田舎の元騎士団長はどタイプメイドに振り回される

れおぽん

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第4部_「幸せな気持ちで、帰ってもいい」

第57話:愛すべき馬鹿たち

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城門の前に立ち塞がったミトスは、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、カタカタと小さく震えていた。朝霧が立ち込める石畳。その冷たさが靴底を通して伝わってくるせいではない。彼女の背後に広がる、底知れない死の気配に体が拒絶反応を起こしているのだ。

「……どいてくれ、ミトス。時間がない」

馬を降り、歩み寄ってきたアルベルトが静かに告げる。だが、ミトスは動かなかった。突き刺すような視線で、かつて愛し、今もまだ心のどこかで燻り続けている男を見上げ、ギリリと奥歯を噛み締めた。

「どかない」

頑なな声だった。

「計算したわ。今の君の身体スペック、反応速度、魔力残量……。全盛期だった頃よりも三割は落ちてる」

彼女は早口でまくし立てた。そうしないと、喉の奥から嗚咽が漏れ出しそうだったからだ。

「帰る場所ができて強くなった?……馬鹿言わないでよ。守るものができた剣は、脆くなるの。自分の命を天秤に乗せて、死にたくないと足がすくむから。……君も、もう昔の『何も感じない機械』じゃないんだから」

ミトスは一歩、アルベルトに詰め寄った。呼吸が荒くなる。言いたくない。こんな、足を引っ張るようなこと。でも、言わずにはいられなかった。レティを見送ったあの日、喉の奥で殺した言葉が、十数年の時を経て化膿し、彼女の内側を食い破ろうとしていた。

「君はさ……どうしていつも、何かのためにホイホイ命をかなぐり捨てるような真似をするのよ、本当に!」

ミトスの手が、アルベルトの胸当てを拳で叩いた。ゴン、という鈍い音が響く。痛くも痒くもないはずのその拳が、アルベルトには何よりも重く感じられた。

「諦めがついたって……!気持ちの整理ができたって……!」

もう一度、叩く。今度は力が弱まり、ただ縋るように手が震える。

「大切なもんは、大切なんだよ!……そんな簡単に、遠くに行かないでくれよ……っ!」

それは、研究者としての見解ではなかった。
ただの、恋に破れ、親友を失い、それでも彼を見守り続けるしかなかった一人の女性の、洗いきれていない未練の残滓だった。もし彼が死んだら。今度こそ私は、完全に一人になる。その恐怖が、理性を焼き切っていた。

アルベルトは、胸を叩き続ける彼女の拳を、そっと自分の手で包み込んだ。分厚くて、傷だらけで、温かい手。ミトスの動きが止まる。

「……ごめんな」

アルベルトは何も言わずに一歩踏み出し、彼女の体を正面から抱きしめた。革鎧の冷たい感触と、彼自身の熱い体温が、ミトスを包み込む。

「……っ!?は、なせ……!」
「これが君に対する敬意として正しいのかは分からない。……きっと、ノア君にはこっぴどく怒られるだろうな」

彼は苦笑いを含んだ声で、耳元で囁いた。

「でも、言葉だけじゃ伝えきれないんだ。……ありがとう、ミトス。君がいてくれたから、俺は今日まで生きてこられた。君がレティの想いを守ってくれたから、俺はまた人を愛することができた」

ミトスの抵抗が止まった。彼の鼓動が聞こえる。力強く、落ち着いたリズム。それは、かつてのような「死に急ぐ者」の鼓動ではなかった。生きて帰るという意志を持った、地に足のついた人間の鼓動だった。

ああ、そうか。ミトスは、自分の目から涙が溢れるのを感じながら、悟った。この男はもう、私が心配しなくても大丈夫なのだ。私の役割は、本当に終わったのだ。

数秒の後、アルベルトは体を離した。ミトスは呆然と彼を見上げている。目元は赤く、眼鏡が少し曇っていた。アルベルトは、いつものようにニカっと笑った。

「今回も、必ず帰る」

彼は刀の柄に手を置き、親指で鍔を鳴らした。

「じゃないと……『みんなに』帰るって言っちゃったからね。嘘つきにはなりたくない」

みんな。その中には、ノアはもちろん、グレイブも、そして自分も含まれている。彼はもう、誰一人置いていく気はないのだ。

その欲張りで、頼もしい笑顔を見た瞬間、ミトスの中で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。そして、彼女はふっと笑った。それは、長い長い片思いに、ようやく本当の意味で終止符が打たれた瞬間の、諦めと清々しさが混じった笑顔だった。

「……行ってきなさいよ。馬鹿野郎」

彼女は道を開けた。アルベルトは深く頷き、城門の向こうに待つ戦場へと歩き出した。その背中は、かつての孤独な「灰色」ではなく、朝日に照らされた確かな色彩を帯びていた。

***

アルベルトの姿が霧の向こうに消えて、しばらくの時が過ぎた。城門の柱の陰で、ミトスはその場に座り込んでいた。膝を抱え、顔を埋める。涙は止まっていたが、立ち上がる気力が湧かなかった。空っぽだった。十数年、彼を追いかけ、彼を心配することだけが、彼女の生活の芯だった。それがなくなった今、自分が何者なのか分からなくなるような、強烈な虚脱感が襲っていた。

そこへ、複数の規則正しい足音が近づいてきた。これから出撃する本隊を率いる、レオンハルトたちだ。

「……ミトスさん?」

先頭を歩いていたレオンハルトが、彼女に気づいて足を止めた。彼は驚いたように目を丸くし、部下に待機を命じてから、慌てて駆け寄ってきた。

「どうしました!?こんなところで座り込んで……具合でも悪いんですか?」

若い副隊長の声は、無駄に張りがあって耳に痛い。ミトスは顔を上げず、膝に額を押し付けたまま、くぐもった声で答えた。

「……うるさいわね。放っておいてよ」
「放っておけませんよ。目が真っ赤じゃないですか」

レオンハルトは彼女の前にしゃがみ込んだ。視線の高さを合わせ、覗き込むようにして彼女を見る。その瞳は、いつものチャラついたものではなく、真剣そのものだった。
レオンハルトもまた馬鹿じゃない。彼女の顔。今日という日付。タイミング。すべてをかんがみて。察せてしまう。

「……先輩を見送ったんですね」

図星を突かれ、ミトスの肩が跳ねた。レオンハルトは、ふう、と小さく息を吐いた。彼女が誰を想い、誰のために泣き、そして今、どんな喪失感を抱えているのかを彼は理解していた。

「……聞くな、青年」

ミトスはよろりと立ち上がろうとして、足がもつれた。レオンハルトが咄嗟に支える。彼の磨かれた胸当てに、ミトスの頭がコツンと当たった。硬い金属の感触。でも、そこには確かな人間の温かみと、若い心臓の力強い鼓動があった。

「……だけど、胸を貸せ」
「へ?」

ミトスは、そのまま彼の胸に体重を預けた。自分でも驚くほど、素直な甘え方だった。強がり続けることに、疲れてしまったのかもしれない。

「……ちょっとだけ。私が深呼吸し終わるまで、壁になりなさいよ」
「壁って……」

レオンハルトは困ったように眉を下げたが、拒絶はしなかった。彼は、そっと躊躇いがちに手を伸ばし、そして不器用に、ポンポンと彼女の背中を叩いた。子供をあやすような、ぎこちないリズム。それがおかしくて、そして少しだけ泣きたくて、ミトスは目を閉じた。

やがて。朝日が完全に昇り、出撃の合図となる角笛が高らかに鳴り響いた。ミトスはゆっくりと顔を上げ、彼の胸から離れた。

「……ふぅ。汚しちゃったわね、ごめんなさい」

ハンカチで目元を乱暴に拭う。レティの死後、誰かの前でこんなに無防備な姿を見せたのは初めてだった。

「構いませんよ。勲章みたいなものです」

レオンハルトは軽口を叩きながら、兜を被り直した。その横顔は、いつもの飄々とした副隊長のものではなかった。
アルベルトという巨大な先達の後ろ姿を見送り、その意志を継いで本隊を指揮する、覚悟に満ちた男の顔だった。

「……男は、みんな馬鹿ですよ」

彼は遠くの空を見つめ、自嘲気味に呟いた。

「責任とか、誇りとか、何とか言って。……簡単に命を投げ出すんですから」
「……あんたも、行くのね」
「はい」

レオンハルトは、ミトスに向き直った。金髪が朝風に揺れる。その碧眼は、真っ直ぐに彼女を射抜いていた。

「でも、それでミトスさんが……貴女たちが笑って暮らせる街を守れるなら、僕は喜んで前に出ます」

それは、まるで芝居の台詞のようにキザな言葉だった。普段なら「寒いわよ」と笑い飛ばしていただろう。だが、今の彼の声には、嘘や飾り気のない「本気」が宿っていた。

「そして。……僕は絶対に帰ってきます」

彼は、右手を胸に当てた。

「先輩のように強くはないかもしれません。でも、死ぬつもりはありませんよ」
「……どうして?」

ミトスが問うと、レオンハルトは少しだけ照れくさそうに笑い、一歩彼女に近づいた。

「貴女に、また会いたいからです」

ミトスは息を呑んだ。心臓が速くなる。アルベルトへの想いにようやく区切りをつけ、空っぽになったばかりの心の空洞。そこに、年下の男の、不器用で真っ直ぐな熱が、じわりと染み込んでくる。

「帰ってきたら、今度は僕のために泣いてもらえませんか?……いや、笑って迎えてくれるほうが嬉しいかな」

それは、事実上のプロポーズ。この生意気で、顔だけが良いと思っていた若造が、いつの間にかこんなに頼もしい「男」になっていたなんて。意識してしまう。

アルベルトとは決定的に違う。
過去を共有する痛みではなく、共に未来を見ようとする眩しさが、彼にはあった。

「……生意気ね。年下のくせに」

ミトスは顔を背け、耳まで赤くなるのを隠した。これ以上彼を見ていると、自分の新しい鼓動に気づかれてしまいそうだったから。

「死んだら許さないから。……待ってたら帰ってくるってデータちゃんと残しなさいよ」
「はい。最高のサンプルになって帰ってきます」

レオンハルトは爽やかに笑い、踵を返した。そして一度だけ振り返り、手を振って本隊の列へと戻っていった。ミトスは、その背中が見えなくなるまで、動けなかった。一人は、過去の愛しい人。もう一人は、これから始まるかもしれない未来の人。二人の男が、彼女の前から戦場へと旅立っていった。

風が吹く。ミトスは頬を叩き、顔を上げた。泣いている暇はない。彼らが帰ってくる場所を守るために、自分にもできることがあるはずだ。例えば、彼らが無茶をして傷ついた時のために、最高の治療薬を準備しておくこととか。あるいは、帰ってきた彼らを迎えるための、とびきり美味しい酒を用意しておくこととか。



彼女は白衣の裾を翻し、研究室へと歩き出した。その足取りは、来た時よりもずっと軽く、そして力強いつもりだった。
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