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第2部_「隣に立つには、眩しすぎて」
第32話:エントランスの対峙
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王立魔導研究院のエントランス。午後の日差しが容赦なく降り注ぐガラス張りの空間に、ミリアムに背中を押されたノアが足を踏み入れた。
自動ドアが開く。外の熱気と共に、目に飛び込んできた光景に、ノアは息を呑んで立ち尽くした。
石段の下。ロータリーの真ん中で、一人の男が膝に手をつき、肩で息をしていた。アルベルトだ。いつも整えられている銀髪は汗と風で乱れ、額には泥がこびりついている。上質なコートの裾は破れ、ブーツは砂埃で真っ白だ。なりふり構わず、王都中の道を全速力で駆け抜けてきた証明だった。
その傍らで彼を支えていたグレイブ騎士団長が、階段の上にいる人物――ノアの背後に立つミリアムに気づき、げんなりとした顔を向けた。
「……ミリアム。お前なぁ」
グレイブは呆れたように、しかしどこか安堵したように息を吐いた。
「なんでアルベルトが遅れて俺が勤務できなくなるんだよ!まず俺は何されるんだそれ!!」
「あら。でもおかげで、あの腰の重い『元剣聖』様が全盛期の脚力を取り戻したじゃない。感謝してほしいくらいね」
ミリアムは階段の上から、涼しい顔で腕を組んだ。その隙のない態度に、グレイブは大きくため息をつき、肩をすくめた。やはりこの場を支配しているのは、彼女だ。
ミリアムは、隣で震えて動けなくなっているノアを見下ろし、小さく息を吐くと、その背中をポンと叩いた。
「いつまで突っ立っているの。……ほら」
ミリアムが顎でしゃくった先。階段の下で、アルベルトがゆっくりと体を起こしたところだった。彼は乱れた髪をかき上げ、深く息を吸い込み、階段の上のノアを真っ直ぐに見据えた。
ミリアムは口元に薄い笑みを浮かべ、ノアの耳元で囁いた。
「行きなさい。……そろそろ、『渦中の男』も喋れるくらいには息が整ったみたいよ」
その言葉が、合図だった。ノアは弾かれたように駆け出した。
「旦那様ッ!!」
階段を転げ落ちるように駆け下り、彼の目の前で立ち止まる。泥だらけの彼の姿を間近で見て、涙が溢れて止まらなかった。
「申し訳ありません……! 私が……私が、浅はかな隠し事をしたせいで! あの契約書は、貴方を裏切るつもりじゃなかったんです! ただ、貴方を驚かせたくて……!」
言葉が涙で詰まり、嗚咽に変わる。貴方を傷つけるつもりなんてなかった。あんな悲しい解雇通知を書かせてしまうほど、彼を追い詰めた私を、どうか許してほしい。
「許してください……! 私は、貴方を……!」
必死に頭を下げようとしたノアの体を、泥だらけの手が優しく、しかし強引に引き留めた。
「……顔を、上げてくれ」
アルベルトの手が、ノアの頬を包み込んでいた。おそるおそる顔を上げると、そこには、泣き出しそうなほど歪んだ、けれど真っ直ぐなアルベルトの顔があった。
「謝るのは、私の方だ。……私の勝手な思い込みと、臆病な心が、君を傷つけた」
彼はノアの頬に伝う涙を、親指で乱暴に拭った。
「君が私を裏切るはずがないと、信じるべきだった。……なのに私は、君を失うのが怖くて、君の口から『さよなら』を聞くのが怖くて、耳を塞いで逃げ出したんだ」
アルベルトは、自嘲するように笑った。その笑顔は、かつての「枯れた老人」のものではない。自分の弱さを認め、それでも大切なものを掴み取ろうとする、一人の男の顔だった。
「解雇通知は撤回する。……だが、それだけじゃ駄目なんだ」
彼はノアの手を取り、自分の胸元――心臓の鼓動が伝わる位置へと強く押し当てた。ドクン、ドクンと、彼の命の音が掌から伝わってくる。
「元の関係に戻るだけじゃ、きっとまた同じ過ちを繰り返す。……だから」
アルベルトは、周囲で見守るグレイブやミリアム、レオンハルトたちの視線も、自分のボロボロな姿も忘れて、ただ目の前の愛する人だけを見つめた。そして、覚悟を決めた声で告げた。
「君に、伝えなければならないことがある」
自動ドアが開く。外の熱気と共に、目に飛び込んできた光景に、ノアは息を呑んで立ち尽くした。
石段の下。ロータリーの真ん中で、一人の男が膝に手をつき、肩で息をしていた。アルベルトだ。いつも整えられている銀髪は汗と風で乱れ、額には泥がこびりついている。上質なコートの裾は破れ、ブーツは砂埃で真っ白だ。なりふり構わず、王都中の道を全速力で駆け抜けてきた証明だった。
その傍らで彼を支えていたグレイブ騎士団長が、階段の上にいる人物――ノアの背後に立つミリアムに気づき、げんなりとした顔を向けた。
「……ミリアム。お前なぁ」
グレイブは呆れたように、しかしどこか安堵したように息を吐いた。
「なんでアルベルトが遅れて俺が勤務できなくなるんだよ!まず俺は何されるんだそれ!!」
「あら。でもおかげで、あの腰の重い『元剣聖』様が全盛期の脚力を取り戻したじゃない。感謝してほしいくらいね」
ミリアムは階段の上から、涼しい顔で腕を組んだ。その隙のない態度に、グレイブは大きくため息をつき、肩をすくめた。やはりこの場を支配しているのは、彼女だ。
ミリアムは、隣で震えて動けなくなっているノアを見下ろし、小さく息を吐くと、その背中をポンと叩いた。
「いつまで突っ立っているの。……ほら」
ミリアムが顎でしゃくった先。階段の下で、アルベルトがゆっくりと体を起こしたところだった。彼は乱れた髪をかき上げ、深く息を吸い込み、階段の上のノアを真っ直ぐに見据えた。
ミリアムは口元に薄い笑みを浮かべ、ノアの耳元で囁いた。
「行きなさい。……そろそろ、『渦中の男』も喋れるくらいには息が整ったみたいよ」
その言葉が、合図だった。ノアは弾かれたように駆け出した。
「旦那様ッ!!」
階段を転げ落ちるように駆け下り、彼の目の前で立ち止まる。泥だらけの彼の姿を間近で見て、涙が溢れて止まらなかった。
「申し訳ありません……! 私が……私が、浅はかな隠し事をしたせいで! あの契約書は、貴方を裏切るつもりじゃなかったんです! ただ、貴方を驚かせたくて……!」
言葉が涙で詰まり、嗚咽に変わる。貴方を傷つけるつもりなんてなかった。あんな悲しい解雇通知を書かせてしまうほど、彼を追い詰めた私を、どうか許してほしい。
「許してください……! 私は、貴方を……!」
必死に頭を下げようとしたノアの体を、泥だらけの手が優しく、しかし強引に引き留めた。
「……顔を、上げてくれ」
アルベルトの手が、ノアの頬を包み込んでいた。おそるおそる顔を上げると、そこには、泣き出しそうなほど歪んだ、けれど真っ直ぐなアルベルトの顔があった。
「謝るのは、私の方だ。……私の勝手な思い込みと、臆病な心が、君を傷つけた」
彼はノアの頬に伝う涙を、親指で乱暴に拭った。
「君が私を裏切るはずがないと、信じるべきだった。……なのに私は、君を失うのが怖くて、君の口から『さよなら』を聞くのが怖くて、耳を塞いで逃げ出したんだ」
アルベルトは、自嘲するように笑った。その笑顔は、かつての「枯れた老人」のものではない。自分の弱さを認め、それでも大切なものを掴み取ろうとする、一人の男の顔だった。
「解雇通知は撤回する。……だが、それだけじゃ駄目なんだ」
彼はノアの手を取り、自分の胸元――心臓の鼓動が伝わる位置へと強く押し当てた。ドクン、ドクンと、彼の命の音が掌から伝わってくる。
「元の関係に戻るだけじゃ、きっとまた同じ過ちを繰り返す。……だから」
アルベルトは、周囲で見守るグレイブやミリアム、レオンハルトたちの視線も、自分のボロボロな姿も忘れて、ただ目の前の愛する人だけを見つめた。そして、覚悟を決めた声で告げた。
「君に、伝えなければならないことがある」
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