田舎の元騎士団長はどタイプメイドに振り回される

れおぽん

文字の大きさ
59 / 73
第3部_「右手に剣を。左手に血を」

第46話:雨の城門

しおりを挟む
 その日の王都は、雪混じりの冷たい雨に煙っていた。  北門前の広場には、遠征部隊の騎士たちが集結していた。馬のいななき、鎧が擦れる金属音、指揮官の怒号。  張り詰めた空気の中で、アルベルトは愛馬の手綱を握り、静かに整列の合図を待っていた。

 その首元には、まだあの赤いマフラーはない。  「帰ってきたら、一番最初に巻いてあげる」。レティはそう言って、未完成のマフラーを抱きしめて見送ったからだ。  だから、必ず帰らなければならない。あの温かい赤色を受け取るために。

「……アルベルト」

 雨音に紛れて、名を呼ばれた。  振り返ると、城門の柱の陰に、傘も差さずに立つ白衣の姿があった。  
 ミトスだった。  彼女はずぶ濡れになりながら、肩を震わせて立っていた。その顔色は蒼白で、まるで幽霊のようだ。

「ミトスか。……見送りなら、結構だと言ったはずだが」 
「……うるさいわね。通りかかっただけよ」

 彼女はいつものように憎まれ口を叩こうとしたが、声が震えて上手く出ないようだった。  彼女は一歩、また一歩と、泥を跳ね上げてアルベルトに近づいた。

「……本当に行くのね」 
「ああ」 
「あの子を置いて。……死にに行くのね」 
「死ぬつもりはない。勝って、帰る」


 アルベルトは短く答えた。その瞳には一点の曇りもない。  彼は信じているのだ。レティのあの気丈な言葉を。「国を守る英雄であれ」という、妻としての誇り高い命令を、疑いようのない真実として受け取っている。

 その真っ直ぐすぎる横顔を見て、ミトスは唇を噛み切った。  血の味が口の中に広がる。

(……馬鹿じゃないの)

 叫び出したかった。  『騙されないで!』と。  『あの子は笑ってなんかいない! 貴方が部屋を出た瞬間、崩れ落ちて泣き叫んでいたのよ!』と。  『行かないでって、貴方の足にしがみつきたかったのを、死ぬ気で我慢したのよ!』と。

 真実を告げれば、彼は足を止めるだろう。  国を捨て、騎士団を敵に回してでも、屋敷へ取って返すに違いない。  そうすれば、レティの最期を看取ることはできる。

 ――でも、それは「呪い」になる。

 レティの言葉が蘇る。  もし彼を引き留めれば、彼は一生、「自分のせいで国が滅んだ」という十字架を背負うことになる。そして、「自分の弱さのせいで妻に嘘をつかせた」と自分自身を許せなくなるだろう。  レティは、愛する夫の未来と誇りを守るために、自分の「寂しい」という感情を殺したのだ。

 その覚悟を、ミトスが踏みにじることはできなかった。  彼女たちは恋敵以前に「親友」なってしまったから。

「……っ、うぅ……」

 言葉が喉で詰まる。真実を言えない苦しさが、胸を引き裂く。  でも、このまま黙って見送ることなんてできない。  彼が死地へ向かうのを、指をくわえて見ているなんて耐えられない。

 せめて。  せめて、私という鎖で、彼を少しでも現世に繋ぎ止められるなら。

「……死なないでよ」

 ミトスは、アルベルトの濡れたマントを掴んだ。

「あの子のためだけじゃないわ。……私だって、嫌よ」 
「ミトス?」 
「貴方がいなくなるなんて、耐えられない! ……私にとって貴方は、ただの研究対象なんかじゃない!」

 彼女は叫んだ。  雨音を切り裂くような、悲痛な叫びだった。

「貴方が傷つけば痛いし、貴方が笑えば嬉しい! ……ずっと見てきたのよ! 誰よりも近くで、貴方のことだけを見てきたのよ! なのに……っ!」

 それは、初めて口にした、飾らない本音だった。  

「効率」も「データ」もない。ただの一人の女としての、情けないほどの恋慕。  
『私だって貴方が好きなの』
『私を置いて死なないで』
その言葉が、涙と共に溢れ出した。

 アルベルトは、驚いたように目を見開いた。  そして、掴まれたマントの手を見つめ、それからミトスの顔を見て――。

 ふわりと、優しく微笑んだ。

「……ありがとう、ミトス」

 大きな手が、ミトスの濡れた頭をポンと撫でた。

「お前は本当に、いい仲間だ」

 時が、止まった。

「俺がいない間、レティのことを頼んだぞ。……俺が一番信頼できるのは、お前だけだからな」

 彼は、ミトスの手をマントから外し、自分の胸を叩いた。  そこにあるのは、全幅の信頼と、感謝。  


そして――恋愛感情の、絶望的な欠如。


 彼は、ミトスの必死の告白を、「長年の戦友としての、深い情愛と心配」として受け取ったのだ。  
それ以外の解釈が、彼の頭には存在しないのだ。彼の心はもう、レティ一人で完全に埋め尽くされているから。

「……行ってくる」

 角笛が鳴り響く。  アルベルトは馬腹を蹴り、行軍の列へと加わっていった。  一度も振り返らない。  その背中は、あまりにも遠く、そして残酷なほどに眩しかった。

 泥だらけの地面に、ミトスは取り残された。

「……馬鹿野郎」

 彼女は、空を見上げて呟いた。  雨が、涙を洗い流していく。

「『仲間』……? 『信頼』……?」

 そんな綺麗な言葉で、片付けないでよ。  振られることさえできなかった。  私の恋は、彼の物語の脚注にすらならなかった。

「……鈍感……っ」

 彼女はその場に崩れ落ち、声を上げて泣いた。  レティとの約束を守り、自分の想いも飲み込んで。  彼女にできることはもう、何もなかった。

 ただ、彼が愛した女性のもとへ帰り、その最期を見届けること。  それが、「いい仲間」と呪いをかけられた彼女に残された、唯一の役割だった。

 遠ざかる馬蹄の音が、雨の中に消えていく。  
 それが、彼女たちの青春の終わりの音だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

テイマーなのに獣人ばかりにモテすぎて困ってます!~彼女はまだツンデレ獣人に番認定されたことに気付いてない~

しましまにゃんこ
恋愛
リリアは、この春、アリシア王国で冒険者になったばかりのテイマーの女の子。早く冒険者として活動したいのに、まだ一匹もテイムすることができずに焦っている。 森に入れば触手に襲われ、街を歩けば獣人に襲われる無自覚天然ドジキャラのリリア。 そんなリリアを溺愛し、陰ながらこっそり見守る黒ヒョウ獣人のロルフは、いつもリリアに振り回されっぱなし。 実は二人の間にはある秘密が!? 剣と魔法、魔法道具が使えるファンタジーな世界で、テイマーとして活躍したい女の子と、好きなのに好きといえない獣人の男の子の、勘違い、溺愛、ジレジレ、時にヤンデレなドタバタ系ラブコメです! 『王女様は聖女様!?おてんば姫の冒険録~全属性の賢者、500年後に転生する!ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しにいきます!』と同じ世界です。今後「王女様~」のほうでも登場予定です。お楽しみに! 小説家になろう、他サイトでも掲載しています。

契約妹、はじめました!

和島逆
恋愛
「契約結婚、ですか?」 「いいえ。『契約妹』です」 そんな会話から始まった、平民の私と伯爵子息様とのおかしな雇用関係。 エリート魔導技士でもある彼の目的は、重度のシスコン兄を演じて自身の縁談を遠ざけること。報酬は魅力的で、孤児である私にとっては願ってもないオイシイ話! そうして始まった伯爵家での『契約妹』生活は、思った以上に快適で。義父と義母にも気に入られ、雇用主である偽のお兄様までだんだん優しくなってきたような……? このお仕事、どうやら悪くないようです。

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~

白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。 国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。 幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。 いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。 これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。

【完結】懸命に働いた結果、無実の罪で魔王への生贄にされた聖女。でも、その『氷華の魔王』様に溺愛され、誰よりも幸福な人生を手に入れました。

小平ニコ
恋愛
主人公マリエラは懸命に聖女の役割を果たしてきたのに、婚約者である王太子ウィルハルドは、お気に入りの宮女のデタラメを真に受けて婚約破棄。そしてマリエラを恐るべき『氷華の魔王』レオナールへの生贄にしてしまう。 だが、冷徹で残忍と噂されるレオナールは、マリエラに対して深い愛情と優しさを注ぎ、マリエラを侮辱したウィルハルドの顎を氷漬けにして黙らせ、衆目の前で大恥をかかせた。 そして、レオナールと共に魔王国グレスウェアに移り住むマリエラ。レオナールの居城での新しい生活は、甘く幸福なものだった。互いに『運命の相手』と認め合い、愛を育み、信頼を深めていくマリエラとレオナール。 しかしレオナールは、生まれついての絶大な魔力ゆえの呪いとして、長く生きられない体だった。ショックに打ちひしがれるマリエラ。だがある日、封印された禁術を使えば、自らの寿命が大幅に減るものの、レオナールに命を分けることができると知るのだった。 その頃、王太子ウィルハルドは自分に恥をかかせた魔王レオナールへの憎しみを滾らせ、魔王国の反王政派と結託してレオナールの暗殺を企てる。 しかしそれは、あまりにも愚かな選択だった。レオナールのマリエラに対する態度があまりにも優しかったから、ウィルハルドは彼を侮り、忘れていたのである。『氷華の魔王』が恐るべき存在であることを……

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

処理中です...