ホムンクルス

ふみ

文字の大きさ
26 / 97
-3-

26

しおりを挟む
 ふらつく足取りで横断歩道を渡り切った。ビルの明かりから逃げるように、東京湾の方へ向かう。
 ちーちゃんと遊びに行く時も一人でこっそり出る時も、そのほとんどが駅の周辺ばかり。この辺りに足を踏み入れるのは恐らく初めてだろう。
 ネオンをまとった看板に目を引かれる。今にも消えそうに点滅している街灯に不安を覚える。暗闇を照らすコンビニに心が動く。しかし見覚えはなかった。
「キョロキョロするの、癖になってるね」
 ちーちゃんが前を向きながらそう言った。
「どこに記憶を取り戻すきっかけが転がっているかわからないもの。ちーちゃんはこの辺り、来たことあるの?」
「あるような、ないような。わかんない」
 突然興味をなくしたように、ちーちゃんが口を閉ざした。たまに見る大人モードだろう。いつものちーちゃんに戻るまで黙っていよう。
 互いに口を閉ざし、凍てつく空気を肌に感じながら小さな通りを抜けた。開けた視界の先に、ようやく東京湾沿いの大通りが見えた。
「結構、人がいるね」
 世界は意外にも早起きらしい。コンビニや二十四時間営業の牛丼屋、我先にと走り去るトラックだけではなく、大勢の人が海へと歩みを進めていた。どうやら考えることは皆、同じらしい。
「有名な初日の出スポットだもの。夏に行ったビーチよりは空いているんじゃない?」
「どうだろうね。ひょっとしたら走った方がいいのかな」
 ちーちゃんが腕を曲げて前後に振った。
「どうして?」
「急がないと初日の出、見られなくなっちゃうじゃん」
「太陽は逃げないわよ」
「そうじゃなくてさ」
 赤い手袋が指さした向こう側。海浜公園と刻まれた石銘板の奥へと、人々が群れをなして足を運んでいる。まるで初詣の予行演習と言わんばかり。
 今すぐにでも帰りたいけれど、ここまで来ては戻れない。諦めてちーちゃんの手を強く握りしめた。
 やる気をそぐ風に身を縮こまらせ、人の波にもまれながら堤防に沿って進んでいく。どこかに湾を一望できる安全地帯でもあればいいけれど。
「ちーちゃん。どこで見る?」
「どこってここからだと何も見えないよ。ちょっと端っこに行ってみない?」
 ちーちゃんに手を引かれ、人の波をかき分けて湾とは反対方向へ向かった。何度もぶつかり謝りながら、ようやく芝生が見えてきた頃には額に汗が滲み出していた。
 振り返るとそこに海はない。あるのは人の群れだけ。無理して密集地帯から離れたのは失敗だったのかもしれない。
「どこかないかな……」
 辺りを見回すちーちゃんに倣って、その場でぐるりと回ってみた。半ば諦めながら街灯を頼りに視線を飛ばすと、歩道からそれた広場にある小さな丘に目が留まった。目を凝らすも見物人は数えるほどしかいない。
「はる姉、もう上がっちゃうよ。どうしよう」
 強く握られた手に反応して、湾の向こうへと視線を投げた。太陽はまだ顔を覗かせていない。しかし紺色の空には徐々にグラデーションが広がりつつある。
「ちーちゃん。行こう」
 場所を知らせる前に、小さな手を引いて人の波を突っ切って抜けだした。
「はる姉どこ行くの?」
「あそこ、よく見て。結構よさそうじゃない?」
「ほんとだ。急がないと」
 駆け足ですぐにたどり着いた丘は、ちらほらとスペースが確保されている。芝生のはげた地面にレジャーシートを広げる人もいれば、直に座って缶ビールを片手に談笑する若い人たちもいた。
 その合間を縫って、二メートル四方ほどの空き場所でようやく足を止めた。
「ここでなら見えそうじゃない?」
「どうかな――はる姉!」
 肩を叩くちーちゃんに目をやることはなかった。騒がしい闇を裂くように、のんびりと昇る朝日。その輝きに目を奪われた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~

楠富 つかさ
恋愛
 中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。  佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。  「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」  放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。  ――けれど、佑奈は思う。 「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」  特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。  放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。 4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

私がガチなのは内緒である

ありきた
青春
愛の強さなら誰にも負けない桜野真菜と、明るく陽気な此木萌恵。寝食を共にする幼なじみの2人による、日常系百合ラブコメです。

処理中です...