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第2部_「隣に立つには、眩しすぎて」
第30話:イケメンの証言
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同時刻。王都の騎士団訓練所。乾いた砂埃が舞う中、木剣が打ち合わされる音が響いていた。
「――そこ。腰が入っていない」
「ぐっ……!」
アルベルトは無表情で新兵の打ち込みを受け流し、軽く剣の腹で脇腹を突いた。新兵が苦悶の声を上げてうずくまる。周囲で見守っていた他の兵士たちが、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
今日の特別指導官殿は、いつにも増して空気が重い。怒っているわけではない。殺気立っているわけでもない。ただひたすらに「無」なのだ。まるで、中身がごっそりと抜け落ちた鎧が、惰性だけで動いているような不気味さがあった。
(……ああ、体が軽いな)
アルベルトはぼんやりと考えていた。余計な感情を捨て去ったせいだろうか。剣筋に迷いがない。皮肉なものだ。大切なものを失って、心にぽっかりと穴が開いた状態のほうが、かつての「剣聖」としての動きに近いなんて。
「……休憩! 全員、十分間の休息!」
見かねたのか、騎士団長のグレイブが割って入り、訓練を中断させた。
***
ベンチに腰を下ろしたアルベルトに、グレイブが水筒を差し出した。
「やりすぎですよ、先輩。あいつら全員、明日筋肉痛で起き上がれませんよ」
「……悪い。加減ができなくてな」
アルベルトは水筒を受け取り、一口飲んだ。冷たい水が、乾いた喉を通っていく。
「……行ってしまったんですね、彼女」
グレイブが遠慮がちに尋ねた。 アルベルトは遠くの空を見上げたまま、小さく頷いた。
「ああ。今朝、屋敷を出て行ったよ。……これでよかったんだ」
自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
「彼女には未来がある。俺のようなロートルの世話で一生を棒に振るより、もっと華やかで、彼女の才能を評価してくれる場所へ行くべきだ。……俺は、その手助けをしただけさ」
強がりだった。本当は、今すぐにでも馬を飛ばして彼女を連れ戻したい。 だが、それは許されない。彼女は自分の意思で(とアルベルトは思っている)契約書を持ち、新しい相手を選んだのだから。
「先輩がそれでいいなら、僕が言うことはありませんが……」
グレイブが複雑そうな顔をした、その時だった。
「おや? アルベルト殿ではありませんか」
爽やかな声が響いた。振り返ると、そこには訓練終わりの騎士たちが道を空けるほどの、輝かしいオーラを纏った男が立っていた。王立騎士団第1番隊副隊長、レオンハルト・ヴァン・アスター。金髪碧眼、長身痩躯。そして若き実力者。アルベルトが「ノアの新しい相手」だと確信している、あのイケメンだった。
「……レオンハルト副隊長か」
アルベルトは立ち上がり、努めて平静を装った。胸の奥がチクリと痛む。目の前にいるこの男が、彼女を奪った(選ばれた)相手だ。嫉妬で狂いそうになるのを、必死に理性で抑え込む。
だがどうして。なんて完璧な男なんだ彼は。
「お久しぶりです。まさかここでご指導されているとは。……グレイブ団長から話は聞いていますよ」
レオンハルトは人懐っこい笑顔で近づいてきた。アルベルトは自嘲気味に笑った。
「ああ。……聞いたか。まあ、そういうわけだ」
彼女が俺のもとを去り、君のところへ行くことになった、という話だろう。 俺は敗北を認め、潔く勝者にエールを送るべきだ。それが、元雇用主としての最後のプライドだ。
「彼女のこと……ノア君を、頼むよ」
「はい?」
レオンハルトがキョトンとした。
「彼女は優秀だ。少し真面目すぎて抱え込むところがあるが、君なら上手く支えてやれるだろう。……俺なんかより、君のような若い世代が隣にいるほうが、彼女も幸せだ」
アルベルトは一気にまくし立てた。そうしないと、声が震えてしまいそうだったからだ。
「幸せにしてやってくれ。……それだけが、俺の望みだ」
言い切った。これでいい。これで完全に、俺の役目は終わった。
しかし。レオンハルトの反応は、予想外のものだった。彼は不思議そうに首を傾げ、それから困ったように眉を下げた。
「あの、アルベルト殿? ……何か誤解をされているようですが」
「え?」
「私はノアさんを雇っていませんし、プロポーズもしていませんよ?」
時が止まった。
アルベルトは瞬きをした。グレイブも目を丸くしている。
「……は? いや、だって……先日、君たちは街で会っていただろう? 楽しそうに話して……それに、彼女は君の用意した『契約書』を持っていたぞ」
「ああ、あの時ですか! 偶然再会して、昔話に花を咲かせていただけですよ」
レオンハルトはあっけらかんと言った。
「彼女、貴方のことを楽しそうに話していましたよ。『不器用だけど優しい、素敵な旦那様なんです』って、惚気(のろけ)られてしまって……私は完全に当てられっぱなしでした」
惚気?ノア君が、俺のことを?
「それに契約書? ……私は何も渡していませんよ。彼女は『今の生活が一番幸せなんです』と言って、私の家に戻るつもりはないとはっきり断言していましたから」
レオンハルトの言葉が、アルベルトの脳内でこだまする。
『今の生活が一番幸せ』 『私の家には来ていない』
思考が真っ白になった。前提が崩れていく。イケメン騎士による引き抜きなんてなかった。彼女は心変わりなんてしていなかった。じゃあ、あの契約書は?俺が一方的に突きつけた解雇通知は?
「……お、おい。じゃあ、ノア君は今、どこに……?」
アルベルトの顔から血の気が引いていく。もしや、彼女は行き場を失って、路頭に迷っているのではないか。俺の勘違いのせいで、彼女をただ放り出してしまっただけなのではないか。
その時だった。
「伝令ッ!!」
訓練所の入り口から、一人の兵士が転がるように走ってきた。顔面蒼白で、手には一通の手紙を握りしめている。
「し、至急の報せです! 王立魔導研究院より、元剣聖アルベルト・ヴィスマルク殿へ!」 「研究院……?」
アルベルトが呆然と手紙を受け取る。封蝋はない。ただ、見覚えのある筆跡で、殴り書きのような文字が記されていた。
『今すぐ走って来い。死ぬ気で走れ。貴様の勘違いで泣かせた女の始末をつけに来なさい。 一分遅れるごとに、グレイブが一日勤務できなくしてやります。
ミリアム・モノリス』
「ひっ……!?なんで俺が!?」
横から手紙を覗き込んだグレイブ団長が、悲鳴を上げて青ざめた。
「み、ミリアム……! 嫁さんからだ……! 先輩、これマジなやつです! 絶対に行かないと殺されます!」
「な、泣かせた女……始末……?」
アルベルトは震える手で手紙を握りつぶした。状況はまだ飲み込めていない。だが、一つだけ分かったことがある。 ノア君は、そこにいる。そして、俺はとんでもない過ちを犯したらしい、ということだ。
「……レオンハルト殿! 馬を借りるぞ!」
「えっ、どうぞ!?」
アルベルトは脱兎のごとく駆け出した。 柵を飛び越え、係留されていた馬に飛び乗る。 老いなど微塵も感じさせない、現役時代さながらの身のこなしだった。
「ノア君ッ!!」
叫びと共に、アルベルトは王都の大通りを疾走し始めた。 目指すは王立魔導研究院。 自分の愚かさを呪いながら、彼はただひたすらに、愛する人のもとへ馬を走らせた。
「――そこ。腰が入っていない」
「ぐっ……!」
アルベルトは無表情で新兵の打ち込みを受け流し、軽く剣の腹で脇腹を突いた。新兵が苦悶の声を上げてうずくまる。周囲で見守っていた他の兵士たちが、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
今日の特別指導官殿は、いつにも増して空気が重い。怒っているわけではない。殺気立っているわけでもない。ただひたすらに「無」なのだ。まるで、中身がごっそりと抜け落ちた鎧が、惰性だけで動いているような不気味さがあった。
(……ああ、体が軽いな)
アルベルトはぼんやりと考えていた。余計な感情を捨て去ったせいだろうか。剣筋に迷いがない。皮肉なものだ。大切なものを失って、心にぽっかりと穴が開いた状態のほうが、かつての「剣聖」としての動きに近いなんて。
「……休憩! 全員、十分間の休息!」
見かねたのか、騎士団長のグレイブが割って入り、訓練を中断させた。
***
ベンチに腰を下ろしたアルベルトに、グレイブが水筒を差し出した。
「やりすぎですよ、先輩。あいつら全員、明日筋肉痛で起き上がれませんよ」
「……悪い。加減ができなくてな」
アルベルトは水筒を受け取り、一口飲んだ。冷たい水が、乾いた喉を通っていく。
「……行ってしまったんですね、彼女」
グレイブが遠慮がちに尋ねた。 アルベルトは遠くの空を見上げたまま、小さく頷いた。
「ああ。今朝、屋敷を出て行ったよ。……これでよかったんだ」
自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
「彼女には未来がある。俺のようなロートルの世話で一生を棒に振るより、もっと華やかで、彼女の才能を評価してくれる場所へ行くべきだ。……俺は、その手助けをしただけさ」
強がりだった。本当は、今すぐにでも馬を飛ばして彼女を連れ戻したい。 だが、それは許されない。彼女は自分の意思で(とアルベルトは思っている)契約書を持ち、新しい相手を選んだのだから。
「先輩がそれでいいなら、僕が言うことはありませんが……」
グレイブが複雑そうな顔をした、その時だった。
「おや? アルベルト殿ではありませんか」
爽やかな声が響いた。振り返ると、そこには訓練終わりの騎士たちが道を空けるほどの、輝かしいオーラを纏った男が立っていた。王立騎士団第1番隊副隊長、レオンハルト・ヴァン・アスター。金髪碧眼、長身痩躯。そして若き実力者。アルベルトが「ノアの新しい相手」だと確信している、あのイケメンだった。
「……レオンハルト副隊長か」
アルベルトは立ち上がり、努めて平静を装った。胸の奥がチクリと痛む。目の前にいるこの男が、彼女を奪った(選ばれた)相手だ。嫉妬で狂いそうになるのを、必死に理性で抑え込む。
だがどうして。なんて完璧な男なんだ彼は。
「お久しぶりです。まさかここでご指導されているとは。……グレイブ団長から話は聞いていますよ」
レオンハルトは人懐っこい笑顔で近づいてきた。アルベルトは自嘲気味に笑った。
「ああ。……聞いたか。まあ、そういうわけだ」
彼女が俺のもとを去り、君のところへ行くことになった、という話だろう。 俺は敗北を認め、潔く勝者にエールを送るべきだ。それが、元雇用主としての最後のプライドだ。
「彼女のこと……ノア君を、頼むよ」
「はい?」
レオンハルトがキョトンとした。
「彼女は優秀だ。少し真面目すぎて抱え込むところがあるが、君なら上手く支えてやれるだろう。……俺なんかより、君のような若い世代が隣にいるほうが、彼女も幸せだ」
アルベルトは一気にまくし立てた。そうしないと、声が震えてしまいそうだったからだ。
「幸せにしてやってくれ。……それだけが、俺の望みだ」
言い切った。これでいい。これで完全に、俺の役目は終わった。
しかし。レオンハルトの反応は、予想外のものだった。彼は不思議そうに首を傾げ、それから困ったように眉を下げた。
「あの、アルベルト殿? ……何か誤解をされているようですが」
「え?」
「私はノアさんを雇っていませんし、プロポーズもしていませんよ?」
時が止まった。
アルベルトは瞬きをした。グレイブも目を丸くしている。
「……は? いや、だって……先日、君たちは街で会っていただろう? 楽しそうに話して……それに、彼女は君の用意した『契約書』を持っていたぞ」
「ああ、あの時ですか! 偶然再会して、昔話に花を咲かせていただけですよ」
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「彼女、貴方のことを楽しそうに話していましたよ。『不器用だけど優しい、素敵な旦那様なんです』って、惚気(のろけ)られてしまって……私は完全に当てられっぱなしでした」
惚気?ノア君が、俺のことを?
「それに契約書? ……私は何も渡していませんよ。彼女は『今の生活が一番幸せなんです』と言って、私の家に戻るつもりはないとはっきり断言していましたから」
レオンハルトの言葉が、アルベルトの脳内でこだまする。
『今の生活が一番幸せ』 『私の家には来ていない』
思考が真っ白になった。前提が崩れていく。イケメン騎士による引き抜きなんてなかった。彼女は心変わりなんてしていなかった。じゃあ、あの契約書は?俺が一方的に突きつけた解雇通知は?
「……お、おい。じゃあ、ノア君は今、どこに……?」
アルベルトの顔から血の気が引いていく。もしや、彼女は行き場を失って、路頭に迷っているのではないか。俺の勘違いのせいで、彼女をただ放り出してしまっただけなのではないか。
その時だった。
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訓練所の入り口から、一人の兵士が転がるように走ってきた。顔面蒼白で、手には一通の手紙を握りしめている。
「し、至急の報せです! 王立魔導研究院より、元剣聖アルベルト・ヴィスマルク殿へ!」 「研究院……?」
アルベルトが呆然と手紙を受け取る。封蝋はない。ただ、見覚えのある筆跡で、殴り書きのような文字が記されていた。
『今すぐ走って来い。死ぬ気で走れ。貴様の勘違いで泣かせた女の始末をつけに来なさい。 一分遅れるごとに、グレイブが一日勤務できなくしてやります。
ミリアム・モノリス』
「ひっ……!?なんで俺が!?」
横から手紙を覗き込んだグレイブ団長が、悲鳴を上げて青ざめた。
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アルベルトは震える手で手紙を握りつぶした。状況はまだ飲み込めていない。だが、一つだけ分かったことがある。 ノア君は、そこにいる。そして、俺はとんでもない過ちを犯したらしい、ということだ。
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「えっ、どうぞ!?」
アルベルトは脱兎のごとく駆け出した。 柵を飛び越え、係留されていた馬に飛び乗る。 老いなど微塵も感じさせない、現役時代さながらの身のこなしだった。
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