アンズトレイル

ふみ

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「それならそうと教えてくれてもよかったのに」
「一度だけ手紙を出しましたよ。返事はありませんでしたが」
「えっ」
 横に座る杏さんがみるみるうちに青ざめていく。どうやら心当たりがあったらしい。
「てっきり、両親だと思って」
「見ずに捨てちゃいました?」
 杏さんがばつの悪そうな顔で頷いた。
「そうだと思ってました」
 軽く口を尖らせる。けれどもすぐに笑みに戻した。
「だから待つことにしたんです。杏さんにふさわしい人間になるために十五年頑張ったんですよ? 見た目はあまり――そうだ、この車もご家族から譲り受けたんです」
「どうして?」
「私にとっては思い出の場所ですから。警察からご家族に返された後、杏さんに返してあげたいって頼み込んだんです」
「そこまでしてくれたんだ。本当に、ごめんなさい」
 驚きが悲痛なものへと変わる。そんな表情は見たくないものの、事情を聞けば申し訳ない気持ちでいっぱいになるのも分かる。
「謝らないでください。約束したじゃないですか」
「え?」
「すぐに戻るから待ってて。杏さんとした約束ですよ」
 信号で止まり、しっかりと杏さんを見た。悲しげな顔で、口にできない想いを反芻しているように見えた。それを引き出すには、どうすればいいのだろう。
「ところで、他の荷物はどうしたんですか」
「先に実家に送ったの。彼が入っていたリュックはさすがに送れなくて、捨てちゃったけどね」
「捨てたんですか?」
「ええ。もう未練なんかないし」
「なるほど」
 前方の車が動きだし、追うようにアクセルを踏んだ。
「その髪形、十五年前と同じ、だよね」
「はい。杏さんに会うにはこの髪形しかないと思って」
「そっか。その、学校はどうなったの?」
「いじめですか?」
「うん」
「私をいじめた子にちゃんと怒ったら、次の日から止まったんです。杏さんが教えてくれた、怒りの瞬発力のおかげですよ」
「そっか。よかった」
「はい」
「コンタクトには、してないんだね」
「あれから何度か試したんですけど、合わなくて」
「今も映画見てる?」
「見るどころか、制作側の仕事に就いたんですよ」
「ほんと?」
 延々と続く県道をひた走る。まるで杏さんとの会話を模したように平坦。一番聞きたい本音には触れず、上辺で言葉を投げ合うだけ。そんなことがしたくてここに来たんじゃない。私は、ただ――。
「――どうして、置いて行ったんですか」
 ぼそりと呟いたそれは確かに届いたのだろう。県道を駆ける音に息をのむ音が加わった。フロントガラスに広がる景色の隅、杏さんは見えるものの表情までは見えない。いや、見られなかった。
 音になった言葉はどう聞こえたのだろう。恨めしく聞こえたのか、ただの問いになったのか。どうであれ待つしかない。どんな答えが返ってきてもそれが真実と受け入れるしかない。
「一人に、なりたかったの」
 か細い声。いつか見た淀んだ瞳がそこにある。
「あんちゃんに生きてほしいって言われて、すごく嬉しかった。それと同時に、私なんかと一緒にいたら不幸になるって気付いたの」
「そんなわけ――」
「殺人犯と一緒なんだよ? 幸せになれると思う?」
 強い語気に言い淀む。確かにそれが一般論なのだろう。けれども杏さんといて不幸と思ったことは一度もない。
「優しいあんちゃんはついて来てしまうから、関係を断ち切るために一人で自首したの。嫌われてもいい。恨まれてもいい。あんちゃんが幸せになるのならどんなことでもできる。その時の気持ちは今も同じなの」
 決意に満ちた目。あの頃ならすんなりと受け入れていただろう。
「迷惑をかけた上に、十五年もの時間を奪った私なんか忘れて。最後に罵倒でも暴力でも何をしてもいいから、私を捨てて自分のために生きて。それがあんちゃんのためなんだよ」
 杏さんが言い終えるのと同時に、路肩へと車を止めた。改めて助手席へ向き直れば、杏さんはじっと私を見て動かない。
 決して冗談やうそではない、まごうことなき本音なのだろう。あの日、私の身を案じて車に乗せ、富士山まで乗せてくれた優しさはちっとも変っていない。
 自分のことなんか二の次で、周囲を助けてばっかり。その生き方を否定する気はないし、変えようとも思わない。
 それでも、忘れっぽい杏さんには伝えておきたいことがある。
「本当にいいんですか」
「ええ」
「それじゃあ迷惑禁止で」
 笑みを浮かばせたまま告げる。杏さんから反論が飛び出す前に続きを口にした。
「あの夏、杏さんは何度も言いましたよね。これは自分のわがままだって。私もそうしただけです。杏さんに会いたいから十五年待った。杏さんと話したいからここに来た。これは全部自分で選んだんです」
「そんな、だけど」
「ただの恩返しなんですよ。杏さんに会って私の世界は変わりました。だから今度は、私が杏さんの世界を変えたいんです」
 思わず杏さんの両肩をつかんでいた。腕に力を込めるのをやめられない。熱くなる想いを止められない。それらを嫌がることなく、杏さんはただ下唇を噛んでじっと聞いてくれている。
「必ず力になります。頼りないかもしれないけれど、私が必ず助けますから」
 杏さんの目が潤みだす。つい先ほどまでそこにあった淀んだ瞳は消え、ずっと憧れていたきらきらと輝くものがそこに戻っていた。
「それに自分のしたことに責任くらい持たせてください。これは私にしかできませんから」
「どう、して?」
「忘れたんですか? 杏さんが言ってくれたのに」
 潤んだ瞳の杏さんがじっと見つめている。呼吸するのも忘れて答えを待っている。けれどそんな大それたものじゃない。ありふれていて、私たちだけが持っていなかったもの。杏さんがくれた宝物を口にした。
「親友だからですよ」
 それがお互いにとって、一番聞きたかったことだったのだろう。杏さんはあふれた涙をそのままにし、声を上げて泣いた。私もそれにつられ、前兆なんて全くなかったのに涙を流してしまった。
 狭い車内に響く二人の声。お互いの肩に顔を埋め、恥も外聞もなく泣いた。相手の鼓動が伝わるほど強く抱き合う。そこにはもう、空いていた距離は微塵も残ってなどいなかった。
「あのね、あんちゃん」
 鳴き声がしゃくり上げる声に変わった頃、杏さんに名前を呼ばれた。背中に回していた手を離し、シートに座り直す。
「はい」
「迷惑かけてもいい?」
 杏さんの上目遣いに大きく頷いた。
「両親に謝りに行きたいの。うまくいかなくても、ちゃんと話したくて」
 複雑な表情ながらも、その目には決意が浮かんでいる。大きく頷きアクセルを踏み込んだ。
 お互いの空白を埋めるよう、頭に浮かんだことを口にしていく。聞きたかったことをふと思い出し投げつける。くだらない話に花を咲かせる。
 そこにかつて死を抱いた私たちはいない。
 かげろうの向こう、地平線の先へ歩きだした二人の杏がいるだけだった。
                                         完
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