婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

文字の大きさ
39 / 39

第40話 選ばれ続ける、ということ

しおりを挟む
第40話 選ばれ続ける、ということ

 朝は、いつも通りに訪れた。

 特別な鐘は鳴らず、
 誰かが走って知らせに来ることもない。

 シュタインベルク公国の朝は、
 穏やかで、整っていて、
 昨日の続きとして自然に始まった。

 セラフィナは、
 窓辺で紅茶を口に運びながら、
 街を見下ろす。

 市場は、すでに動き出している。
 荷車が行き交い、
 店主と客の声が交わる。

 不安の混じらない音だ。

「……今日も、変わりありませんね」

「それが、一番いい」

 背後で、カルヴァスが答える。

 彼もまた、
 特別な服は着ていない。

 公爵と公爵夫人である前に、
 この国に住む二人の人間として、
 朝を迎えている。

 セラフィナは、
 カップを置いた。

「今日で、
 公式には一区切りですね」

「そうだな」

「王国との関係整理、
 周辺国との協定、
 国内制度の移行」

 淡々と挙げる。

「すべて、
 “終わった”というより、
 “回り始めた”状態です」

「それ以上、
 手を入れる必要はない」

 カルヴァスの言葉は、
 命令ではない。

 判断だ。

 午前。

 最後の報告が、
 評議会から上がる。

「……以上をもって、
 移行期間は正式に終了となります」

 拍手はない。

 だが、
 誰も異議を唱えない。

 それが、
 最も健全な終わり方だった。

 評議会を後にする途中、
 若い官吏が深く頭を下げた。

「公爵夫人」

「はい?」

「……ありがとうございます」

 言葉は、それだけ。

 理由も、
 説明もない。

 セラフィナは、
 微笑んで頷いた。

「こちらこそ」

 午後。

 公爵邸の中庭では、
 いつものように人の出入りがあった。

 書類を運ぶ者。
 用件を伝える者。
 花の世話をする庭師。

 誰も、
 彼女を特別視しない。

 だが、
 軽んじてもいない。

 それが、
 彼女が選び取った立ち位置だった。

「……思えば」

 中庭を歩きながら、
 カルヴァスが言う。

「君は、
 “選ばれなかった”ところから始まった」

「ええ」

 セラフィナは、
 否定しない。

「婚約を破棄され、
 切り捨てられました」

「だが」

「はい」

「今は、
 誰にも選ばれなくていい場所にいる」

 その言葉に、
 セラフィナは立ち止まる。

「……いいえ」

 静かに、
 しかしはっきりと。

「違います」

 カルヴァスが、
 彼女を見る。

「私は、
 ここにいることを、
 毎日選んでいます」

 そして、
 彼を見る。

「あなたも」

 カルヴァスは、
 一瞬黙り、
 それから頷いた。

「……そうだな」

「選ばれる立場ではなく、
 選び続ける立場」

「それが、
 一番強い」

 夕方。

 セラフィナは、
 書斎で一冊の帳簿を閉じた。

 そこには、
 彼女の名が記されている。

 役割としてではない。
 責任の押し付けとしてでもない。

 意思の署名だ。

 窓の外、
 夕焼けが街を染める。

 人々は、
 それぞれの家へ帰っていく。

 誰も、
 公爵邸を見上げて祈らない。

 それでいい。

 支配とは、
 崇められることではない。

 生活の邪魔をしないことだ。

 夜。

 二人は、
 並んで食事を取る。

 特別な料理ではない。

 だが、
 静かで、満ち足りている。

「これから先も」

 カルヴァスが言う。

「劇的なことは、
 起きないだろう」

「ええ」

「物語としては、
 退屈だ」

「でも」

 セラフィナは、
 微笑む。

「生きるには、
 最適です」

 食後、
 二人は同じ部屋で、
 同じ灯りの下に座る。

 言葉は、
 多くない。

 だが、
 必要なことは、
 すでに共有されている。

 セラフィナは、
 心の中で静かに思う。

 ――私は、
 選ばれなかった。

 ――だからこそ、
 自分で選ぶことを覚えた。

 誰と生きるか。
 どこに立つか。
 何を守るか。

 そのすべてを、
 他人に委ねない。

 明日も、
 同じ朝が来る。

 それを、
 二人で迎える。

 それだけで、
 十分だった。

 そしてセラフィナは、
 今日もまた、
 この場所を選ぶ。

 静かに、
 確かに、
 選ばれ続ける未来を。


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された公爵令嬢は真の聖女でした ~偽りの妹を追放し、冷徹騎士団長に永遠を誓う~

鷹 綾
恋愛
公爵令嬢アプリリア・フォン・ロズウェルは、王太子ルキノ・エドワードとの幸せな婚約生活を夢見ていた。 しかし、王宮のパーティーで突然、ルキノから公衆の面前で婚約破棄を宣告される。 理由は「性格が悪い」「王妃にふさわしくない」という、にわかには信じがたいもの。 さらに、新しい婚約者候補として名指しされたのは、アプリリアの異母妹エテルナだった。 絶望の淵に突き落とされたアプリリア。 破棄の儀式の最中、突如として前世の記憶が蘇り、 彼女の中に眠っていた「真の聖女の力」――強力な治癒魔法と予知能力が覚醒する。 王宮を追われ、辺境の荒れた領地へ左遷されたアプリリアは、 そこで自立を誓い、聖女の力で領民を癒し、土地を豊かにしていく。 そんな彼女の前に現れたのは、王国最強の冷徹騎士団長ガイア・ヴァルハルト。 魔物の脅威から領地を守る彼との出会いが、アプリリアの運命を大きく変えていく。 一方、王宮ではエテルナの「偽りの聖女の力」が露呈し始め、 ルキノの無能さが明るみに出る。 エテルナの陰謀――偽手紙、刺客、魔物の誘導――が次々と暴かれ、 王国は混乱の渦に巻き込まれる。 アプリリアはガイアの愛を得て、強くなっていく。 やがて王宮に招かれた彼女は、聖女の力で王国を救い、 エテルナを永久追放、ルキノを王位剥奪へと導く。 偽りの妹は孤独な追放生活へ、 元婚約者は権力を失い後悔の日々へ、 取り巻きの貴族令嬢は家を没落させ貧困に陥る。 そしてアプリリアは、愛するガイアと結婚。 辺境の領地は王国一の繁栄地となり、 二人は子に恵まれ、永遠の幸せを手にしていく――。

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

婚約破棄された令嬢は、“神の寵愛”で皇帝に溺愛される 〜私を笑った全員、ひざまずけ〜

夜桜
恋愛
「お前のような女と結婚するくらいなら、平民の娘を選ぶ!」 婚約者である第一王子・レオンに公衆の面前で婚約破棄を宣言された侯爵令嬢セレナ。 彼女は涙を見せず、静かに笑った。 ──なぜなら、彼女の中には“神の声”が響いていたから。 「そなたに、我が祝福を授けよう」 神より授かった“聖なる加護”によって、セレナは瞬く間に癒しと浄化の力を得る。 だがその力を恐れた王国は、彼女を「魔女」と呼び追放した。 ──そして半年後。 隣国の皇帝・ユリウスが病に倒れ、どんな祈りも届かぬ中、 ただ一人セレナの手だけが彼の命を繋ぎ止めた。 「……この命、お前に捧げよう」 「私を嘲った者たちが、どうなるか見ていなさい」 かつて彼女を追放した王国が、今や彼女に跪く。 ──これは、“神に選ばれた令嬢”の華麗なるざまぁと、 “氷の皇帝”の甘すぎる寵愛の物語。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています

ゆっこ
恋愛
 「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」  王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。  「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」  本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。  王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。  「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」

平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました

ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」  その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。  王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。  ――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。  学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。 「殿下、どういうことでしょう?」  私の声は驚くほど落ち着いていた。 「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

処理中です...