アンズトレイル

ふみ

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「あんちゃん。そろそろ行こうか」
 映画も中盤に差しかかり、長めのCMが入った頃だった。振り返ればブラウスとデニムに着替えた杏さんが微笑んでいる。それと見慣れたポニーテールもちらちら見えた。昼間より高い位置で結んでいるようだけど、どこへ行くのだろう。
「どこにですか?」
「言わなかったっけ?」
「はい。コンビニですか?」
 杏さんが首を振った。
「違う違う。今日中に埋めたいものがもう一つあってね。それをこれから埋めに行きたいの」
「これ、から?」
 とっさにテレビへ目を向けた。そしてすぐに杏さんへ視線を戻す。杏さんと映画。大切なものに挟まれてしまった。
「ちなみにどこへ?」
「ふふ、内緒」
 かわいらしいウインク。だけど求めているのはそうじゃない。用事の所要時間を聞きたいだけだった。
 本心としては映画を見たい。この最後の機会を逃せば次はないだろう。けれども杏さんも大切だ。自ら手伝うと言ったのだから今すぐ準備しないと。けれど、だけど。
「もしかしてテレビ見たいの?」
 ぎこちなく首を縦に振った。さらさらとした髪が頬を叩く。
「実は今やっている映画、この機を逃せばレンタルしか見る術がないんです。ちょうど今、起承転結でいうところの転の部分でして、ずっと敵だと思っていた人が実は父親で何も知らない主人公が――」
 早くなる熱は意外にもあっさり冷え込んだ。あからさまに困っている杏さんの視線によって。
「ごめんなさい。また、調子に乗って」
「ううん。そういうことじゃないの」
 杏さんがちらと振り返り、ベッドの縁に腰かけた。
「あんちゃんの話が嫌じゃなくて、今は手伝いの話をしたいの。映画の話なら移動中や寝る前にじっくり聞きたいし」
「はい」
「気にしないで。それでどう? 一緒に来てくれる?」
 私なんかで力になれるのなら協力したい。けれど、これだけは譲りたくないという欲が生まれてしまった。自分を優先しようとする醜い欲。捨てなければならないと分かっているのに、背中越しのテレビから流れる音が気になって仕方がなかった。
「あの、一度消しますね」
「ええ」
 後ろ髪を引かれながらもテレビの電源を切った。
「えっと、あの」
「テレビ見たいんでしょ?」
 杏さんの視線に貫かれ、頷く。
「それならもっとはっきり言わないと。その後でどうするか知ってる?」
「いえ」
「話し合うんだよ。けんかとかぶつかり合いじゃなくて、友だちとして話し合って、お互いの落としどころを探し合うの。どう?」
 恐らくその言葉を聞かずに話し合っていたら、またけんかだと勘違いしていた。それを見越した杏さんの優しさが嬉しい。
「分かりました」
「じゃあ決まり。それでさ、今日中に埋めないとスケジュールが厳しいんだよね。映画どうにかならない?」
「その、今日を逃すとしばらく見られなくて」
「レンタルとかあるんでしょ? 明日借りてうちの車で見る? それとも次に泊まるホテルで見てもいいし」
「明日ってDVDを借りに行く時間あります?」
「あー……ちょっと厳しいかも。明日もかなりタイトな予定があってさ」
 頬をかく杏さん。どうしたらいいのだろう。杏さんは今日中に埋めたいものがあるけれど、私はテレビの前から動けない。落としどころは一体どこに。
「そういえば映画って何時に終わるの?」
「十時です」
「今から一時間ちょっとか。映画を見終わった後はどう?」
「行けます」
「それなら終わった後でいいか。よく考えたらもう少し暗い方がやりやすいし。よしよし、じゃあ十時出発ってことで」
 力強く頷く。一人であれこれ悩んでいたのがばかばかしくなるほど、単純な落としどころだった。
「私も一緒に見てもいい?」
「はいっ」
 食い気味に答え、テレビの電源を入れた。かなりの頻度でCMが流れていたのか、目を離した場面からあまり変わっていない。
「それでこれ、どういう話なの?」
 杏さんがベッドの縁に腰かけ、傍らにはコンビニで買ったチョコレートを広げている。鑑賞の準備は万端のようだ。私もお菓子、持ってこようかな。だけどその前に一仕事しなくては。
「ここまでのあらすじは――」
 すぐに呼び起こせる記憶を元に、身振り手振りあらすじを話した。


「そろそろ行ける?」
 十時を過ぎて映画と余韻に浸り終わり、杏さんがチョコレートを片付けだした。
「はい。準備しますね」
 テレビを消したり着替えたりと、頭の中で映画の感想をまとめるうちに支度は整った。
「それじゃあ、出発」
 杏さんの号令で部屋を出た。エレベーターで一階に降り、そのまま駐車場へ。
 五階のベランダに吹く風はあんなにも冷たかったのに、昼の名残がそこかしこに残っている。頬を撫でる生ぬるい風、何匹か残業に勤しむ蝉の弱々しい声。肌触りのいいルームウェアが早速恋しくなってきた。
 何度と乗り慣れた赤い車へと乗り込むとすぐに走りだした。高台に位置するホテルから出て、目下に広がる夜景へと坂を下っていく。けれども途中から夜景から離れるように走り、いつの間にか住宅街へと入り込んでいた。
「あの、案内しなくても大丈夫ですか?」
 スマホを取り出して見せた。
「この辺りはよく知ってるから多分、大丈夫。迷ったら頼むだろうけど……あ、見えた見えた」
 杏さんの声に呼応したように、大きな建物が姿を現した。フェンスと自然に囲まれた建造物。眼鏡をかけていても受け取れる情報はその程度。しかし建物の周囲をぐるりと回り、街灯の立ち並ぶ道路に出ることでその正体はすぐに分かった。
「学校、ですか」
「ええ。私と彼が通ってた小学校。出会いは卒業してからだけど、昔の思い出はいっぱい詰まってるから」
 校門を通り過ぎた路肩で止まった車。周りにはスーパーもコンビニもない。明かりの消えたアパートや一軒家が息を潜めるようにそこにあるだけ。
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