婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

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第10話 取引先から、名前が消える日

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第10話 取引先から、名前が消える日

 変化は、静かに始まった。

 それは爆発でも、宣戦布告でもない。
 ただ、帳簿の一行から、王国の名が消えただけだった。

 シュタインベルク公国の執務棟。
 長机に並べられた交易一覧表を前に、商務官たちが息を潜めている。

「……では、次に南方交易路の件ですが」

 商務長官が淡々と進行する。

「従来の王国経由ルートを廃止し、
 港湾都市レムシュタット直結ルートへ完全移行します」

 一瞬、室内に小さなざわめきが走った。

 それは、理解と同意が混じった音だった。

「異議は?」

 誰も口を開かない。

 異論は、すでに出尽くしている。
 そして、すでに解決されていた。

 私は、席に着いたまま静かに頷いた。

「移行後の物流コストは、当初予測よりも八%削減。
 加えて、王国側で発生していた決裁遅延の影響も排除できます」

「……確かに、数字は正直ですね」

 商務官の一人が、感心したように呟く。

 カルヴァスは、短く言った。

「決まりだな」

 その一言で、すべてが確定した。

 ――王国は、主要交易路から外された。

 理由は単純だ。

 不誠実だったからでも、敵対したからでもない。
 “遅く、非効率だった”だけ。

 会議が終わり、商務官たちが退出したあと。

 執務室には、私とカルヴァスだけが残った。

「……思ったより、あっさりでしたわね」

 私がそう言うと、彼は書類をまとめながら答える。

「感情で決めていないからな」

「ええ」

 だからこそ、残酷でもある。

 誰かを罰する必要はない。
 ただ、より良い選択をしただけ。

「王国から、反応は来るでしょうか」

「来る」

 即答だった。

「だが、今さらだ」

 カルヴァスは、こちらを見る。

「君の案がなければ、この判断はもっと遅れていた」

「……私一人の功績ではありません」

「違う」

 彼は、静かに否定した。

「君が、数字と未来を同時に見た。
 それだけだ」

 評価の言葉。
 飾りはないが、揺るぎもない。

 私は、少しだけ視線を逸らした。

 ――慣れませんわね、こういうの。

 一方、その頃。

 王国の商務庁では、異変が表面化していた。

「……シュタインベルク公国からの発注が、止まっています」

 担当官の声が、震えている。

「確認しましたか?」

「はい。正式な通知ではありませんが……
 主要取引が、すべて別ルートへ移行したようです」

 その報告は、すぐに王城へと運ばれた。

 王太子アルノルトは、執務室で書簡を読み、顔色を変えた。

「……外された、だと?」

 隣に控える重臣が、慎重に言う。

「事実上、そうなります。
 公国側は、効率化を理由に――」

「言い訳だ」

 アルノルトは、書簡を机に叩きつけた。

「こちらを切る理由など、あるはずがない」

 だが、あった。

 彼自身が、用意してしまった。

「すぐに、交渉の場を設けろ。
 非公式でも構わない」

「……どなたを立てますか?」

 その問いに、アルノルトは一瞬、言葉に詰まる。

 以前なら、迷わず一人の名を挙げていたはずだ。

 だが、その名前は、もうここにはいない。

「……適当な者でいい」

 吐き捨てるように言い、彼は背を向けた。

 その夜。

 王城の一室で、ノエリアは一人、窓の外を見つめていた。

 最近、アルノルトは苛立ちを隠さない。
 話しかけることすら、ためらわれる。

(……私、何もできていない)

 そう思った瞬間、胸が苦しくなる。

 “癒やし”であることしか、求められていない。
 それは、優しさではなく――排除だ。

 同じ頃。

 シュタインベルク公国では、港湾都市が活気づいていた。

 新しい交易路。
 増える人の流れ。

 私は、高台から港を見下ろしながら、静かに言った。

「……始まりましたわね」

「ああ」

 隣に立つカルヴァスが、短く答える。

「君が選んだ道だ」

「いいえ」

 私は、首を振った。

「“正しい道”を選んだだけです」

 彼は、少しだけ口元を緩めた。

 それは、誰にも気づかれないほどの変化だった。

 王国の名は、帳簿から消えた。

 代わりに、別の国が、別の未来を選び取った。

 そして、その中心には――
 かつて“完璧すぎる”と切り捨てられた令嬢が、静かに立っていた。


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