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配達の目的
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お客様のご案内が終わって一息付くと今度は網元の相手をしなければ。
この温泉宿『一角竜』はあらゆる身体の不調に対して上手に効く温泉と、海の幸、山の幸を取り入れた料理が自慢の宿だ。
そういう理由で網元とのコミュニケーションは若女将としては欠かせない。
それに気が良くて話していて楽しい人ではあるしね。
「それにしても本来の目的は判っているけどデビッドさん、今日は一段と遅いわね」
「ここに来る目的は魚を届ける事なんだが、倅の奴の本当の目的は違うからなぁ。おっ、ようやく来たぞ」
魚を届けに厨房に行ったままだった網元の息子さん、デビッドさんがようやく姿を見せた。
30歳手前で父親と違って精悍な顔立ち、肌は父親と同様に日に焼けた褐色の肌、身長も程々でガッシリしている絵に描いた様な海の好青年だと言っても良いと思う。
「若女将、今日も特にいい魚を届けたぜ!」
「ありがとう、デビッドさん。ナンシー、数は確認した?」
「それは勿論ですよ若女将。それにオマケまで付けてもらって!」
「オマケ?」
「これですよ!」
そう言って雲丹の乗った籠を見せるナンシーは23歳。明るい栗色の長い髪を後ろで1本に束ねている長身の美女だ。
同性から見てもハッキリ言って、美人だと思う!
私はこれまでに貴族のご令嬢を何人も見たけど、ナンシー以上の美女はいないと思う。
「若女将が雲丹と牛肉の料理がお好きだと言ったらデビッドさんがオマケしてくれました。わざわざ海に潜って採って頂いたそうです。若女将は本当に人気ですね!」
「それ、絶対に違うから!」
私のツッコミを「うふふっ」と笑って聞き流すこのナンシー、言い寄って来る男も少なくないが未だ独身だ。
このデビッドさんの様に言い寄る訳ではなく適度な距離を保っている分には良いのだが、強引に言い寄る輩はことごとく拒否されている。
この国では一般的に女性は、15歳から20歳がいわゆる適齢期である。それを考えると23歳は結婚を焦る年齢だがナンシーにその素振りは皆無だ。
「私の生涯は若女将に捧げると決めていますので」
そう言って憚らない。
でもやっぱりナンシーには幸せになってもらわなきゃ!
お客様と接する機会の多い客室係から、人目に付かない厨房に配置転換したのも私の気遣いに他ならない。
荒くれ冒険者から漏れ無く声を掛けられるからね。あの人達にナンシーはやれない!
「気にし過ぎですよ」
なんて言っていたけど、1度は強引に部屋に引き込まれた事も有ったわね。ホーナーが直ぐに駆け付けて事無きを得たけど、ホーナーがもう少し遅かったら今頃はどうなっていた事やら。
一応はお客様なんだから、正当防衛と言えど従業員が殺したら洒落にならないからね。
綺麗な薔薇には棘が有る。ナンシーはその見た目とは裏腹に、武芸百般!
特に剣はB級冒険者が束になっても寄せ付けない腕前なの!
逆の意味で荒くれ冒険者の目に付くのは危険過ぎる!
そういう理由で厨房に配置転換してからは会う殿方も数人しかいない。
その中でもデビッドさん、いい人なんだけどなぁ。顔も悪くはないし真面目に仕事してるし、性格だって良いわよね。遊んで無さそうだし。尤もこの辺では遊ぶ所は無いけど。
網元って村では有力者だし、宿屋の従業員の結婚相手としてはかなり良いと思うけどナンシーはそういう事に鈍いからなぁ。
こうしている間もナンシーをポーとして見つめているデビッドさんを見ていると、もどかしくて仕方ない。
これはもう、デビッドさんにはもう1歩踏み込んでもらわなくちゃ!
「デビッドさん用事は終わった?」
「あっ、ああ」
「ナンシー、この後は忙しいわよ! この後は野菜もお肉も受け取らなきゃ。最近、食材を配達に来る人がみんな若い殿方になったわね、ナンシー!」
「えっ?」と驚きをデビッドは隠せない。ここで気の利いた一言が有れば目論見通りとなるのだけど。
もうデビッドさん、殿方の適齢期だって25歳でしょ。いい歳して奥手じゃ仕方ないわよ!
動揺しているデビッドさんを注視していると、もう1人の当事者が笑顔で私の計画をわざわざ台無しにしてくれる。
「ええ、皆さん若女将に会いたがって来ますよ。でも若女将が忙しい旨を伝えても意に介さないで。皆さん出来た方ですね。それより若女将、そろそろ湯加減を見る時間ですよ!」
ダメだこりゃ!
ふと網元に視線をやると、網元も渋い表情を浮かべていた。
○▲△
微妙に落ち込む網元親子を見送った私は、ナンシーを伴って温泉宿の命とも言うべき湯加減のチェックに来た。
清掃が終了した浴槽に源泉から引いたお湯を張るのだが、この時間を使いナンシーと話してみる事にした。
お湯を張ったらそれに治癒能力を付与する。これがウチの温泉が何でも治る秘訣だ。
聖女の能力を使っている時、私の身体は光を発しているそうだ。
やっぱりナンシーにしか見せられないわ。
「単刀直入に言うけども、ナンシーもそろそろ結婚を考えても良いと思うの」
「やめて下さい。私なんかを相手にして下さる殿方なんて居る筈ありません。それに、若女将に生涯を掛けてお仕えすると決めております!」
判っていた言葉だけど言い切ったわね。前からこの話になるとムキになるんだから。
「お仕えするってねぇ、私はもう聖女でも侯爵家の娘でもないのよ!」
「存じ上げております。聖女であるスカーレット=ビュイック様ではなく、若女将のエマ=ブライト様であると」
聖女としてのその名前を言われるのは2年振りね。
「あなたも子爵家の5女から私の侍女になったけど今は宿屋の従業員なのよ。私はここまで付き合わせたナンシーに幸せになって欲しいの!」
「若女将、お忘れですか? 私は自分の意思で若女将のお供をさせて頂いているのですよ」
「忘れる訳が無いじゃない。あの日の事を」
あの日。忘れる筈が無い。聖女スカーレット=ビュイックが断頭台の露と消えた日を。
この温泉宿『一角竜』はあらゆる身体の不調に対して上手に効く温泉と、海の幸、山の幸を取り入れた料理が自慢の宿だ。
そういう理由で網元とのコミュニケーションは若女将としては欠かせない。
それに気が良くて話していて楽しい人ではあるしね。
「それにしても本来の目的は判っているけどデビッドさん、今日は一段と遅いわね」
「ここに来る目的は魚を届ける事なんだが、倅の奴の本当の目的は違うからなぁ。おっ、ようやく来たぞ」
魚を届けに厨房に行ったままだった網元の息子さん、デビッドさんがようやく姿を見せた。
30歳手前で父親と違って精悍な顔立ち、肌は父親と同様に日に焼けた褐色の肌、身長も程々でガッシリしている絵に描いた様な海の好青年だと言っても良いと思う。
「若女将、今日も特にいい魚を届けたぜ!」
「ありがとう、デビッドさん。ナンシー、数は確認した?」
「それは勿論ですよ若女将。それにオマケまで付けてもらって!」
「オマケ?」
「これですよ!」
そう言って雲丹の乗った籠を見せるナンシーは23歳。明るい栗色の長い髪を後ろで1本に束ねている長身の美女だ。
同性から見てもハッキリ言って、美人だと思う!
私はこれまでに貴族のご令嬢を何人も見たけど、ナンシー以上の美女はいないと思う。
「若女将が雲丹と牛肉の料理がお好きだと言ったらデビッドさんがオマケしてくれました。わざわざ海に潜って採って頂いたそうです。若女将は本当に人気ですね!」
「それ、絶対に違うから!」
私のツッコミを「うふふっ」と笑って聞き流すこのナンシー、言い寄って来る男も少なくないが未だ独身だ。
このデビッドさんの様に言い寄る訳ではなく適度な距離を保っている分には良いのだが、強引に言い寄る輩はことごとく拒否されている。
この国では一般的に女性は、15歳から20歳がいわゆる適齢期である。それを考えると23歳は結婚を焦る年齢だがナンシーにその素振りは皆無だ。
「私の生涯は若女将に捧げると決めていますので」
そう言って憚らない。
でもやっぱりナンシーには幸せになってもらわなきゃ!
お客様と接する機会の多い客室係から、人目に付かない厨房に配置転換したのも私の気遣いに他ならない。
荒くれ冒険者から漏れ無く声を掛けられるからね。あの人達にナンシーはやれない!
「気にし過ぎですよ」
なんて言っていたけど、1度は強引に部屋に引き込まれた事も有ったわね。ホーナーが直ぐに駆け付けて事無きを得たけど、ホーナーがもう少し遅かったら今頃はどうなっていた事やら。
一応はお客様なんだから、正当防衛と言えど従業員が殺したら洒落にならないからね。
綺麗な薔薇には棘が有る。ナンシーはその見た目とは裏腹に、武芸百般!
特に剣はB級冒険者が束になっても寄せ付けない腕前なの!
逆の意味で荒くれ冒険者の目に付くのは危険過ぎる!
そういう理由で厨房に配置転換してからは会う殿方も数人しかいない。
その中でもデビッドさん、いい人なんだけどなぁ。顔も悪くはないし真面目に仕事してるし、性格だって良いわよね。遊んで無さそうだし。尤もこの辺では遊ぶ所は無いけど。
網元って村では有力者だし、宿屋の従業員の結婚相手としてはかなり良いと思うけどナンシーはそういう事に鈍いからなぁ。
こうしている間もナンシーをポーとして見つめているデビッドさんを見ていると、もどかしくて仕方ない。
これはもう、デビッドさんにはもう1歩踏み込んでもらわなくちゃ!
「デビッドさん用事は終わった?」
「あっ、ああ」
「ナンシー、この後は忙しいわよ! この後は野菜もお肉も受け取らなきゃ。最近、食材を配達に来る人がみんな若い殿方になったわね、ナンシー!」
「えっ?」と驚きをデビッドは隠せない。ここで気の利いた一言が有れば目論見通りとなるのだけど。
もうデビッドさん、殿方の適齢期だって25歳でしょ。いい歳して奥手じゃ仕方ないわよ!
動揺しているデビッドさんを注視していると、もう1人の当事者が笑顔で私の計画をわざわざ台無しにしてくれる。
「ええ、皆さん若女将に会いたがって来ますよ。でも若女将が忙しい旨を伝えても意に介さないで。皆さん出来た方ですね。それより若女将、そろそろ湯加減を見る時間ですよ!」
ダメだこりゃ!
ふと網元に視線をやると、網元も渋い表情を浮かべていた。
○▲△
微妙に落ち込む網元親子を見送った私は、ナンシーを伴って温泉宿の命とも言うべき湯加減のチェックに来た。
清掃が終了した浴槽に源泉から引いたお湯を張るのだが、この時間を使いナンシーと話してみる事にした。
お湯を張ったらそれに治癒能力を付与する。これがウチの温泉が何でも治る秘訣だ。
聖女の能力を使っている時、私の身体は光を発しているそうだ。
やっぱりナンシーにしか見せられないわ。
「単刀直入に言うけども、ナンシーもそろそろ結婚を考えても良いと思うの」
「やめて下さい。私なんかを相手にして下さる殿方なんて居る筈ありません。それに、若女将に生涯を掛けてお仕えすると決めております!」
判っていた言葉だけど言い切ったわね。前からこの話になるとムキになるんだから。
「お仕えするってねぇ、私はもう聖女でも侯爵家の娘でもないのよ!」
「存じ上げております。聖女であるスカーレット=ビュイック様ではなく、若女将のエマ=ブライト様であると」
聖女としてのその名前を言われるのは2年振りね。
「あなたも子爵家の5女から私の侍女になったけど今は宿屋の従業員なのよ。私はここまで付き合わせたナンシーに幸せになって欲しいの!」
「若女将、お忘れですか? 私は自分の意思で若女将のお供をさせて頂いているのですよ」
「忘れる訳が無いじゃない。あの日の事を」
あの日。忘れる筈が無い。聖女スカーレット=ビュイックが断頭台の露と消えた日を。
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