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かすかに震えていた両手が、なぜか温かい両手に包まれていた。その奥で爛々と輝く杏さんの瞳。現状を飲み込めないまま、握られた手に力が込められていく。
「引き止める気はないの。だけど死ぬ前に助けてほしくて」
「たす、ける?」
呆然としてオウム返しに聞き返すしかない。
「そう。ちょっとだけ手伝ってほしいの」
真摯な杏さんが異様に見える。これから自殺しようとしている人間を止めずに助けてほしいなんて、私の常識にはない。助けてほしいのはこっちで――違う。そうじゃない。私はもう死を選んだ。今更助けを請うのは間違っている。
「隠したいものがあるんだけど、それの手伝いをしてほしいの」
「隠す?」
「そう。隠し場所を一緒に探したり、埋めたり。どうにも一人じゃあ大変でね。簡単なことばかりなんだけど、どう?」
「埋めたいって、どうしてですか」
先ほどから単純な質問ばかり。鳴りやまない鼓動と背中を伝う冷や汗がその答えだろうけれど。
「実は彼とけんかして、そのまま別れちゃったんだ。ほら、しつこく何度も連絡が来ていたでしょ? よりを戻してくれって連絡だと思う」
そんな、まさか。お昼に話を聞いた時には、すでに別れていたんだ。怒りや嫌悪感を感じ取れないのは当たり前。そんなものを感じる暇もなく、悲しみであふれていたんだ。
「実家に戻るついでに、彼との思い出の品を埋めて、そのまま永遠に忘れたくて」
杏さんの視線は懐かしむように荷物へ向けられていた。推し量ることのできない感情に、ただ気付かないふりをするしかなかった。
「それで、手伝ってくれる?」
再び杏さんと目が合う。彼氏さんの話を間に挟んだおかげで、いくらか冷静になれた。
「あの、驚かないんですか」
自分では至極真っ当な質問だと思う。だって目の前にいる私は自殺しようとしているのだから。
「私、死ぬんですよ。もっと驚くというか、慌てたりとか」
「驚いてほしいの?」
「それは、えっと」
当然の切り返しに言葉が詰まる。私はどうしてほしいのだろう。死にたいというのは本心に違いない。けれど杏さんに心配してほしいという気持ちも芽生えていた。
我ながらなんて面倒くさい女なのだろう。これじゃあ構ってほしくて手首を切る人たちと同類だ。
「何も知らない人からあれこれ言われても嫌でしょ?」
しょうもない自己嫌悪に陥っていると、杏さんの手が肩に触れた。確かに杏さんの言う通り。私が杏さんをあまり知らないように、杏さんも私の全てを知っているわけではない。聞いてほしいとは思うものの、自らの口では言えそうになかった。
「とりあえずさ」
杏さんが外に出て後部座席のドアを閉めた。
「片付けも終わったし、あんちゃんも買い物済んだんでしょ? 続きは中で話そうか」
短く返事をして車へ乗り込んだ。続きは中で。そう告げた杏さんは背もたれに背を預けたまま、しばらく口を開かずにいた。まるで信号待ちのようにエンジンのかかった車内にいるだけ。どうしていいのか分からず、両膝に並べた手を見続けた。
「何があったかだけ、聞いてもいい?」
独り言のようにこぼした声もやけに大きく聞こえた。ほんの少し頭の中で整理してから口を開いた。
「学校でいじめられて、親にも見放されて、何もかもが嫌になったんです」
口にすることで過去が脳裏を駆けていく。詳細を話そうとして言葉が詰まる。私の中の何かが話すことを拒んでいる。つまらない話で杏さんを困らせたくないと叫んでいる。
「親にも? 話を聞いた限りではいい親御さんだったけれど、うそだったの?」
ゆっくりと頷いた。
「夏休み中に死にたくて、何も言わずに家を出てきたんです」
「それで荷物が少なかったんだ。けどさ、心配ぐらいされない?」
「いいえ」
目を伏せたまま首を振り、ポケットからスマホを取り出した。電源を入れるも通知はきていない。
「電話も何も来ていません。きっともう、どうでもいいんですよ」
言い終えると静寂が返ってきた。この静けさが心地いい。もちろんエンジン音は聞こえるし、お互いの呼吸も耳に入る。恐らく、この二人きりという状況に安心しているのだろう。
私が死ぬのを止めない人。どうして、なぜ。頭の中に疑問はあり続ける。客観的に見れば異様に映るはずなのに、杏さんのそばを離れようとは思わない。
こんな私が、死ぬ前に誰かの助けになれるのだとしたら。そうなればやることは一つ。というか、断る理由は初めからなかった。
「あの」
杏さんと視線が交差した。
「私でよければお手伝いします。いえ、手伝わせてください」
改めて頭を下げる。どうせ死ぬのだから、最後に杏さんのためになるのなら何だってやってあげたい。
「ほんと? ほんとにいいの?」
「私で力になれるのなら、ぜひ」
「よかった。あんちゃんにしか頼めないことだったから」
私にしかできない。その一言で死にかけていた心が甦る。どうしようもないほど簡単に揺れ動く心が情けないというか、何というか。
「そういえば随分と早かったね。何買ったの?」
「え、あっ」
止める暇もなく杏さんに紙袋を取られた。取っ手を左右に開き、中を覗く杏さん。その表情に注目するも特に変わることはなかった。
「うん。いいんじゃない」
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ早速行こうか。ほらほら、シートベルト締めて」
急かされてシートベルトを締めた。今の反応は、いいということだろうか。あの杏さんにセンスを褒められた。えも言われない幸福感に包まれ笑みが漏れてしまう。
「またニヤニヤしてる。何かあったの?」
「いえ、なんでもないです。ところで場所はもう決まっているんですか?」
「大まかにはね。どこに埋めるかは、着いてから決めようと思って」
首をかしげると、杏さんがにんまり笑った。
「夏といえば、ね?」
ウインクまで飛ばす上機嫌な杏さん。まるで先ほどの会話がなかったような切り替えに、ほんの少しだけ心が痛んだ。
「引き止める気はないの。だけど死ぬ前に助けてほしくて」
「たす、ける?」
呆然としてオウム返しに聞き返すしかない。
「そう。ちょっとだけ手伝ってほしいの」
真摯な杏さんが異様に見える。これから自殺しようとしている人間を止めずに助けてほしいなんて、私の常識にはない。助けてほしいのはこっちで――違う。そうじゃない。私はもう死を選んだ。今更助けを請うのは間違っている。
「隠したいものがあるんだけど、それの手伝いをしてほしいの」
「隠す?」
「そう。隠し場所を一緒に探したり、埋めたり。どうにも一人じゃあ大変でね。簡単なことばかりなんだけど、どう?」
「埋めたいって、どうしてですか」
先ほどから単純な質問ばかり。鳴りやまない鼓動と背中を伝う冷や汗がその答えだろうけれど。
「実は彼とけんかして、そのまま別れちゃったんだ。ほら、しつこく何度も連絡が来ていたでしょ? よりを戻してくれって連絡だと思う」
そんな、まさか。お昼に話を聞いた時には、すでに別れていたんだ。怒りや嫌悪感を感じ取れないのは当たり前。そんなものを感じる暇もなく、悲しみであふれていたんだ。
「実家に戻るついでに、彼との思い出の品を埋めて、そのまま永遠に忘れたくて」
杏さんの視線は懐かしむように荷物へ向けられていた。推し量ることのできない感情に、ただ気付かないふりをするしかなかった。
「それで、手伝ってくれる?」
再び杏さんと目が合う。彼氏さんの話を間に挟んだおかげで、いくらか冷静になれた。
「あの、驚かないんですか」
自分では至極真っ当な質問だと思う。だって目の前にいる私は自殺しようとしているのだから。
「私、死ぬんですよ。もっと驚くというか、慌てたりとか」
「驚いてほしいの?」
「それは、えっと」
当然の切り返しに言葉が詰まる。私はどうしてほしいのだろう。死にたいというのは本心に違いない。けれど杏さんに心配してほしいという気持ちも芽生えていた。
我ながらなんて面倒くさい女なのだろう。これじゃあ構ってほしくて手首を切る人たちと同類だ。
「何も知らない人からあれこれ言われても嫌でしょ?」
しょうもない自己嫌悪に陥っていると、杏さんの手が肩に触れた。確かに杏さんの言う通り。私が杏さんをあまり知らないように、杏さんも私の全てを知っているわけではない。聞いてほしいとは思うものの、自らの口では言えそうになかった。
「とりあえずさ」
杏さんが外に出て後部座席のドアを閉めた。
「片付けも終わったし、あんちゃんも買い物済んだんでしょ? 続きは中で話そうか」
短く返事をして車へ乗り込んだ。続きは中で。そう告げた杏さんは背もたれに背を預けたまま、しばらく口を開かずにいた。まるで信号待ちのようにエンジンのかかった車内にいるだけ。どうしていいのか分からず、両膝に並べた手を見続けた。
「何があったかだけ、聞いてもいい?」
独り言のようにこぼした声もやけに大きく聞こえた。ほんの少し頭の中で整理してから口を開いた。
「学校でいじめられて、親にも見放されて、何もかもが嫌になったんです」
口にすることで過去が脳裏を駆けていく。詳細を話そうとして言葉が詰まる。私の中の何かが話すことを拒んでいる。つまらない話で杏さんを困らせたくないと叫んでいる。
「親にも? 話を聞いた限りではいい親御さんだったけれど、うそだったの?」
ゆっくりと頷いた。
「夏休み中に死にたくて、何も言わずに家を出てきたんです」
「それで荷物が少なかったんだ。けどさ、心配ぐらいされない?」
「いいえ」
目を伏せたまま首を振り、ポケットからスマホを取り出した。電源を入れるも通知はきていない。
「電話も何も来ていません。きっともう、どうでもいいんですよ」
言い終えると静寂が返ってきた。この静けさが心地いい。もちろんエンジン音は聞こえるし、お互いの呼吸も耳に入る。恐らく、この二人きりという状況に安心しているのだろう。
私が死ぬのを止めない人。どうして、なぜ。頭の中に疑問はあり続ける。客観的に見れば異様に映るはずなのに、杏さんのそばを離れようとは思わない。
こんな私が、死ぬ前に誰かの助けになれるのだとしたら。そうなればやることは一つ。というか、断る理由は初めからなかった。
「あの」
杏さんと視線が交差した。
「私でよければお手伝いします。いえ、手伝わせてください」
改めて頭を下げる。どうせ死ぬのだから、最後に杏さんのためになるのなら何だってやってあげたい。
「ほんと? ほんとにいいの?」
「私で力になれるのなら、ぜひ」
「よかった。あんちゃんにしか頼めないことだったから」
私にしかできない。その一言で死にかけていた心が甦る。どうしようもないほど簡単に揺れ動く心が情けないというか、何というか。
「そういえば随分と早かったね。何買ったの?」
「え、あっ」
止める暇もなく杏さんに紙袋を取られた。取っ手を左右に開き、中を覗く杏さん。その表情に注目するも特に変わることはなかった。
「うん。いいんじゃない」
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ早速行こうか。ほらほら、シートベルト締めて」
急かされてシートベルトを締めた。今の反応は、いいということだろうか。あの杏さんにセンスを褒められた。えも言われない幸福感に包まれ笑みが漏れてしまう。
「またニヤニヤしてる。何かあったの?」
「いえ、なんでもないです。ところで場所はもう決まっているんですか?」
「大まかにはね。どこに埋めるかは、着いてから決めようと思って」
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