38 / 73
第2部_「隣に立つには、眩しすぎて」
第26話:先輩への相談
しおりを挟む
翌日。 俺は再び王都を訪れていた。 観光ではない。以前から頼まれていた、騎士団の新人指導という仕事のためだ。
「――そこ! 踏み込みが甘い!」
「ぐわぁっ!?」
訓練場に、俺の怒号と、新兵が宙を舞う音が響く。 今日の俺の指導は、我ながら鬼のようだった。 心の中に渦巻くモヤモヤを振り払うかのように、俺はただ無心で木剣を振るった。体を動かしていれば、余計なことを考えずに済むと思ったからだ。
だが、日が暮れて訓練が終わると、またあの重苦しい思考が戻ってくる。 『契約書』。『イケメン騎士』。『彼女の未来』。 ぐるぐると巡るキーワードに、俺は深い溜息をついた。
「……随分と荒れていましたね、今日は」
訓練場の出口で、騎士団長のグレイブが苦笑しながら待っていた。 彼はかつての俺の直属の部下であり、今は立派に団長を務めている男だ。そして、俺が亡き妻・レティとの関係に悩んでいた頃、よき相談相手になってくれた「恋愛の先輩」でもある。
「飯でもどうですか。奢りますよ、元団長殿」
「……ああ。頼む。強い酒がいい」
***
王都の大通りから一本入った、落ち着いた雰囲気の酒場。 個室に通された俺たちは、ジョッキを傾けていた。
「珍しいですね。あなたがそこまで思い詰めた顔をするなんて」
グレイブが、つまみのチーズを切り分けながら言った。
「何かあったんですか? ……例の、家政婦さんのことでしょうけど」
図星を突かれ、俺は酒を吹き出しそうになった。 この男には、昔から隠し事ができない。
「……グレイブ。一つ、聞きたいんだが」
「はい」
「もし……自分にとって大切な人が、自分よりも遥かにふさわしい場所へ行こうとしていたら。そして、自分と一緒にいることが、その人の足枷になっているとしたら……お前ならどうする?」
俺は視線をグラスの琥珀色の液体に落としたまま、絞り出すように問いかけた。
「彼女には才能がある。若さも、美貌も。……俺のような隠居老人の世話で終わっていい器じゃない。もっと輝ける場所から、最高の条件で迎え入れられようとしているんだ」
グレイブは黙って聞いていた。そして、静かに問い返してきた。
「それは、雇用主としての悩みですか?」
「え?」
「単なる従業員の転職なら、条件の良い方へ送り出すのが筋でしょう。『足枷』だなんて悩む必要はない。……でも、今のあなたはまるで、恋人を奪われるような顔をしている」
グレイブは真っ直ぐに俺を見た。
「昔、レティさんとのことで相談を受けた時と、同じ顔ですよ」
ドクリ、と心臓が跳ねた。
レティ。亡き妻。 俺は、ノア君のことを、かつて妻を想ったのと同じように想っているのか? 保護者としてではなく。雇用主としてでもなく。 一人の男として、彼女に恋をしていると?
「……馬鹿な。彼女は娘のような年齢だぞ。俺は……」
「年齢なんて関係ないでしょう。あなたが彼女を『失いたくない』と思っている。その感情の正体が何なのか、本当はもう気づいているんじゃないですか?」
俺は言葉を失った。 そうだ。俺は怖かったのだ。 彼女がいなくなること。彼女が誰か別の男のものになること。 それを想像するだけで、呼吸ができなくなるほど苦しい。
ああ、そうか。 俺は、いつの間にか――。
「……参ったな。俺は、いい歳をして……」
俺は両手で顔を覆った。認めてしまえば、答えは残酷なほどシンプルになる。俺は彼女が好きだ。だからこそ、彼女の幸せを邪魔する権利が、俺にはない。
「……相手は、おそらく王立騎士団の副隊長だ。俺なんかよりずっと若くて、優秀で、彼女にふさわしい男だ」
「ほう、副隊長ですか。それはまた強力な」
グレイブは少し驚いたようだったが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「アルベルトさん。僕には分かりませんが……彼女を本気で想うなら、彼女の意思を尊重してあげるのも、年上としての器量なんじゃないですかね」
その言葉は、優しく、そして冷たく、俺の最後の迷いを断ち切った。
「……そうだな。お前の言う通りだ」
俺は残りの酒を一気に煽った。喉が焼けるように熱い。だが、胸の痛みよりはマシだった。
「ありがとう、グレイブ。……腹は決まったよ」
俺は席を立った。今すぐに帰って、けじめをつけなければならない。彼女が気を使って言い出せないのなら、俺の方から引導を渡してやるのが、最後の愛情だ。
店を出る俺の背中を、グレイブは複雑そうな顔で見送っていた。 彼もまた、俺が大きな勘違いをしていることなど知る由もなく、「先輩も辛いな」と同情していたのだ。
外は冷たい風が吹いていた。俺は馬に跨り、夜の街道を駆けた。
「――そこ! 踏み込みが甘い!」
「ぐわぁっ!?」
訓練場に、俺の怒号と、新兵が宙を舞う音が響く。 今日の俺の指導は、我ながら鬼のようだった。 心の中に渦巻くモヤモヤを振り払うかのように、俺はただ無心で木剣を振るった。体を動かしていれば、余計なことを考えずに済むと思ったからだ。
だが、日が暮れて訓練が終わると、またあの重苦しい思考が戻ってくる。 『契約書』。『イケメン騎士』。『彼女の未来』。 ぐるぐると巡るキーワードに、俺は深い溜息をついた。
「……随分と荒れていましたね、今日は」
訓練場の出口で、騎士団長のグレイブが苦笑しながら待っていた。 彼はかつての俺の直属の部下であり、今は立派に団長を務めている男だ。そして、俺が亡き妻・レティとの関係に悩んでいた頃、よき相談相手になってくれた「恋愛の先輩」でもある。
「飯でもどうですか。奢りますよ、元団長殿」
「……ああ。頼む。強い酒がいい」
***
王都の大通りから一本入った、落ち着いた雰囲気の酒場。 個室に通された俺たちは、ジョッキを傾けていた。
「珍しいですね。あなたがそこまで思い詰めた顔をするなんて」
グレイブが、つまみのチーズを切り分けながら言った。
「何かあったんですか? ……例の、家政婦さんのことでしょうけど」
図星を突かれ、俺は酒を吹き出しそうになった。 この男には、昔から隠し事ができない。
「……グレイブ。一つ、聞きたいんだが」
「はい」
「もし……自分にとって大切な人が、自分よりも遥かにふさわしい場所へ行こうとしていたら。そして、自分と一緒にいることが、その人の足枷になっているとしたら……お前ならどうする?」
俺は視線をグラスの琥珀色の液体に落としたまま、絞り出すように問いかけた。
「彼女には才能がある。若さも、美貌も。……俺のような隠居老人の世話で終わっていい器じゃない。もっと輝ける場所から、最高の条件で迎え入れられようとしているんだ」
グレイブは黙って聞いていた。そして、静かに問い返してきた。
「それは、雇用主としての悩みですか?」
「え?」
「単なる従業員の転職なら、条件の良い方へ送り出すのが筋でしょう。『足枷』だなんて悩む必要はない。……でも、今のあなたはまるで、恋人を奪われるような顔をしている」
グレイブは真っ直ぐに俺を見た。
「昔、レティさんとのことで相談を受けた時と、同じ顔ですよ」
ドクリ、と心臓が跳ねた。
レティ。亡き妻。 俺は、ノア君のことを、かつて妻を想ったのと同じように想っているのか? 保護者としてではなく。雇用主としてでもなく。 一人の男として、彼女に恋をしていると?
「……馬鹿な。彼女は娘のような年齢だぞ。俺は……」
「年齢なんて関係ないでしょう。あなたが彼女を『失いたくない』と思っている。その感情の正体が何なのか、本当はもう気づいているんじゃないですか?」
俺は言葉を失った。 そうだ。俺は怖かったのだ。 彼女がいなくなること。彼女が誰か別の男のものになること。 それを想像するだけで、呼吸ができなくなるほど苦しい。
ああ、そうか。 俺は、いつの間にか――。
「……参ったな。俺は、いい歳をして……」
俺は両手で顔を覆った。認めてしまえば、答えは残酷なほどシンプルになる。俺は彼女が好きだ。だからこそ、彼女の幸せを邪魔する権利が、俺にはない。
「……相手は、おそらく王立騎士団の副隊長だ。俺なんかよりずっと若くて、優秀で、彼女にふさわしい男だ」
「ほう、副隊長ですか。それはまた強力な」
グレイブは少し驚いたようだったが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「アルベルトさん。僕には分かりませんが……彼女を本気で想うなら、彼女の意思を尊重してあげるのも、年上としての器量なんじゃないですかね」
その言葉は、優しく、そして冷たく、俺の最後の迷いを断ち切った。
「……そうだな。お前の言う通りだ」
俺は残りの酒を一気に煽った。喉が焼けるように熱い。だが、胸の痛みよりはマシだった。
「ありがとう、グレイブ。……腹は決まったよ」
俺は席を立った。今すぐに帰って、けじめをつけなければならない。彼女が気を使って言い出せないのなら、俺の方から引導を渡してやるのが、最後の愛情だ。
店を出る俺の背中を、グレイブは複雑そうな顔で見送っていた。 彼もまた、俺が大きな勘違いをしていることなど知る由もなく、「先輩も辛いな」と同情していたのだ。
外は冷たい風が吹いていた。俺は馬に跨り、夜の街道を駆けた。
11
あなたにおすすめの小説
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
テイマーなのに獣人ばかりにモテすぎて困ってます!~彼女はまだツンデレ獣人に番認定されたことに気付いてない~
しましまにゃんこ
恋愛
リリアは、この春、アリシア王国で冒険者になったばかりのテイマーの女の子。早く冒険者として活動したいのに、まだ一匹もテイムすることができずに焦っている。
森に入れば触手に襲われ、街を歩けば獣人に襲われる無自覚天然ドジキャラのリリア。
そんなリリアを溺愛し、陰ながらこっそり見守る黒ヒョウ獣人のロルフは、いつもリリアに振り回されっぱなし。
実は二人の間にはある秘密が!?
剣と魔法、魔法道具が使えるファンタジーな世界で、テイマーとして活躍したい女の子と、好きなのに好きといえない獣人の男の子の、勘違い、溺愛、ジレジレ、時にヤンデレなドタバタ系ラブコメです!
『王女様は聖女様!?おてんば姫の冒険録~全属性の賢者、500年後に転生する!ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しにいきます!』と同じ世界です。今後「王女様~」のほうでも登場予定です。お楽しみに!
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
契約妹、はじめました!
和島逆
恋愛
「契約結婚、ですか?」
「いいえ。『契約妹』です」
そんな会話から始まった、平民の私と伯爵子息様とのおかしな雇用関係。
エリート魔導技士でもある彼の目的は、重度のシスコン兄を演じて自身の縁談を遠ざけること。報酬は魅力的で、孤児である私にとっては願ってもないオイシイ話!
そうして始まった伯爵家での『契約妹』生活は、思った以上に快適で。義父と義母にも気に入られ、雇用主である偽のお兄様までだんだん優しくなってきたような……?
このお仕事、どうやら悪くないようです。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~
白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。
国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。
幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。
いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。
これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。
【完結】懸命に働いた結果、無実の罪で魔王への生贄にされた聖女。でも、その『氷華の魔王』様に溺愛され、誰よりも幸福な人生を手に入れました。
小平ニコ
恋愛
主人公マリエラは懸命に聖女の役割を果たしてきたのに、婚約者である王太子ウィルハルドは、お気に入りの宮女のデタラメを真に受けて婚約破棄。そしてマリエラを恐るべき『氷華の魔王』レオナールへの生贄にしてしまう。
だが、冷徹で残忍と噂されるレオナールは、マリエラに対して深い愛情と優しさを注ぎ、マリエラを侮辱したウィルハルドの顎を氷漬けにして黙らせ、衆目の前で大恥をかかせた。
そして、レオナールと共に魔王国グレスウェアに移り住むマリエラ。レオナールの居城での新しい生活は、甘く幸福なものだった。互いに『運命の相手』と認め合い、愛を育み、信頼を深めていくマリエラとレオナール。
しかしレオナールは、生まれついての絶大な魔力ゆえの呪いとして、長く生きられない体だった。ショックに打ちひしがれるマリエラ。だがある日、封印された禁術を使えば、自らの寿命が大幅に減るものの、レオナールに命を分けることができると知るのだった。
その頃、王太子ウィルハルドは自分に恥をかかせた魔王レオナールへの憎しみを滾らせ、魔王国の反王政派と結託してレオナールの暗殺を企てる。
しかしそれは、あまりにも愚かな選択だった。レオナールのマリエラに対する態度があまりにも優しかったから、ウィルハルドは彼を侮り、忘れていたのである。『氷華の魔王』が恐るべき存在であることを……
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる