漫画家へGO プロ漫画家インタビュー

No. 3異世界で『黒の癒し手』って呼ばれています
村上ゆいち先生

わたしの履歴書

第1回 まわりにはヒミツ! だからこそ育まれた、絵を描くことへの情熱

ついに商業デビュー! 親へのカミングアウトは意外なきっかけ?

――商業デビューのタイミングはいつ頃だったんでしょうか?

高校を卒業してから1年半〜2年ほど経った頃です。当時は販売・接客業で働きつつ、携帯サイトからイラストSNSのpixivに移行して好きな絵を投稿していたんですけど、投稿者をピックアップしてイラストを掲載する「pixiv年鑑」という年1回の刊行物に私の絵を収録していただく機会があって。そちらに掲載してもらった絵が、ボーカロイドで有名なクリプトン社の方の目に止まって、2011年のレーシングミク(Crypton Future Media, INC. www.piapro.net)の衣装原案のお仕事をいただきました。噂のボーカロイドを作った会社からお声がけが! と驚きましたね。それと同時期にいただいたのが、電撃文庫『クロノ×セクス×コンプレックス』(KADOKAWA)のイラストのお仕事です。私がデビューした当時はイラストレーターバブルということもあって、わりと順調に絵のご依頼をいただくようになりました。

GT300のレーシングチーム「グッドスマイルレーシング」が擁する、初音ミクGTプロジェクト専用キャラクターがレーシングミク。やっぱりレースクイーン風?
© Yuichi Murakami / Crypton Future Media, INC. www.piapro.net

――ソーシャルゲームが台頭してきた頃ですね。

そうですね、「神撃のバハムート」(Cygames)のリリースあたりからでしょうか。兼業時代、手が回らなくなるくらいお仕事がもらえるようになったら専業になろうと考えていたんですが、デビューして早々にお仕事を良いペースでいただけるようになったので、会社を辞めて独立しました。その時、唯一地元で趣味を共有していた幼馴染が、20代前半のうちに好きなことをしたいから上京すると言い出したんですよ。確かにもっと大人になると住む土地を変えることはできないような気がしたし、私もイラストレーターとしてご飯が食べられるようになったので、じゃあ一緒に東京に行こうと。なので上京した当初は、幼馴染とルームシェアをしていました。

――今までのお仕事を辞めて上京というと、人生においてかなり大きなターニングポイントだったと思いますが、さすがにもうご両親にお仕事のお話はされていたんですよね?

実は……それまではパソコンを使って、DTPの仕事をしていると話していたんです。自分の仕事が印刷されるし、嘘ではないだろう、と。でも上京後、実家にレーシングミクのフィギュアが届いてしまってバレました! ちょうど私が実家を出た頃で、住所変更のタイミングがずれてしまって、フィギュアを作っている会社が見本を東京の自宅でなく、実家に発送してしまったんですよね(笑)

――良い機会だったのかもしれませんね(笑)。では、ご両親は今は村上先生のお仕事をご存知で。

はい。両親は私がどんな仕事をしているのか、本等を見たがっているんですが、まだ気恥ずかしくてお披露目できていません……。でも私が楽しそうに仕事をしているので、なら良いか! と見守ってくれている感じです。ちなみに幼馴染以外の地元の友人たちには今でも公表していなくて、デザイン関係の仕事だと言っています(笑)

――他に周囲の反応はどうでしたか?

活動を応援してくださっている方たちからはpixivや自分のサイトにコメントをいただいたり、温かい反応があってありがたかったです。ただ、絵を描くのは本名の自分ではなくて「村上ゆいち」だという感覚があるので、どこか冷静に見ていた部分はありますね。なので幸い、調子に乗ることは少なかったと思います。直接言葉をかけられると乗せられてしまうけれど、文字になるとワンクッションあるおかげか、少し冷静になれるのでそれが良かったですね。

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