田舎の元騎士団長はどタイプメイドに振り回される

れおぽん

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第2部_「隣に立つには、眩しすぎて」

第35話(二部終):過去ごと、未来へ

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 ノアの口から放たれた『結婚の儀』という言葉は、爆弾のようにその場を吹き飛ばし、そして奇妙な静寂を残した。

 アルベルトは、息を呑んだ。先ほど、自分は確かに言った。「誰にも渡したくない」「君が好きだ」と。だが、まさか彼女から、法的な「永遠」を突きつけられるとは。

「……本気、なのか?」

 アルベルトが掠れた声で尋ねる。ノアは一歩も引かず、その大きな瞳で彼を射抜いたまま頷いた。

「はい。貴方は先ほど仰いました。『私の隣に立つのは自分でありたい』と。……その言葉に、責任を持っていただきたいのです」

 逃げ場はない。  アルベルトは覚悟を決めるように拳を握りしめた。  嬉しい。狂おしいほどに。  だが、だからこそ、最後に一つだけ――自分自身の心に巣食う、最も重い鎖を晒さなければならなかった。

「……ノア。聞いてくれ」

 彼は言い訳がましく視線を逸らすことはしなかった。  真っ直ぐに彼女を見つめ、静かに語り始めた。

「私はもう若くない。体は古傷だらけで、いつ動かなくなるかも分からない。……君の輝かしい時間を、私の介護で潰してしまうかもしれない」 
「構いません。私が直します。貴方の手足となってお世話をすること以上の喜びなど、私にはありません」

 ノアが静かに即答する。アルベルトは一度目を伏せ、そしてずっと胸の奥につかえていた棘を、震える声で吐き出した。

「……私の中には、亡き妻がいる。レティとの記憶は、一生消えることはない。ふとした瞬間に彼女を思い出して……君を寂しい気持ちにさせてしまうかもしれない」

 それは、新しいパートナーに対して最も言ってはいけない言葉だったかもしれない。前へ進むためには、忘れるべきなのかもしれない。だが、彼は嘘をつけなかった。過去を切り離すことはできない。その悲しみも、後悔も、愛おしさも、すべてを含めて今の「アルベルト」なのだから。

「それでも、君は平気なのか? 私の心の一部が、永遠に過去に向いていても」

 答えを恐れて、アルベルトは身を硬くした。だが、返ってきたのは拒絶でも、悲しげな沈黙でもなかった。
そして。その返答をするのにノアは当たり前のように。即答ではなくわかっていたかのような顔をした。

「……旦那様」

 ノアは何も言わず、一歩踏み出した。そして、そっと腕を伸ばし、アルベルトの体を抱きしめた。

 泥だらけのコート。汗と土の匂い。けれど、そこにある確かな体温。ノアは彼の胸に顔を埋め、子供をあやすように背中を優しくさすった。

「知っています。……そのマフラーを直した時に、全て受け入れました」

 胸元で響く彼女の声は、どこまでも穏やかで、肯定に満ちていた。

「誰かを深く愛した記憶があるからこそ、貴方は優しい。貴方が過去を大切にしているからこそ、私は貴方を信じられるんです」

 ノアは顔を上げ、潤んだ瞳でアルベルトを見上げた。

「その優しさが今、私に向けられている。……それだけで十分です。過去ごと、貴方を愛させてください」

 その言葉を聞いた瞬間。アルベルトの中で、張り詰めていた何かが音を立てて崩れ落ちた。

 ずっと、罪悪感があった。自分だけが生き残り、新しい誰かを愛することへの負い目。  「前に進む」ということは「忘れること」だと思っていた。だからこそ、忘れられない自分は幸せになってはいけないのだと、無意識に自分を罰していた。

 けれど、彼女は言った。 「忘れなくていい」と。  過去を背負ったままの貴方がいいのだ、と。

(ああ……そうか)

 凍りついていた時間が、溶け出していく。俺は、生きていてよかったんだ。過去を抱いたまま、今、この瞬間を幸せに生きていいんだ。

「……っ、う……」

 熱いものが込み上げ、視界が歪んだ。  アルベルトの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。  それは悲しみの涙ではない。長く暗いトンネルを抜け、ようやく光の下に出られた安堵と、ノアへの感謝だ。


 アルベルトは、目の前の愛しい人を抱きしめ返した。折れそうなほど強く、けれど壊れ物を扱うように大切に。

「……ありがとう。ノア」

 震える声で感謝を告げ、彼はゆっくりと体を離した。もう、迷いはない。彼は泥だらけの地面にゆっくりと片膝をついた。騎士が主君に忠誠を誓うように、一人の男が生涯の伴侶に愛を捧げるために。

 彼はノアの手を両手で包み込み、潤んだ瞳で真っ直ぐに彼女を見上げた。

「私の残りの人生、その全てを君に預ける。……君が望むなら、この命が尽きる最後の瞬間まで、君の傍にいよう」

 それは、ただの契約ではない。  過去も未来も、すべてを彼女と共に歩むという、誓い。

「ノア・アークライト。……私と、結婚してくれ」

 その言葉を聞いた瞬間、ノアの張り詰めていた表情が、花が咲くように崩れた。もう理屈も、強がりもいらない。

「……はい! 謹んで、お受けいたします!」

 ノアがアルベルトの首に再び抱きつく。アルベルトが立ち上がり、その小さな体を強く抱きしめ返す。  エントランスにいた人々から、割れんばかりの拍手と祝福の声が巻き起こったが、二人の耳にはもう、互いの鼓動の音しか届いていないようだった。

          ***

 しばらくして。一通りの騒ぎが収まり、二人は寄り添いながら帰路についた。

 夕日が長く影を伸ばす石畳の道。アルベルトの泥だらけの背中をノアが払い、ノアの乱れた髪をアルベルトが指で梳く。繋がれた手は、もう二度と離れることはないだろう。

 研究院の入り口に残されたミリアム、グレイブ、レオンハルトの三人は、そんな二人の後ろ姿を静かに見送っていた。騒がしいやり取りはない。ただ、夕日に溶けていく二人のシルエットが、あまりにも美しかったからだ。

 ミリアムは、どこか誇らしげな、穏やかな笑みを浮かべていた。  彼女は風に乗せるように、ポツリと呟いた。

「幸せ者だな。アルベルト・ヴィスマルク」

 そして、その隣を歩く、小さくも逞しい背中に向かって。

「そして――ノア・ヴィスマルクよ」

 二人の新しい名前を祝福するように、王都の空には一番星が輝き始めていた。
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