60 / 60
エピローグ・愛し愛されることが出来るなら
しおりを挟む
「脇が甘いですよ!」
「あ!」
アンドレウに鍛錬用の剣を飛ばされたマニウスは、たちまち泣き顔になって私のところへ戻ってきました。
「母上ー、アンドレウが意地悪しますー」
「あらあら。アンドレウは手加減してくれていましたよ? それで調子に乗って油断してしまったのはマニウスのほうでしょう?」
「うー」
私はしゃがんでマニウスと視線を合わせました。
マニウスはまだ五歳です。十五歳のアンドレウとは体格も腕力も違い過ぎます。
成長しても、ヒト族の私の血を引くマニウスは純粋な竜人族のアンドレウに力で敵うことはないでしょう。魔導でなら対抗出来るかもしれません。マニウスは私に似て闇の魔力が強そうなのです。
「よーし、マニウス。父が仇を取ってやろう」
「父上、頑張れー」
「ディアナ様の前で恥を掻かないと良いですね、ソティリオス様」
「言ったな」
私が竜王ニコラオス陛下と離縁してリナルディ王国へ戻ってから、十年が経ちます。
七年前に結婚して、五歳になる息子がひとりいます。
私の夫で息子の父親は──ソティリオス様です。
ソティリオス様との縁談は竜王陛下もお望みのことでした。
精霊王様の愛し子となった私をカサヴェテス竜王国に留めておきたかったのでしょう。
ですが私は、最初この縁談をお断りいたしました。ソティリオス様が嫌だったわけではありません。リナルディ王国へ戻ったら、私の立場が前とは変わっていたからです。
今の私はパルミエリ辺境伯なのです。
従姉のミネルヴァ様が国王である異母弟に嫁いだため、王妃が辺境伯でもあるのは権力が集中し過ぎるのではないかと物言いがつき、パルミエリ辺境伯家当主の座が従妹である私に転がり込んでいたのです。
異母弟とミネルヴァ様は、最初からこれを考えていたのかもしれません。
ふたりは竜王陛下にサギニ様がいらっしゃることは知っていましたし、ヒト族の私が陛下の番のはずはないと思っていたことでしょう。
あの一年間は、牢から出たばかりで世間知らずの私を利用しに近寄ってくるだろう人間を排除し、私をパルミエリ辺境伯に据えるための準備期間だったのかもしれません。
もちろん、私が取り扱いに困る厄介者だったのも事実です。
八年間牢で暮らしていた私には、なにもかもわからないことだらけでした。
それでも辺境伯領の主要産業となった魔道具制作の重鎮であるルキウスが私を支持してくれ、オレステス様にガヴラス大公家を譲ってリナルディ王国へ移住してきてくださったソティリオス様に支えられて、なんとかやって来ました。
カサヴェテス竜王国はあれから魔物の大暴走も減少して、平穏な日々が流れているようです。そうでなければ竜王陛下以外でただひとり巨竜化出来るソティリオス様がリナルディ王国へ移住したり出来ませんしね。
カサヴェテス竜王国が平和なので、精霊王様とご家族もよくお忍びでこちらへいらっしゃいます。
精霊王様に未来を視せたお子様は赤ちゃん仔犬から少年仔犬に成長されて、将来はうちのマニウスを守護したいとおっしゃってくれています。たぶんパルミエリ辺境伯領特産の美味しい海産物と毎回私がご用意させていただいている蜂蜜たっぷりパンケーキ目当てです。
……ふふっ。ソティリオス様も海産物を気に入ってくださって、あの収穫祭の日に話した焼き貝を肴によく晩酌を楽しんでいらっしゃいます。
「母上、アンドレウが押しています。もしかして今日はアンドレウが勝ってしまうのでしょうか?」
「いいえ。今日もお父様がお勝ちになりますよ」
私はドレスの裾を握って不安そうな顔をするマニウスの頭を撫でました。
剣術など齧ったこともない私ですが、結婚してから毎日ソティリオス様の鍛錬の様子を見てきたことで戦いの流れくらいは読み取れるようになったのです。
三年前にまだ十五歳じゃないけど強くなったから、と言って私のところへ来たアンドレウはソティリオス様にコテンパンにされ、以来従者として彼に仕えています。あの日剣のオモチャ目当てで去っていったのは、ソティリオス様の私への想いを悟って対抗するためだったと言われたのは本当でしょうか。
「ああっ!」
息子のマニウスの稽古を任されるほどの腕前になったアンドレウも、さすがにカサヴェテス竜王国の元近衛騎士隊長のソティリオス様には勝てません。
先ほどのマニウスのように剣を飛ばされてしまいました。
ソティリオス様が私のもとへ戻っていらっしゃいます。
「俺の勝ちだ。……ディアナ。勝者にキスをくれないか」
「そんな約束していませんよ」
夫婦になったので、ソティリオス様は私に丁寧な口調で話すのをやめています。
白銀色の瞳で悲しそうに見つめられて、私は小さく吹き出してしまいました。
彼は私の番ではありません。私も彼の番ではありません。
「……仕方がありませんね」
私は軽くかがんで見つめてくる愛しい人の頬に唇を重ねました。
「あー、父上ズルいー。母上、僕にもキスしてくださいー」
「マニウス様は俺に勝ってないから駄目ですよ」
「今度は勝ちます!」
嬉し気に微笑んだソティリオス様に肩を抱かれて、私はアンドレウに向かっていくマニウスを見送りました。
マニウスという名前は、あの竜人族特有の病気でお亡くなりになったソティリオス様の弟君のお名前です。
縁起が悪いかもしれないけれど私ならあの病気を治せるからこの名前をつけて欲しい、とオレステス様に願われたのです。
リナルディ王国もパルミエリ辺境伯領も平穏な毎日です。
黒い髪に紫の瞳、夜の化身のようだと言われた私の隣には、白銀色に輝く月のようなソティリオス様がいつもいてくださいます。
番ではないけれど、愛しい人です。ずっと見守ってくださっていた優しい人です。政治的な思惑がなにもなかったとは言えませんが、私が選び私を選んでくれた方です。
たとえ番でないとしても、これからもずっと私はソティリオス様を愛し続けていくのです。
そして、ソティリオス様もずっと私を愛してくださったら嬉しいのにと願っています。
いつまでもこうして清々しい麝香草の香りで包んでいただけたら、どんなに幸せなことでしょう。私は隣に立つ彼の肩に、そっと頭を預けたのでした。
「あ!」
アンドレウに鍛錬用の剣を飛ばされたマニウスは、たちまち泣き顔になって私のところへ戻ってきました。
「母上ー、アンドレウが意地悪しますー」
「あらあら。アンドレウは手加減してくれていましたよ? それで調子に乗って油断してしまったのはマニウスのほうでしょう?」
「うー」
私はしゃがんでマニウスと視線を合わせました。
マニウスはまだ五歳です。十五歳のアンドレウとは体格も腕力も違い過ぎます。
成長しても、ヒト族の私の血を引くマニウスは純粋な竜人族のアンドレウに力で敵うことはないでしょう。魔導でなら対抗出来るかもしれません。マニウスは私に似て闇の魔力が強そうなのです。
「よーし、マニウス。父が仇を取ってやろう」
「父上、頑張れー」
「ディアナ様の前で恥を掻かないと良いですね、ソティリオス様」
「言ったな」
私が竜王ニコラオス陛下と離縁してリナルディ王国へ戻ってから、十年が経ちます。
七年前に結婚して、五歳になる息子がひとりいます。
私の夫で息子の父親は──ソティリオス様です。
ソティリオス様との縁談は竜王陛下もお望みのことでした。
精霊王様の愛し子となった私をカサヴェテス竜王国に留めておきたかったのでしょう。
ですが私は、最初この縁談をお断りいたしました。ソティリオス様が嫌だったわけではありません。リナルディ王国へ戻ったら、私の立場が前とは変わっていたからです。
今の私はパルミエリ辺境伯なのです。
従姉のミネルヴァ様が国王である異母弟に嫁いだため、王妃が辺境伯でもあるのは権力が集中し過ぎるのではないかと物言いがつき、パルミエリ辺境伯家当主の座が従妹である私に転がり込んでいたのです。
異母弟とミネルヴァ様は、最初からこれを考えていたのかもしれません。
ふたりは竜王陛下にサギニ様がいらっしゃることは知っていましたし、ヒト族の私が陛下の番のはずはないと思っていたことでしょう。
あの一年間は、牢から出たばかりで世間知らずの私を利用しに近寄ってくるだろう人間を排除し、私をパルミエリ辺境伯に据えるための準備期間だったのかもしれません。
もちろん、私が取り扱いに困る厄介者だったのも事実です。
八年間牢で暮らしていた私には、なにもかもわからないことだらけでした。
それでも辺境伯領の主要産業となった魔道具制作の重鎮であるルキウスが私を支持してくれ、オレステス様にガヴラス大公家を譲ってリナルディ王国へ移住してきてくださったソティリオス様に支えられて、なんとかやって来ました。
カサヴェテス竜王国はあれから魔物の大暴走も減少して、平穏な日々が流れているようです。そうでなければ竜王陛下以外でただひとり巨竜化出来るソティリオス様がリナルディ王国へ移住したり出来ませんしね。
カサヴェテス竜王国が平和なので、精霊王様とご家族もよくお忍びでこちらへいらっしゃいます。
精霊王様に未来を視せたお子様は赤ちゃん仔犬から少年仔犬に成長されて、将来はうちのマニウスを守護したいとおっしゃってくれています。たぶんパルミエリ辺境伯領特産の美味しい海産物と毎回私がご用意させていただいている蜂蜜たっぷりパンケーキ目当てです。
……ふふっ。ソティリオス様も海産物を気に入ってくださって、あの収穫祭の日に話した焼き貝を肴によく晩酌を楽しんでいらっしゃいます。
「母上、アンドレウが押しています。もしかして今日はアンドレウが勝ってしまうのでしょうか?」
「いいえ。今日もお父様がお勝ちになりますよ」
私はドレスの裾を握って不安そうな顔をするマニウスの頭を撫でました。
剣術など齧ったこともない私ですが、結婚してから毎日ソティリオス様の鍛錬の様子を見てきたことで戦いの流れくらいは読み取れるようになったのです。
三年前にまだ十五歳じゃないけど強くなったから、と言って私のところへ来たアンドレウはソティリオス様にコテンパンにされ、以来従者として彼に仕えています。あの日剣のオモチャ目当てで去っていったのは、ソティリオス様の私への想いを悟って対抗するためだったと言われたのは本当でしょうか。
「ああっ!」
息子のマニウスの稽古を任されるほどの腕前になったアンドレウも、さすがにカサヴェテス竜王国の元近衛騎士隊長のソティリオス様には勝てません。
先ほどのマニウスのように剣を飛ばされてしまいました。
ソティリオス様が私のもとへ戻っていらっしゃいます。
「俺の勝ちだ。……ディアナ。勝者にキスをくれないか」
「そんな約束していませんよ」
夫婦になったので、ソティリオス様は私に丁寧な口調で話すのをやめています。
白銀色の瞳で悲しそうに見つめられて、私は小さく吹き出してしまいました。
彼は私の番ではありません。私も彼の番ではありません。
「……仕方がありませんね」
私は軽くかがんで見つめてくる愛しい人の頬に唇を重ねました。
「あー、父上ズルいー。母上、僕にもキスしてくださいー」
「マニウス様は俺に勝ってないから駄目ですよ」
「今度は勝ちます!」
嬉し気に微笑んだソティリオス様に肩を抱かれて、私はアンドレウに向かっていくマニウスを見送りました。
マニウスという名前は、あの竜人族特有の病気でお亡くなりになったソティリオス様の弟君のお名前です。
縁起が悪いかもしれないけれど私ならあの病気を治せるからこの名前をつけて欲しい、とオレステス様に願われたのです。
リナルディ王国もパルミエリ辺境伯領も平穏な毎日です。
黒い髪に紫の瞳、夜の化身のようだと言われた私の隣には、白銀色に輝く月のようなソティリオス様がいつもいてくださいます。
番ではないけれど、愛しい人です。ずっと見守ってくださっていた優しい人です。政治的な思惑がなにもなかったとは言えませんが、私が選び私を選んでくれた方です。
たとえ番でないとしても、これからもずっと私はソティリオス様を愛し続けていくのです。
そして、ソティリオス様もずっと私を愛してくださったら嬉しいのにと願っています。
いつまでもこうして清々しい麝香草の香りで包んでいただけたら、どんなに幸せなことでしょう。私は隣に立つ彼の肩に、そっと頭を預けたのでした。
1,228
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
間違えられた番様は、消えました。
夕立悠理
恋愛
※小説家になろう様でも投稿を始めました!お好きなサイトでお読みください※
竜王の治める国ソフームには、運命の番という存在がある。
運命の番――前世で深く愛しあい、来世も恋人になろうと誓い合った相手のことをさす。特に竜王にとっての「運命の番」は特別で、国に繁栄を与える存在でもある。
「ロイゼ、君は私の運命の番じゃない。だから、選べない」
ずっと慕っていた竜王にそう告げられた、ロイゼ・イーデン。しかし、ロイゼは、知っていた。
ロイゼこそが、竜王の『運命の番』だと。
「エルマ、私の愛しい番」
けれどそれを知らない竜王は、今日もロイゼの親友に愛を囁く。
いつの間にか、ロイゼの呼び名は、ロイゼから番の親友、そして最後は嘘つきに変わっていた。
名前を失くしたロイゼは、消えることにした。
婚約者に愛する人が出来たので、身を引く事にしました
Blue
恋愛
幼い頃から家族ぐるみで仲が良かったサーラとトンマーゾ。彼が学園に通うようになってしばらくして、彼から告白されて婚約者になった。サーラも彼を好きだと自覚してからは、穏やかに付き合いを続けていたのだが、そんな幸せは壊れてしまう事になる。
あなたの運命になりたかった
夕立悠理
恋愛
──あなたの、『運命』になりたかった。
コーデリアには、竜族の恋人ジャレッドがいる。竜族には、それぞれ、番という存在があり、それは運命で定められた結ばれるべき相手だ。けれど、コーデリアは、ジャレッドの番ではなかった。それでも、二人は愛し合い、ジャレッドは、コーデリアにプロポーズする。幸せの絶頂にいたコーデリア。しかし、その翌日、ジャレッドの番だという女性が現れて──。
※一話あたりの文字数がとても少ないです。
※小説家になろう様にも投稿しています
竜王の花嫁は番じゃない。
豆狸
恋愛
「……だから申し上げましたのに。私は貴方の番(つがい)などではないと。私はなんの衝動も感じていないと。私には……愛する婚約者がいるのだと……」
シンシアの瞳に涙はない。もう涸れ果ててしまっているのだ。
──番じゃないと叫んでも聞いてもらえなかった花嫁の話です。
あなたの妻にはなりません
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。
彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。
幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。
彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。
悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。
彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。
あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。
悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。
「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」
完結 貴方が忘れたと言うのなら私も全て忘却しましょう
音爽(ネソウ)
恋愛
商談に出立した恋人で婚約者、だが出向いた地で事故が発生。
幸い大怪我は負わなかったが頭を強打したせいで記憶を失ったという。
事故前はあれほど愛しいと言っていた容姿までバカにしてくる恋人に深く傷つく。
しかし、それはすべて大嘘だった。商談の失敗を隠蔽し、愛人を侍らせる為に偽りを語ったのだ。
己の事も婚約者の事も忘れ去った振りをして彼は甲斐甲斐しく世話をする愛人に愛を囁く。
修復不可能と判断した恋人は別れを決断した。
悪役令嬢なので最初から愛されないことはわかっていましたが、これはさすがに想定外でした。
ふまさ
恋愛
──こうなることがわかっていれば、はじめから好きになんてならなかったのに。
彩香だったときの思いが、ふと蘇り、フェリシアはくすりと笑ってしまった。
ありがとう、前世の記憶。おかげでわたしは、クライブ殿下を好きにならずにすんだわ。
だからあるのは、呆れと、怒りだけだった。
※『乙女ゲームのヒロインの顔が、わたしから好きな人を奪い続けた幼なじみとそっくりでした』の、ifストーリーです。重なる文章があるため、前作は非公開とさせていただきました。読んでくれたみなさま、ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる