田舎の元騎士団長はどタイプメイドに振り回される

れおぽん

文字の大きさ
62 / 73
第3部_「右手に剣を。左手に血を」

第49話:新しいページ

しおりを挟む
 リビングの暖炉の火が、パチンと小さく爆ぜた。  長い物語が終わり、部屋には深い静寂が満ちていた。

 アルベルトは、冷え切った紅茶のカップを見つめたまま、自嘲気味に笑った。

「……これが、俺の過去だ。英雄なんかじゃない。妻の心の声を聞こうともせず、国という大義名分に逃げて、彼女を孤独な死に追いやった愚か者だ」

 彼は首に巻かれたマフラーに触れた。

「彼女は最期に『幸せだった』と言い残したそうだ。……だが、それは俺への慰めだろう。本当は、俺を恨んでいたに違いない。約束を破り、一番辛い時にそばにいなかった俺を」

 重い沈黙が流れる。  アルベルトは、ノアからの軽蔑の言葉を待っていた。  「最低ですね」と罵ってほしかったのかもしれない。そうすれば、少しは楽になれる気がしたから。

 だが、ノアは静かに立ち上がった。  そして、アルベルトのそばに歩み寄り、彼の手からカップを取り上げてテーブルに置いた。

「……旦那様」

 彼女の声は、驚くほど優しく、そして断固としていた。

「貴方は、何も分かっていません」

「……何?」

「貴方は、レティ様のことも、そしてご友人のミトス様のことも……彼女たちの本当の想いと、今なお続く『献身』を、これっぽっちも理解していません」

 ノアは、アルベルトの首元のマフラーにそっと触れた。

「先ほど、私は言いましたね。このマフラーには、強力な『守り』の魔法がかかっていると。……もし、レティ様が貴方を恨んでいたなら、こんなに温かい魔法が、十数年も残るはずがありません」

 ノアは真っ直ぐにアルベルトを見つめた。  その瞳は、すべてを見通す賢者のようだった。

「このマフラーにあるのは、純粋な『祈り』だけです。貴方が凍えないように。貴方が傷つかないように。貴方が、自分を責めないように」

 ノアは一歩、彼に近づいた。

「そして、その祈りを守り続けている方が、もう一人います」

「……ミトスか」

「はい。レティ様は、貴方を『国を見捨てた男』にしないために、本音を隠した。そしてミトス様は、貴方が『妻の死に目に会えなかった罪人』として一生苦しまないように、レティ様の慟哭を隠し通した」

 ノアの言葉が、アルベルトの胸を打つ。

「ミトス様は、今も生きているのでしょう? ……だとしたら、彼女は十数年間、ずっとその秘密を一人で抱え続けているのです。喉まで出かかる『真実』を飲み込んで、貴方の心が壊れないように、沈黙という名の守りを続けておられるのです」

 アルベルトは息を呑んだ。  考えたこともなかった。  ミトスが、何かを隠しているなど。  あの別れ際に見せた静かな表情の下で、彼女がどれほどの重荷を背負い続けていたのかなど。

「彼女たちは、自分の心を殺してでも、貴方の心を守ろうとした。……それが、彼女たちの貴方への愛し方だったのです」

 ノアは、マフラーの両端を掴み、グイとアルベルトを引き寄せた。  彼女の顔が、すぐ目の前に迫る。  その瞳には、強い意志の炎が灯っていた。

「……ですが」

 ノアは、はっきりと言い放った。

「私は、彼女たちとは違います。……私は、そうはいきません」

 それは、新しい物語を始めるための、愛ある宣戦布告だった。

「レティ様とミトス様の献身は尊い。けれど、私はそんなに強くありません。そして、そんな悲しい優しさは、もう貴方には必要ありません」

「ノア……」

「もし、貴方がまた『誰かのために』と言って、ボロボロになって死地へ向かおうとするなら……私は、嘘をついて笑顔で見送ったりしません」

 ノアの声が熱を帯びる。

「泣き叫んででも止めます。貴方の足にしがみついて、服を掴んで、なりふり構わず引き留めます。……『行かないで』と、何度でも言います」

 それは、かつてレティが言えなかった言葉。  ミトスが飲み込んだ言葉。  過去と現在の二人の女性が、愛ゆえに封印した「本音」を、ノアは今、アルベルトの目の前で解き放ったのだ。

「貴方が世界を救う英雄でなくても構いません。誰かに後ろ指を指されようと、臆病者と罵られようと……私は、貴方に生きていてほしい。私のそばにいてほしいのです」

 ノアの手が、マフラーから離れ、アルベルトの頬を包み込んだ。  その手は温かく、柔らかく、そして力強かった。

「旦那様。……彼女たちが言えなかった言葉を、私が言います。行かないでください。……私には、貴方が必要です」


 ずっと、聞きたかったのかもしれない。  「行って」と背中を押される言葉ではなく、「行かないで」と求められる言葉を。  英雄としての役割ではなく、ただの弱い一人の男としての存在を、許されたかったのだ。

「……あ、あぁ……」

 レティの墓前でも流せなかった涙。  ミトスの前でも見せなかった弱さ。  それを今、すべてノアの前で晒け出した。

「すまない……ノア……情けない男だ、俺は……」 
「いいえ。……愛おしい人です」

 ノアは、泣き崩れるアルベルトを抱きしめた。  子供をあやすように、背中を優しく叩く。

「レティ様のマフラーは、もう十分に貴方を守りました。そしてミトス様も、遠い場所で貴方の幸せを願っているはずです」

 彼女は、アルベルトの首元のマフラーを一度ほどき、そして丁寧に、もう一度巻き直した。  今度は、緩すぎず、きつすぎず。  過去の記憶を温かく包み込み、その上に新しい思い出を重ねるように。

「これからは、私が貴方を守ります。……レティ様が遺した想いも、ミトス様が守り続けている秘密も、全部ひっくるめて、私が受け止めますから」

 ノアは微笑み、涙で濡れたアルベルトの瞼に口づけを落とした。

「だから、もう自分を責めるのは終わりにしましょう。……貴方はもう、幸せになってもいいのです」

 アルベルトは、ノアの背中に腕を回した。  強く、壊れない程度に、確かな愛を込めて。  彼女の体温が、マフラーの温もりと混ざり合い、芯まで冷え切っていた心を溶かしていく。

「……ああ」

 彼は掠れた声で答えた。

「もう、どこにも行かない。……俺の居場所は、ここだ」

 窓の外では、木枯らしが吹いていた。  だが、屋敷の中は暖炉の火と、二人の体温で満たされていた。

 テーブルの上には、修理された赤いマフラー。  その不揃いな編み目は、まるで笑っているように見えた。  そして、遠い王都の空の下にも、この雪を見上げている一人の女性がいることを、アルベルトは心の片隅で思った。いつか、彼女にも礼を言わなければならない。この愚かな男を守り続けてくれた、「共犯者」に。

 過去は変えられない。  けれど、物語の続きを書くことはできる。  ボロボロになったページを修復し、涙の跡の上に、新しいインクで「幸せ」を綴ることはできるのだ。

 アルベルトはノアの手を取り、その指に口づけた。  それは、長きにわたる贖罪の旅の終わりであり、新しいパートナーとの、穏やかな日々の始まりの誓いだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

テイマーなのに獣人ばかりにモテすぎて困ってます!~彼女はまだツンデレ獣人に番認定されたことに気付いてない~

しましまにゃんこ
恋愛
リリアは、この春、アリシア王国で冒険者になったばかりのテイマーの女の子。早く冒険者として活動したいのに、まだ一匹もテイムすることができずに焦っている。 森に入れば触手に襲われ、街を歩けば獣人に襲われる無自覚天然ドジキャラのリリア。 そんなリリアを溺愛し、陰ながらこっそり見守る黒ヒョウ獣人のロルフは、いつもリリアに振り回されっぱなし。 実は二人の間にはある秘密が!? 剣と魔法、魔法道具が使えるファンタジーな世界で、テイマーとして活躍したい女の子と、好きなのに好きといえない獣人の男の子の、勘違い、溺愛、ジレジレ、時にヤンデレなドタバタ系ラブコメです! 『王女様は聖女様!?おてんば姫の冒険録~全属性の賢者、500年後に転生する!ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しにいきます!』と同じ世界です。今後「王女様~」のほうでも登場予定です。お楽しみに! 小説家になろう、他サイトでも掲載しています。

契約妹、はじめました!

和島逆
恋愛
「契約結婚、ですか?」 「いいえ。『契約妹』です」 そんな会話から始まった、平民の私と伯爵子息様とのおかしな雇用関係。 エリート魔導技士でもある彼の目的は、重度のシスコン兄を演じて自身の縁談を遠ざけること。報酬は魅力的で、孤児である私にとっては願ってもないオイシイ話! そうして始まった伯爵家での『契約妹』生活は、思った以上に快適で。義父と義母にも気に入られ、雇用主である偽のお兄様までだんだん優しくなってきたような……? このお仕事、どうやら悪くないようです。

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~

白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。 国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。 幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。 いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。 これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。

【完結】懸命に働いた結果、無実の罪で魔王への生贄にされた聖女。でも、その『氷華の魔王』様に溺愛され、誰よりも幸福な人生を手に入れました。

小平ニコ
恋愛
主人公マリエラは懸命に聖女の役割を果たしてきたのに、婚約者である王太子ウィルハルドは、お気に入りの宮女のデタラメを真に受けて婚約破棄。そしてマリエラを恐るべき『氷華の魔王』レオナールへの生贄にしてしまう。 だが、冷徹で残忍と噂されるレオナールは、マリエラに対して深い愛情と優しさを注ぎ、マリエラを侮辱したウィルハルドの顎を氷漬けにして黙らせ、衆目の前で大恥をかかせた。 そして、レオナールと共に魔王国グレスウェアに移り住むマリエラ。レオナールの居城での新しい生活は、甘く幸福なものだった。互いに『運命の相手』と認め合い、愛を育み、信頼を深めていくマリエラとレオナール。 しかしレオナールは、生まれついての絶大な魔力ゆえの呪いとして、長く生きられない体だった。ショックに打ちひしがれるマリエラ。だがある日、封印された禁術を使えば、自らの寿命が大幅に減るものの、レオナールに命を分けることができると知るのだった。 その頃、王太子ウィルハルドは自分に恥をかかせた魔王レオナールへの憎しみを滾らせ、魔王国の反王政派と結託してレオナールの暗殺を企てる。 しかしそれは、あまりにも愚かな選択だった。レオナールのマリエラに対する態度があまりにも優しかったから、ウィルハルドは彼を侮り、忘れていたのである。『氷華の魔王』が恐るべき存在であることを……

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

処理中です...