妹に悪女の罪を着せられ追放された私を、冷徹監察公爵だけが信じていました

れおぽん

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第15話 茶会の逆転

 茶会の招待状は、朝の光の中でやけに白く見えた。

 厚みのある上等な紙。控えめな金の縁取り。差出人はロザリンド侯爵夫人――王都の慈善事業をいくつも取りまとめる、年長の貴婦人だ。

『昨夜は慌ただしくご挨拶も十分にできませんでしたので、明後日の午後、ささやかな茶会へお越しくださいませ』

 文面だけ見れば、ごく礼儀正しい招きだ。
 けれど今の私にとって、社交界の“ささやかな”は、あまり信用できる言葉ではない。

 私は書状を机へ置き、小さく息を吐いた。

「嫌そうな顔だな」

 記録室の机で書類を読んでいたアルヴェインが言う。

「嬉しそうに見える方が不自然でしょう」
「そうだな」
 彼はあっさり頷いた。
「で、行くのか」

 行くのか。
 いつも通り、決めるのは私だという聞き方だった。

「……閣下なら、どうなさいますか」
 私が問うと、彼は視線だけを上げる。

「参考にならん」
「なぜです」
「私は嫌なら潰す」
「大変参考にならないですね」

 思わず返すと、彼はほんのわずかに口元を動かした。
 笑った、というほどではない。けれど、冷たい石みたいな顔が一瞬だけ人間じみる、その程度の変化だった。

「君はどうしたい」
 改めて問われる。

 私は招待状を見下ろす。
 正直に言えば、行きたくはない。茶会など、噂と視線の濃縮液みたいなものだ。しかも、今の私は面白い的でしかないだろう。

 けれど同時に、分かってもいる。
 ここで避ければ、“やはり人前に出られないような後ろ暗さがあるのだ”と、都合よく解釈されるだけだと。

「……行くべきなのでしょうね」
「質問に答えろ」
 アルヴェインは手元のペンを置いた。
「行く“べき”ではなく、行きたいのか、行きたくないのかだ」

 私は一瞬、言葉に詰まった。

 そう問われることに、まだ慣れていない。
 家のためにどうか。場が収まるか。誰かが困らないか。
 そういう基準ならすぐに答えられるのに、自分がどうしたいかとなると、途端に輪郭が曖昧になる。

「……怖いです」
 結局、最初に出たのはそれだった。
「でも、行きたくないわけではありません」

 アルヴェインは少しだけ目を細める。

「なら行け」
「簡単に仰いますね」
「簡単だ」
 彼は淡々としている。
「今回は勝つ必要もない。一つだけ、間違いを正せばいい」
「間違いを」
「妹君を断罪するな。君への断罪の穴だけを示せ」
 一拍。
「それなら、今の君にもできる」

 今の君にも。

 その言い方は不思議だった。
 無条件に大丈夫だとは言わない。足りないところがある前提で、それでも届く範囲を示してくる。

 私は小さく息を吐き、それから頷いた。

「……参ります」
「結構」

 その“結構”は、いつものように短いのに、少しだけ背中を押した。

 茶会の会場は、侯爵家の南向きの温室だった。

 昼の柔らかな光が硝子越しに降り注ぎ、春先の花が白い卓布の上にまで香りを落としている。華やかだが、夜会ほど逃げ場がない。昼の茶会は、笑顔の形をした観察と値踏みが正面から飛んでくるからだ。

 案の定、私が侍女に案内されて温室へ入った瞬間、いくつもの視線が止まった。

 扇の陰の囁き。
 一瞬で整え直される微笑み。
 あからさまではないのに、こちらが“話題の中心”だとはっきり分かる空気。

「リュシエンヌ嬢」
 ロザリンド侯爵夫人が、席の奥から穏やかに手を差し伸べた。
「よくいらしてくださったわ」
「お招きいただき、ありがとうございます」

 礼を取る。声が震えていないことに、自分で少し驚いた。

 侯爵夫人は年齢を重ねた美しさのある人だった。派手ではないが、周囲が自然と彼女の言葉を待つ種類の存在感を持っている。
 彼女は私を正面の席へ導きながら、わずかに目を細めた。

「昨夜は随分働いていらしたわね」
「お見苦しくなかったなら幸いです」
「逆よ」
 侯爵夫人はさらりと言った。
「見ていて気持ちがよかったわ」

 その一言で、周囲の空気がほんの少しだけ動いた。

 私はすぐには返せなかった。
 こんなふうに、最初から“働いていた側”として置かれるとは思っていなかったからだ。

 席につくと、見知った顔がいくつかあることに気づく。
 マルシェ伯爵未亡人もいた。前より少しだけ居心地悪そうにしている。私と目が合うと、扇を持つ手がわずかに止まった。

 他にも、母と親しい伯爵夫人、フィオナを可愛がっていた年若い子爵夫人、基金関係で顔を合わせたことのある婦人たち。

 揃っている。
 わざとだろう。

 この茶会は、ただの親睦ではない。
 社交界の“空気”が、どちらへ傾き始めるかを見るための場だ。

 茶が配られ、菓子皿が回り、最初の十分ほどは無難な天気と花の話が続いた。
 その無難さの方が、かえって緊張する。誰もが、どこで本題へ触れるかを測っているのが分かるからだ。

 最初に切り込んだのは、案の定、母と親しい伯爵夫人だった。

「昨今は、若い方々も色々と大変ですわね」
 微笑みながら、ちらりと私を見る。
「少し行き違いがあるだけで、随分大きな話になってしまうのでしょう?」

 行き違い。
 ずいぶん優しく包んだ言い方だ。
 だが、ここで感情的に否定した方が負けるのも分かる。

「ええ」
 私はカップを置いて答えた。
「少なくとも、“行き違い”の前提で済ませられることばかりではないようです」

 伯爵夫人の笑みがほんの少しだけ固まる。

「まあ、そうなの?」
「昨夜の段階で、監察府で確認中のことがいくつもございましたから」
 私はあくまで穏やかに言う。
「ですので、今のところ私から申し上げられるのは、断定されていたほど単純な話ではない、ということだけです」

 攻撃してはいない。
 でも、曖昧に飲み込んでもいない。
 その中間の位置へ、どうにか立てた気がした。

 温室の空気が少しだけ変わる。

 今度は若い子爵夫人が、気遣わしげな顔で口を開いた。

「でも、フィオナ様は本当にお可哀想でしたわ。あの夜も、とても怯えていらして」
 そこだけは譲れないと言いたげな声音だった。
「わたくし、ああいうお顔を見ると、どうしても……」

 侯爵夫人が彼女をたしなめるより先に、私は口を開いた。

「ええ。怯えていたのでしょう」
 自分でも驚くほど静かな声だった。
「ただ、“怯えていた”ことと、“何があったか”は、同じではありません」

 子爵夫人が瞬く。
 周囲の視線が、一斉にこちらへ向くのが分かった。

「少なくとも」
 私は続けた。
「私を断罪なさった方々の中で、“その瞬間”を見たと断言できる方は、今のところいらっしゃいません」

 その一言は、思っていた以上によく通った。

 温室が静まる。
 カップの触れ合う音まで止まったように感じた。

「……まあ」
 誰かが小さく息を呑む。

 私は自分の心臓が少し速くなっているのを感じながら、それでも視線を逸らさなかった。

「階段の件にしても、見たとされていたのは悲鳴の後のことです。手紙の件も、現在確認が続いております」
 少しだけ間を置く。
「ですから私は、妹を責めたいわけではありません。ただ、私がやったと断定できるほどの材料は、まだどなたの手にもない――そう申し上げたいのです」

 妹を責めたいわけではない。

 その一言を先に置いたことで、場の空気がわずかに変わるのが分かった。
 感情で潰しにかかっているのではないと伝わったのだろう。

 侯爵夫人が、そこで初めてはっきりと頷く。

「それは大事なことね」
 彼女は周囲を見回した。
「わたくしたちは、泣いていた方の顔は覚えていても、その前後の順番までは曖昧なことが多いもの」

 その言葉に、マルシェ伯爵未亡人が目を伏せた。
 数秒の沈黙のあと、彼女は扇を閉じ、やや硬い声音で口を開く。

「……少なくとも、わたくしは」
 皆の視線が彼女へ集まる。
「あの時、“突き飛ばす瞬間”を見たわけではありませんでしたわ」
 それは小さい声だったが、静かな温室では十分すぎるほど届いた。
「悲鳴のあとで、フィオナ嬢が涙ぐんでいて、そばに姉君がいらした。それで、つい……印象で話してしまったのです」

 場が、目に見えない形で揺れた。

 否定でも擁護でもない。
 ただ、ひとつの土台が崩れた音だった。

 私はそこで追撃しなかった。
 ここで誰かを責めれば、また別の空気に流される。必要なのは勝ち誇ることではなく、“今までの見え方だけでは足りない”と周囲に理解させることだ。

「ありがとうございます、伯爵未亡人」
 私は静かに言った。
「それを今、おっしゃっていただけただけで十分です」

 未亡人は少しだけ目を見開いた。
 責められると思っていたのだろう。
 けれど私は、それ以上を望まなかった。

 すると今度は、向かいの伯爵夫人が眉を寄せる。

「でも、監察府が確認中だからといって、全てがひっくり返るわけではありませんでしょう?」
「もちろんです」
 私は頷く。
「ですから私も、まだ何も片づいたとは思っておりません」
 一拍置いて、
「ただ、“もう決まったこと”のように扱われるのは違うと、そう申し上げているだけです」

 その言葉は、自分でも少し意外だった。

 もう決まったことではない。
 処分停止命令を受け取った日のことを思い出す。
 あの時アルヴェインは、まだ追放されていないのだと、ただ事実として言った。
 その事実を、今の私は初めて人前で使っている。

 侯爵夫人がカップを置き、ゆるやかに話題を引き取った。

「少なくとも、昨夜わたくしが見た限りでは」
 彼女は周囲へ向かって言う。
「リュシエンヌ嬢は、逃げて隠れる方ではなく、仕事をきちんとする方でしたわ」
 視線がこちらへ向く。
「寄付札の取り違えも、この方が止めてくださったのよ」

 そこまで言われるとは思わず、私は少しだけ息を止めた。

 数人の婦人が小さく目を見開く。
 マルシェ伯爵未亡人でさえ、ほんの少しだけ意外そうな顔をした。

「まあ」
「それは助かったでしょうね」
「公爵閣下の随員として?」

 囁きの質が変わる。
 面白がるものから、測り直すものへ。

 私はその変化を肌で感じながら、カップへ手を伸ばした。
 指先が少し冷えている。
 でも、震えてはいなかった。

 茶会の後半は、露骨な攻撃が減った代わりに、確認するような視線が増えた。
 誰も私に味方したわけではない。
 けれど少なくとも、“可哀想な妹をいじめた悪女”だけではなくなった。
 それで十分だった。

 辞去の挨拶を済ませた後、侯爵夫人が一人だけ私を引き留めた。

「上出来だったわ」
 彼女は小さく笑う。
「勝とうとしなかったのが良かったのね」
「……そのつもりでした」
「つもり、ではなく、実際そうなっていたわ」
 彼女は扇の先で、軽く私の肩口を示す。
「公爵閣下は、いい場を用意なさるのね」
「場、ですか」
「ええ。庇い立てして黙らせるのではなく、あなたが自分で立てる場を」
 一拍。
「それは、簡単なようで難しいのよ」

 私はすぐには答えられなかった。

 温室を出て、侯爵家の回廊を歩く。
 外の空気は少しだけ冷たく、頬の熱を冷ましてくれる気がした。

 勝ったわけではない。
 何も決着していない。
 でも、“もう決まったことではない”と、人前で一度ちゃんと言えた。

 その事実だけで、胸の奥の空気が少し違う。

 玄関先には、すでに公爵家の馬車が待っていた。
 私は一度だけ深く息を吸い、それから歩み寄る。

 扉の前に立つアルヴェインの姿を見た瞬間、不思議なことに、肩の力が少しだけ抜けた。

「お帰りなさいませ、とは申しませんのね」
 私が言うと、彼はわずかに眉を動かした。

「君の家ではないからな」
「……ずいぶん現実的ですね」
「事実だ」
 相変わらずだ。
 でも、その相変わらずさが今は妙に落ち着く。

「どうだった」
 問われて、私は少しだけ考える。

「疲れました」
「そうだろうな」
「でも」
 言いながら、自分でも少し驚く。
「思っていたより、息ができました」

 アルヴェインは短く頷く。

「上出来だ」
 その一言は、侯爵夫人の言葉よりも、なぜかずっと深く残った。

 私は何か返そうとして、でもうまく言葉にならず、小さく視線を落とす。
 その時だった。

「閣下」
 公爵家の下役が足早に近づいてきた。
「少々」
 彼は私の前で一度口をつぐみ、アルヴェインへ目配せする。

「構わん。言え」
「……本日、フィオナ嬢から取次ぎの願いが二度ございました」
 その瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。
「一度は書状で、もう一度は直接、屋敷への訪問を申し出ております」
「断ったか」
「はい。ですが、まだ諦めていないかと」

 私は何も言えなかった。

 フィオナが、アルヴェインへ。
 なぜ。
 いや、考えれば理由は分かる。私を揺らしても足りないなら、今度はこの人に近づくつもりなのだ。

 けれど、そう頭で分かることと、胸の奥がざわつかないことは別だった。

 アルヴェインはそれを気にした様子もなく、下役へ短く命じる。

「今後も通すな」
「はっ」

 下役が下がる。
 私はまだ、言葉を探せないままでいた。

「……驚いたか」
 アルヴェインが問う。

「ええ」
 私は正直に答える。
「少し」
「そうか」

 それだけだった。
 事情を説明しない。
 安心させるようなことも言わない。
 でも、その“そうか”の後ろに、何をするかはもう決めているという静けさがあった。

 馬車の扉が開く。
 私はそこへ乗り込みながら、胸の奥のざわつきをどうにか押し込めた。

 今日、空気は少し変わった。
 でも同時に、フィオナもまた次の手を打ってきている。

 逆転は始まったばかりだ。
 そう思い知らされるには、十分すぎる報告だった。
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