45 / 51
-4-
45
しおりを挟む
投げやりな言葉に胸が痛む。無責任に生きてと願った私に思うところがあったのだろうか。思考の範囲外の反応に不安が募っていく。
「たとえ会えなくなっても、また死ぬなんて言ったら駄目だからね」
「杏さんがいないと私なんて」
「私のためなんかじゃなくて、自分のために生きなよ」
杏さんが止まり、ようやく視線が交差した。
「私やご両親がいなくても、一人で生きていけるくらい強くね」
一人。それはずっと感じていた孤独を指すのだろうか。誰にも頼らず助けを求めず生きていく。杏さんがそばにいるならまだしも、たった一人であの地獄を生き抜くなんて無理だ。それが嫌で死を選んだのに、また戻れと言っているのだろうか。
「私には無理です。杏さんがいないと私には生きる価値すら――」
「あんちゃんが私を想うくらい、私もあんちゃんをすごいと思ってる。それに世界は広いもの。きっとどうにかなるよ」
視線の外から聞こえた、穏やかな声。振り返ると杏さんが足を止め、優しく微笑んでいる。
「あんちゃんが言ったでしょ? 私が生きる世界は広いって。それと同じ、ううん。若いあんちゃんが生きる世界はもっと広いよ。私よりすてきな人もごまんといる。嫌な人もたくさんいるけれど、あんちゃんならきっと大丈夫だから」
「どうして、そう言えるんですか」
「だってあんちゃん、面白いから」
何の根拠もないただの勘。それだけを置いて杏さんは歩きだした。にわかには信じられないけれど、親友に言われたとなれば信じてみる価値は大いにある。けれども言わずにはいられない。
「私、杏さんのために生きますから。もしも死刑になったら私も死にます」
横についてそう宣言すると、杏さんが肩をすくめた。
「またそんなこと言って。あっ、見えた」
「あっ……」
小さな驚きの声が二つ。視界を遮っていた木が十メートルほど前方で途切れている。ついに、着いてしまった。散策コースへ戻ればそこでお別れなのだろうか。いや、最後までついて行こう。杏さんと離れる直前まで一緒にいなきゃ。
「なんとか帰ってこられたね。えっと、車どっちだっけ」
「ここから左の方です」
「さっすが。それじゃあここでお別れかな。いつまでも一緒にいて、あんちゃんに迷惑をかけるわけにはいかないし」
「嫌です。私も行きます」
「警察署に行く途中で捕まったらどうするの。あんちゃんも死体遺棄で捕まるよ?」
「なんとかなりますよ、多分。今までなんとかなりましたし」
自分らしくない適当で強引なやり方。けれどこうでもしないと一緒にいられない。
「もう。途中までだからね」
「はいっ」
天を仰ぐ杏さんに大きく頷いた。警察署までとはいえ、まだ一緒にいられる。それが何より嬉しくて、険しい樹海を往復したはずの足取りはやけに軽かった。
杏さんが戻ってくるのはいつになるだろう。五年か十年か、それとももっと長いのか。けれども死にさえしなければ希望はある。杏さんのために生きるという希望が胸に宿り、ただ歩いているだけなのに体中に力が漲るようだった。
まるで明るい未来へと進むように歩き、散策コースを抜けて駐車場へとたどり着いた。日が傾き、到着した頃より人の数は明らかに減っている。
「あんちゃん、先に車に乗ってて」
「へ?」
森の駅を指さす杏さん。ついすっとんきょうな声で答えた。
「警察署に行く前にトイレに寄っておきたいの。すぐに戻るから待ってて」
にかっと微笑み、車から遠ざかる見慣れた背中。人の数が減ったとはいえ、相変わらず混雑している森の駅に吸い込まれていった。
なぜかその姿を目に焼き付けるように見つめて動けない。胸の中に嫌な予感が広がっていく。
まさか、そんなわけ。
あれこれ考える前に体は動いていた。リュックを背負いながら人の波に飛び込み、体をぶつけながらトイレを目指す。謝ることなんて忘れてたどり着くも、トイレには長蛇の列ができていた。ついさっき別れたはずの杏さんも並んでいたのだろう。そこにいさえすれば。
最悪の予感が脳裏をよぎる。だけどまだ確定したわけじゃない。ひょっとしたら売店に行ったのかもしれない。日陰で休んでいるのかもしれない。散策コースに落とし物を取りに行ったのかもしれない。
「杏さん! 杏さんっ!」
全ての可能性を、声を荒らげながら潰していく。何度も目にした栗色のポニーテールを必死に探す。周囲に奇異な目で見られてもいい。私には杏さんがいればいい。杏さんさえいればいい。
そう熱くなった頭で結論を叩き出し、もう一度トイレから見て回ろうとした。
けれどもすぐに声かけ隊と警備の人に事情を聞かれ、しどろもどろに答え、不審がられて荷物を見られ、あっさりと警察署へ補導された。
それが私の旅の終わり。
一緒に歩んできたはずの人は、もう、どこにもいなかった。
「たとえ会えなくなっても、また死ぬなんて言ったら駄目だからね」
「杏さんがいないと私なんて」
「私のためなんかじゃなくて、自分のために生きなよ」
杏さんが止まり、ようやく視線が交差した。
「私やご両親がいなくても、一人で生きていけるくらい強くね」
一人。それはずっと感じていた孤独を指すのだろうか。誰にも頼らず助けを求めず生きていく。杏さんがそばにいるならまだしも、たった一人であの地獄を生き抜くなんて無理だ。それが嫌で死を選んだのに、また戻れと言っているのだろうか。
「私には無理です。杏さんがいないと私には生きる価値すら――」
「あんちゃんが私を想うくらい、私もあんちゃんをすごいと思ってる。それに世界は広いもの。きっとどうにかなるよ」
視線の外から聞こえた、穏やかな声。振り返ると杏さんが足を止め、優しく微笑んでいる。
「あんちゃんが言ったでしょ? 私が生きる世界は広いって。それと同じ、ううん。若いあんちゃんが生きる世界はもっと広いよ。私よりすてきな人もごまんといる。嫌な人もたくさんいるけれど、あんちゃんならきっと大丈夫だから」
「どうして、そう言えるんですか」
「だってあんちゃん、面白いから」
何の根拠もないただの勘。それだけを置いて杏さんは歩きだした。にわかには信じられないけれど、親友に言われたとなれば信じてみる価値は大いにある。けれども言わずにはいられない。
「私、杏さんのために生きますから。もしも死刑になったら私も死にます」
横についてそう宣言すると、杏さんが肩をすくめた。
「またそんなこと言って。あっ、見えた」
「あっ……」
小さな驚きの声が二つ。視界を遮っていた木が十メートルほど前方で途切れている。ついに、着いてしまった。散策コースへ戻ればそこでお別れなのだろうか。いや、最後までついて行こう。杏さんと離れる直前まで一緒にいなきゃ。
「なんとか帰ってこられたね。えっと、車どっちだっけ」
「ここから左の方です」
「さっすが。それじゃあここでお別れかな。いつまでも一緒にいて、あんちゃんに迷惑をかけるわけにはいかないし」
「嫌です。私も行きます」
「警察署に行く途中で捕まったらどうするの。あんちゃんも死体遺棄で捕まるよ?」
「なんとかなりますよ、多分。今までなんとかなりましたし」
自分らしくない適当で強引なやり方。けれどこうでもしないと一緒にいられない。
「もう。途中までだからね」
「はいっ」
天を仰ぐ杏さんに大きく頷いた。警察署までとはいえ、まだ一緒にいられる。それが何より嬉しくて、険しい樹海を往復したはずの足取りはやけに軽かった。
杏さんが戻ってくるのはいつになるだろう。五年か十年か、それとももっと長いのか。けれども死にさえしなければ希望はある。杏さんのために生きるという希望が胸に宿り、ただ歩いているだけなのに体中に力が漲るようだった。
まるで明るい未来へと進むように歩き、散策コースを抜けて駐車場へとたどり着いた。日が傾き、到着した頃より人の数は明らかに減っている。
「あんちゃん、先に車に乗ってて」
「へ?」
森の駅を指さす杏さん。ついすっとんきょうな声で答えた。
「警察署に行く前にトイレに寄っておきたいの。すぐに戻るから待ってて」
にかっと微笑み、車から遠ざかる見慣れた背中。人の数が減ったとはいえ、相変わらず混雑している森の駅に吸い込まれていった。
なぜかその姿を目に焼き付けるように見つめて動けない。胸の中に嫌な予感が広がっていく。
まさか、そんなわけ。
あれこれ考える前に体は動いていた。リュックを背負いながら人の波に飛び込み、体をぶつけながらトイレを目指す。謝ることなんて忘れてたどり着くも、トイレには長蛇の列ができていた。ついさっき別れたはずの杏さんも並んでいたのだろう。そこにいさえすれば。
最悪の予感が脳裏をよぎる。だけどまだ確定したわけじゃない。ひょっとしたら売店に行ったのかもしれない。日陰で休んでいるのかもしれない。散策コースに落とし物を取りに行ったのかもしれない。
「杏さん! 杏さんっ!」
全ての可能性を、声を荒らげながら潰していく。何度も目にした栗色のポニーテールを必死に探す。周囲に奇異な目で見られてもいい。私には杏さんがいればいい。杏さんさえいればいい。
そう熱くなった頭で結論を叩き出し、もう一度トイレから見て回ろうとした。
けれどもすぐに声かけ隊と警備の人に事情を聞かれ、しどろもどろに答え、不審がられて荷物を見られ、あっさりと警察署へ補導された。
それが私の旅の終わり。
一緒に歩んできたはずの人は、もう、どこにもいなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる