アンズトレイル

ふみ

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 言葉にする前に大きく首を振った。迷惑なわけがない。嬉しかった。優しく接して話をしてくれて、まるで友だち――違う。私がそう考えているだけ。ただの親切心なのを忘れてはいけない。
「私も同じ気持ちだよ。全然迷惑なんかじゃない。あんちゃんだから乗せたの。あんちゃんに買ってあげたいの。あんちゃんに食べてほしいの」
「どうして、ですか」
 ずるい問い。けれど欲しがってしまった。自分では決めきれないから、杏さんに認めてほしかった。
「だってあんちゃん面白いもの」
 求めていた答えとは違うものの、口元は自然にほころんだ。
「それにさ、ネットで繋がれる時代なんだから、ヒッチハイクに運命的な出会いがあってもおかしくないでしょ? ひょっとしたら親友になれるかもしれないし」
「親友」
 繰り返すと杏さんは深く頷いた。
「人間なんてさ、生きているだけで迷惑なんだから、お互い持ちつ持たれつで。ね?」
 優しさが心に染みていく。気を抜けば泣いてしまいそう。そうなったら杏さんはどうするだろう。きっと泣きやむまでそばにいてくれる。そんな人をこれ以上突っぱねるのは間違っている。ようやく分かった。
「あの、私」
「うん」
「杏さんの定食屋、行きたいです」
 この人になら、甘えてもいいのかもしれない。
「私のお店じゃないけどね」
「あ、ちが、そうじゃなくて」
「分かってる分かってる。そうだ、途中まで道案内してもらっていい? この辺りは走るのが初めてだから」
 にかっと笑う杏さんに倣って少しだけ口角を上げた。今はこのくらいでいい。少しずつ、少しずつ杏さんの世界に慣れていこう。
 そう決意した後の車窓から見える景色は、ほんの少しだけ明るくなったような気がした。


 十二時を回った頃、杏さんが世間話の途中で声を上げた。
「あそこあそこ! わ、懐かしい」
 懐かしむ間にも車は、シャッターの閉じたお店と民家が入り混じる細い道を走り続ける。どれがおすすめのお店だったのだろうか。
「人気だけど駐車場がないんだよね。近くにコインパーキングがあるからそっちに止めるね」
 まるで心を読まれたように杏さんが呟いた。不思議がっている間にコインパーキングへと入り、またも一番隅っこへ。ブロック塀とぶつからないかヒヤヒヤしていると、すぐに車はおとなしくなった。
「それじゃあ行こうか。そっち出られる?」
「はいっ」
 ドアを傷付けないように外へ出て、杏さんの横に並んだ。透き通るような空はいつの間にか雲が出始め、日差しはここまで届かない。それでも蒸すような暑さは相変わらずで、歩くたびに頬を叩く髪が煩わしい。
「今から行く定食屋って、よく行くんですか?」
 顔周りの髪を払い、眼鏡のレンズを拭きながらたずねた。
「私が新入社員の頃、この近くで研修をしていてね。週に八回通うこともあったの」
 懐かしそうに街並みを見渡す姿も絵になる。その横に並んでいると、普段は猫背の背中も無意識にしゃんと伸びる。
「一週間は七日しかありませんよ?」
「そのくらいおすすめってこと。きっとあんちゃんも気に入るよ」
 颯爽と駆けだした杏さん。その背中を追い、勝手にイメージした定食屋を探した。
 杏さんの行きつけとなれば、それはもうオシャレな外観なのだろう。定食屋と謳いながら実はカフェで、メニューも充実していて女性向けに野菜がメインだったり、低カロリーだったり。
 かねてから興味のあったカフェに、杏さんと一緒に行く。今にも駆け足からスキップに変わってしまいそう。けれどもよく考えたら、こんな格好で入ってもいいのだろうか。
 片や涼しげなブラウスとジーパンを着こなすモデル美女。肩やカーゴパンツとTシャツという適当な私。ダサいからと断られたりしませんように。胸の中で小さく祈った。
「ここだよ、ここ」
 杏さんが足を止め、建物に掛けられた看板に目をやった。その横で視線を上げ、つい店の名前を口にしてしまった。
「坂本食堂?」
 元の色が分からないほど茶色く錆びた横長の看板。しかし店名はやけにはっきりと記されている。まさか、ここが? いや、きっと違う。杏さんが場所を間違えたんだ。一本横の道と勘違いしているんだ。そうに違いない。そうであってほしい。
「ほんと変わらない。あんちゃん入ろう」
 汚れとしわで長さがバラバラの暖簾をくぐり、杏さんが中へ消えた。思わず抱えそうになった頭を振ってその後を追った。
「らっしゃーい! お、杏珠じゃねぇか。二年ぶりぐらいか?」
「お久しぶりです。近くまで来たのでお昼食べていこうかと思って。連れがいるんですけれど、いいですか?」
 滑りの悪いガラス戸を閉め、店へと目をやる。お昼時ということもあって店内はほぼ満席。これで家族連れや女性客がいればまだ希望はあった。けれど目に入るのは男性のみ。明らかに場違い。本当にここで合っているのだろうか。
「連れってそこのお嬢ちゃんが?」
 杏さんが話していた男性と目が合った。厨房の奥からでも届く声と肉つきのよい体形。とりあえず会釈してみせた。
「適当に空いてるとこ座って」
「はーい」
 杏さんが軽快に返して一番奥の席へ。その背中を追い、腰を下ろした。
「これメニューね。お水入れてくるから先に選んでて」
 腰を下ろした直後、杏さんが腰を浮かせてそのまま入り口へ。よく見ればコップとピッチャーが置いてある。しまった、おごってもらうのだから私が行くべきだった。申し訳なさを含んだ視線を送りながら、こぢんまりとした店内を見渡した。
 テーブル席にもカウンターにもいるのは男性だけ。いまだに飲み込めない場違い感を反芻しながら、左手側の壁にそっと触れた。
 ところどころ黄ばみや剥がれが目立つ壁紙。色褪せた手書きのメニューと真新しい映画ポスターが入り混じり、統一感は全くないけれどそれがいいのだろう。いわゆる通好みの味ってやつ。
「お待たせ」
 半開きになっていた口を閉じる。ゆるく曲がっていた背をしゃんと伸ばし、くすんだ色のコップを受け取った。
「ありがとうございます」
「何食べるか決まった?」
「え、あ、すみません。まだ決まってなくて」
 受け取ってから閉じたままのメニューを開いた。当然ながら捲っても捲っても女性向け、低カロリー、野菜たっぷりの文字は出てこない。それどころか、そこかしこに満腹やら大盛と大きく書いてある。
「時間がかかりそうなので、先に杏さんからどうぞ」
 料理の数に圧倒され、メニューを上下ひっくり返した。そのまま杏さんに渡そうとするも止められてしまった。
「私はもう決めてあるから。すっごくおいしいんだ」
 にこやかに語るおすすめ。細い体つきの杏さんがここに載っている料理を食べるとは思えない。となれば杏さん専用の裏メニュー? それなら私にも食べられるかもしれない。
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