その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

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小話 王国騎士団の副団長2

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「……お前には世話になった」

 何のことだ、と尋ねるような無粋な真似は返ってこない。ユリウスは軽く肩をすくめ、何でもないことのように笑った。

「どういたしまして。我らが団長殿と姫様のことだからね」
 
 定型句のように冗談めかした軽やかさの奥に、隠しきれないような喜びも垣間見える気がして、カインは目を細くした。
 月の光が黒髪の間を滑り、銀色の縁取りを作っている。

 カインの心には、蟠わだかまりのような疑念がずっとくすぶっていた。アルコールで滑らかにした唇が、ふいに押し込めていた懸念を滑らせる。

「……しかし…、てっきりお前は、姫様のことが――」

 思わずこぼれた言葉に、ユリウスが小さくまばたきをする。
 次の瞬間、彼はふっと吹き出した。

「はは、そう見えた?」

「いや……」

 カインは答えられず、晴れやかな礼服には似合わない表情を作った。そのいかめしさにユリウスは喉を鳴らして笑い、これまた何てことのないように、真相を明かした。

「ただ僕、三次元の女性には興味なくて……」

「……何だって?」

 聞き慣れない言葉に、カインの眉がぴくりと動く。
 ユリウスはおかしそうにグラスを揺らしながら、何かを思い出すように視線を夜空へ向けた。

「王宮では割と周知の事実なんだけどなあ。まあ君、あんまりうわさ話とかしないたちだもんね」

「……いや、待て。三次元って、どういう意味だ?」

 その問いに、ユリウスは笑いを堪えきれず、口元を覆う。
 そして、まるで秘密を打ち明けるように声を潜めた。……いや、言った通り周知のことなんだけどさ。

「この世界の女性ってこと。僕の好みは――紙の上にしかいないんだ」

 月明かりの下、カインはぽかんと口を開けたまま固まった。
 言葉の意味を理解しようとしたが、まるで異国の呪文を聞かされたような気分だった。

「……紙の上……? それは、つまり、絵か?」

「うん、絵とか物語の中の人。聞いたことない? 俺の嫁は~なんて文化。元々これは異世界の考え方でさ……」

 愉快そうに語るユリウスの声に、いつにない熱が込められているような気がしている。
 だがその楽しげな響きが、カインにはまるで理解できない。

「……そういう問題じゃない……」

 思わず低くつぶやき、額に手を当てる。絵画や美術が趣味などと聞いたことはある。あるが、これはあまりにも斜め上の返答ではないのか。

「お前は時々、何を言っているのか本気でわからん」

「いいじゃないか、趣味は自由なものだよ」

 ユリウスは笑いながら肩をすくめ、グラスを月に掲げた。
 冗談を言っているようでいて、何に杯を捧げてるのか分かったものではない。

「……まったく……」

 カインはため息をつき、もう一度酒をあおった。
 舌の上に残る苦味とともに、何とも言えない脱力感が広がっていく。

「まあまあ、いい夜じゃないか」

 ユリウスはそう言って、夜空を見上げる。

「ほら、月も君たちを祝福してるよ」

 カインもつられて空を仰いだ。
 白金の光が雲の切れ間から流れ落ち、静かな庭園を照らしている。
 夜風が二人の礼服の裾を揺らし、香の名残をさらっていった。

 披露宴の喧騒は遠く、王城はようやく眠りにつこうとしている。
 カインは静かにグラスを掲げ、苦笑した。

「……今度、お前の嫁とやらをしてくれ」

「いいの? じゃあ姫様も交えてさ……!」

 再びグラスの縁が小さく触れ合い、澄んだ音を立てる。
 月光に包まれた二人の影が、乾杯の仕草で静かに揺れた。


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