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「材料を準備していきなり作るなんて難しいから、今のうちから買える物は買っておきましょう。ちょうどいい場所があるの」
座卓の横、チラシの山から一枚取り出してちーちゃんに渡した。
「これってどこのチラシ?」
「ここから二駅離れた所にあるショッピングモール。ちょうど今日からセールをやるみたいなの。買い物ついでにいろいろ見に行ってみない?」
チラシをじっと凝視するちーちゃん。その表情は硬く、何か欲しいものが見付かったわけではなさそうだった。
「ちーちゃん?」
優しく語り掛け、肩にそっと手を乗せると丸くなっていた背がピンと伸びた。
「ちょっと、大丈夫?」
「え、うん。はる姉、ここはやめない?」
「どうして?」
「だってほら、セールで安いからってまた余計なものまで買っちゃうかもしれないし」
「買う物をメモして、それだけ買えば大丈夫。ほらほら、準備して」
話はおしまいと手を鳴らし、腰を上げるもちーちゃんにシャツの裾をつかまれた。
「ちょっと待って、ねえ、いつも行ってるスーパーにしない?」
「あそこじゃあ商品が少ないもの。新規開拓も兼ねて、買い物に行きましょう。おやつに何か買ってあげるから」
ちーちゃんに背を向けて押入れに手を突っ込んだ。着ていく洋服を選んでいるうちに、ちーちゃんはそっと部屋を出ていった。
視界の端に映った肩を落とした姿。ほんの少しの罪悪感を抱いて支度を進めた。
休日とはいえ外の気温は一桁台。しばらく見ない間に世界は寂しいものに変わっていた。
初めて来たショッピングモールは閑散とし、休日だというのにすんなりと買い物を済ませられた。こういう日が毎回続くとありがたいのだけど。
「もう帰るの?」
膨らんだビニール袋を持つちーちゃんが首を縦に振った。その視線の先に映るのは、つい三十分前にくぐった正面入り口。まさか本当に食料品だけ買って帰るなんて思わなかった。
「冬物とか見なくていいの?」
「いい」
「カフェで休憩も?」
「いらない」
「アクセサリー、一つだけ買ってあげようか」
「……やめとく」
どこかで見たやり取りの最中でも足を止めないちーちゃん。この異変は今に始まったことではない。到着してから常に周囲を気にして、ずっと私のそばを離れようとしなかった。
よほどこの場所が嫌なのか、それともケーキの魅力にとりつかれたのか。無理に連れてきた身としては今更聞きようがなかった。
「あれ、お姉ちゃん?」
明らかにこちらに向けられた声。しかし反応して振り返るほどには至らない。私にもちーちゃんにも、妹なんかいないのだから。
「やっぱりお姉ちゃんだ。ここ最近ずっと顔を出してないけれど、何かあったの?」
声の主がちーちゃんの前に出た。
お姉ちゃんと言いながらも彼女はちーちゃんよりも背が高い。それに見た目も随分と違う。落ち着いた色のコートを羽織り、全体的にシックな雰囲気でまとめていた。ちーちゃんの好みとかけ離れたファッションに、つい疑いの目を向けてしまう。
「ともちゃん、どうして」
ちーちゃんの弱々しい声よりも、口にした名前に意識が向いた。ちーちゃんは彼女を知っているらしい。気になってじろじろ見ていると、ともちゃんと呼ばれた彼女がこちらに目を向けてきた。
何か言葉を選んでいるのか、少しだけ開いた口は動かない。故郷での知り合いか、上京してからの知り合いか。何も知らない私にはどうしようもなかった。
「そのヘアピン……遥さんですよね?」
疑問符を浮かべる彼女に、こちらもぎこちなく頷いた。
「あけましておめでとうございます。うちの姉がいつもお世話になっています」
きっちりとした礼と言葉遣いに度肝を抜かれた。
これがちーちゃんの妹? あの子どもっぽくてすぐに拗ねるちーちゃんの後に生まれた女の子? 何がどうなったらここまで礼儀正しく育つのだろう。育つ環境が国レベルで違ったのだろうか。
「とも、ともちゃん。ちょっと急いでるからまたね」
「またそうやって逃げようとする。正月に帰ってこなかったから、父さん悲しんでたよ。それに全然うちに寄らないから母さんも心配してるし」
「いろいろと忙しいの。ほら、はる姉行こう」
強引に手を引かれて彼女と距離が空いた。ここに留まる理由もなく、ちーちゃんに引っ張られるまま足を動かした。
「あのっ」
彼女が飛び込むように駆け寄って来て、私の耳元に口を寄せた。
「カナエさん?」
雑音に紛れた小さな声。聞き返そうとするも、彼女はそれ以上追ってこず、数秒とたたずに見えなくなった。
カナエさん。人名だとは思うけれど、他の何かかもしれない。カナエ、カナエ。口の中で呟いてもわからない。
けれどどこかで聞いた気がする。遠い昔だった気もするし、つい昨日耳にしたような。必死に思い出そうと何度も口にするけれど、脳に電が落ちたような衝撃は訪れなかった。
その代わり、吹きすさぶ寒風によって強制的に我に返った。ちーちゃんに引かれた体は、いつの間にかショッピングモールの外に出ていた。薄暗い雲に覆われた空が、高層ビルによって切り取られている。
「待ってちーちゃん。止まって」
歩道の真ん中で腕を捻り、ちーちゃんのか細い腕を振り払った。どれほど考えても思い出せないのなら聞けばいい。これまでずっとそうしてきたから今回も――。
「ちーちゃん?」
荒い呼吸に強張った表情。直感的に気付いた。きっと何を聞いても話してくれない。
そんな否定的な勘を認めたくなくて、ちーちゃんの両肩をつかまえた。
「さっきの子は誰?」
ちーちゃんは目を合わせない。
座卓の横、チラシの山から一枚取り出してちーちゃんに渡した。
「これってどこのチラシ?」
「ここから二駅離れた所にあるショッピングモール。ちょうど今日からセールをやるみたいなの。買い物ついでにいろいろ見に行ってみない?」
チラシをじっと凝視するちーちゃん。その表情は硬く、何か欲しいものが見付かったわけではなさそうだった。
「ちーちゃん?」
優しく語り掛け、肩にそっと手を乗せると丸くなっていた背がピンと伸びた。
「ちょっと、大丈夫?」
「え、うん。はる姉、ここはやめない?」
「どうして?」
「だってほら、セールで安いからってまた余計なものまで買っちゃうかもしれないし」
「買う物をメモして、それだけ買えば大丈夫。ほらほら、準備して」
話はおしまいと手を鳴らし、腰を上げるもちーちゃんにシャツの裾をつかまれた。
「ちょっと待って、ねえ、いつも行ってるスーパーにしない?」
「あそこじゃあ商品が少ないもの。新規開拓も兼ねて、買い物に行きましょう。おやつに何か買ってあげるから」
ちーちゃんに背を向けて押入れに手を突っ込んだ。着ていく洋服を選んでいるうちに、ちーちゃんはそっと部屋を出ていった。
視界の端に映った肩を落とした姿。ほんの少しの罪悪感を抱いて支度を進めた。
休日とはいえ外の気温は一桁台。しばらく見ない間に世界は寂しいものに変わっていた。
初めて来たショッピングモールは閑散とし、休日だというのにすんなりと買い物を済ませられた。こういう日が毎回続くとありがたいのだけど。
「もう帰るの?」
膨らんだビニール袋を持つちーちゃんが首を縦に振った。その視線の先に映るのは、つい三十分前にくぐった正面入り口。まさか本当に食料品だけ買って帰るなんて思わなかった。
「冬物とか見なくていいの?」
「いい」
「カフェで休憩も?」
「いらない」
「アクセサリー、一つだけ買ってあげようか」
「……やめとく」
どこかで見たやり取りの最中でも足を止めないちーちゃん。この異変は今に始まったことではない。到着してから常に周囲を気にして、ずっと私のそばを離れようとしなかった。
よほどこの場所が嫌なのか、それともケーキの魅力にとりつかれたのか。無理に連れてきた身としては今更聞きようがなかった。
「あれ、お姉ちゃん?」
明らかにこちらに向けられた声。しかし反応して振り返るほどには至らない。私にもちーちゃんにも、妹なんかいないのだから。
「やっぱりお姉ちゃんだ。ここ最近ずっと顔を出してないけれど、何かあったの?」
声の主がちーちゃんの前に出た。
お姉ちゃんと言いながらも彼女はちーちゃんよりも背が高い。それに見た目も随分と違う。落ち着いた色のコートを羽織り、全体的にシックな雰囲気でまとめていた。ちーちゃんの好みとかけ離れたファッションに、つい疑いの目を向けてしまう。
「ともちゃん、どうして」
ちーちゃんの弱々しい声よりも、口にした名前に意識が向いた。ちーちゃんは彼女を知っているらしい。気になってじろじろ見ていると、ともちゃんと呼ばれた彼女がこちらに目を向けてきた。
何か言葉を選んでいるのか、少しだけ開いた口は動かない。故郷での知り合いか、上京してからの知り合いか。何も知らない私にはどうしようもなかった。
「そのヘアピン……遥さんですよね?」
疑問符を浮かべる彼女に、こちらもぎこちなく頷いた。
「あけましておめでとうございます。うちの姉がいつもお世話になっています」
きっちりとした礼と言葉遣いに度肝を抜かれた。
これがちーちゃんの妹? あの子どもっぽくてすぐに拗ねるちーちゃんの後に生まれた女の子? 何がどうなったらここまで礼儀正しく育つのだろう。育つ環境が国レベルで違ったのだろうか。
「とも、ともちゃん。ちょっと急いでるからまたね」
「またそうやって逃げようとする。正月に帰ってこなかったから、父さん悲しんでたよ。それに全然うちに寄らないから母さんも心配してるし」
「いろいろと忙しいの。ほら、はる姉行こう」
強引に手を引かれて彼女と距離が空いた。ここに留まる理由もなく、ちーちゃんに引っ張られるまま足を動かした。
「あのっ」
彼女が飛び込むように駆け寄って来て、私の耳元に口を寄せた。
「カナエさん?」
雑音に紛れた小さな声。聞き返そうとするも、彼女はそれ以上追ってこず、数秒とたたずに見えなくなった。
カナエさん。人名だとは思うけれど、他の何かかもしれない。カナエ、カナエ。口の中で呟いてもわからない。
けれどどこかで聞いた気がする。遠い昔だった気もするし、つい昨日耳にしたような。必死に思い出そうと何度も口にするけれど、脳に電が落ちたような衝撃は訪れなかった。
その代わり、吹きすさぶ寒風によって強制的に我に返った。ちーちゃんに引かれた体は、いつの間にかショッピングモールの外に出ていた。薄暗い雲に覆われた空が、高層ビルによって切り取られている。
「待ってちーちゃん。止まって」
歩道の真ん中で腕を捻り、ちーちゃんのか細い腕を振り払った。どれほど考えても思い出せないのなら聞けばいい。これまでずっとそうしてきたから今回も――。
「ちーちゃん?」
荒い呼吸に強張った表情。直感的に気付いた。きっと何を聞いても話してくれない。
そんな否定的な勘を認めたくなくて、ちーちゃんの両肩をつかまえた。
「さっきの子は誰?」
ちーちゃんは目を合わせない。
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