17 / 19
小話 王国騎士団の副団長
しおりを挟む
夜の王城は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
とはいえ、まったくの静寂というわけでもない。大広間ではまだ、名残を惜しむ客たちがソファへ腰を下ろし、香の焚かれた空気の中で歓談を続けていた。
笑い声やグラスの触れ合う音が、遠くでかすかに響いている。
王女殿下――いまや正式にカインの妻となったミレナシアは、すでに侍女に連れられ、寝支度へと下がっていた。
白銀のドレス姿だった。立ち尽くしたまま見送ったが、彼女を思い出すと胸の奥が温かくもむず痒くなる。
カインはというと、先ほどまで話好きの高位貴族に捕まっていた。
それも「いや実にめでたい」「いやまことにお似合いで」から始まり、「わたしも若いころは――」という余談にまで及ぶ長丁場だった。
貴族の笑顔の裏に、政や縁談の計算が透けて見えることもある。
それでも今日は、誰もが心から祝ってくれているのがわかっていた。
……ありがたいことだ。
そう思いながらも……いつも以上に無礼を働いてはならないという意識が、自らの身体から力を緩めることを許さないでいる。
(……さすがに疲れた)
苦笑を漏らしながら、カインは重い礼服の襟を指で緩める。
広間の奥、バルコニーへ続く扉を開くと、ひやりとした夜気が頬を撫でた。
昼間の熱がすっかり抜けた石造りの壁は冷たく、月の光がそれを銀に照らしている。
大勢の中から抜け出したことで、長い披露宴の間ずっと張り詰めていた背筋の緊張が、ようやく落ち着いたような感覚があった。
息を吐くと、胸の奥の強張りが少しずつほどけていく。
そんな静けさの中で、ふと視線の先にあった影が動いた。
バルコニーにはすでに先客がいた。
白い手袋を外し、片手にワイングラスを持った男――王国騎士団の副団長。
「お疲れさま」
月明かりを背に受けて、軽やかに笑う。
その声に、カインは肩の力を抜いて名を呼んだ。
「……ユリウス」
呼ばれた男は軽く手を振り、石欄干に背を預けながら隣を顎で示した。
示されたままカインは無言で並び、置かれていたボトルからグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
風が吹き抜けるたびに蝋燭の炎が揺れ、ガラスの縁に月光が反射した。
「改めて、乾杯くらいしておこうよ」
「そうだな」
ふたりのグラスが小さく触れ合い、澄んだ音が夜に溶ける。
喉を落ちていく熟成酒の香りは深く、少しの苦みが舌に残った。
ようやく人心地がつく。
広間のざわめきが遠ざかり、ただ風と、グラスの鳴る音だけが耳に届く。
「……ああいう場はどうにも肩が凝る」
「王族の結婚式だもん、多少はね。でも、いい式だった」
軽口を交えたユリウスの声は、夜風よりも柔らかかった。
カインは小さく笑い、杯を傾ける。披露宴の最中浴びるほど呑まされた酒精だが、夜風を受けながら喉に入れると腹の奥が温まる心地がした。
灯火の明滅がその瞳に揺れ、どこか疲れと安堵が混ざった色を映している。
やがてカインが、改まるように口を開いた。
とはいえ、まったくの静寂というわけでもない。大広間ではまだ、名残を惜しむ客たちがソファへ腰を下ろし、香の焚かれた空気の中で歓談を続けていた。
笑い声やグラスの触れ合う音が、遠くでかすかに響いている。
王女殿下――いまや正式にカインの妻となったミレナシアは、すでに侍女に連れられ、寝支度へと下がっていた。
白銀のドレス姿だった。立ち尽くしたまま見送ったが、彼女を思い出すと胸の奥が温かくもむず痒くなる。
カインはというと、先ほどまで話好きの高位貴族に捕まっていた。
それも「いや実にめでたい」「いやまことにお似合いで」から始まり、「わたしも若いころは――」という余談にまで及ぶ長丁場だった。
貴族の笑顔の裏に、政や縁談の計算が透けて見えることもある。
それでも今日は、誰もが心から祝ってくれているのがわかっていた。
……ありがたいことだ。
そう思いながらも……いつも以上に無礼を働いてはならないという意識が、自らの身体から力を緩めることを許さないでいる。
(……さすがに疲れた)
苦笑を漏らしながら、カインは重い礼服の襟を指で緩める。
広間の奥、バルコニーへ続く扉を開くと、ひやりとした夜気が頬を撫でた。
昼間の熱がすっかり抜けた石造りの壁は冷たく、月の光がそれを銀に照らしている。
大勢の中から抜け出したことで、長い披露宴の間ずっと張り詰めていた背筋の緊張が、ようやく落ち着いたような感覚があった。
息を吐くと、胸の奥の強張りが少しずつほどけていく。
そんな静けさの中で、ふと視線の先にあった影が動いた。
バルコニーにはすでに先客がいた。
白い手袋を外し、片手にワイングラスを持った男――王国騎士団の副団長。
「お疲れさま」
月明かりを背に受けて、軽やかに笑う。
その声に、カインは肩の力を抜いて名を呼んだ。
「……ユリウス」
呼ばれた男は軽く手を振り、石欄干に背を預けながら隣を顎で示した。
示されたままカインは無言で並び、置かれていたボトルからグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
風が吹き抜けるたびに蝋燭の炎が揺れ、ガラスの縁に月光が反射した。
「改めて、乾杯くらいしておこうよ」
「そうだな」
ふたりのグラスが小さく触れ合い、澄んだ音が夜に溶ける。
喉を落ちていく熟成酒の香りは深く、少しの苦みが舌に残った。
ようやく人心地がつく。
広間のざわめきが遠ざかり、ただ風と、グラスの鳴る音だけが耳に届く。
「……ああいう場はどうにも肩が凝る」
「王族の結婚式だもん、多少はね。でも、いい式だった」
軽口を交えたユリウスの声は、夜風よりも柔らかかった。
カインは小さく笑い、杯を傾ける。披露宴の最中浴びるほど呑まされた酒精だが、夜風を受けながら喉に入れると腹の奥が温まる心地がした。
灯火の明滅がその瞳に揺れ、どこか疲れと安堵が混ざった色を映している。
やがてカインが、改まるように口を開いた。
75
あなたにおすすめの小説
【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。
※他サイトに自立も掲載しております
21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)
うちに待望の子供が産まれた…けど
satomi
恋愛
セント・ルミヌア王国のウェーリキン侯爵家に双子で生まれたアリサとカリナ。アリサは黒髪。黒髪が『不幸の象徴』とされているセント・ルミヌア王国では疎まれることとなる。対してカリナは金髪。家でも愛されて育つ。二人が4才になったときカリナはアリサを自分の侍女とすることに決めた(一方的に)それから、両親も家での事をすべてアリサ任せにした。
デビュタントで、カリナが皇太子に見られなかったことに腹を立てて、アリサを勘当。隣国へと国外追放した。
最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。
ぱんだ
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。
幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。
一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。
ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。
【完結】何回も告白されて断っていますが、(周りが応援?) 私婚約者がいますの。
BBやっこ
恋愛
ある日、学園のカフェでのんびりお茶と本を読みながら過ごしていると。
男性が近づいてきました。突然、私にプロポーズしてくる知らない男。
いえ、知った顔ではありました。学園の制服を着ています。
私はドレスですが、同級生の平民でした。
困ります。
【完結】名無しの物語
ジュレヌク
恋愛
『やはり、こちらを貰おう』
父が借金の方に娘を売る。
地味で無表情な姉は、21歳
美人で華やかな異母妹は、16歳。
45歳の男は、姉ではなく妹を選んだ。
侯爵家令嬢として生まれた姉は、家族を捨てる計画を立てていた。
甘い汁を吸い付くし、次の宿主を求め、異母妹と義母は、姉の婚約者を奪った。
男は、すべてを知った上で、妹を選んだ。
登場人物に、名前はない。
それでも、彼らは、物語を奏でる。
嫌いなところが多すぎるなら婚約を破棄しましょう
天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私ミリスは、婚約者ジノザに蔑まれていた。
侯爵令息のジノザは学園で「嫌いなところが多すぎる」と私を見下してくる。
そして「婚約を破棄したい」と言ったから、私は賛同することにした。
どうやらジノザは公爵令嬢と婚約して、貶めた私を愛人にするつもりでいたらしい。
そのために学園での評判を下げてきたようだけど、私はマルク王子と婚約が決まる。
楽しい日々を過ごしていると、ジノザは「婚約破棄を後悔している」と言い出した。
愛しの第一王子殿下
みつまめ つぼみ
恋愛
公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。
そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。
クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。
そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。
愛を知らないアレと呼ばれる私ですが……
ミィタソ
恋愛
伯爵家の次女——エミリア・ミーティアは、優秀な姉のマリーザと比較され、アレと呼ばれて馬鹿にされていた。
ある日のパーティで、両親に連れられて行った先で出会ったのは、アグナバル侯爵家の一人息子レオン。
そこで両親に告げられたのは、婚約という衝撃の二文字だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる