婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

文字の大きさ
11 / 39

第11話 後悔は、秩序を取り戻さない

しおりを挟む
第11話 後悔は、秩序を取り戻さない

 王城の中枢が、明確に混乱し始めたのはその翌日だった。

 夜明け前から、商務庁、財務庁、外交部――あらゆる部署に人が集められ、通路は慌ただしい足音で満たされている。

「確認を急げ!」
「なぜ、事前連絡がなかった!」
「港湾都市の動きは!?」

 怒声と焦りが、至るところで交錯していた。

 第一王太子アルノルトは、会議室の中央に立ち、険しい表情で報告を聞いていた。

「……改めて申し上げますが」

 財務官が、震える声で続ける。

「シュタインベルク公国との主要取引は、すでに完全に別ルートへ移行しています。
 現時点で、復帰の余地は……ありません」

「そんなはずはない」

 アルノルトは即座に否定した。

「こちらは王国だ。
 あちらが一方的に切るなど――」

「殿下」

 宰相が、静かに遮る。

「“切られた”のではありません。
 “選ばれなかった”のです」

 その言葉は、会議室に冷たい沈黙を落とした。

「王国は、再交渉の要請を拒否しました。
 公国側は、その判断を尊重しただけです」

 尊重――。

 皮肉な言葉だった。

「……つまり、こちらが、機会を放棄したと?」

 アルノルトの声は低く、怒りを押し殺している。

「はい」

 宰相は、迷いなく答えた。

「そして、公国は“代替案”を用意していました。
 それを提示したのが――」

 宰相は、一瞬だけ言葉を止めた。

「……セラフィナ・ヴァルシュタイン公爵夫人です」

 その名が出た瞬間、アルノルトの表情が硬直する。

 会議室の空気が、はっきりと変わった。

「……彼女が?」

「はい。
 公国の政策立案と交渉方針の中心にいると、確認が取れています」

 アルノルトは、思わず椅子の背に手をついた。

(そんな、はずがない)

 だが、心のどこかで、彼は理解していた。

 ――あり得る。

 いや、むしろ当然だ。

 あのとき、自分は何と言った?

 “完璧すぎる”。
 “癒やしがない”。

 それが、理由だった。

「……戻ってきてくれれば」

 誰にともなく、アルノルトが呟いた。

 その言葉に、重臣たちは一斉に顔を伏せた。

「殿下」

 宰相の声は、静かだが厳しかった。

「それは、もはや“選択肢”ではありません」

 アルノルトは、唇を噛みしめる。

 後悔が、胸の奥でじわじわと膨らんでいく。

 その日の午後。

 王城の別室で、ノエリアは女官長から呼び出されていた。

「ノエリア様」

「はい……」

 女官長は、いつもより慎重な表情をしている。

「最近、殿下のお側に仕える役目について、見直しの声が上がっています」

「……見直し、ですか?」

「はい。
 現在の状況では、“癒やし”だけでは足りない、と」

 その言葉に、ノエリアの胸が締め付けられる。

(やっぱり……)

「ですが」

 女官長は、続けた。

「それは、ノエリア様の責任ではありません。
 役割が、最初から歪んでいたのです」

 ノエリアは、何も言えなかった。

 彼女自身も、薄々感じていた。

 自分は、この場所に“選ばれた”のではなく、
 “都合よく置かれた”だけなのだと。

 夜。

 アルノルトは、ひとり執務室で古い書類を引き出していた。

 そこには、かつてセラフィナがまとめた改革案が、丁寧に綴じられている。

 無駄のない文章。
 先を見据えた数字。
 感情に流されない判断。

「……なぜ、わからなかった」

 呟きは、誰にも届かない。

 後悔は、ここにある。

 だが、それは――
 秩序を取り戻す力を、もう持っていなかった。

 一方、シュタインベルク公国。

 夜の執務室で、私はカルヴァスと向かい合っていた。

「王国は、混乱しているようです」

「当然だ」

 彼は、短く答える。

「だが、こちらは立ち止まらない」

「ええ」

 私は、書類に目を落とす。

 後悔に、足を取られる余裕はない。

 正しい判断を、積み重ねるだけ。

「……セラフィナ」

 カルヴァスが、珍しく私の名を呼んだ。

「君を手放した国が、後悔するのは自然だ」

 私は、わずかに微笑んだ。

「後悔は、過去にしか存在しませんわ」

 未来を動かすのは、
 いつだって――今の選択だ。

 そして、その選択肢に、
 王国の名は、もう含まれていなかった。


--
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】恋は、終わったのです

楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。 今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。 『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』 身長を追い越してしまった時からだろうか。  それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。 あるいは――あの子に出会った時からだろうか。 ――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵令息から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

処理中です...