酒の香りは深く、少しの苦みが舌に残った。
ようやく人心地がつく。
広間のざわめきが遠ざかり、ただ風と、グラスの鳴る音だけが耳に届く。
「……ああいう場はどうにも肩が凝る」
「王族の結婚式だもん、多少はね。でも、いい式だった」
軽口を交えたユリウスの声は、夜風よりも柔らかかった。
カインは小さく笑い、杯を傾ける。披露宴の最中浴びるほど呑まされた酒精だが、夜風を受けながら喉に入れると腹の奥が温まる心地がした。
灯火の明滅がその瞳に揺れ、どこか疲れと安堵が混ざった色を映している。
やがてカインが、改まるように口を開いた。
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