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ふらつく足取りで横断歩道を渡り切った。ビルの明かりから逃げるように、東京湾の方へ向かう。
ちーちゃんと遊びに行く時も一人でこっそり出る時も、そのほとんどが駅の周辺ばかり。この辺りに足を踏み入れるのは恐らく初めてだろう。
ネオンをまとった看板に目を引かれる。今にも消えそうに点滅している街灯に不安を覚える。暗闇を照らすコンビニに心が動く。しかし見覚えはなかった。
「キョロキョロするの、癖になってるね」
ちーちゃんが前を向きながらそう言った。
「どこに記憶を取り戻すきっかけが転がっているかわからないもの。ちーちゃんはこの辺り、来たことあるの?」
「あるような、ないような。わかんない」
突然興味をなくしたように、ちーちゃんが口を閉ざした。たまに見る大人モードだろう。いつものちーちゃんに戻るまで黙っていよう。
互いに口を閉ざし、凍てつく空気を肌に感じながら小さな通りを抜けた。開けた視界の先に、ようやく東京湾沿いの大通りが見えた。
「結構、人がいるね」
世界は意外にも早起きらしい。コンビニや二十四時間営業の牛丼屋、我先にと走り去るトラックだけではなく、大勢の人が海へと歩みを進めていた。どうやら考えることは皆、同じらしい。
「有名な初日の出スポットだもの。夏に行ったビーチよりは空いているんじゃない?」
「どうだろうね。ひょっとしたら走った方がいいのかな」
ちーちゃんが腕を曲げて前後に振った。
「どうして?」
「急がないと初日の出、見られなくなっちゃうじゃん」
「太陽は逃げないわよ」
「そうじゃなくてさ」
赤い手袋が指さした向こう側。海浜公園と刻まれた石銘板の奥へと、人々が群れをなして足を運んでいる。まるで初詣の予行演習と言わんばかり。
今すぐにでも帰りたいけれど、ここまで来ては戻れない。諦めてちーちゃんの手を強く握りしめた。
やる気をそぐ風に身を縮こまらせ、人の波にもまれながら堤防に沿って進んでいく。どこかに湾を一望できる安全地帯でもあればいいけれど。
「ちーちゃん。どこで見る?」
「どこってここからだと何も見えないよ。ちょっと端っこに行ってみない?」
ちーちゃんに手を引かれ、人の波をかき分けて湾とは反対方向へ向かった。何度もぶつかり謝りながら、ようやく芝生が見えてきた頃には額に汗が滲み出していた。
振り返るとそこに海はない。あるのは人の群れだけ。無理して密集地帯から離れたのは失敗だったのかもしれない。
「どこかないかな……」
辺りを見回すちーちゃんに倣って、その場でぐるりと回ってみた。半ば諦めながら街灯を頼りに視線を飛ばすと、歩道からそれた広場にある小さな丘に目が留まった。目を凝らすも見物人は数えるほどしかいない。
「はる姉、もう上がっちゃうよ。どうしよう」
強く握られた手に反応して、湾の向こうへと視線を投げた。太陽はまだ顔を覗かせていない。しかし紺色の空には徐々にグラデーションが広がりつつある。
「ちーちゃん。行こう」
場所を知らせる前に、小さな手を引いて人の波を突っ切って抜けだした。
「はる姉どこ行くの?」
「あそこ、よく見て。結構よさそうじゃない?」
「ほんとだ。急がないと」
駆け足ですぐにたどり着いた丘は、ちらほらとスペースが確保されている。芝生のはげた地面にレジャーシートを広げる人もいれば、直に座って缶ビールを片手に談笑する若い人たちもいた。
その合間を縫って、二メートル四方ほどの空き場所でようやく足を止めた。
「ここでなら見えそうじゃない?」
「どうかな――はる姉!」
肩を叩くちーちゃんに目をやることはなかった。騒がしい闇を裂くように、のんびりと昇る朝日。その輝きに目を奪われた。
ちーちゃんと遊びに行く時も一人でこっそり出る時も、そのほとんどが駅の周辺ばかり。この辺りに足を踏み入れるのは恐らく初めてだろう。
ネオンをまとった看板に目を引かれる。今にも消えそうに点滅している街灯に不安を覚える。暗闇を照らすコンビニに心が動く。しかし見覚えはなかった。
「キョロキョロするの、癖になってるね」
ちーちゃんが前を向きながらそう言った。
「どこに記憶を取り戻すきっかけが転がっているかわからないもの。ちーちゃんはこの辺り、来たことあるの?」
「あるような、ないような。わかんない」
突然興味をなくしたように、ちーちゃんが口を閉ざした。たまに見る大人モードだろう。いつものちーちゃんに戻るまで黙っていよう。
互いに口を閉ざし、凍てつく空気を肌に感じながら小さな通りを抜けた。開けた視界の先に、ようやく東京湾沿いの大通りが見えた。
「結構、人がいるね」
世界は意外にも早起きらしい。コンビニや二十四時間営業の牛丼屋、我先にと走り去るトラックだけではなく、大勢の人が海へと歩みを進めていた。どうやら考えることは皆、同じらしい。
「有名な初日の出スポットだもの。夏に行ったビーチよりは空いているんじゃない?」
「どうだろうね。ひょっとしたら走った方がいいのかな」
ちーちゃんが腕を曲げて前後に振った。
「どうして?」
「急がないと初日の出、見られなくなっちゃうじゃん」
「太陽は逃げないわよ」
「そうじゃなくてさ」
赤い手袋が指さした向こう側。海浜公園と刻まれた石銘板の奥へと、人々が群れをなして足を運んでいる。まるで初詣の予行演習と言わんばかり。
今すぐにでも帰りたいけれど、ここまで来ては戻れない。諦めてちーちゃんの手を強く握りしめた。
やる気をそぐ風に身を縮こまらせ、人の波にもまれながら堤防に沿って進んでいく。どこかに湾を一望できる安全地帯でもあればいいけれど。
「ちーちゃん。どこで見る?」
「どこってここからだと何も見えないよ。ちょっと端っこに行ってみない?」
ちーちゃんに手を引かれ、人の波をかき分けて湾とは反対方向へ向かった。何度もぶつかり謝りながら、ようやく芝生が見えてきた頃には額に汗が滲み出していた。
振り返るとそこに海はない。あるのは人の群れだけ。無理して密集地帯から離れたのは失敗だったのかもしれない。
「どこかないかな……」
辺りを見回すちーちゃんに倣って、その場でぐるりと回ってみた。半ば諦めながら街灯を頼りに視線を飛ばすと、歩道からそれた広場にある小さな丘に目が留まった。目を凝らすも見物人は数えるほどしかいない。
「はる姉、もう上がっちゃうよ。どうしよう」
強く握られた手に反応して、湾の向こうへと視線を投げた。太陽はまだ顔を覗かせていない。しかし紺色の空には徐々にグラデーションが広がりつつある。
「ちーちゃん。行こう」
場所を知らせる前に、小さな手を引いて人の波を突っ切って抜けだした。
「はる姉どこ行くの?」
「あそこ、よく見て。結構よさそうじゃない?」
「ほんとだ。急がないと」
駆け足ですぐにたどり着いた丘は、ちらほらとスペースが確保されている。芝生のはげた地面にレジャーシートを広げる人もいれば、直に座って缶ビールを片手に談笑する若い人たちもいた。
その合間を縫って、二メートル四方ほどの空き場所でようやく足を止めた。
「ここでなら見えそうじゃない?」
「どうかな――はる姉!」
肩を叩くちーちゃんに目をやることはなかった。騒がしい闇を裂くように、のんびりと昇る朝日。その輝きに目を奪われた。
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