10 / 40
第10話 痛み止めという処方
しおりを挟む
第10話 痛み止めという処方
国営薬局の調剤室に、いつもと変わらない朝が来ていた。
処方箋の束。
並ぶ文字は、今日も簡素だ。
――痛み止め。
頭痛。
腰痛。
腹部の痛み。
原因も経過も書かれていない。
ただ、「痛みを抑えろ」という指示だけ。
ギ・メイは、その一枚を受け取ると、淡々と目を落とした。
(やっぱり、これだけ)
だが、彼女は眉一つ動かさない。
この処方箋は、間違っていない。
医師は、正しく書いている。
――症状を抑えるために。
この国の医療では、
慢性的な痛みは「管理するもの」だ。
完全に治す必要はない。
日常生活が送れれば、それで良い。
だから、処方箋は短くなる。
判断は、医師の中で終わっている。
「次の方」
現れたのは、中年の男だった。
腰をかばうように歩いている。
「腰が痛くて……」
ギ・メイは、処方箋と男の様子を一瞥する。
(筋疲労。
慢性化しかけ。
炎症は軽い)
医師の意図は、理解している。
――鎮痛して、様子見。
――また痛めたら、また来させる。
合理的だ。
効率的だ。
だが――
それしか書かれていない以上、
それ以上の指定もない。
ギ・メイは、万能薬の基本配合を土台にしながら、
血流改善の薬草を増やし、
筋の緊張を和らげる成分を強める。
効能分類は、同じ。
処方は、守っている。
ただ、効き方が違うだけだ。
「こちらを。
今日は、無理をなさらず」
「……ありがとう」
男は、半信半疑で去っていった。
しばらくして。
「さっきの腰痛の人、また来ました」
受付の声に、調剤室が静まる。
男は、明らかに動きが軽かった。
「……驚いたよ」
そう言って、苦笑する。
「痛みが、ほとんど残ってない」
それだけ言って、頭を下げて帰っていった。
局長は、その背中を見送りながら、深く息を吐いた。
(また、だ)
万能薬では、こうはならない。
誰にでも効くが、
誰も完治させない。
それが、今までの前提だった。
「ギ・メイ」
局長は、静かに声をかける。
「お前、医師の意図は分かってやってるな?」
「はい」
即答だった。
「医師は、症状を抑えるために
“痛み止め”と書いています」
「なら、なぜ……」
「それしか書いていないからです」
ギ・メイは、淡々と言う。
「“抑えろ”とは書いてあっても、
“原因に触れるな”とは書いてありません」
局長は、言葉を失った。
「処方箋は、効能の指定です」
彼女は続ける。
「どの薬草を使い、
どの比率で配合するかは、
薬師の裁量です」
「……治ってしまうのは?」
「結果です」
迷いのない声。
「私は、処方箋通り
痛み止めを出しています」
ただし――
痛みの根本に効く形で。
その日の午後、一人の医師が薬局を訪れた。
「最近、患者が戻ってこない」
不機嫌そうな顔。
「処方したはずの症状が、
継続している前提なんだが」
ギ・メイは、医師をまっすぐ見る。
「処方箋は、痛み止めでした」
「そうだ」
「痛みは、抑えました」
「……それだけか?」
「ええ」
一拍おいて、彼女は続ける。
「原因にも効いただけです」
医師の表情が、固まる。
「それは、治療だろう」
「処方箋に、
治療を禁じる文言はありません」
事実だった。
医師は、何も言えずに立ち去る。
その背中を見送りながら、局長は理解した。
ギ・メイは、
制度を破っていない。
制度が想定していなかった
“結果”を出しているだけだ。
帳簿の再来院数は、今日も減っている。
だが、その空白は――
この国の医療が、
目を背けてきたものを
はっきり映し出していた。
痛みを抑えるだけで、
本当に良かったのか。
その問いが、
静かに、しかし確実に
薬局の中で広がり始めていた。
国営薬局の調剤室に、いつもと変わらない朝が来ていた。
処方箋の束。
並ぶ文字は、今日も簡素だ。
――痛み止め。
頭痛。
腰痛。
腹部の痛み。
原因も経過も書かれていない。
ただ、「痛みを抑えろ」という指示だけ。
ギ・メイは、その一枚を受け取ると、淡々と目を落とした。
(やっぱり、これだけ)
だが、彼女は眉一つ動かさない。
この処方箋は、間違っていない。
医師は、正しく書いている。
――症状を抑えるために。
この国の医療では、
慢性的な痛みは「管理するもの」だ。
完全に治す必要はない。
日常生活が送れれば、それで良い。
だから、処方箋は短くなる。
判断は、医師の中で終わっている。
「次の方」
現れたのは、中年の男だった。
腰をかばうように歩いている。
「腰が痛くて……」
ギ・メイは、処方箋と男の様子を一瞥する。
(筋疲労。
慢性化しかけ。
炎症は軽い)
医師の意図は、理解している。
――鎮痛して、様子見。
――また痛めたら、また来させる。
合理的だ。
効率的だ。
だが――
それしか書かれていない以上、
それ以上の指定もない。
ギ・メイは、万能薬の基本配合を土台にしながら、
血流改善の薬草を増やし、
筋の緊張を和らげる成分を強める。
効能分類は、同じ。
処方は、守っている。
ただ、効き方が違うだけだ。
「こちらを。
今日は、無理をなさらず」
「……ありがとう」
男は、半信半疑で去っていった。
しばらくして。
「さっきの腰痛の人、また来ました」
受付の声に、調剤室が静まる。
男は、明らかに動きが軽かった。
「……驚いたよ」
そう言って、苦笑する。
「痛みが、ほとんど残ってない」
それだけ言って、頭を下げて帰っていった。
局長は、その背中を見送りながら、深く息を吐いた。
(また、だ)
万能薬では、こうはならない。
誰にでも効くが、
誰も完治させない。
それが、今までの前提だった。
「ギ・メイ」
局長は、静かに声をかける。
「お前、医師の意図は分かってやってるな?」
「はい」
即答だった。
「医師は、症状を抑えるために
“痛み止め”と書いています」
「なら、なぜ……」
「それしか書いていないからです」
ギ・メイは、淡々と言う。
「“抑えろ”とは書いてあっても、
“原因に触れるな”とは書いてありません」
局長は、言葉を失った。
「処方箋は、効能の指定です」
彼女は続ける。
「どの薬草を使い、
どの比率で配合するかは、
薬師の裁量です」
「……治ってしまうのは?」
「結果です」
迷いのない声。
「私は、処方箋通り
痛み止めを出しています」
ただし――
痛みの根本に効く形で。
その日の午後、一人の医師が薬局を訪れた。
「最近、患者が戻ってこない」
不機嫌そうな顔。
「処方したはずの症状が、
継続している前提なんだが」
ギ・メイは、医師をまっすぐ見る。
「処方箋は、痛み止めでした」
「そうだ」
「痛みは、抑えました」
「……それだけか?」
「ええ」
一拍おいて、彼女は続ける。
「原因にも効いただけです」
医師の表情が、固まる。
「それは、治療だろう」
「処方箋に、
治療を禁じる文言はありません」
事実だった。
医師は、何も言えずに立ち去る。
その背中を見送りながら、局長は理解した。
ギ・メイは、
制度を破っていない。
制度が想定していなかった
“結果”を出しているだけだ。
帳簿の再来院数は、今日も減っている。
だが、その空白は――
この国の医療が、
目を背けてきたものを
はっきり映し出していた。
痛みを抑えるだけで、
本当に良かったのか。
その問いが、
静かに、しかし確実に
薬局の中で広がり始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました
ほーみ
恋愛
その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。
「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」
そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。
「……は?」
まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。
貴方が側妃を望んだのです
cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。
「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。
誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。
※2022年6月12日。一部書き足しました。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※更新していくうえでタグは幾つか増えます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。
灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。
彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。
タイトル通りのおっさんコメディーです。
「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです
ほーみ
恋愛
「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」
その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。
──王都の学園で、私は彼と出会った。
彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。
貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。
平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」
その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。
王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。
――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。
学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。
「殿下、どういうことでしょう?」
私の声は驚くほど落ち着いていた。
「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる