ホムンクルス

ふみ

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「お姉ちゃんって言っていたけれど、ちーちゃんの妹なの?」
 ちーちゃんは何も言おうとしない。
「どうして黙っていたの? もしかしてあの子に会いたくなかったから、ここに来るのを嫌がっていたの?」
 ちーちゃんは拳を握りしめたまま動かない。
 続けてカナエさんのことを聞こうとして、直前でやめた。彼女が私にだけ聞かせてくれたのには、きっと理由がある。姉であるちーちゃんにも聞かれたくない理由が。
「話す必要がないと思ったの」
 薄汚れたアスファルトを見つめるちーちゃん。絞り出された声は震えている。その姿を見て自分自身の声が頭の中に響いた。
 そんなことを知って何になるの。ちーちゃんに妹がいたとして、それがどうしたの。愛する彼女の顔を歪めて何がしたいの。
 だけど。それでも、わからないままなのはもう嫌だ。頭を振って再びちーちゃんに疑いの視線を向けた。
「もう一度聞くわ。あの子は誰?」
 言葉に怒気を含ませ、ゆっくりと口にした。
「ともちゃんは妹なの」
 ちーちゃんが顔を上げた。
「この辺りであたしのお父さん、お母さんと一緒に暮らしてる。はる姉が記憶を失ったことは、まだ知らせてない」
 ちーちゃんが動揺し、ずっと目を泳がせている。きっと私も同じ顔をしているのだろう。
「ちーちゃんの家族も東京にいるの? ちーちゃんだけ上京して来たんじゃなくて?」
「ううん。家族皆で引っ越してきたの。それから大学に受かって、はる姉と暮らし始めたの」
「一人で上京したって言っていたじゃない。私にずっとうそをついていたの?」
「それは、その……」
 肩を落とす姿が違うものに見えてしまう。
 ちーちゃんが隠しごとをするのは私のため。忌々しい過去を知らせることなく、ちーちゃん一人で背負うのだと信じていた。嫌な記憶を失って生まれ変わった私に、振り返ることがないようにという優しさだとずっと信じていた。
 だけど、家族を隠す意図は理解できない。私たちは家族に知られたくない関係だったのだろうか。
「どうして家族のことを黙っていたの。私が何度聞いても、地元にいるって言っていたのに」
「話す必要がないって――」
「それは私が決めることよ。ちーちゃんが勝手に決めないで」
 ちーちゃんが何歩か後退る。ガードレールにぶつかった。無機質な音と小さな悲鳴に、何人かの通行人が足を止める。しかし関わりたくないと足早に去っていった。それでいい。今はちーちゃんとだけ話していたい。
「何から何まで隠すのはおかしいわ。違う?」
 まるで叱られた子どものように俯くちーちゃん。その姿を目の当たりにしても、抑え込んでいたものは止まらなかった。
「こんなこと言いたくないけど、本当に隠さないといけないの? 故郷のことも家族のことも、思い出さない方がいいの?」
 こちらにつむじを見せたまま何も答えてくれない。ビル風と誰かの足音が世界を支配したように思えるほど、ちーちゃんからは何も聞こえなかった。
 言い過ぎた。だけど我慢できない。何を隠しているのか知りたい。知らないことを全て知りたい。新しい記憶以上に過去が欲しい。
 けれどもちーちゃんは口を閉ざしたまま。となればもうできることは一つしかない。
「故郷に帰りたい」
 俯いていたちーちゃんが一瞬で顔を上げた。
「故郷の場所を調べて一人で行くわ」
「それは、待って。わかった。わかったよ」
 ちーちゃんの目に、決意のようなものが浮かび始めた。
「あたしも行く。はる姉だけなんて行かせない」
「どうして?」
 怪しむように聞いてもちーちゃんの真剣な表情は崩れない。むしろ落ち着いた様子でこちらに一歩踏み出した。怯えも不安も戸惑いも、これっぽっちも見えない。
「はる姉をこれ以上裏切りたくない。あたしがどうして隠してきたのか、証明するから」
「それ、信じてもいいの?」
 これが最後の問いだとわかっていたのだろう。ちーちゃんが力強く頷き、私の脇を抜けてそのまま帰路に着いた。遠ざかる小さい背中に、大きな不安が脳裏をよぎった。
 ちーちゃんに発破を掛けたものの、今になって自分の記憶を知ることが怖い。もしも思い出さなくてもいい記憶が蘇ったとして、それに耐えられるのか。何も知らない方が良かったと後悔しないだろうか。
 見切り発車した想いを抱いて、ちーちゃんの後を追った。
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