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「私も杏さんと旅したいです。連れて行ってください」
今日何度目かのお辞儀。焦げたような歩道の臭いが鼻をつく中、肩に手が触れた。
「お礼を言うのはこっち。それに堅苦しいことはやめない? 友だちなんだから」
全身が小さく痺れるような感覚に陥る。恐らくは嬉しい。間違いなく。けれど同時に疑心暗鬼になってしまう。
言葉の裏側にあるもの、声に出さない本心。余計なものまで汲み取って勝手に傷付く。気にしたってどうにもならないのに、まだ気になるとは思わなかった。
「車に戻って作戦会議しようか。そうそう、あんちゃんは着替え持ってる?」
暗い思いは、今日みたいに陰りのある空なら隠し通せる。杏さんの溌溂とした質問に答えながら、車へと戻った。
「あのね? 女の子だからとか、性別を前提にするわけじゃないんだけどさ。ヒッチハイクするのに着替えがないってのはどうかと思うよ。それにルームウェアもないって、寝る時はどうするつもりだったの?」
ショッピングモールへの道中、話題は私についてばかりだった。
「すみません。どこか途中で買えばいいかなって」
「怒ってるわけじゃないけどね。なんだかこのせりふ、つい最近言った気がする。なんだかすぐキレる大人みたいになってない?」
「なってませんよ」
「ほんとに?」
「はい」
「ほんとにほんと?」
「本当です」
このやり取りも四度目。いわゆる天丼というやつで、お互いに面白くなってきたのは否めない。こういうやり取りがこれからもっと増えていくと思うと、自然に口元が緩んでしまう。
「次の交差点は?」
「右です」
地図アプリを開いたスマホとにらめっこしながら、ショッピングモールにはすぐに着いた。屋内駐車場へと続く坂道を上り、杏さんの癖である一番隅っこへと車は進んでいく。明るい杏さんなら入り口の正面とか、ど真ん中に止めそうな気がするけれどその辺りは関係ないのだろうか。
「それじゃあいってらっしゃい」
シートベルトを外し、杏さんが小さく息を漏らした。
「杏さんは行かないんですか?」
「必要なものはトランクに入ってるの。あんちゃんを待っている間に後ろを片付けておくから、ゆっくり選んできて」
杏さんが車を降り、後部座席へと回り込んだ。確かに視界に映るたびに後部座席は荒れっぱなしだった。ごみが散乱しているわけではないものの、何やら大きな荷物で座席が埋まっている。麻のバッグにキャリーケース、それからごみ袋のような黒いビニール袋。実家へのお土産だろうか。
「荷物、置いて行ってもいいですか?」
「うん。スマホだけ持っていって。あ、ちょっと待って」
「はい」
「そういえば連絡先交換してなかったよね」
「ああ、確かに――っていやいや」
大きく右手を振った。
「杏さん、スマホ捨てましたよね?」
「自分のはね。でもこれがあるから」
得意げな顔の横に並ぶ長方形のもの。見覚えがある。実物を見るのは初めてだけれど、一昔前のドラマや映画で何度も目にしたものだった。
「確か、ガラケーでしたっけ」
「そうそう。会社支給のやつ。使いづらいけれど電話ならできるからさ。あんちゃんの電話番号、聞いてもいい?」
軽くスマホを操作した後、連絡先の一覧に『綾原杏珠(あやはらあんじゅ)』が追加された。両親以外の名前が並ぶのは初めてで、なんだか感慨深い。しかも初めての友だち。えも言われぬ幸福感につい、にやけてしまった。
「これでよし。改めてよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
会釈し、杏さんに見送られながら店内へ歩きだした。
ゆっくり選んでと言われたものの、自分のセンスに自信がないために、いつものパターンになってしまう。見た目より機能性。できるだけ安いもの。
そんな風に選んだ私を杏さんはどう思うだろう。また叱られてしまうだろうか。想像するだけで口元が緩んでしまう。
夏休みに入り、同年代が多く行き交うエスカレーター前で地図を見上げる。眼鏡のフレームをつまみ、行き慣れた店を探せばすぐにあった。
奥にある衣料品店へ一直線。雑貨屋、コスメショップ、百円ショップ。見向きもせずに通り過ぎ、目的の店へとたどり着いた。
下着、ルームウェア、Tシャツを二枚。カゴに入れて会計を済ませるまで十五分とかからず、もう車への帰路についてしまった。
このまま戻れば杏さんに叱られるだろう。どうしてもっとかわいいのを選ばなかったの。見た目もきちんとしなくちゃ。花の女子高生でしょ?
脳内で杏さんの声が再生されるたびに、胸に温かいものが染み渡る。ああ、もっと早く出会っていたかった。
叱られてもいい。一秒でも早く杏さんの元へ戻りたい。手提げ紙袋を抱え、走りたい気持ちを抑えながらエスカレーターを駆け上がる。四階駐車場まであと少し。
自動ドアをくぐり、隅っこでぽつんと佇む赤い車を視界に入れた。いなくなるわけないのに、ほっと胸を撫で降ろす。私、何をしているのだろう。短い間と分かっているのに、胸に芽生えた温かいものをそう簡単に摘み取りたくなかった。
「杏さん。ただ――戻りました」
ただいまと言いかけ、恥ずかしくなってやめた。いつか言えたらいいな。それこそ友だちと心から思えるようになったら。
「おかえり。えっと、あのね、その」
後部座席にいた杏さんの苦笑い。何かあったのだろうか。
「片付けてる時に、あんちゃんのリュックをひっくり返しちゃって。そしたらさ、中身が出ちゃった」
気まずそうな表情とリュックの中身という言葉。それだけで全て分かった。途端に目の前が真っ暗になり、感覚が失われていく。慣れていたはずの痛みにしゃがみ込んでしまいそう。
「ずっとおかしいって思ってた。ヒッチハイクするのにリュック一つで、しかもほとんど入ってないように軽いんだもん。ロープと遺書しか入ってなかったんだね」
杏さんは気付いている。私がどこへ行き、何をしようとしているのか。どうすれば、いいの。ロープだけならまだなんとかなった。しかし遺書を見られた時点で、もう。
「死ぬの?」
やけにストレートな問い。必死に動かしていた頭が止まる、思考が白く染まって何もかも消えていく。残された体が必死に抵抗して口だけがパクパクと動き、ついには音を漏らした。
「はい」
その一言に気付くまで一秒とかからなかった。私は何を口走った。何も知らない初めての友だちに、自殺と宣言した? 駄目だ、終わってしまう。何もかも、終わってしまう。気味悪がられる。嫌悪される。今度こそ降ろされる。ずっと優しかった杏さんに、拒絶されてしまう。
「死ぬ前に力を貸して」
今日何度目かのお辞儀。焦げたような歩道の臭いが鼻をつく中、肩に手が触れた。
「お礼を言うのはこっち。それに堅苦しいことはやめない? 友だちなんだから」
全身が小さく痺れるような感覚に陥る。恐らくは嬉しい。間違いなく。けれど同時に疑心暗鬼になってしまう。
言葉の裏側にあるもの、声に出さない本心。余計なものまで汲み取って勝手に傷付く。気にしたってどうにもならないのに、まだ気になるとは思わなかった。
「車に戻って作戦会議しようか。そうそう、あんちゃんは着替え持ってる?」
暗い思いは、今日みたいに陰りのある空なら隠し通せる。杏さんの溌溂とした質問に答えながら、車へと戻った。
「あのね? 女の子だからとか、性別を前提にするわけじゃないんだけどさ。ヒッチハイクするのに着替えがないってのはどうかと思うよ。それにルームウェアもないって、寝る時はどうするつもりだったの?」
ショッピングモールへの道中、話題は私についてばかりだった。
「すみません。どこか途中で買えばいいかなって」
「怒ってるわけじゃないけどね。なんだかこのせりふ、つい最近言った気がする。なんだかすぐキレる大人みたいになってない?」
「なってませんよ」
「ほんとに?」
「はい」
「ほんとにほんと?」
「本当です」
このやり取りも四度目。いわゆる天丼というやつで、お互いに面白くなってきたのは否めない。こういうやり取りがこれからもっと増えていくと思うと、自然に口元が緩んでしまう。
「次の交差点は?」
「右です」
地図アプリを開いたスマホとにらめっこしながら、ショッピングモールにはすぐに着いた。屋内駐車場へと続く坂道を上り、杏さんの癖である一番隅っこへと車は進んでいく。明るい杏さんなら入り口の正面とか、ど真ん中に止めそうな気がするけれどその辺りは関係ないのだろうか。
「それじゃあいってらっしゃい」
シートベルトを外し、杏さんが小さく息を漏らした。
「杏さんは行かないんですか?」
「必要なものはトランクに入ってるの。あんちゃんを待っている間に後ろを片付けておくから、ゆっくり選んできて」
杏さんが車を降り、後部座席へと回り込んだ。確かに視界に映るたびに後部座席は荒れっぱなしだった。ごみが散乱しているわけではないものの、何やら大きな荷物で座席が埋まっている。麻のバッグにキャリーケース、それからごみ袋のような黒いビニール袋。実家へのお土産だろうか。
「荷物、置いて行ってもいいですか?」
「うん。スマホだけ持っていって。あ、ちょっと待って」
「はい」
「そういえば連絡先交換してなかったよね」
「ああ、確かに――っていやいや」
大きく右手を振った。
「杏さん、スマホ捨てましたよね?」
「自分のはね。でもこれがあるから」
得意げな顔の横に並ぶ長方形のもの。見覚えがある。実物を見るのは初めてだけれど、一昔前のドラマや映画で何度も目にしたものだった。
「確か、ガラケーでしたっけ」
「そうそう。会社支給のやつ。使いづらいけれど電話ならできるからさ。あんちゃんの電話番号、聞いてもいい?」
軽くスマホを操作した後、連絡先の一覧に『綾原杏珠(あやはらあんじゅ)』が追加された。両親以外の名前が並ぶのは初めてで、なんだか感慨深い。しかも初めての友だち。えも言われぬ幸福感につい、にやけてしまった。
「これでよし。改めてよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
会釈し、杏さんに見送られながら店内へ歩きだした。
ゆっくり選んでと言われたものの、自分のセンスに自信がないために、いつものパターンになってしまう。見た目より機能性。できるだけ安いもの。
そんな風に選んだ私を杏さんはどう思うだろう。また叱られてしまうだろうか。想像するだけで口元が緩んでしまう。
夏休みに入り、同年代が多く行き交うエスカレーター前で地図を見上げる。眼鏡のフレームをつまみ、行き慣れた店を探せばすぐにあった。
奥にある衣料品店へ一直線。雑貨屋、コスメショップ、百円ショップ。見向きもせずに通り過ぎ、目的の店へとたどり着いた。
下着、ルームウェア、Tシャツを二枚。カゴに入れて会計を済ませるまで十五分とかからず、もう車への帰路についてしまった。
このまま戻れば杏さんに叱られるだろう。どうしてもっとかわいいのを選ばなかったの。見た目もきちんとしなくちゃ。花の女子高生でしょ?
脳内で杏さんの声が再生されるたびに、胸に温かいものが染み渡る。ああ、もっと早く出会っていたかった。
叱られてもいい。一秒でも早く杏さんの元へ戻りたい。手提げ紙袋を抱え、走りたい気持ちを抑えながらエスカレーターを駆け上がる。四階駐車場まであと少し。
自動ドアをくぐり、隅っこでぽつんと佇む赤い車を視界に入れた。いなくなるわけないのに、ほっと胸を撫で降ろす。私、何をしているのだろう。短い間と分かっているのに、胸に芽生えた温かいものをそう簡単に摘み取りたくなかった。
「杏さん。ただ――戻りました」
ただいまと言いかけ、恥ずかしくなってやめた。いつか言えたらいいな。それこそ友だちと心から思えるようになったら。
「おかえり。えっと、あのね、その」
後部座席にいた杏さんの苦笑い。何かあったのだろうか。
「片付けてる時に、あんちゃんのリュックをひっくり返しちゃって。そしたらさ、中身が出ちゃった」
気まずそうな表情とリュックの中身という言葉。それだけで全て分かった。途端に目の前が真っ暗になり、感覚が失われていく。慣れていたはずの痛みにしゃがみ込んでしまいそう。
「ずっとおかしいって思ってた。ヒッチハイクするのにリュック一つで、しかもほとんど入ってないように軽いんだもん。ロープと遺書しか入ってなかったんだね」
杏さんは気付いている。私がどこへ行き、何をしようとしているのか。どうすれば、いいの。ロープだけならまだなんとかなった。しかし遺書を見られた時点で、もう。
「死ぬの?」
やけにストレートな問い。必死に動かしていた頭が止まる、思考が白く染まって何もかも消えていく。残された体が必死に抵抗して口だけがパクパクと動き、ついには音を漏らした。
「はい」
その一言に気付くまで一秒とかからなかった。私は何を口走った。何も知らない初めての友だちに、自殺と宣言した? 駄目だ、終わってしまう。何もかも、終わってしまう。気味悪がられる。嫌悪される。今度こそ降ろされる。ずっと優しかった杏さんに、拒絶されてしまう。
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