アンズトレイル

ふみ

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 道の先を歪めるほどの暑さにため息ばかりがもれる。九月も半ばというのに、どうしてこうも太陽が照り付けているのだろう。
 誰に話していいかわからない愚痴を抱えながら、田畑に囲まれた県道を駆け抜けていく。正面にもバックミラーにも車の姿は見えず、対向車も時折通り過ぎていくだけ。
 十五年もたてば開発が進んでいるかと思ったけれど、ここはずっと昔のまま。あの日、こんな日差しの中を歩いていたんだ。今考えると若さという狂気に身震いしてしまいそう。
 ある程度車を走らせると、ガードレール脇の立て看板が目についた。錆ついて字も擦れ、ぱっと見は何の看板か見当もつかない。けれど脳裏に映る映像にはっきりと描かれている。
 速度を落としてハンドルを切る。その後は突き当りに見える黄金色の葉で包まれた林を右に曲がるだけ。やっと、やっと会える。あの日の約束をようやく果たす時がきた。
「あれ、かな」
 晴れ渡る空の下、ひと気のない道路で目当ての門を見付けた。とりあえず路肩に車を止める。林に近いせいか、うんざりするほど聞いた蝉たちが歓迎するように鳴き始めた。車内にも届くほど鳴かなくてもちゃんと聞こえるのに。
 高く積まれたブロック塀と堅固な門。厳戒な雰囲気の向こうに、杏さんがいる。左手首を覗けば十一時少し前。早めに来たのはいいけれど、心の準備は全くできていない。
 この十五年、シミュレーションだけはしてきた。けれど杏さんと再会する場面でいつも思考にノイズが走り、その先を見ることはできなかった。
 私を一目見た時の表情から言動まで、どうしても想像するのが怖い。あの頃よりは前向きになったとはいえ、根本は何も変わっていないのだろうか。暑さのせいにできないほどの冷や汗が背中に滲みだした。
 そもそも杏さんは私だと気付いてくれるだろうか。身長や髪形、それに眼鏡まで当時とあまり変わっていない。けれども恰好は随分と変わってしまった。
 シャツとスカートというシンプルな恰好。杏さんが来るまでに、カーゴパンツを売っている店を探した方がいいのだろうか。
 ついついため息がこぼれる。数えきれないほどの不安に押し潰されてしまいそう。早くなった鼓動を落ち着かせようとあれこれ試していた時、車内に着信音が響いた。
「どうしたの?」
 ――ちゃんと着いたか心配になってね。お父さんも朝からそわそわしっぱなしなのよ。
「子どもじゃないんだから。心配しなくても大丈夫だって」
 ――親にとって子どもは、いくつになっても子どもなのよ。何かあったらすぐに連絡しなさいね。お父さんが迎えに行くから。
「平気だってば。杏さんを迎えたらまた連絡するから、お父さんにもそう伝えて」
 ――ええ、必ず連絡してね。それじゃあ。
 スマホを仕舞う。眼鏡を外してダッシュボードに置き、シートに背中を深く預けた。杏さんも今の状況を知ったら驚くだろうか。あんなに毛嫌いしていた両親と仲直りできたと伝えたら。
 今思うと、ありふれたすれ違いだった。お母さんは私を育てたい一心で独りよがりになり、私は何も言わずにうんざりしていただけ。三人で話し始めたあの日から、こうも変わるとは思わなかった。
 小さな笑みも口元に現れ、緊張はだいぶ解れた気がする。後は本番だけと短く息を吐いた途端、刑務所の入り口に人影が見えた。
 慌てて眼鏡をかけ直す。入り口までの距離が遠くてはっきりと判別できないものの、見覚えのあるワインレッドのキャリーケースが目についた。
 来た。ついに、来た。
 後方を確認して外に飛び出し、車に鍵をかけることなく道路を渡る。歩道と施設の境目に立ち、視界の真ん中にその姿を置いた。
 ベージュのコートを羽織り、シャツとデニムというシンプルな恰好はあの頃と変わっていない。それと栗色のポニーテールも。
 しかし歩き方はまるで別人で、地面に目をやりながら背中を丸める姿に心が痛んだ。これが、十五年か。私も杏さんも変わってしまった。けれども悲観するのはまだ早い。まだ、言葉を交わしていない。
「杏さん!」
 変わり様を見せつけるように大声で名を呼んだ。右手を掲げ、私がここにいると知らせる。軽快に飛び跳ねるように走り寄った。
 とぼとぼと過去の私のように歩く姿は声に反応し、ぴたりと歩みを止めた。そして一言だけ答えてくれた。
「うそ」
 杏さんが口を両手で覆い、手を離したキャリーケースが地面に倒れ込む。拾い上げて渡すも、杏さんは固まったまま受け取ってくれない。何も伝えずに来たのだから当然か。
「お久しぶりです。えっと、覚えてますか?」
「え、あんちゃん、よね? 大泉、杏」
「はい」
 かつての杏さんのまねをして微笑んだ。けれども目に映る表情はこわばったまま。嫌な予想が的中してしまったのだろうか。やっぱり私になんか会いたく――まだ、まだ考えなくていい。久しぶりに会った緊張に支配されてたまるか。
「どうして、どうして、ここに?」
「杏さんに会いたくて頑張ったんです。とりあえず車に乗ってから話しませんか?」
 車? と首をかしげる杏さんが前方へ目をやり、再び目と口を丸くしてしまった。
「あれ、私の車? なんで?」
「それも中で説明します。ほらほら、荷物持ちますから」
 キャリーケースを引くと妙に軽い。そういえば他の荷物はどうしたのだろう。それに自首した時に持っていたあのリュックは? 聞きたいことがさらに増えてしまった。
 案内するように先行し、荷物をトランクへと仕舞う。そうしている間、杏さんは歩道でじっとこちらを見つめていた。何か言いたげというか、胸に何か詰まっているというか。それも全部聞きだせるといいけれど。
「私が運転しますね。どうぞ、乗ってください」
「あんちゃんが?」
「一応ゴールドなんですよ。慎重過ぎるってたまに怒られますけど」
「……それじゃあ、お願いね」
「はいっ」
 杏さんからの頼みごと。それがなんだか嬉しくて気分よく車に乗り込んだものの、車内の空気はすぐに冷えきってしまった。
 とりあえず口元に笑みを残しながらハンドルを握る私と、太ももに重ねた両手を見つめ口を閉ざす杏さん。
 まるで初対面を再現したような重苦しい雰囲気。けれども杏さんが考えていることは手に取るように分かる。あえて話しかけず沈黙を守ろう。
 そうして幾分かたった後、エンジン音に包まれた世界で杏さんが口火を切った。
「どうして、来たの?」
 シンプルな問いだけれど、ここに来るまで決して単純な道のりではなかった。それを語れば杏さんの表情も和らぐだろうか。
「杏さんに会いに来たんです」
「会いにって、どうやって? 出所日なんて家族しか知らないはずなのに」
「そのご家族に聞いたんです」
 杏さんを見ると、不思議そうに視線を返してくれた。
「杏さんが逮捕された後、公判を傍聴して杏さんのお母さんに会ったんです。その後、何度もお願いして収監先を教えてもらいました」
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