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しおりを挟む車窓に張り付いていた街並みは、いつしか違う色が視界を占めていた。
「いつ来てもこの辺りの海はきれいなの。毎年テレビで特集を組まれるんだよ」
「有名な理由、分かる気がします。輝いて見えますし」
「それ、なんだか詩的表現っぽいね」
「そうですか?」
気恥ずかしさを隠そうと車窓に顔を向けた。目前に広がっていた海がより近くに迫る。空よりも青く澄み渡った海はきらきらと輝いて、まるで大きな宝石のようだ。
「この道、真っすぐでいいの?」
「はい。もうそろそろ駐車場に着くかと」
「看板があるかな。あ、あれか」
杏さんの視線の先、道沿いに『海水浴場駐車場この先左折』という看板が見えた。直後、木々に囲まれた場所へと車は左折した。駐車場を囲む木の合間から見える青。海に来るのは何年ぶりだろうか。
「ここが思い出の場所なんですね」
「うん。夏にはよく二人で来てたの。他の海水浴場より人が少ない穴場なんだって」
「なるほど。埋める場所はこの後決めるんでしたっけ」
杏さんが頷いて車を降りた。
「その前に、ちょっとだけ遊ばない? 死ぬ前の思い出作りってことで」
開けっ放しのドアから海風が入り込んでくる。鼻をくすぐる潮の香りと、蝉に負けじと波打ち際から私を呼ぶ波音。普段はインドアな私でも、何かに期待せざるを得なかった。とはいえど大切なものを持っていない。
「私、水着を、その」
「私も持ってないから大丈夫。それに泳がないもの」
胸を張る姿にポカンと口が開く。
「波打ち際でも十分楽しいし、ここって海の家が充実してるの。食べ物に雑貨とか、いろいろ見て回ろうよ」
杏さんがあごで示した方を見る。木々の間に人工物が点在している。泳ぎに来たというよりは、露店を見に来た感覚に近いのかな。
貴重品だけ持って車を降りた。雲が晴れて降り注ぐ日差しは厳しいものの、全身を包む風がひんやりとしていて気持ちいい。ずっと気になっていた頭皮の蒸れもほんの少し汗ばむ額も、この風で全て解決しそう。
駐車場を抜け、砂浜へと足を降ろす。きめ細かい砂は太陽の光を浴びて輝き、熱を帯びている。ところどころに立つビーチパラソルや人々がアクセントになっているようだった。
「ここの海、きれいでしょ?」
砂浜の向こうに広がる世界に言葉を失くした。雲がまだまばらに残るものの、青く透明な空と濃紺の海のコントラスト。寄せては返す波に覚える寂しさ。それは眼鏡を外したぼやけた世界でも変わらない。むしろ幻想的に見える。
「すごく、すごくきれいです」
「でしょ? ほらほら、もっと近付いてみて」
空っぽだった手を引かれ、砂に足を取られながら波へ。握られた手から感じるぬくもりが心地いい。さんさんと輝く太陽のせいかもしれないけれど。
「車にタオルがあるから、濡れてもいいからね。靴は脱いだ方がいいけれど」
杏さんが片足立ちになり、バランスを崩すたびにポニーテールが揺れる。そのまねをしてくすんだ色のスニーカーを脱いだ。波がこない位置に靴をちょこんと置いて、カーゴパンツの裾を上げて準備は万端。けれどもどう遊んだものか。とりあえず波打ち際へ足を差し出した。
「ひぇっ」
暑さで蒸れていた足を飲み込んだ海水に思わず声が出た。
「気持ちいい。なんだか足湯みたいだね」
「ですねえ」
「そうだ、水のかけ合いでもやってみる?」
かけ合い? と不思議がるも、すぐに脳内にとある映像が浮かんだ。男女が水をかけ合いながら追いかけっこをする甘いイメージ図。まさか杏さんと追いかけっこ?
「悩んでるみたいだけど冗談だからね?」
「え……知ってましたよもちろん」
「耳が赤くなってるけど」
「なってません。日差しでそう見えるんです」
「そんなに日差し強くないけど?」
数秒の間を置いて互いに笑みをこぼす。何気ないやり取りが空っぽの心を満たしていく。それが満杯になったところで何も生まれないし、何も変わらない。けれどもこの時間はとても有意義だと、心の底から思えた。
しばらく波打ち際で海に浸った後、杏さんの案内で海の家へ。お互いに靴を手に、隅っこのお店から順繰りに見て回った。
焼きそばに焼きとうもろこし、イカ焼きに焼き鳥。綿あめやりんご飴まであり、日が沈んでいればお祭の屋台と何ら変わらない。
その不思議な雰囲気が杏さんはひどく気に入ったのか、それとも思い出の場所に戻ってきた懐かしさか。子どものようにはしゃぎっぱなしだった。お互いに汗を浮かばせながら、ただ夏を満喫してしまった。
「そろそろ、埋めようか」
三時のおやつにかき氷を食べた後、杏さんがぽつりと漏らした。そういえば、そのためにここに来たんだっけ。
「あんちゃん忘れてたでしょ?」
「いいえ?」
「ふふ。それならいいけれど」
俯く私の肩に置かれた手。杏さんは軽くぽんぽんと叩いた後で、駐車場へと戻った。その後を追って、後部座席から荷物を取り出す杏さんを眺める。バッグにキャリーケースにリュックサック。よく考えたら、これをどうやって埋めるのだろう。
そもそも、人の敷地に勝手に埋めるのはどうなんだろう。まあいいか。どうせ私は死ぬ。そうやって開き直るのも案外悪くない。
「それじゃあ行こうか」
ドアを閉め、こちらに振り返った杏さん。肩に大きめのトートバッグがかけられている。
「どうしたの?」
「いえ、あの、荷物が少ない気がして」
「このバッグの中にいろいろ入ってるよ。ほら」
杏さんがトートバッグの口を開いた。中には真っ黒のビニール袋と、小さなスコップがぎゅうぎゅうに詰められている。このサイズなら掘る場所さえ間違えなければすぐに済みそう。
とはいえ、何が入っているのか気になる。中身が見えない黒色と、きつく縛られた袋の口。見られたくない、聞かれたくないという思いの表れだろうか。
「どこに埋めようかな」
周囲を見渡す杏さん。しかし徐々に顔が曇っていく。
「夜に来ればよかったかも。どうしよう」
「人目が多いですもんね」
まねて辺りを見渡すも視界には常に誰かがいる。砂浜はもちろん、駐車場も誰かしら歩いてる。その中で人口密度が低そうな場所といえば……あそこはどうだろう。
「海の家の裏とかどうですかね」
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