37 / 73
第2部_「隣に立つには、眩しすぎて」
第25話:上質な紙と誤解
しおりを挟む
帰りの馬車は、行きよりも少しだけ足取りが軽い気がした。 王都から森の屋敷までは半日ほどの距離だ。窓の外では、夕焼けが空を茜色に染め上げ、やがて群青の帳が降りようとしている。
「ふふっ。それにしても、あの方たちは本当にユニークでしたね」
向かいの席に座るノア君は、王都を出てからずっと上機嫌だった。 膝の上で大切そうに鞄を抱え、思い出し笑いをしている。
「研究予算が余っているから全部持っていけだなんて。……あの研究所、お菓子も高級なものばかりでしたし、意外と居心地が良いかもしれません」
「……そうか。君が楽しめたなら何よりだ」
俺は窓枠に肘をつき、努めて穏やかに返した。 心身ともに疲れ切っていた。 あの狂気じみた研究所での魔力スキャンも堪えたが、何より、昨日のイケメン騎士との遭遇が、喉に刺さった小骨のようにずっと心をチクチクと刺激しているのだ。
ノア君は楽しそうだ。俺のような陰気な隠居老人といる時よりも、王都の空気に触れている時のほうが、彼女は本来の輝きを放っているように見える。
(……俺は、彼女の時間を奪っているだけなんじゃないか)
そんな自虐的な思考が頭をもたげた、その時だった。
ガタンッ!
車輪が街道の窪みにはまり、馬車が大きく揺れた。
「きゃっ!」
ノア君が小さな悲鳴を上げ、膝の上の鞄が床に滑り落ちた。 留め具が外れていたのか、鞄の口がパカリと開き、中身の一部が散らばる。
「おっと、大丈夫か?」
「すみません、油断していました……」
俺は反射的に手を伸ばし、彼女の足元に落ちたものを拾い上げようとした。 ハンカチ、手帳、そして――。
一枚の、折り畳まれた書面。
「あ」
ノア君が短く声を上げ、慌てて俺の手からそれをひったくるように回収した。 その動作はあまりに俊敏で、そして明らかに「見られたくない」という焦りに満ちていた。
「……ノア君?」
「あ、いえ! なんでもありません! ただの、その……研究所のパンフレットのようなものです!」
彼女は顔を赤くして、書面を鞄の奥底に押し込み、バチンと留め具を閉じた。その必死な様子に、俺の心臓が冷たく波打った。
――見間違いようがなかった。あの一瞬、俺の指先が触れた感触。そして目に焼き付いた紙の質感。
あれは、ただの紙切れではない。最高級の羊皮紙だ。王宮や上位貴族が、正式な契約――それも、生涯を左右するような重大な盟約を結ぶ際にのみ使用される、特別な代物だ。 研究所のパンフレット? そんなわけがない。
俺の脳裏に、昨日の光景がフラッシュバックする。夕暮れのカフェ。楽しそうに談笑するノア君と、王立騎士団副隊長レオンハルト。彼ほどの地位があれば、あの羊皮紙を用意することなど造作もないだろう。
(……そうか。そういうこと、なのか)
点と点が、残酷な一本の線で繋がってしまった。
彼女は、スカウトされたのだ。いや、あれほど親密な様子だったのだから、単なる雇用契約ではないかもしれない。求婚(プロポーズ)。あるいはそれに準ずる、将来の約束。
彼女があんなに慌てて隠したのはなぜだ? 俺に気を使っているからだ。『死ぬまで一緒』なんて契約をしてしまった手前、より良い条件、より若くてふさわしい相手からの誘いがあると言い出しにくいのだろう。
「……旦那様?」
俺が黙り込んでしまったのを不審に思ったのか、ノア君が心配そうに覗き込んでくる。 その瞳は、純粋で、そして残酷なほどに綺麗だった。
「……いや。少し、疲れただけだ」
俺は笑顔を作った。仮面のように張り付いた、乾いた笑顔を。
彼女の幸せを願うなら。俺がすべきことは、一つしかない。
彼女は優しい子だ。自分からは俺を捨てられない。 ならば、俺のほうから背中を押してやらなければならない。それが、彼女の時間を無駄に消費させた、年長者としての最後の責任だ。
馬車がガタゴトと揺れる。屋敷に近づくたびに、俺の心は冷え切っていく。 隣で「帰ったら何を食べましょうか」と無邪気に話す彼女の声が、今はただ、別れのカウントダウンのように聞こえていた。
「ふふっ。それにしても、あの方たちは本当にユニークでしたね」
向かいの席に座るノア君は、王都を出てからずっと上機嫌だった。 膝の上で大切そうに鞄を抱え、思い出し笑いをしている。
「研究予算が余っているから全部持っていけだなんて。……あの研究所、お菓子も高級なものばかりでしたし、意外と居心地が良いかもしれません」
「……そうか。君が楽しめたなら何よりだ」
俺は窓枠に肘をつき、努めて穏やかに返した。 心身ともに疲れ切っていた。 あの狂気じみた研究所での魔力スキャンも堪えたが、何より、昨日のイケメン騎士との遭遇が、喉に刺さった小骨のようにずっと心をチクチクと刺激しているのだ。
ノア君は楽しそうだ。俺のような陰気な隠居老人といる時よりも、王都の空気に触れている時のほうが、彼女は本来の輝きを放っているように見える。
(……俺は、彼女の時間を奪っているだけなんじゃないか)
そんな自虐的な思考が頭をもたげた、その時だった。
ガタンッ!
車輪が街道の窪みにはまり、馬車が大きく揺れた。
「きゃっ!」
ノア君が小さな悲鳴を上げ、膝の上の鞄が床に滑り落ちた。 留め具が外れていたのか、鞄の口がパカリと開き、中身の一部が散らばる。
「おっと、大丈夫か?」
「すみません、油断していました……」
俺は反射的に手を伸ばし、彼女の足元に落ちたものを拾い上げようとした。 ハンカチ、手帳、そして――。
一枚の、折り畳まれた書面。
「あ」
ノア君が短く声を上げ、慌てて俺の手からそれをひったくるように回収した。 その動作はあまりに俊敏で、そして明らかに「見られたくない」という焦りに満ちていた。
「……ノア君?」
「あ、いえ! なんでもありません! ただの、その……研究所のパンフレットのようなものです!」
彼女は顔を赤くして、書面を鞄の奥底に押し込み、バチンと留め具を閉じた。その必死な様子に、俺の心臓が冷たく波打った。
――見間違いようがなかった。あの一瞬、俺の指先が触れた感触。そして目に焼き付いた紙の質感。
あれは、ただの紙切れではない。最高級の羊皮紙だ。王宮や上位貴族が、正式な契約――それも、生涯を左右するような重大な盟約を結ぶ際にのみ使用される、特別な代物だ。 研究所のパンフレット? そんなわけがない。
俺の脳裏に、昨日の光景がフラッシュバックする。夕暮れのカフェ。楽しそうに談笑するノア君と、王立騎士団副隊長レオンハルト。彼ほどの地位があれば、あの羊皮紙を用意することなど造作もないだろう。
(……そうか。そういうこと、なのか)
点と点が、残酷な一本の線で繋がってしまった。
彼女は、スカウトされたのだ。いや、あれほど親密な様子だったのだから、単なる雇用契約ではないかもしれない。求婚(プロポーズ)。あるいはそれに準ずる、将来の約束。
彼女があんなに慌てて隠したのはなぜだ? 俺に気を使っているからだ。『死ぬまで一緒』なんて契約をしてしまった手前、より良い条件、より若くてふさわしい相手からの誘いがあると言い出しにくいのだろう。
「……旦那様?」
俺が黙り込んでしまったのを不審に思ったのか、ノア君が心配そうに覗き込んでくる。 その瞳は、純粋で、そして残酷なほどに綺麗だった。
「……いや。少し、疲れただけだ」
俺は笑顔を作った。仮面のように張り付いた、乾いた笑顔を。
彼女の幸せを願うなら。俺がすべきことは、一つしかない。
彼女は優しい子だ。自分からは俺を捨てられない。 ならば、俺のほうから背中を押してやらなければならない。それが、彼女の時間を無駄に消費させた、年長者としての最後の責任だ。
馬車がガタゴトと揺れる。屋敷に近づくたびに、俺の心は冷え切っていく。 隣で「帰ったら何を食べましょうか」と無邪気に話す彼女の声が、今はただ、別れのカウントダウンのように聞こえていた。
12
あなたにおすすめの小説
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
テイマーなのに獣人ばかりにモテすぎて困ってます!~彼女はまだツンデレ獣人に番認定されたことに気付いてない~
しましまにゃんこ
恋愛
リリアは、この春、アリシア王国で冒険者になったばかりのテイマーの女の子。早く冒険者として活動したいのに、まだ一匹もテイムすることができずに焦っている。
森に入れば触手に襲われ、街を歩けば獣人に襲われる無自覚天然ドジキャラのリリア。
そんなリリアを溺愛し、陰ながらこっそり見守る黒ヒョウ獣人のロルフは、いつもリリアに振り回されっぱなし。
実は二人の間にはある秘密が!?
剣と魔法、魔法道具が使えるファンタジーな世界で、テイマーとして活躍したい女の子と、好きなのに好きといえない獣人の男の子の、勘違い、溺愛、ジレジレ、時にヤンデレなドタバタ系ラブコメです!
『王女様は聖女様!?おてんば姫の冒険録~全属性の賢者、500年後に転生する!ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しにいきます!』と同じ世界です。今後「王女様~」のほうでも登場予定です。お楽しみに!
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
契約妹、はじめました!
和島逆
恋愛
「契約結婚、ですか?」
「いいえ。『契約妹』です」
そんな会話から始まった、平民の私と伯爵子息様とのおかしな雇用関係。
エリート魔導技士でもある彼の目的は、重度のシスコン兄を演じて自身の縁談を遠ざけること。報酬は魅力的で、孤児である私にとっては願ってもないオイシイ話!
そうして始まった伯爵家での『契約妹』生活は、思った以上に快適で。義父と義母にも気に入られ、雇用主である偽のお兄様までだんだん優しくなってきたような……?
このお仕事、どうやら悪くないようです。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~
白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。
国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。
幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。
いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。
これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。
【完結】懸命に働いた結果、無実の罪で魔王への生贄にされた聖女。でも、その『氷華の魔王』様に溺愛され、誰よりも幸福な人生を手に入れました。
小平ニコ
恋愛
主人公マリエラは懸命に聖女の役割を果たしてきたのに、婚約者である王太子ウィルハルドは、お気に入りの宮女のデタラメを真に受けて婚約破棄。そしてマリエラを恐るべき『氷華の魔王』レオナールへの生贄にしてしまう。
だが、冷徹で残忍と噂されるレオナールは、マリエラに対して深い愛情と優しさを注ぎ、マリエラを侮辱したウィルハルドの顎を氷漬けにして黙らせ、衆目の前で大恥をかかせた。
そして、レオナールと共に魔王国グレスウェアに移り住むマリエラ。レオナールの居城での新しい生活は、甘く幸福なものだった。互いに『運命の相手』と認め合い、愛を育み、信頼を深めていくマリエラとレオナール。
しかしレオナールは、生まれついての絶大な魔力ゆえの呪いとして、長く生きられない体だった。ショックに打ちひしがれるマリエラ。だがある日、封印された禁術を使えば、自らの寿命が大幅に減るものの、レオナールに命を分けることができると知るのだった。
その頃、王太子ウィルハルドは自分に恥をかかせた魔王レオナールへの憎しみを滾らせ、魔王国の反王政派と結託してレオナールの暗殺を企てる。
しかしそれは、あまりにも愚かな選択だった。レオナールのマリエラに対する態度があまりにも優しかったから、ウィルハルドは彼を侮り、忘れていたのである。『氷華の魔王』が恐るべき存在であることを……
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる