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ミリアの知らないオレファンの過去編
宰相補佐オレファン・オリゴマーの日常・2
しおりを挟むそれを糺すのは国益の為となるが、糺した結果を回答することはこれまで流れ作業で受け付けていた監査官には無理だということになっての、本日の流れ作業による申請書類返還である。王族であるオレファン殿下から差し戻されて異議を唱えらえる貴族は少ない。それが下位の貴族であればあるほど、だ。
しかし、極稀にいるのだ。
春に学園を卒業したばかりの若造だと、嘗めた態度に出る本人は老獪だとうぬぼれている老害が。
「エール伯爵、貴方の領地から提出されていたこの補助金申請は不備が大きいので今年度の補正予算から外した。補助金を諦められずどうしてもというのであれば、今週中に資料を纏め直し再提出するように。まぁどんな資料を付けてこようが、私が補佐として裁定を下すからには、その内容で通すことはないがな。では帰って宜しい」
呼び掛ける名前と爵位が違うだけの台詞を繰り返し、オレファンが書類を押し返す。それを受け取った執政官が「却下」の判が押された封筒へ書類を入れ、伯爵の手へ渡そうとしたところを、強く跳ねのけられた。
落ちた封筒から、朱書きだらけの申請書類が床に広がった。
「この補助金制度を決められた偉大なる当時の国王陛下のお心を、無下になされるおつもりですかな、第二王子殿下」
「はぁ。私は今、宰相補佐としての役職を現国王陛下より申し付けられている。現国王陛下の方針に乗っ取り、正しく国策を運営するべく尽力しているところだよ。国の在り方は変わっていく。私が生まれ育っただけ以上の時間が経っているのだ。旧体制の舵取りのままで善い筈がない」
若造が、とちいさく呟いた老伯爵に、けれどもその若い王族である宰相補佐は柔らかく笑顔になると、それまで一度もあげていなかった顔を上げて老害めという視線を隠しもせずに老伯爵へ視線を返した。
しばしふたりの睨み合いが続く。
そうして、ついに視線を外して大きく息を吐いたのは、オレファンだった。
座ったままでいた大きな机の前から立ち上がると、エール伯爵の前まで近付いてきて、床に散らばったままであった書類に手を差し伸べた。
慌てて執政官が代わりに床から書類を拾い上げようとするのを手で制し、「椅子を持ってくるように」と指示を出すと、自分は書類を摘まみ上げて机の上へと戻した。
その様子を見て、老伯爵は「勝った」と内心で若造がと嗤った。
所詮は学園を卒業したばかりの小童である。政治の世界に足を踏み入れたばかりの若造に、自分のような老獪な者を相手取って押し勝つ胆力がある訳がないのだと満足した。
意気揚々と、用意された椅子に座ったエールは、しかし次のオレファンの言葉に冷汗を流す事となった。
「仕方がない。では改めて申し開きを聞こう。貴殿エール伯爵からは領地への補助金申請書類の内容がこの18年間ずっとまったく同じ被害、同じ補修工事内容、同じ工事代金、それと領民への補填金額も内容も一緒で出されている。これについて、残っている過去の全帳簿の提出と説明を。あぁ安心して欲しい。先ほど、王族としての私の名前で腹心たちに取りに向かわせた。失くしたとは言わないですよね、伯爵。最低でも過去十年分は領地経営に関する帳簿は残さなくてはいけないことになっている。それこそ、この国の貴族の義務だものね。さぁ、まず貴方はここできちんとすべてを私に説明して。その説明で私を納得させてくれたら、届いた帳簿と照らし合わせて一緒に確認を。それで双方納得出来たら、議会の席で補助申請に関する申し立てを受け付けてあげよう」
流れるように説明を済ませ、爽やかな笑顔を浮かべる若き宰相補佐から「さぁ」と話を促され、エールは、全身が震え出すのを抑えられなかった。
*****
「案外、あっさりと陥落しましたね。クソ狸」
「不敬だぞ。あれでもまだ伯爵だ」
「それは失礼いたしました、宰相補佐」
「もう勤務時間外だから。それはおしまい」
口を動かすの以上に流れるような素早い動作で、オレファンが宰相補佐の上着を脱いで私服へと着替える。
胸元を飾る記章も外して撫でつけた髪を手櫛でほどいた。
「それじゃ。また明日!」
にこやかに退勤の挨拶を告げるオレファンの背中へ、横から声が掛かる。
「あ。殿下、ちょっとお待ちください。できればこの書類だけでも!」
「だめー。本日の勤務時間はすでに超過してるんだ。いますぐ王宮を出ないと、ミリィの帰宅時間に間に合わないもん。じゃあねー」
「わーい、ミリィ待っててねぇ」というエコーが掛かった声だけを残して去っていった年下上司の後姿に向かって、「今から行ったって、どうぜもう学園は閉まってるじゃないですか」と恨みがましく呟いた同僚の肩を、執務官が叩いた。
「無駄っていうだけ無駄だよ。オレファン殿下は、ファネス公爵令嬢の為だけに有能な宰相補佐の役を演じてるだけなんだから」
「そうでしたね」
力なく、執務室に詰めていたすべての年上部下たちが万感の思いを籠めてそう答えた。
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